第28話 楽園


ぴちちちち。

ぱささささ。


ざあざあざあ。

さらさらさら。


ちょろちょろちょろ。

ぴちょん、ぽちゃん。



「…………」


花の香りに包まれて身動ぐ。

緑の風に包まれて、深く息を吸う。

やわらかい光に包まれて目を開ける。

とりの声と羽ばたきで、完全に意識が浮上した。


「……あぁ、ほんとうに天使が楽園に連れてきてくれた……よかった、ミユキは醜い悪魔じゃなかった……やっぱりミユキだけが本物の天使様だった……そしてそんなミユキが選んだアタシって……最高の存在!」


勝手に涙が溢れ出る。

いつも流してきた、悲しみや悔しさによるものではない、感動の涙。


「アタシにふさわしい、繊細で、儚くて、世界で一番美しい、楽園」


聖い水を湛えた泉の傍に、ミユキが座っているのが見えた。

いつものあの碧い瞳で、じっとノワキを見つめていた。

にわかにノワキは舞い上がる。

自分が目覚めるのを心待ちにしていたに違いない、と。


「ここは誰もあなたを傷つけない、やさしさにはやさしさが返ってくる、正しい場所……相応しいかどうかはわからないけれど、ね」

「ああ、アタシにぴったりのアタシの楽園だ……!や、やっぱり、みゅ、ミユキだけがアタシの理解者だ……ミユキはナギよりアタシを選んだ!アタシの勝ち!」


ミユキの青い瞳が、どんな温度をしていたのか、ノワキは認識できないようだ。


「好きなだけ野を駆け海を泳ぎ、疲れたのなら森で眠り、おなかが空いたら果実を食べればいいわ」

「うん……うん!アタシ、ずっとそんな楽園を夢見てた!!」

「ただ、ひとつ……いえ、ふたつだけ約束してくださる」

「うん!なんでも言って!!」


ミユキはすう、と白い指を伸ばし、月の砂丘を指さした。

おおきな大きな満月の、青白い砂丘。

その中央に、ぽつんと姿見が立っていた。


「月の砂丘はこわいところよ、真実の鏡だけは絶対に覗いてはだめ」

「うん、鏡ね、で、ふたつめは?」


ノワキは話半分でわくわくと動きまくり、じっとしていられないようだった。

ミユキは諦めたようにため息を吐き、瞬きひとつの後、祈るように言い含める。


「この世界では、どんなものに対してでも、意地の悪いことをしたり、言ってはいけないわ、きっとやさしさを忘れないで」

「わかった!もう行っていい?」

「……ええ、いいわ」

「ミユキも一緒に行く?」

「わたしはここですこし休むので」

「そう!じゃあまた後でね!」


ノワキはドスドスと賑やかに走り去っていった。

ミユキはそれを見送ったまま、無意識に自分の腕を撫で擦った。


「ナギさんみたくお歌でも歌ってみようかしら」


いいや、その前にやる事がある。


「たしかめなくてはね、最初からこうしてしまえばよかったわ」


遠い遠い、月の砂丘にひとっとび。

たった一枚の姿見の前で、象られた天秤をなぞる。


「わたしの姿を映すのは、失楽園のその瞬間だけ」


羽にも心臓にも触れないように、天秤だけに祈りを込めて。

空いた場所に、菊の花の装飾をそっと刻んだ。


「……鏡さん、こんな時にまでわたしのお顔を真っ黒に塗り潰すのは、やはり罰かしら?これじゃあ、笑っているのか泣いているのか、自分でもわからなくてよ」


ただでさえ、自分がどんなきもちなのか、いつだってわかっていないというのに。


「ああ、でもいまは確実に……恐怖しているわね?だって、いつまでなのか、いつまでもなのか、それすらわからないんですもの」


ノワキが「楽園」と呼んだこの場所は、きっと彼女自身によって、彼女自身を傷つけ場所になる。彼女がつけてきた傷の数だけ、彼女の性根が背を押して。


「みどりも、お花も、お水も、とりや虫も……ぜんぶ現実にもあるものなのにね?いたって平均的な自然世界なのだわ」


空も雲も月も、時と共に、虹色にその輝きを変えていく。

虹をふりまく白い太陽だってそう。

それじゃあ、時間は虹でできているのね。

雨も、海も、木々も草も花々もそうだもの。

当たり前にむこうの世界にだって在って、当たり前に美しい。


楽園と楽園じゃない場所のちがいは?

なぞなぞ?いいえ、そうではなくて。

それに、どちらかというと、問いかけ。


「わたしにとっては、他人が介在しないというだけで楽園ではあるけれど、あの方は他人が存在しない世界では生きていけない方だもの」


他者からの認識を通して自己を認識したがるノワキ。

自己の認識を通して他者を認識したがるミユキ。


ひとりきりを好み、ひとりきりでないと生きていけないミユキ。

ひとりきりを好みながらも、ひとりきりでは生きていけないノワキ。


ふたりは、ふたりに然程興味のない誰かからすれば、バニラエッセンスとバニラオイルくらいは似ていると思われるだろう。

でも、実情は真逆なのだ。

なまじ方向がぶつかるために、きっと心の底ではお互いを嫌悪していた。


褒められたいから、他者から存在を認められたいから作品を作るノワキ。

想像を自分から追い出したいから、忘れたいから作品を作るミユキ。


たまごという殻は同じ。

でも、中身が違う。

目的が違う。用途が違う。成分が違う。

割ってしまわなければわからないだけで。

つまりは、殻以外のすべてが違う。

だから足並みが一生揃うことはなく、踏み出そうとした足がお互いを蹴りつける。

所詮は人間という器に閉じ込められた別の生物同士でしかないのだ。

それはノワキとミユキに限ったことでもなく、また、特別なことでもなく。


だからこそ、ミユキの楽園は、ノワキの楽園にはなり得ないのに。


「おともだちが、ほしいように見えたのだけれど」


それなら猶更わからなくなる。

ノワキは、いったい何を望んでこんな場所を楽園と呼ぶのだろう。


「とりさん?それとも虫さん?白いウサギさん?」


ミユキがとりこぼすのは大抵、自分というあやふやな存在についての認識だった。


青い絵の具の彼女もそう。

「誰かが自分を羨むはずがない」、そんな危険な思い込みを、いとも簡単にしてしまう。だって、自分だから。自分にとって自分を羨むことができる訳がないから。


自分が持っているのは「努力」であり、「才能」ではない。

あの子が持っているのは「才能」であり、「努力」であるはずがない。

でもこれもたまごの殻に包まれたモノでしかなかったのだ。

ころりと落として、割ってしまって、初めて気付く。

自分も、他者も、そこで、やっと、初めて。


でも、たまごはたまご。最初の認識は同じだったはずだ。

だって、たまごはたまごにしか見えなかったから。


ゆでたまごと生卵なら、回してしまえば気づけたのにね。









ドスドスドス……ドスドス……ドス……ドス……どしん。

たった少しの距離だけど、息をぜえはあ切らして汗を払う。

何かから逃げるため以外に走ったのは久しぶりだった。


花畑の真ん中に座り込み、手近な果物をちぎって齧りつく。

種や芯をそこらに放り投げ、次の果物に手を伸ばす。

5、6個そうした後で、腹はやや満たされ、やっと一息つけた気がした。


「ほんとうに、この美しい世界すべてがアタシのモノなんだ……」


蝶がひらひら舞っているのに近付き、ぱしんと捕まえる。


「ほら、このきれいなちょうちょだってアタシのモノ」


でも、声を持たない生き物は、誰も何も言わなくて。

少なくとも、ノワキに伝わるようには。


「……ねえ、アタシのモノなのに、なんでアタシを褒め称えない?」


投げ捨てた蝶はぽとりと落ちて、聖い水に流されていった。

手に付いた鱗粉が不愉快で、ノワキはじゃぶじゃぶ手を洗った。


「おかしいなぁ、ここはアタシの楽園なんだから、アタシはもっと賞賛されていいはずなのに……そうだ、本当のアタシの姿を見てみなくっちゃ!」


きっと美しさに自分でも腰を抜かすに違いない。

そうほくそ笑んで、ぶくぶくとした指でぶよぶよとした口元を覆った。

現実と変わらない感触に気付かない程、ノワキは楽園を荒らすのに夢中だった。


「羽は透明でオーロラみたいで、肌はミユキみたいに白くって、髪の毛はきっと緑色でミユキみたいにまっすぐさらさらで、目もミユキみたいにおっきくってやっぱり緑色で、体は細くて繊細で、アタシのココロと一緒で、ガラス細工みたいに繊細で、儚くて、ものすごくきれいなんだ」


水面にはなぜか姿が映らず、建物らしい建物が見えないここでは、ガラスの反射も期待できそうになかった。

気になることがあると落ち着きがなくなるらしいノワキは、何か姿を映すモノを探して再び歩き出した。


「うわ、ちょうちょ嫌い、粉が汚いからあっちいけキモい」


踏まれた花を憐れむように飛んでいる蝶の群れを足で追い払う。


「そうだ、アタシって風の精霊だからちょうちょもやっつけれるかも」


手を翳すと、かまいたちのような風が放たれ、数頭の蝶を刻んだ。

次々落ちて、川へと流されていく。


「的あてみたいでおもしろーい!アタシって魔法も天才なんだぁ~!」


蝶は一頭もいなくなった。

僅かに鱗粉だけが舞っている。


それを見たノワキは満足そうに鼻を鳴らした。

ミユキの言葉など忘れてしまったかのように。


「本当のアタシの姿が見たい、美しいアタシの、生まれ変わったアタシの姿が見たい」


萎れた花の轍ができる。

切りつけられた木々の道ができる。

すべて、枯れて崩れて、灰になる。


白く舞って、氷が咲いて。

そして雪で降り注ぐ。







「まあ、なんてこと!」


川からひとすくいの何かを掬い上げ、ミユキはふう、と息を吹きかけた。

はばたきを取り戻した蝶たちは、ほろほろと涙を流した。

蝶たちの涙を拭い、次々にそっと空に放つ。涙はミユキに移ったようだった。

溶け出した氷のように、とろりとした艶から留まることなく液体が流れていく。


「ほら、お行きなさい、もう捕まらないように夜を飛ぶのよ」


ぎこちなくなった腕の動きで、自らの頬を流れる涙を拭う。


「アナタはここを、楽園と呼んだはずでしょう……?」


ああ、森の端が燃えている。

火の気など、この世界のどこにもなかったはずだ。


いったい何が不満で、こうも容易くいのちを奪い去るのだ。

いったいどんな理由があって、こうも容易く他者を傷つけなくてはならないというのだ。


「……アナタがアナタである限り、失楽園は近いのでしょうね」


いのちは朝を飛ばなくなる。

みんな夜を飛ぶだろう。


夢は覚めず、幕は開けず。

熱は冷めず、夜は明けず。


みどりを腐らせ、灰を降らせる。

朝に似たものは燃える森だけ。








「火まで起こせるとかほんとに天才過ぎる……!」


風で木を切りつけていたら、たまたま火の粉が散り、風がそれを煽って大きくした。


「元素もアタシのモノにちがいないよね!」


自己陶酔に夢中なノワキは、背後で楽園が燃え盛るのもどうでもよかった。


「あ、ミユキが鏡がどうたらって言ってたっけ、そこならアタシの美しい姿が見えるよね?あー、鏡がそこらへんにないのはお楽しみってことかな?どれだけ特別なんだろうアタシって……!」


単にミユキは極力自分の姿など視界に入れたくもないからなのだが。


どすんどすんと浮かれてスキップするノワキは、自分が抱いた疑問について考えることすらしなかった。

考える前に、自分にとって都合の良い答えを出してしまうからだ。


「月の砂丘、月の砂丘……月って儚くてアタシに似てるよね」


橙色の炎にふちどられた青白い月の砂丘。

燃えているのに冷めきって、まるで冬の氷原みたい。


歩くたびにヒビが入り、足跡がクレーターのように傷として残る。



近付いてるよ、こっちに来るよ。

絶望の怪物がここに向かって歩いているよ。


きっと真実を見たら怒り狂う。

自分の醜さに怒り、それをみんなにぶつけるよ。


「だからみんなはお逃げなさい」


あまりにはやい終わりだった。

まさか1日ともたないとは。


生まれたその日に沈む太陽。

輝くことを許されない月。

蝶は舞わない、とりは飛ばない。

ミユキの腕は絵を描かない。


「……夢から覚めなければ、アナタも幸せだったでしょうに」


身の程を弁えない好奇心ほど不幸なものはない。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る