第36話 知恵の実



「あ、あの……おじゃまします」

「うわ、ノワキ」


旧美術室へ響いたノック。

また美術部員か、最近は減っていた「」かと思ったが、そうではなかった。ミユキは誰が来たのか最初から知っていたかのようにお茶の支度をする。

ナギだけが「ああ、あの足音はノワキしかいないわな」と気が付いた。


「あの、あのね……」


突き刺さる冷たい視線に、じわじわと恐怖がこみ上げてくる。

なにも言わないノワキを、ミユキだけが椅子に促した。







「あの、みん、みんなに、謝ろうと、思うんだけどさ……ミユキから、言っといてくれない?」

「……それは誰のために?そしてなぜわたしにおっしゃるの?」

「……え?」


厳しい言葉とは裏腹に、ミユキはノワキよりもどこか痛みを堪えているような顔をしていた。ミユキは迷ったように唇を2、3度噛み、言葉を紡ぐ。


「わたし、ひとを傷つけたことも、傷つけられたこともあるわ……それで思ったのよ、謝るって、謝られるって、こわいの……前も話したかしら?」

「えっと……」

「まずね、謝罪はすべてが許され、すべてが解決してしまう魔法ではないことを、肝に銘じておかなくてはならないと思うの……やってしまったことは消せないし、なにより……傷つけた人間の言葉で、傷つけられた人間が救われるわけがないのよ」


ノワキはハッとした。

また思考になっていた。

謝られた相手がどう思うかなんて知らないし、考えもしなかった。


自分が少し勇気を出すだけで、きっと周りとの関係は劇的に良くなり、やったことも帳消しになる。

「勇気を出せて謝れたね」「謝れて偉いね」「これで仲直りね」と褒め称えられ、仲間にだって入れてもらえて、そうやって上手く行くに違いないという地に足のつかない見当違いな妄想ばかりをしていた。

そんな妄想を確実なものだと勘違いしていた。

また、間違うところだった。

このままだったらこれまでのように「謝ったのに許さないあいつらが憎い、悪い」と被害妄想に走っていた。


「傷つけた側には『謝る義務』があって、傷つけられた側には『許さない権利』もある、というか……」

「で、でも、じゃあ、謝る意味ってなに……!?」


ミユキはこめかみを押さえ、痛そうに唸った。


「……傷つけられた方は間違っても『自分に落ち度があって被害を受けた』だとか『自分を傷つけた人間に怒りを抱くのは狭量なのか』なんて間違いを背負わなくても済むし、傷つけた方は『悪いことをして、謝らなかった狡い人間』には、ならずに済むのだわ……それに、間違ってもやったもの勝ちな社会には、ならないと思う」

「……アタシ、自分が……自分が楽になるために、謝ろうとしてた……ミユキから言ってもらえれば、みんな絶対に許してくれるだろうし、って……」

「…………板挟みはつらい存在ということを、どうかご理解なさってね」


ノワキは自分を恥じた。

成長しても、こんなものか。

いつまで、この甘い妄想を捨てずに生きなければならないのだ。

ミユキがいなければ、気付くことすらできないような。


(アタシこそ、ミユキを利用して、ヒトを操作しようとした……ミユキに、どっちかを……捨てさせようとした、しかも……おそらく、ナギたちを、捨ててくれるって、勝手に、……一度ミユキの家で遊んだくらいで……勝手にそんなことを信じて……)


いま泣くべきではない。

いま泣いてしまえば、それはミユキを責めるものになる。


「あのぉ……でも、確率は、上がるかもしれなくてよ?きちんと謝ってくださった方と一度も謝らなかった方では、わたしだって謝ってくださった方のほうが、ね?」

「………………ミユキは、許された?」


いまは遠い、記憶の中。

青い絵の具の彼女。

その時描いていた絵。

部室も兼ねていた美術室で焚いていた、ストーブの匂い。

たまにピカリと光る窓の外。

嵐。

叩きつける大きな雨粒。

慣れ親しんだ病室と、すすり泣く彼女。

100円ショップの絵の具。

自分を取り巻いてきた環境に対する疑問。

その時描き終えた絵。

終わりのない自問自答。

高く鳴り響く電話のベル。

謝ったし、謝られた。


「そうね、許されてしまったのだわ……」


傷つけ合ってきた時間は大差なかった。

お互いの存在がお互いを傷つけていたのだから。

だからこそ、隣り合って存在しないことを選択した。

でもミユキは、思う。

比較するべきではないとわかっている。

つらさは勝負ではないし、大きさや重さを比べる競技でもない。

それでも、思うのだ。

自覚がなかったぶん、自分が彼女につけてきた傷の方が、痛かったに違いない、と。

でも、つけられた傷のせいで、彼女はミユキを許してしまった。


もう、友達ではいられなくて。

それでも、意地のままに支援は今も続いていて。

使用人を通して、今でも彼女の絵がたまに送られてくる。

彼女の絵は変わらずで、でも彼女はたくさん前に進めたみたいで。

電話を通して行われるだけの、何気ない会話を数ラリー。

それだけでも、関係は改善されているのだと思いたいものだ。


まあ、今でも悪夢として見るほどに嫌な記憶ではあるのだが。


生きることはこわい。

生きているだけで、誰かを傷つけているかもしれないから。

それに気付けないまま、人生を終えるのかもしれないから。

悪夢は、それを忘れさせないための防御機構なのかもしれない。


「……それでも、謝る……悪いことしたって、それをわかったって、知ってほしい……勝手かもだけど」



そして冒頭に戻る。








ひとりひとりに、してきたことを謝り、再び沈黙が訪れる。

泣かずに謝れたのは、ミユキの淹れるココアの香りのおかげだろう。

心の中でちいさく感謝しながら、運命の時を待つ。


「…………私は許すつもり、ないよ」

「…………」

「あんたに奪われたものは大きすぎるし、やったことは決して庇えない……かといって、得たものが全くなかった訳でもないし、怒りや憎しみなんてしんどい感情をずっと持っている趣味もない」

「ナギ、ちゃん……」

「あんたのことはこれからも嫌いだし、仲良くなるつもりも毛頭ない」

「……うん……」

「でも、それだけじゃフェアじゃない」


ナギはシナモンとスターアニスの入ったココアを飲み干し、宣言した。


「私はこれから先、あんたに嫌なことされたら遠慮なく叱りつけるしやり返すから」

「えっと……」

「あんたも言い返せばいいしやり返せばいいよ、私に嫌なことされたらの話だけど」

「な、ナギちゃん……」

「今更ちゃん付けするのも気持ち悪いからやめてくれる?」

「う、うん…………ありがとう、ナギ」


ナギは一同に視線を送り、口を尖らせた。


「私は済んだ、後は口を出さない」

「じゃあ次、ウチね」


目元を鋭くしたミナトが、ノワキの正面に座り直す。


「う、うん」

「ウチもね、許さない」

「うん……」

「でも、条件次第で緩和はする」

「緩和……?」


ミナトは同じくスパイスの入ったココアを机に置き、鋭い目のままにっこりと笑う。

カップはノワキが壊し、ミナトたちが泣きながら直したそれだった。

ヒビ模様だらけの白猫が、液漏れさせることもなく、カップ1杯ぶんのココアをしっかりと支えていた。


「師匠を紹介してあげるから、一切馬鹿にせず、途中で放らず、逃げず、後片付けもきちんとして、自分の力だけで、マグカップを完成させてきて」

「え、でも」

「これとそっくりなものじゃないよ、誰かのマネでもなく、自分でデザインも考えて努力して作ってきて」

「……私も、ノワキさんに求めるのはミナトと同じ……だからふたつ、ね」


ヒビ模様だらけの黒猫カップが並ぶ。


「そんでウチらが叩き壊すから、自分の力だけで直して……次来る時は直したそれを使ってお茶飲んでね」

「ミナトちゃん、マリンちゃん……!」

「できるだけ来ないでほしいけどね」

「う、うん……」


窓際でカチャカチャやっていたメルが、ふたりの話が終わったのを確認し、ノワキの前に巨大なチーズケーキを置く。乱暴な足取りとは一転して、綿毛でも撫でるようなやさしさでチーズケーキを扱っていた。顔は任侠映画に出てくるそれだが。


「ぜんぶくえ」

「えっ」

「ぜんぶ、こころから、おいしそうに、くえ」

「えっ?」

「私はそこまでノワキと関わってないし、でも、チーズケーキをバカにしたことも、みんなにしたこともムカついてる」


切り分けることなく、1本のフォークだけが差し出される。


「だから、のこさず、きれいに食べきったら、私は、許す」









「今日のMVPは間違いなくメルさんだわね」

「あのねぇ……」


あのあとアメリカンなケーキも真っ青になるほどの巨大チーズケーキを、ノワキは2時間と40分かけてしっかり完食した。1時間を過ぎたあたりでメル以外からの視線が同情的になり、2時間を超えてからはそれぞれの憤りすら和らいだのだ。

当の本人はチーズケーキをしっかり完食され(ノワキの顔色はやばかったが)おいしいとの感想をもらい、満足気だった。


「後で同じレシピで作ったの分けてもらったけど、また腕上げてたね」

「最早チーズケーキの神様と呼ぶべき領域なのだわ」


間違いない、とナギは思った。


「……よかった、ほんと」

「あら、何がかしら?」

「……誰も殺人犯にならずに済んだし、ミユキも帰ってきたし……」


勝手に口角が上がる。

おろしたてのかわいいマフラーのおかげではない。


「明日から文化祭の準備期間に入るから!」

「あぁっ!楽しみで眠れないかもしれないのだわ!!」


誇張表現でなく、ミユキはその日マジで眠れず、登校時間が来るまで自室にて作品制作に没頭しつづけていたのだった。


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