第6話:十年前に諦めた恋をもう一度

 授業初日ということで、四時間全て自己紹介で終わった。午後は国語総合と生物。国総の担当は森中先生だ。このクラスは今朝自己紹介したし、授業に入ってくれるだろうか。


「明菜ちゃん、一人で食べるの? こっち来て一緒にご飯食べようよ」


 机の上に弁当を広げていると、翡翠ちゃんから誘われた。彼女が居た席の方を見ると、さんごちゃんが手招きをする。広げかけた弁当を持って彼女の席の近くの席を借りて座る。


「弁当って、自分で作ってるの?」


「そうだよー。まぁ、ほとんど冷凍食品と昨日の残り物詰め合わせセットだけど。朝作るのは卵焼きくらいかな」


「卵焼き綺麗じゃん。あたし、上手く巻けないんだよね」


「私も最初はそうだったよ。けど、仕事のために毎日弁当を作り続けてたからね。そりゃ上手くもなる」


「あぁ、十年だもんな。そりゃ上手くなるわな」


「ところで、さんごちゃんと翡翠ちゃんはいつから一緒なの? 中学から?」


「ううん。幼稚園から。幼馴染なんだあたし達」


「へぇ。良いなぁ幼馴染」


「明菜ちゃんには居ないの? 幼馴染」


「居るよ。今は離れたところで暮らしてるけど、たまに会うくらい仲良いよ」


 幼馴染であり元カレでもある彼は今は彼氏——もとい、夫と一緒にオランダに住んでいる。日本からオランダまでは九千㎞以上ある。気軽に会える距離ではないが、帰国した時は必ず会いに来てくれる。


「男? 女?」


「男」


「えー。良いなぁ。男女の友情って素敵」


「そう?」


「そうだよー。男女の友情って難しくない? 同性愛者とかじゃない限り、どっちかが好きになったら終わっちゃうじゃん。あたし、すぐ好きになっちゃうからさぁ……あ、でも明菜ちゃんはビアンなんだっけ」


「うん。まぁでも、男友達から好きになられて友情が終わることは結構あったよ」


「幼馴染は? 好きになられることはなかったの?」


「うん。一回付き合ったけどね。やっぱり友達の方が合ってるなって」


 彼は別に性的指向を隠してはいないが、二人とはまだ知り合ったばかりだ。彼がゲイであることを話して良いかどうかはもう少し見極めたい。


「えっ。付き合ったの? ビアンなのに?」


「付き合ったから気づけたんだよ。そういう同性愛者も割と多いよ。まぁ、最初から分かってるなら無理に異性と付き合う必要はないと思うけど。異性を知らないだけだなんて言う人もいるけど、異性愛者のほとんどは同性との交際経験なんてないだろうしね」


「異性を知らないだけって。そんなこと言う人居んの? 漫画とかでしか見たことないけど」


「……私は言われたことある。親に」


 さんごちゃんが暗い顔で言う。翡翠ちゃんは初めて聞く話だったようで驚いた後「マジ? 最低じゃん」と顔を顰めた。


「さんごちゃんは、女の子が好きなの?」


「……うん。今のところ女の子しか好きになったことない。でも、レズビアンって言っていいのかはわかんない」


「さっきも言ったけど、無理に異性と付き合ってみる必要はないと思う。ちなみに私、交際はしたけど性的なことは何もしなかったんだ。だから、男性との交際経験はあるけど男性との性経験はない。それでもレズビアンを自称してる。セクシャリティってのは自分が決めるものだから。自分がそうだと思ったならそれで良いんだよ」


「……私はレズビアンを名乗ってもいいの?」


「それは君が決めることだよ。別に、一度決めたら変えられないわけでもないしね。ヘテロだと思ったけどバイだったってなんて人もよく居る。最初から分かってる人なんてほとんどいないし、気付いても途中でやっぱり違うなって思う人もいる。今の自分がそうだと思えばそれで良いんだよ」


 さんごちゃんは私の言葉を真剣な顔で聞いた後、胸に手を当てて呟くように言った。「まだそう言い切れる自信はないけど、私は初恋からずっと、恋愛感情を抱く対象は同性だった。多分、これからもそうだと思う」と。


「そうか」


「……ちなみにこの空気で聞くのあれなんだけどさ」


「何かね翡翠くん」


「性的なことって……キスも?」


「うん」


「お、女の子とは? キスしたことあるの?」


 さんごちゃんが恐る恐る私に問う。


「あるよー」


「……キスって、どんな感じ?」


「あれ。翡翠ちゃんはそういう経験ないの?」


「片想いはあるけど、付き合うところまでいったことない」


「私も……」


「高校生にもなって恋愛経験ないってヤバいかなぁ」


「別にヤバくないと思うけど。むしろ経験ある方が少ないんじゃないか?」


「友達は小学生の頃から彼氏いたけど……」


「ええっ。最近の子はマセてんなぁ……。別に、焦る必要なんてないと思うよ。大人でも恋愛経験ない人なんてよくいるし、そもそも恋愛に興味を持てない人もいる。まぁ、高校生くらいになると周りが恋愛の話ばかりで焦るのも分かるけどね。私が彼と付き合ったのもそういう焦りからだし。結果的に後悔はしなかったけど……彼じゃなかったら後悔してたかもなぁ。ちなみに、私が女性と初めて付き合ったのは二十歳になってからです」


「えっ。遅っ」


「ファーストキスも?」


「うん」


 本当はキスもそれ以上も十八の頃に経験しているが、相手はプロなのでノーカウントにしている。


「まぁ、当時はレズビアンであることをあまり人に言えなかったからね。なかなか出会いがなかったんだよ」


「その人とはどこで?」


「ビアンバーで」


「ビアンバー?」


「レズビアンバー。レズビアンのためのバーだよ。ゲイバーは聞いたことない?」


「あー。あるかも。レズビアンにもそういうのあるんだ」


「そ、それって、その……」


 何を誤解しているのか、顔を真っ赤にするさんごちゃん。


「えっちなバーじゃないよ。普通のバーだよ」


「あ、そ、そうなんだ……」


「……さんご、何想像したん?」


「な、何も想像してないもん!」


 照れ隠しで翡翠ちゃんの背中を叩くさんごちゃん。パシーン! と気持ちのいい音が響いた。


「さんごってさ……意外と力強いよね……」


「ご、ごめん……」


「良いよ。けどさぁ、今まで交際経験なかったのにバーで知り合った人といきなり付き合うとか、一気に大人って感じだね」


「ビアンバーって、どんな感じ?」


「普通のバーだよ。つっても、普通のバーが想像つかんか」


「あたしら酒飲めんし」


「そうだよねぇ。あ、ノンアル専門のバーってのもあるよ。今度行ってみる?」


「えっ、入っていいの?」


「アルコール出してないからね。行ったことはないけど……」


そういう店があるという話は聞いたことがある。改めて調べてみるが、店の写真を見る限りバーというよりはカフェのような雰囲気だ。


「おしゃれカフェでも良いよ。行こうよ。明菜ちゃんの奢りで」


「奢らんぞ」


「えー! 大人なのにー!」


「大人だけど、学費も生活費も全部払ってるからな。奢る余裕なんてないよ」


「……学費も生活費も親に払ってもらってる若造の分際で奢ってもらおうなんておこがましいこと言ってすみませんでした」


 土下座をするように頭を机に擦り付ける翡翠ちゃん。


「むしろ私達が奢らないとだね……」


「いやいや。別に良いよ奢らなくて。君たちだってまだアルバイトできる歳になったばかりだし、そんな余裕あるわけじゃないだろ。割り勘な」


 などと話していると「私も行きたい」「どこ行くの?」とクラスメイト達がわらわらと集まってくる。ノンアルコール専門のバーは大人数では入れないため、後日さんごちゃんと翡翠ちゃんを連れて個人的に行くことにして、その日の放課後は親睦会と称してクラスメイト達とカラオケに行くことに。授業のために入ってきた森中先生も一応誘ってみたが「仕事がありますので」と断られてしまった。そりゃそうだ。


「じゃあ、今度プライベートで個人的に飲みに行きましょう。サシ飲みしよサシ飲み」


「行きません」


「行きつけのバーがあって「行きません」くそっ、ガード硬いな……」


「……冗談でそういうこと言うの、やめた方がいいですよ。同性同士とはいえ、勘違いする人だって、いるかもしれないですから」


 そう言って彼女は目を逸らした。昔から私は彼女をよく揶揄っていた。当時はこの好意が恋愛的なものだと、彼女には伝わらないでほしいと思っていた。彼女は私とは違うと勝手に決めつけていたから。しかし、大人になってから改めて考えるともしかしたら違うのかもしれないと思うようになった。あの時私に踏み込む勇気があれば、もしかしたら応えてくれたのではないかと。私の考えはどうやら当たっていたのかもしれないと、彼女の反応から察する。


「……勘違いじゃないって言ったら、一緒に飲みに行ってくれるんですか?」


 もう少し踏み込んでみると、彼女は目を丸くして私を見た。冗談ではなく本気で口説いていると伝わったのか、目が泳ぎ始めた。動揺が思い切り顔に出ている。これはやはり、脈ありなのでは? このまま押せば落とせるのでは? そう思い、さらに踏み込む。


「今日はみんなとカラオケ行くんで、明日はどうです? 空いてます?」


「えっ、あ……明日ですか……明日なら……」


「お。じゃあ明日「い、いえ! あ、空いてません! 空いてる日なんてないです!」


 良い雰囲気だったのに、彼女は突然正気に戻ったように慌てて駄目です絶対と全力で首を横に振る。首が吹き飛ぶのでは無いかという勢いで。そんなに全力で拒否されると正直傷つく。


「えー。空けてくださいよ。私のために」


 だが、私は懲りずに踏み込む。すると彼女「無理です! 教師は忙しいんです! 忙しいので失礼します!」と顔を真っ赤にしながら叫んで教室から逃げ出した。が、次の授業は森中先生の授業だ。チャイムが鳴るとファイルで顔を隠しながら恥ずかしそうに戻ってきた。私は彼女のこういう少し抜けているところが可愛くて好きだったんだなと再確認した瞬間だった。

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