第89話 人身御供になれる者

「おふたりは結婚しているの?」


 巫女様のいるといわれる神殿に向かう途中で少し元気になった京さんが聞いてくる。


 いつもなら真っ先に否定するところなのに、今日はその前に頬が熱くなるのを感じる。


「してないよ」


 代わりに答えたウィルの素っ気ない返事に少しがっくり。小さく肩を落とす。(いえいえ、そのとおりなんだけど)


「ってことは、未婚の父と母?」


 京さんの瞳が明るくなった気がする。


「違うよ。こいつのお相手は憧れの王子様らしいから、残念ながら俺はお呼びでないんだよ」


 人の気も知らないでウィルはニコニコしてからかってくる。


「あら? ローズさんはウィルさんのこと知らないの?」


「え……?」


 ボーッとした目つきで言う京さん。


 視線が徐々にある一点先を見つめだす。


 背中のあたりがぞくっと寒くなる。


「きょ、京さん……」


「知ってるよ。俺の話はほとんどしているから」


 ウィルが苦笑する。


「だから相手にもされない」


 王子様とは真逆なんだ、とウィル。


「な、何言ってんのよ!」


 いたずらっぽくからかってくるウィルにさらに真っ赤になるわたし。(ひ、人の気も知らないで)


 そんなやり取りをボーッと眺めていた京さんがハッと我に返り、不思議そうにわたしたちを交互に見る。


「何のこと?」


「へ?」


「誰が相手にしていないって?」


「え?」


 おかしなことを言う京さん。


 からかっている様子でもない。


「えっ……あっ、今、何のことを話してましたっけ?」


「あ、俺の過去のことを……」


「え……」


 京さんは不思議そうに頭を捻る。


 そしてすぐに頭を下げる。


「ご、ごめんなさい。わたし、たまにボーッとして、何を言ってるかわからないことがあって……。ま、また……」


 沈黙が流れる。


 と、いうよりも声が出ない。


 ウィルも大きく目を見開き、拍子抜けしたような顔をしていた。


 だって、明らかに変だった。


 今のは一体……


「京さんって、何か力あったりするの?」


 真剣な瞳のウィルが聞いた。


「え?」


「この国の人たちに伝わる……」


「いえ、わたしはないと思うんだけど、でも……」


 言いにくそうに京さんは言葉を選ぶ。


「生まれた年に生き残った子がわたしだけだったから、両親は何もない今でもそうだと信じ込んでるみたいなんだけど……」


「生き残った子?」


 わたしの問いに京さんは俯く。


「ええ。なぜかどの子も産まれて間もなくして亡くなってしまったらしいのよ。だからわたしと同じ年の子はいなくって。でも、どうして……」


 ウィルは難しい顔付きで何かを考え込んでいて、京さんの声が聞こえていないみたい。


「ウィル!」


「あ、いや……たとえばもし京さんに力があるとして、さっきの様子だと力を発揮する時には、本来の人格の意識は遠退いてしまうもんなのかなって思って」


 そしてウィルはわたし達をただぼんやり眺めるメルを撫でて微笑む。


「まぁ、メルの場合は何ともないけど……」


「何? メルちゃんは何か力があるの?」


 京さんの言葉にギクッとする。


「そぉだよぉ~♪」


 やっと自分の出番が来たとばかりにメルは得意気に歯を見せる。


「メュのおうたでみぃ〜んなねむっちゃうんだよ」


「こ、子守歌よ」


 慌ててフォローを入れる。


「パパもおはなしすゆよぉ~♪」


 メルはニッコリ笑う。


「それはちょっと違うけど」


 メルにこの上なく弱いウィルは強く否定することもできないようで、困ったように笑って、わたしは思わず緩んだ口元を隠すことなくその様子を眺める。


「へぇ~いいわね。優しいパパとママで」


 京さんは優しくメルのほっぺをつつく。


「うん!」


 天使のようなメルの笑顔。


(ああ、癒やされる♡ ……って!)


「い、いや、それは……」


「あ、あの、違うの!」


 声を出したのはウィルと同じタイミングだった。


 ふたりして慌てふためいて、そして思う。


「「そうだ!」」


 ちょうどその時、巫女様のいる神殿に着き、京さんが巫女様との面談の許可を取りに中に行くことになり、わたし達三人は外で待つことになった。


「変だねぇ。人身御供だなんて、今時そんなのあると思う?」


 物語の中だけの話だと思っていた。


「あるさ」


「え?」


 楽しそうに虫を追っかけて遊ぶメルの姿を穏やかに見守っていたウィルが不思議そうにわたしに視線を移す。


「人は誰でも何かを犠牲にはしていると思うよ。たとえ、人でなくても……」


 何気ないウィルの言葉が重く感じられた。


 確かに、その通りだ。


「ただ……」


 ウィルがまた考え込む。


「ただ?」


「ここでの話は、ちょっと違うと思うけど……」


「違う? どうして?」


「俺もまだそこまではわかんねぇけど、でも解決策はありそうだ。おまえもさっき気付いたんだろ?」


 ウィルの真剣な深緑色の瞳が私を捕らえて離さない。


 どきりとさせられながらも、深く頷く。


「メルの歌を使って、京さんを助け出す、ってことでしょ?」


 以前、カルロベルラ国で囚われの身になったときにその案を計画していた。


 結局ウィルが助けてくれたおかげでそれらを決行することはなかったのだけど。


「ああ。それが一番いいんじゃないかと思ってる。それでも一応、この怪奇現象についてもしっかり知っておいた方がいいと思うけどな」


「どうして?」


 助けに行くだけではだめなのか。


「本当に神々に捧げる儀式なのかもしれないけど、そうでなく、もしも人の手によって行われているものだったら大変だろ。それに当人の京さんがメルの歌で眠ったら連れてくるのが大変だし……」


 また考えるウィルを見て、ふと思いつく。


「なんならわたしが入るわよ」


「は?」


 ウィルは唖然とする。


「何言って……」


「わたしが京さんの代わりをするのよ。それで夜、歌が聞こえた頃に戻ってくるから……」


 それなら問題ない。


 わたしはメルの歌声で眠ってしまうことはない。


「危ないからダメだ。神々にしろ人にしろ、何による仕業なのかわからないんだ」


「でも仕方ないじゃない! そうしないと……」


「もういいわ、ふたりとも……」


 いつの間にか後ろに立っていた京さんがにっこり微笑む。


「ごめんね。迷惑かけちゃって……」


「そ、それで……巫女様は……?」


「会ってもらえなかった……」


 京さんの表情が悲しそうに曇る。


「もう……神々の者だからって……衣装だけ渡されて……」


 京さんはゆっくりその場に座り込んだ。


「わたし、巫女様にまで……背を向けられて……」


「京さん、わたしがやるわ」


 思わず叫んでいた。


「わたしは強いから、平気よ。ね?」


「ローズ……」


 ウィルに肩を掴まれる。


 心配してくれているのはわかる。でも、


「ウィル、でもわたし……」


「俺がやる」


 ウィルから出たのは思わぬ台詞だった。


「は? しょ、正気なの…?」


「俺の目は深緑だから、月明かりに照らされない限り、黒とそう変わらないから、黒髪の鬘さえ借りられれば……ある?」


「あ、ありますけど……でも……」


「そ、そうよ! 十七の女性よ」


 驚きすぎて、口をぱくぱくさせてしまう。


「俺だって十七だ」


 ウィルが不敵に口角を上げる。


「で、でも……」


「それに俺、昔はよく女の子に間違えられてたし」


「それは今でもわかるんだけど……」


「おい!」


 ウィルの顔はとってもきれいだし、背丈さえ気にしなければ女の子といってもやっていけそうな気がする。


 現に、イナグロウ国でも間違えられていたし。


「いや、納得されても困るけど」


 肩をすくめながらもウィルがポンッと京さんの肩を叩く。


「気にするな。この国には今、十七歳は二人になったんだ。協力するよ。」


 優しく京さんに微笑むウィルを見て、またまた胸がちくっとした。


(だって、わたしは……)


 十六歳のわたしはなんだかひとりだけ取り残されたようで寂しい気がした。


 なんという独占欲だろうか。


 いつの間に。


(どうしてわたしは……)


 小さく自己嫌悪をする。


 いつの間に、こんな風に思うようになっちゃったのかしら。


 それどころではないのにと自己嫌悪するしかなかった。

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