第6.5話

 あんこが去ったのを見届けた後も、トウマとミトは数秒の間立ったままだった。


「あの……お客様、如何致しましょう」


 気まずそうにウェイターがトウマのテーブルに伺いを立てる。


 この質問はつまり【揉め事があったようですが、お食事はされますか?】というメッセージを暗に指示していると言っていい。


 年長であるトウマは当然、それを察していた。

 それであるから「ああ、すみません。3名が2名になりましたが、注文してもよろしいですか?」と店員が舌を巻いてしまうほど丁寧に返した。


 しかし、それを格好の言い訳にし、トウマはミトに「座ろうか」と勧めることが出来た。



 先にミトに注文を選ばせてやる。


 娘とはいえど、さすがトウマである。相手が誰であろうとレディーファーストの精神は忘れない。


 ミトが“3種のチーズハンバーグ”を注文すると、ごく自然にサラダを食べないかと勧めた。


 それに気を良くしたミトがサラダを選んでいる合間にトウマはビーフシチュー風ハンバーグを注文した。

 焼けた鉄板で油が跳ね、服を汚してしまうことに配慮したオーダーだ。


 この男は、いつの時でもそういった気配りを忘れない。

 一見、完璧な男性であるように見えるトウマにも、実に人間らしい弱点がある。


 それこそがチーズハンバーグを注文したこの娘、ミトの存在である。



 先ほどあんこがヤマ勘を放り投げていった【奥さんと娘に逃げられた】というのは、実に的を得たことであった。


 簡単に言えば“図星”という奴である。



 そういった背景もあり、あんこをこの場に招待した訳だが、トウマにしてはこの判断は行き当たりばったり出会ったと言わざるを得ない。

 偶然、階段で遭遇したあんこの目に光るものがあったからだ。


 語弊がないように言うが、目に光るものというのはなにも希望の種類ではない。

 もっと単純な、物理的なものだ。


 いや、生理的なものというのが一番妥当だろうか。


 つまりは涙。あんこの目に涙を見たのだ。


 今日のこの娘とのディナーは、トウマに取っては楽しみな反面憂鬱でもあった。

 二人きりで会うというシチュエーションが、なによりも彼を不安にさせるのだ。


 家族が家族として健在だったころ、父親と娘の間には母親という存在があり、会話がなくてもある種成立していた。


 だが、離れ離れに生活している今は違う。


 家族ではあるが、同時に一人の人間であるのだ。もっと言えば一人の女性。


 17歳という多感な時期に、自分と会ってもらえるということ自体ありがたいことだが、こういった関係性になって初めての親子二人であった為、話すことに悩んでいた。

 そんな悩みを今夜に控えたトウマがそんな憂いたあんこを招待したのはある意味で必然であったのかもしれない。


 悩みを持つ者同士のシンパシーというのだろうか。


 結果としてトウマの中にある俺様気質を彼女に見抜かれる要因になったわけだが、それはこの先、どういったことになるのかは誰にも分からない。


 ともあれ、そういった経緯の中でこういう展開になったのだ。



 トウマはあんこがディナーの場に来ることで起こることを想定してみた。

 もしかしたら彼女の存在が冷え始めた親子間の潤滑剤になるのかもしれない。


 では、そう仕向けるためにはどうしたものか。


 結論は“なにもしない”。であった。



 どうせ自分はミトと対面すればなにを喋ればいいのか分からなくなって黙ってしまうだろう。ならば、その沈黙をあんこに打ち破ってもらえばいいと考えた。


 結果として、トウマの思い描いた以上の状況をもたらした。


 今までFOR SEASONで雇った女性とはなにかが違う。トウマは今回のことで更に強くそれを思った。

 彼女の身になにがあったのかは、皆目見当もつかないが、今逃してはいけない人材と勘が言っている。


 状況を打破する力を本人の意思とは無関係に持っているのでは?


 やや話が大げさになったが、単純に今、トウマは幸福なのだ。

 それは、ハンバーグが運ばれてくるまでの間、あんこの話でミトと盛り上がっていたからだ。


 彼女がどんな人間で、どんな失敗をして、どんなドジを……。


 話せば話すほど、彼女の劣っているところばかりが目立つが、不思議とそれはあんこに親近感を持つ手伝いになった。


 あれほど憤っていたミトも最後にはあんこに「もう一度会いたい」といった。


 あんこのおかげでトウマは再び娘と会う機会を得たのだ。



 そういえば……とトウマは食事の最中に重要なことを思い出した。


 あんこといえばこのエピソードを外せない。


 そう思い、チーズハンバーグを幸せそうに頬張るミトに話した。



「そういえば、望月さんは【望月あんこ】というんだが、初めてその名を聞いた取締役が【餅つき あんこ】と聞き間違えてね。

 それ以来お父さん以外の社員達は彼女のことを“おまんじゅう”と呼んでいるんだ。

 餅とあんこなら、大福じゃないかと思うんだがね」



 それを聞いたミトは口に頬張ったハンバーグをトウマ目がけて吹いた。

 見事にツボだったらしい。


 服を汚さないようにオーダーに気を使っていたトウマは、予期しないところで結局ハンバーグで服を汚してしまうこととなった。


「……これもおまんじゅうの呪いでしょうか……」


 奇しくも、スタミナ丼店の前であんこがトウマのことをエスパーだと叫んだのと同じタイミングであった。

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