勇者たちの帰還
それから十年後──
カーマの都は、空前絶後のお祭り騒ぎであった。
これまで伝説の存在といわれていた天空人が、一般市民の前に初めて姿を現すことになったのだ。しかも地上人と結婚し、ふたつの世界の同盟を結ぶために降りてきたという。
それだけでも、充分にとんでもない話だが……その天空人と結婚した地上人というのが、かつてカザンの闘技場にて闘士として活動していたジョニー・メリックだというのだ。いわば凱旋帰国である。
しかも、このカザンの闘技場にて挨拶をおこなうと発表したのだ。そのため、近隣の国から身分の高い貴族や国王らが出席している。彼らは、固唾を飲んでふたりの登場を待っていた。
白いシャツを着た司会者が、リングの中央に出てくる。手には、天空人の使う拡声器が握られていた。細く短い金属製の棒だが、声が非常に大きくなる仕掛けが施されているのだ。心なしか、彼の顔は緊張しているようにも見えた。
それも仕方ないだろう。今日の観客は、普段とは違う。周辺の国から、名だたる王侯貴族らが招かれているのだ。下手なことを言おうものなら、首をはねられても文句は言えない。
並の人間なら失神してしまうような状況下で、それでも司会者は口を開いた。
「おそらく、全地上人が今のふたりを祝福することでしょう。かつて、この闘技場にて闘士として活躍されていた、ジョニー・メリックさまが婚礼の挨拶のために、わざわざいらしてくれました。そのお隣りにいらっしゃるのは、奥方さまであり天空人でもあるイバンカ・ウインキーさまです」
紹介されたふたりは、恭しい態度で頭を下げる。
二十八歳になったジョニーは、白いシャツに紺色の上着を着ている。だが、どこか窮屈そうだ。かつてボサボサだった黒髪は、綺麗に切り揃えられている。ただし、顔のタトゥーはそのままだ。凄みの利いた面構えも、昔のままである。
二十歳を迎えたイバンカは、美しい女性へと成長していた。赤い髪は、短めに切り揃えられている。目鼻立ちは整っており、着飾った貴族の奥方たちすら羨むほどだ。ただし、好奇心旺盛な瞳の光は消えていない。子供の頃のままである。白いドレスを着ているが、その腹には目立つ膨らみがあった。
そんなふたりの方を向き、司会者は一呼吸おいて語り出す。
「ジョニーさまは、十年前に天空界へと渡られました。そして八年前、天空界にて最強の戦士を決定する天下一武術会に出場し、初出場にして初優勝という快挙を成し遂げました。現在、なんと同大会八連覇という前人未踏の偉業を達成しております。また、同大会において無敗の記録を更新中なのであります」
言いながら、恭しい態度でジョニーを指し示す。途端に、場内から歓声が上がった。
「さらに、奥方であるイバンカさまは、天空界と地上界との橋渡しのため尽力してくだいました。天空界の重鎮たちを、長い時間をかけて説得し、今日という日を迎えることが出来たわけです」
司会者は、聴衆に向かい熱く語る。観客席にいる者たちはもちろん、場内の整理に駆り出された闘士たちも誇らしげであった。
「では、おふたりから簡単な挨拶の言葉をいただきたいと思います。まずは、ジョニーさまから……」
司会者より棒を受け取ったジョニーは、ゆっくりと観客席を見回す。
不意にニヤリと笑い、語り出した。
「俺は、十年前にここで闘士をしていた。その時は、ろくでもない扱いを受けてたよ。ブサイクだのキモいだの気色悪いだの、さんざんな言われようだった。それが今じゃあ、英雄扱いとはね。全く、あんたら王侯貴族の手のひら返しの凄さには、ほとほと感服するぜ」
鋭い表情で観衆を睨みつけ、なおも挑発的な言葉を浴びせようとするジョニー……だが、隣のイバンカが棒を奪い取った。さらに、夫をじろりと睨みつける。
途端に、ジョニーの表情が変わる。うろたえてるような態度で、あちこちに視線を泳がせていた。だが、イバンカは無言のまま睨みつけている。
ふたりの様子を見て、観客席の女性たちがクスクス笑い出した。そんな中、イバンカは観客席の方を向き深々と頭を下げる。
「夫の非礼、お詫びします。申し訳ありません」
そう言うと、頭を上げる。場内を見回し、語り出した。
「これまで私たち天空人は、地上にいる皆さんのことを何も知りませんでした。天空人は、地上人と接触することなく独自に生きる道を選んでいたのです。しかし今、天空界は変わりました」
そこで、イバンカは言葉を切る。少しの間を置き語り出す。
「十年前、私は初めて地上に来ました。来てみて、私はここの素晴らしさに気づかされました。美しい自然。魔法という不思議な力。何より、立派な心の人たちと出会うことが出来ました。そして、私は決めたのです。ふたつの世界を結ぼうと」
言いながら、イバンカは横にいるジョニーを手で指し示した。
「また、夫のジョニーは、私たちの世界に来てくれました。彼は最初、天空人たちの偏見の目に晒されましたが、そんなものに負けませんでした。夫は、卓越した武術の力を天空人たちに披露し、数々の闘いに勝利し、幾つもの記録を打ち立てたのです。彼もまた、天空界と地上界の間にふさがる障壁を取り除く力となってくれました。私は、夫を誇りに思います」
そこで、イバンカの手は自身の腹に触れる。
「今、私のお腹には新しい命が宿っています。地上人である夫との子です。そう、私たち天空人も皆さんと同じ人間なのです。この子が大きくなる頃には、ふたつの世界がひとつに結ばれていて欲しい……それが、私の夢です」
そこで、イバンカは深々と頭を下げる。ジョニーも、皆に頭を下げた。が、彼はすぐに頭をを上げる。直後、拡声器を手にして口を開いた。
「最後にひとつだけ、皆さんに知っておいて欲しいことがある。あまたの勇者たちを葬り去ってきた魔竜エジン……この最強のドラゴンを倒したのは、かつて傭兵十三隊の隊長を務めていた魔女ザフィーだ! 俺は、この目で見たんだ!」
途端に、皆が静まり返った。ここにいる誰もが、驚愕の表情を浮かべている。
そんな中、ジョニーは息を整えた。一瞬の間を置き、再び語り出す。
「それだけじゃねえ。最強の傭兵と言われていたミッシング・リンクを倒したのは、同じ隊のカーロフだ。それに、イバンカをヤキ族の襲撃から体を張って守り抜いた誇り高き獣王・マルク。命を捨てて、皆の逃げ道を作った美しき殺し屋・ミレーナ。この四人の勇者の名を、皆で永遠に語り継いで欲しい。俺が言いたいのは、それだけだ」
静かに語るジョニーの姿を、遠くから眺めている者がいた。黒いマントで体を覆い、頭からフードを被っている。そのため顔を見ることは出来ないが、高い身長とがっちりした体つきは隠せていない。カーマの都でもっとも高い塔に登り、頂上から闘技場に鋭い視線を送っている。
やがて、ジョニーとイバンカは挨拶を終えた。同時に、黒衣の者も塔を降りる。音もなく、その場を離れた。
その日の夜──
「いやあ、疲れたな。ああいうパーティーってのは堅苦しくていけねえよ」
ソファーにどっかと座り、ぶつぶつ文句を言いながら首を回すジョニー。ようやく、全ての職務から解放されたのだ。
ジョニーらは、カーマの都でもっとも豪勢な宿にいる。宿というより、見た目は城に近い。周囲は高い塀に囲まれ、衛兵により厳重に見張られていた。許可のない者の出入りは不可能である。部屋は豪勢なもので、訓練されたメイドたちが控えている。
そんな部屋にいるというのに、ジョニーはどうにも居心地が悪そうだ。
「お疲れさん。面倒だとは思うが、明日もよろしく頼むぜ」
笑いながら声をかけてきたのは、ブリンケンである。彼もまた、天空界からの大使なのだ。イバンカを助けたことにより、ブリンケンもまた出世した。今回はジョニーとイバンカに付き添い、ここに来たのだ。
ジョニーとブリンケンは先ほどまで、地上の主だった者たちとの会食に参加していた。イバンカは、さすがに妊娠中ということもあり、ここに残してきたのだ。今は、寝室で眠っていることだろう。
今回は顔見せ程度だが、いずれは様々な話し合いをすることになる。
「ああいうのは、本当に……」
そこで、ジョニーは口を閉じた。直後、ひとりの衛兵が慌ただしい様子で入って来る。
「大変です! 何者かが、敷地内に侵入したようです!」
「んたと……」
ブリンケンが呻いた。直後、腰の小剣を抜く。
その時だった。突然、窓ガラスが割れる。室内に、何か硬い物が投げ入れられたのだ。羊皮紙の固まりのような物が、割れたガラスと共に床に転がっている。
室内の空気は、一気に緊迫したものになった。だが、ジョニーはそんな空気など意に介さない。おもむろに近づき、投げ入れられた物を拾う。と同時に、ブリンケンが怒鳴った。
「バカ! お前、何をやってんだ! 爆発物かもしれないんだぞ!」
しかし、ジョニーは彼を無視して羊皮紙を広げる。
一瞬、彼の体が硬直した。衝撃のあまり、目を大きく見開く。
やがて、ジョニーの体か震え出した。瞳からは、涙がこぼれ落ちる。
「あのバカが……なんで面を見せないんだ……」
声も震えていた。ブリンケンは、恐る恐る近づき羊皮紙に目を落とす。
そこには、こんな文が書かれていた──
ジョニーさん、イバンカさん、ブリンケンさん。お元気ですか。
私はカーロフです。何の因果かは不明ですが、私も生き残ってしまいました。
あれから十年、私はとある村で暮らしています。家畜の世話をしたり、畑を耕したり、木を切ったり、時に野獣や山賊を追い払ったり……毎日が大変ですが、やりがいもあります。どうやら、この村が私の新しい居場所のようです。
ジョニーさんとイバンカさんが、夫婦として、また英雄として帰還されると聞き、私はとても嬉しかったです。本当ならば、遠くからふたりのお顔を眺めるだけで終わらせるつもりでした。しかし、おふたりの立派な姿を見ていたら、我慢できずこのような振る舞いに及んでしまいました。今さらではありますが、非礼をお詫びします。
ジョニーさんに、守る者が出来たこと、戦いに勝つ以上に大切なものが出来て本当によかったです。あなたの今後の可能性に賭けた私の目に、狂いはなかったのですね。あなたたちを、誇りに思います。
今はまだ、お立場もありますし私のような者と会うことは出来ないでしょう。しかし、いつかきっと再会できることを願ってやみません。
あなたたちの心の友 カーロフより
「これは、本物なのか……」
ブリンケンの声も震えている。彼とて、カーロフには様々な思いがあるのだ。
「間違いない。俺は、あいつに字を教わったんだ。あいつの書く字は、きっちり覚えている……クソ! どこ行きやがった!」
喚きながら飛び出そうとしたジョニーだったが、ブリンケンが止めた。
「待て! お前の気持ちはわかるがな、今は我慢だ。お前はもう、昔みたいなチンピラ傭兵じゃねえんだよ。立場ってものがあるんだ」
その言葉に、ジョニーの動きは止まった。悔しそうな顔で、割れた窓を睨みつける。
ブリンケンは、口元に笑みを浮かべ言った。
「大丈夫だよ。生きてりゃ、いつかまた会えるさ」
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