第48話 ラピスラズリの抱擁



「一緒にいてくれてありがとう、ナギさん」

「こっちこそ急なのに泊めてくれてありがとう……明日祝日なの忘れてたね……」

「文化の日という、芸術にはもってこいの日だというのに……」


時は日没。場所はミユキの部屋。

じわじわ迫る夜の帳、それを憂うようなミユキの顔。


なんとなく、今夜、ミユキをひとりにしてはいけない気がした。


「ミユキの気付いたこと、聞いていい?」

「…………気付いたこと?」

「さすがの私でもミユキがどんな子か知ってるつもりだよ〜?」


クモの巣のように張り巡らされた意識の網で。

あの場の全ての感情を掴み取ったはずなのだ。


「……その前にひとつだけ」

「はいよ」

「本当に、ナギさんがいてくれてよかったわ」

「へへっ」


ほんの少し照れ笑いを返して、本題を促す。


「まず、ミドリさん」

「あぁ、あの二つ結びの小さい子ね」


どこかノワキと似た印象の、少しおどおどした子。


「あの子が一瞬、顔色を伺った方がいたのよ」


全てを見渡せる隅の方で、自分は無関係だというような顔を浮かべながらも全神経をミユキたちの会話に集中させていた人物。

赤縁眼鏡に隠したその奥の目が、その場の誰をも見下したように、そしてそんな自分自身でさえも嫌悪しているように細められていた。


「それに、わたしたちが文芸部に出入りすることに、快く思っていない方のほうが多かったはずだわ」

「まあ、アウトサイダーな感じはあったけどさ……」

「それがわたしたち本人ではなくて、わたしたちを連れ込んだノワキさんに向いたのかもしれないのだわ」


いつかの佐目島がノワキを入部させたミユキに激昂したように。


「つまり本当に疎まれているのは、わたしたち……なのかもしれないわね」

「んー……でもそれは私たちがノワキを旧美術室に入れたくないって言ったからでしょ?」

「どうしてもならどちらかの教室や広場で、という手もあったのだわ……だから完全にわたしの落ち度なのよ」


ああ、ミユキまで落ち込んでしまった。

こんな時に張本人は何をしているんだか。

ナギが小さく腹を立てていると、使用人がミユキを呼びに来た。

こんな時間に来客が?と訝しんでいたが、それがノワキだと知ると我先に駆け出していた。









「まあ、ノワキさんたらまたもやお顔が涙だらけでしてよ」

「うっ、ひっく、あっ、あたっ、アタシっ……!!」

「落ち着きなよ……ほら、とりあえず顔拭いて……」

「あっ、ありっ、がっ……」

「いいから顔拭いて落ち着く!!」

「はいっ……!!」


ホットチョコレートを差し出しながらブランケットを羽織らせ、背中をそっと撫ぜるミユキ。

それにほんの少し落ち着きを取り戻したものの、一瞬の間をおいて再び激しく泣き出してしまった。


さらに落ち着くまで待つと、ようやくぽつぽつと話し出した。


「アタシ、ミユキにいっぱい迷惑かけてるって気付いて……いっぱい無理させて、嫌われても仕方ないのに気付かなくて……」


わ、わ、わ。

止まらない。


言葉はどんどん漏れ出して、流れが急になっていく。濁流のように紡がれるそれは、ふたりを押し流してしまうのではないかと思うほど。

しかしミユキは岩のように、その場で頑として落ち着き払っていた。


ひとりでボルテージを上げていくノワキを止めようか迷っていたナギだったが、急な叫びにより飛び上がる。


「き、嫌わないでッッ!!」

「なぜ?」


あ、と息を呑む。

いつかの風がそばを通り抜けた気がした。


「嫌わないわ」

「あ、あれ……?アタシ、なんで、ミユキを……そんな子だって、思い込んでたんだろ……ほんとは違うのに、ミユキはいつもミユキのままだったのに……」


ぽろぽろとこぼれ落ちる涙を、やさしく拭う。


「アタシ、ミユキがいてくれなくちゃ、嫌な子になっちゃう……!!不安で仕方ないの、ミユキが大丈夫だって言ってくれないと、こうやって……!!でも、それをしたら、きっといつか嫌われる、ほんとに嫌われる……ってわかってるから……っ!!だってミユキは描きたくて、描かなくちゃいけなくて……!!でも、ミユキに嫌なきもちを抜き取ってもらわないと……アタシ……!!」

「ちょっと、私は仲間外れかい?」

「な、ナギ……?」

「あのさぁ、そうやってミユキだけにって考えるからミユキだけに行っちゃうんじゃないの?」


ノワキは、初めてナギの存在を認識したかのように瞬きしながら見つめている。


「ミユキに迷惑かけたくないって思いながら、でもミユキのとこに押しかけちゃってるよね?そうなる前に他の子にも言えば?どうしてもって言うなら私でもさ」

「ナギ……!!」


ある意味健全に泣き始めたノワキを見て、ミユキはホッとしたように息を吐いた。

ナギは自分でもよくわかっていないまま、張り詰めていた何かを緩められたことを実感した。

口パクで「ミユキにパス」とおどけてみせると、ミユキは困ったように笑った。


「ノワキさん」


小柄なミユキが、大柄なノワキをそっと抱きしめる。今だけはノワキが小さく、ミユキが大きく見える。それこそ海みたいに途方もなく。


「確かに、わたしの生活すべてがノワキさんになるのは困るわ」

「や、やっぱり……」

「でも、そうして悲しみや不安でいっぱいになっているノワキさんを放ってしまうのは、わたし、もっと困るわ」


ナギに声をかけ、なんとか修繕した絵本を渡す。


「どなたさんがどんなひどいことを言ったのか、ノワキさんが話してくれないことには知る術がないのだけれどね……わたしはほんとうに、心から、この絵本が完成する日を心待ちに、楽しみにしていたのよ」


再び声をあげて泣くノワキの背を擦る。

ナギも仕方無しに反対側から擦り、不器用ながら慰めた。








「…………ノワキ、もう落ち着いた?」

「ウン、アリガト、ふたりとも……」

「……だからね、もし今後わたしに関することで疑問や不安があったのなら、思い詰める前にたしかめてほしいのよ」

「……いいの?しょっちゅうかもしれない、よ……」

「しょっちゅうかもしれなくても、よ」


ミユキは膝を抱え、ノワキの瞳をまっすぐに覗き込んだ。夜も更けた今、ミユキの瞳はラピスラズリの色に染まっている。


「言ったことがあったかしら?わたし、ノワキさんの笑顔が好きなのよ」

「好き……?」

「絵本を描いている間、あなた、楽しそうに微笑んでいたこと、ご存知?」


ノワキは自分の顔をぺちぺちと触っている。

涙のせいで少しベタついていた。


「知らなかった…………」

「ひとつ、知れたわね」


ミユキが優しく微笑むと、ノワキは何度も頷いた。

ナギはやれやれと肩を竦め、ミユキにひとつ、やんわりと提案した。ミユキはそれを、快く受け入れる。


「ノワキさん、あなたも今夜、泊まっていらしたらどうかしら」

「え、い、いいの?アタシ……急に来たのに……」

「言っておくけど私も急に来たよ」

「両親の仕事柄、急な来客には慣れっこなのよ」


ノワキはやっと顔を明るくし、「お泊まり会だ」と呟いた。


ノワキがお風呂に入っている間、ナギはこっそりミユキに耳打ちした。


「誰がノワキを唆したかたしかめなくていいの?」


ミユキはゆるゆると首を振る。


「今はまだ、そうすべき時ではないのだわ」


ナギはどこの誰か知らない犯人に、語りかけた。


「寿命がのびたようだな……いや、命拾いしたようだな……か?」

「そこまで先延ばしにするつもりもないのだけれどね」


まあ、それもそうか。

標的が自分自身でないのなら、ミユキはそうそう容赦はしないのだから。


「む!どうしましょうナギさん、お泊まり会だと思うと楽しくなってきてしまったわ、眠れないわ!」

「寝ないと明日全部寝過ごすよ」

「眠ることにするわ!でも眠れないかも知れないわ!」

「はいはい、子守唄でも歌ってあげるから……」


3人で雑魚寝しながら、明日何をするか穏やかに話し合った。


しかしやがて、それはすべて穏やかな寝息に変わっていったのだった……。


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