物心ついた頃から、私は自分がな存在であるということに気づいていた。

『可愛い』『綺麗』なんて言葉をかけられるのは日常茶飯事。

 運動も勉強もあまり好きではなかった私の成績はだいたいいつも平均的ではあった。

 それでも、周りは皆私をすごいと持て囃した。必死に努力している人達を差し置いて。私にとってはそれが普通だった。


 とはいえ、私も人間だ。欠点はある。

 仁美という平凡な名前と、口うるさい母の存在。どちらも私が自分では選べなかったモノだ。


 でも、神様はそんな可哀相な私のことをちゃんと見ていてくれた。

 ある日の深夜。母の金切り声で目が覚めた。何があったのだろうと階段を降りると、玄関ホールで帰ってきたばかりの父と母が喧嘩をしていた。


 二人とも私が起きたことには気づいていないようだ。激しい言い争い(主に母)の内容をかいつまむと、どうやら母は父に怪しい連中とつるむのを止めてほしいらしい。けれど、父は決して首を横には振らなかった。


 父の意志が堅いとわかった母は「出て行きます!」と叫んだ。びっくりして物音を立ててしまった。母と目があう。

 母は驚いたように目を見開いた後、私に向かって手を伸ばした。

「仁美もおいで。お母さんと一緒に行こう」


 けれど、私はその手を取らなかった。母の手から逃げるようにして走り、父に抱きついた。

「私はお父さんと一緒にいる!」


 父は嬉しそうに微笑み、ぎゅっと抱きしめ返してくれた。少し離れた場所からヒュッと息を呑む音が聞こえる。しばらくして、目を開けた時……母はもういなくなっていた。


 私のこの時の決断は今でも間違っていなかったと思っている。

 父は母のように口うるさくないし、好きな物を好きなだけ与えてくれる。


 高校生くらいの頃だったか、私は父がつるんでいる連中が何者なのかを知った。

 この国を変える為に組を起ち上げた漢達。

 やっていることは他の組と似ているが、芯にあるものが違う。

 表の連中ができないことを裏の連中がやるんだ。という確固たる意志が皆には宿っている。

 と、お父さんが教えてくれた。


 私にはその意味がよくわからなかったけれど、少なくとも私にとって彼らがいい人だということは理解していた。

 お小遣いが欲しいと言えば、たくさんお金をくれる。

 ブランド物のバッグが欲しいと言えば、買ってくれる。

 お父さんには言えないような、刺激的で気持ちいいことも全て彼らが教えてくれた。


 本当はもっといろんな経験をしたかったけど、派手に遊び歩いて周りにバレるのは避けたかった。

 もし、バレたら『藤田 仁美』の生活が終わってしまうから。


 何かいい方法がないかと悩んでいた時、天啓が降りた。

 もう一つの顔、『佐藤 姫』を作り出せばいいのだという天啓が。

 それから私は『藤田 仁美表の顔』と『佐藤 姫裏の顔』を使いわけるようになった。普段は表の顔で、夜の世界で遊ぶ時や組の人達といる時は裏の顔で。という風に。


 何もしなくても見た目最高級な私が着飾って夜の世界を歩けば、瞬く間に男達を引き寄せることができた。

 けれど、その中に私に似合う男はいない。相手は誰でもいいわけではない。


 何となくむしゃくしゃして入ったホストクラブ。そこで、ようやくイイと思える男を見つけた。

 人気のホストなだけあって、女の扱いはスマートで、空気を読むのもうまい。見た目も文句なし。


 ただ、私という存在がいながら他の女にもいい顔をするのは、たとえ仕事だとはいえ許せなかった。


 だから、ホストを辞めて欲しいと言った。辞めなければ別れると。

 男は私の言う通りホストをやめた。やはり、男にとって、私は特別らしい。私の心は満たされた。


 ……はずだった。

 幸せだったのは最初だけだ。


 ホストを辞めた男は、日に日に『』へと変わっていった。

 華やかな見た目は地味になり、デートのクオリティも一気に下がった。男は何故かそれでも嬉しそうにしている。その顔を見る度、イライラした。

 ――――私が満足していないのがわからないの?!


 私だけを愛してくれるのはいいが、私に似合わない男になってしまっては意味が無い。

 男は私との結婚を視野に入れているようだが、今の私にはそんな気は一切なかった。むしろ、はやく別れたいくらいだ。


 けれど、別れる為のいい理由が見つからなかった。ズバッと振ってしまうことは簡単だが、それでは『佐藤 姫』のイメージが崩れてしまう。

 ――――何かいい理由はないかしら。


 思わず溜息を吐いた私を見て、何かに勘づいた様子の受付嬢達が同僚近づいてくる。皆、婚活目的で入社した社員だ。私が親のコネと顔だけで入社試験をパスしたという噂を耳にしてからこうして何かと話しかけてくることが多くなった。ちなみに、入社試験をパスしたという話は事実で、名前や登録している住所は全て偽りだが。

『佐藤 姫』で生活をしてみたいと言ったら、父が色々と手配してくれたのだ。


 目を爛々と輝かせている女性社員。

 下心が透けて見えているが、わかりやすくてこちらとしてもやりやすい。


「佐藤さん。今度のB社主催のパーティーに彼氏と参加するって本当?」

「本当よね? 以前、言っていたもの」

「え?! あの佐藤さんに夢中になっているっていう噂のハイスペック彼氏ですか?!」

「ええ。彼、仕事が忙しいはずなのに私が頼んだら二つ返事でOKしてくれたの」

「愛されてますね~。いいな~。私もそんな彼氏が欲しいです!」

「あなたはまだ早いでしょ? 先輩の私が先よ」

「いえいえ。それなら、私の方が」


 うちの会社の受付嬢はある年齢を越せば退職を促される。だから、皆それまでにと考えているのだろう。

 女が複数人集まれば会話は止まらない。――――煩い。


 嫌気がさしてきた私は、わざとらしく溜息を吐いた。

 すると、彼女達が気まずげな顔をしていそいそと化粧室へと消えていく。そんな彼女達の後姿を冷たい視線で見送った。


 見た目だけなら彼女達は私の横に立っても見劣りはしないが、何分中身がアレだ。上品さが足りない。

 ――――可哀相な人達。



 ◆



「それにしても困ったわね」


 仕事を終え、タクシーに乗り込む。他の社員達は残って何かやっていたが、私には関係ない。定時で帰るのが私のモットーだ。当然そのことで上から何か言われたことは一度もない。


 自宅へとまっすぐに帰り、リビングのソファーに腰かけた。お気に入りのクッションを抱きかかえる。


 金子と付き合い始めた頃、同僚の一人にお付き合いする相手がいることを話してしまったことがある。ちょっとした自慢話のつもりだった。難攻不落の男を落としたことで浮かれていたのだ。その時、話しの流れで次のパーティーに連れてきて欲しいと言われ、快諾してしまったのだ。


 当時はホストをしていたということもあり素性は伏せていたのだが、それはある意味幸運だったかもしれない。今の金子を連れて行くのは無理だが代役を立てることはできる。


 とは言っても、その相手役を見つけてくるのが難しい。男の知り合いは多いが、その中に私にふさわしい男はいない。


 なかなかいい案が浮かばずに何度目かわからない溜息を吐いているとスマホが鳴った。

 液晶に表示されているのは金子の名前、無視していると、しばらくして音が鳴りやんだ。


 スマホを手にしながら呟く。


「いっそのこと、消してもらおうかしら」


 この煩わしい存在を。ぼやきながら、SNSを開く。その時、ふと目に留まった。


『うちの姫ちゃんを白金サービスのイケメン所長が見つけてくれた~♡』


 という投稿。そこにはネコを抱えたワイルドイケメンの姿があった。思わず目を奪われる。

 本能で感じた。この人だと。この人が私に相応しい男だと。


 強面だが、ネコを見る目は優しい。微かに上がった口角。もし、その表情を自分に向けられたら……と想像しただけで身体が熱くなる。


 見惚れていると、次の瞬間画面が消えた。


「え」


 と声が漏れる。いくらスクロールしても見つからない。

 絶望した。と同時に、白金サービスという文字を思い出した。

 慌てて検索をする。


 すると、HPが出てきた。あいにく社員の顔は載っていなかったがかまわない。

 ちょうど彼に会いに行くのに都合の良い理由がある。

 さっそく、依頼メールを送った。


 その後、すぐに金子に連絡をいれる。一方的に別れの言葉を述べて電話を切った。

 何度もしつこく折り返しの電話がかかってきたが、ブロックすると静かになった。

 念のため、彼らにもをしておく。

 これから私は大事な用があるのだ。邪魔なんてされたくない。



 ◆



 実物の彼はまさに私の理想の男だった。スマートで、セクシーで、ちょっと危険な香りもする。

 ドキドキが止まらない。彼に触れているところから、熱が上がっていく。

 ――――彼もきっと同じ気持ちに違いないわ。

 そう、信じて疑いはしなかった。





 なのに、彼は私を拒んだ。


 誘ってあげたというのに! 彼は私を拒絶したのだ!


 一度も振られたことのない私が、振られた。

 こんなことはあってはならない。ありえない。無理。ありえない。ダメ。


「消さないと」


 全部無かったことにしよう。ただ、他の人の手が彼に触れるのは許せない。

 なら、私が自分でやるしかない。

 私が消すのだ。私を拒んだ彼を。そして、


「私を振ったことを後悔すればいい」


 あの時は、そう思っていた。


 それなのに、彼を刺したあの日から私の手は震えたままだ。

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