(月曜日更新)オレ×summer

巨海えるな

第1話

――思ったことを正直に言うと……



なんなの? これ。



状況を理解するまでにどれだけの時間が必要か、テンパっている私にはわからなかった。


今私の目の前に広がっている夜景に、文句を言おうにも綺麗過ぎて言えない。


シュッとスマートなウェイターが、私が席に着いたのを確認すると、テーブルのキャンドルに火を灯して去った。


さて、ここはどこだと思う?


正解は……私にもわかりませーん。



ただ、分かっているのは、何故か私自身がピンク……いや、職業柄言うならマゼンタのドレスを着ていること。


こんなドレス、小学校の時に遊んだ人形に着せたくておもちゃ屋で見上げたそれでしか見たことがない。



「はは……これ……何?」



 

 ウェイターが灯してくれたキャンドルのオレンジ色の火が、間抜けに笑った私の顔を目の前のガラスに映した。



「……これ、私?」



 間抜けだったのは、表情だけではないらしい。


 よーく、見てほしい。


 私をよく知る人なら、きっとこの顔みて金色爆弾のエアドラムの人かと誤解するだろう。

 ……そう勘違いするほどの厚化粧。

 

 私はもう一度、自分自身に笑った。

 えーと、落ち着け。落ち着くんだあんこ。


 状況を整理しようじゃあないか。


 まず私は、今日なにごともなく普通に出勤した。


 そうして、いつものようにあの鬼畜4人にいじられて身も心も疲れ果てて……


「おまたせ」


「あ、ひゃい」


 噛んだ。

 

 突然背後で声を掛けられたから、驚いて物理的に噛むわけのない「はい」という返事を「ひゃい」と元気にしてしまった。


「今、噛んだよな?」


「ひゃいっ、しゅいません!」


 もうこれは噛んだというレベルじゃない。これで笑って貰えなければ、今日は酔えるだけ酔うしかない。


「ははっ、マジでウケる」


 笑ってくれ笑ってくれぇ~……


 顔が熱い。この厚化粧を以てしても火を吹き出しそうになる頬は隠せていないんじゃないかと思う。


「お前、ドレスの色と顔の色が同化してんぞ」


 その男は俯く私の顔を下から覗き込んだ。

 緊張しきりで目をひん剥き、床を凝視する私の視界にその男がノックもなしに入り込んできた。


「んが!」


「んが?」


 おかしそうにその男は笑う。間違いない、この男は私をからかっているんだ。

「あ、あのォ!」


 思わず立ち上がり、背後のその男に向き直った。


 言ってやる! 言ってやるから!!


「こんな恰好……ッ!」


 私は「こんな恰好させてなんのつもりですか」と言ってやるつもりだった。


「馬子にも衣裳だな」


「はァ!?」


「褒めてやってんだよ。思ったよりイケてんじゃん」


 活け? 活けタコ?


「分かりやすい奴だな。お前」


 そういって男は、私の前髪を指で遊び、その華奢なのに血管の浮いた“男の掌(て)”でセットした私の髪を崩さないように優しく、頭を撫でた。







 ドクン






 胸の内側で、太鼓叩き職人が私の心臓を叩いた。


 こんな言い方をするのは、認めたくないからだ。


 こんな男に私の心がときめかされたなどと……



「キスしてやろーか?」



 “キスしてやろーか”ですって!? ふふふ、ふざけんじゃないわよ!

 なんで私があんたみたいな俺様ヤローに……



「うん……」



 

 “うん”って言っちゃったーーー!


 なに言ってんだあたし!



「……今、うんって言った?」



「え、いや……う、嘘だって……」



 動揺しきっている私は、自分の意思とは反対の返事をついしてしまった。

 これまでの人生で、すっかりなんとなくその場しのぎの返事をすることが染み込んでいるみたいだ。




 今日ほど、その染み込んだ癖を悔やんだ日はなかった。

「嘘? どれが? これが? それが? それとも……」



 カタカタと小刻みに震える私の手を取ると、そいつはじっと私を見た。

 いや、私の目を……見た。



「俺が嘘ついてやろーか?」


「え、え?」



 ごめんなさい私、日本語忘れちゃった。

 緊張しすぎてめまいもするするし、この男の眼力で失神しそうだ。



「お前なんかと死んでもシたくねー」



 

 この数分間の出来事に、すっかり鼻で息をしていた私は、その瞬間に起こったそれにコンマ何秒間、気づかなかった。



 ただ、目に映るその男の耳を見つめながら思った。





 ――あ、目ぇ閉じなきゃ。






 





オレ×summer





  






<望月 あんこ様>



 私は宛先にそう書かれた封筒を大事に胸に抱くと、キッチンのカウンターに置いた。



「ふぅー」



 神様お願いします。私、特にいいこともしていませんが、悪いこともしていません。

 ですので、どうか、どうか今回で決めさせてください。



 私は、逸る心を抑えながら、大きく深呼吸をした。



 ピリリリ、と控えめな音を立てて封が切られてゆく。この中に私の運命が……

<先日は当社入社試験にご応募いただき誠にありがとうございました。厳正なる選考の結果、残念ながら採用を見送りましたことを御通知いたします。>


「っはぁ~~~~あ!」


 すっかりと見慣れたその文面が私の心にどっしりと重石を乗せる。


「う~~~重ぉ~~」


 数えること99社目。


 なんとめでたいことだろう。次の不採用通知で念願の撃墜企業100社目!


 お祝いにピザでも頼んじゃおうか。


 不採用通知を本棚に並べたA4封筒に入れた。パンパンに膨れた封筒にはこれまでの“敗北戦績”が保管されてある。

 つまりは99枚の不採用通知が大事にしまわれているってこと。


 こんなもの好きで集めているわけじゃないんだけど、何社目で決まったかという自分自身の記念として元々は集め始めた。


 それがこんなにもかさ張ることになるとは……。



 就職難だと言われているが、これをここまで集めた女は私くらいだろう。

 奴らは学生で、この私は27歳のアラサー女。


 重みが違うのだよ。


「う~~~、ちっくしょーーーー!!」


『なにがいけなかったのだろう』

 私は自分自身に問いかける。きっと自分の中に原因があるのだ。


 

 日頃の行いか?

 

 それとも、先祖供養を怠ったから?


 昨日、プラゴミの中にこっそり缶を入れたからか?


 いや、一昨日ラインを一方的に切ったからか。



 すかさずこの不採用をなにかのせいにしようとする。なにかのせいにでもしておかないとやってられないじゃない。

 けれども自問すればするほど空しくなってゆく。


 就職活動を始めてそろそろ1年が経とうとしている。

 上京して4年、今更実家にどんな顔をして戻ればいいのだ。


「それだけは絶対に……イヤ!」


 特にお父さんにだけは、そんな報告はしたくない。

 コーヒーでも飲んでちょっと一息入れようと、インスタントコーヒーの瓶を開け、スプーン1杯の粉をカップに入れる。


 ポットでお湯を注ぐと、カロリーゼロのスティックシュガーを入れ、冷蔵庫からミルクを出した。


 トポトポと少し多めにミルクを入れ、ちびちびとコーヒーを飲み干す。


 スマホを見つめ、就職サイトで応募を探す。


 ピーという音が鳴り、洗濯機から洗濯物を取り出して干す。

 6月ということもあり、空は灰色なので仕方なく部屋干しにする。


 ゴロゴロと鳴る。


 でもゴロゴロは、空から鳴るものではなかった。


 ゴロゴロ。



「お腹痛い……」



 こんな日は、とことんツイていないものだ。

 ミルクの賞味期限が一週間も過ぎていたなんて。



 しかし、この腹痛のおかげで私の人生は大きく狂うこととなる。






 ――いい意味でも、悪い意味でも。

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