覚醒
「止まるんだ」
三人が歩いていた時、ジョニーが声を発した。同時に、その場で歩みを止める。
「どうしたんだ?」
立ち止まり、訝しげな表情で尋ねたのはブリンケンだ。イバンカも、不思議そうな顔をしている。
「ちょっと、ここで待っていてくれ。邪魔な障害物があるみたいだから、行ってどかしてくる」
言ったかと思うと、ジョニーは早足で歩き出す。ふたりを追い越し、すたすたと前に進んで行った。
「どういう意味だよ?」
言いながら、ブリンケンが一歩進み出る。すると、ジョニーは振り返った。
直後、周囲の空気が一変する──
静かな表情を浮かべているが、ジョニーの体からは異様な闘気が漂い始めていた……これまでにない圧力を感じ、さすかのブリンケンも後ずさる。今までのジョニーとは、完全に違うものだった。
その動きを見て、ジョニーは小さく頷く。それでいいんだ、というような表情で口を開いた。
「いいから、ここで待っていてくれ」
低い声で言った直後、イバンカの方に顔を向ける。
「イバンカ、お前もだ。ここでおとなしく待ってろよ」
そう言うと、ジョニーは歩き出した。しかし、今度はイバンカが口を開く。
「待つのだ。ジョニーは、ちゃんと帰ってくるのだろうな?」
声は震えているが、同時に強い意思が感じられる。答えを聞かねば行かせない、という思いを秘めていた。ジョニーは立ち止まり、振り返る。
「ああ、もちろんだ。俺を信じろ」
その顔には、今までのような若者特有の向こう見ずさはない。代わりに、揺るぎない確かな自信がある。見ているこちらまで、安心させてしまうようなものだ……その自信に気圧されるまま、イバンカはこくんと頷いた。
「わ、わかったのだ。では、早く戻って来て欲しいのだ」
洞窟の中、ジョニーはひとり進んでいく。だが、いくらも歩かぬうちに風景は一変した。
前方に見えるのは、巨大な穴としかいいようのないものだ。中央を、石で出来た長い橋が真っ直ぐ伸びていた。幅は、今までの通路と同じくらいだろう。
橋の左右は、何もない状態だった。完全な闇に包まれている。橋とその周りには天井の明かりがかろうじて届いているが、あとは暗闇に覆われているのだ。あまりにも異様な光景であった。
もっとも、ジョニーは周囲の風景など見ていない。彼の目は、違うものを捉えていた。
橋の上には、大勢の兵士たちが立っている。いずれも革の鎧を着ただけの軽装だが、手には弓を持ち腰には細身の剣をぶら下げていた。
そんな彼らの顔は、人間とは似て非なるものだった。染みひとつない真っ白い肌に、闇を照らすかのように輝く金色の髪。女神ですら羨みそうなほど、美しく整った顔立ち。背は高く、体は細いが筋肉質であることは鎧の上からでも見てとれる。
そして、一番の特徴である長く尖った耳……そう、彼らはエルフである。この地で一番の長命にして、もっとも美しい種族と言われている。
エルフたちは皆、こちらに敵意ある視線を向けていた。ジョニーは、構わずどんどん進んでいく。
両者の距離は狭まる、と、エルフたちは一斉に弓を構えた。射れば、確実に当たる間合いだろう。だが、今のところ攻撃してくる気配はない。
そんな状況で、ひとりのエルフが進み出て口を開いた。
「そこで止まってくれ。少し、話をしようじゃないか」
人間の使う言語だが、綺麗な滑舌だ。発音も完璧である。ジョニーは、言われた通り立ち止まった。
すると、エルフは満足げに頷く。
「よくぞ、ここまでたどり着いたな」
エルフはジョニーを見つめ、余裕綽々という態度で語り続ける。
「私はディートリヒ、皆のリーダーをさせてもらっている」
「全く、あんたらエルフってのはどこにでも顔を出すんだな。ゴキブリみてえだ」
ジョニーの口調は冷ややかなものだった。ひとりのエルフが何やら言いかけたが、ディートリヒがそれを制し語り出す。
「当然だろう。もともと、ここは我らが作ったものだ。他にも、ここに入る道はあるのだよ。ところで、君は知っているかな。この大地が、丸いということを。この奈落の下は、丸い大地の反対側に続いているそうだ」
言いながら、ディートリヒは橋の周囲の闇を指差した。だが、ジョニーの反応は薄い。
「いいや、初耳だな。丸けりゃ、反対側の人間はどうなっちまうんだよ?」
聞き返す彼に、ディートリヒは軽蔑するような視線を向ける。
「君たち人間は、その程度なのだ。何も知らないし、何もわかっていない。そのくせ、この大地は自分たちのものだと思い込んでいる。人間たちよりも遥か昔から、我々エルフはこの地を支配していたのだよ」
芝居がかった動きを交え、ディートリヒは語る。ジョニーは、無言のまま立っていた。
「ところが、今はどうだ。君たち人間が、この地上を好きなように荒らしている。しまいには、勝手に国など作り土地に境界線を作る始末だ」
そこで、ディートリヒは腰の剣を抜いた。ぶんと振って見せる。
「我々エルフは決めたのだ。この地を支配できる資格があるのは誰なのか……人間にわからせることにしたよ。邪魔な人間の九割を滅ぼした後、天空人たちと我々エルフとが、この地上を管理するのさ」
熱く語るディートリヒだったが、ここでニッコリと微笑んだ。
「しかし、ここまで生き延びてきた君の有能さは、称賛に値する。我々も、君にはいささかの敬意を抱いているのだよ。そこでだ、速やかに天空人の少女を渡してもらいたい。そうすれば、君を特別に我々の一員として迎えてあげよう」
そんなエルフの提案も、ジョニーの耳には全く届いていないらしい。彼は突然、着ていたシャツを脱ぎ捨てた。
逞しい上半身をあらわにした姿で、深く息を吸い込む。
次の瞬間、思い切り吐き出した。ハァッ! という声が盛れる。武術に特有の呼吸法だ。
直後、低い姿勢で構える──
「ごちゃごちゃうるせえよ。やるなら、さっさと始めようや」
その言葉に、ディートリヒは眉をひそめ口を開いた。
「君は、この状況がわかっていないようだな。ここにいるのは、我々の中でも選りすぐりの手練れだ」
「そうかい、そりゃよかったなあ」
ジョニーに、引く気配はない。ディートリヒは溜息を吐いた。
「君が、ここまでの愚か者とは思わなかった。どうしても死にたいようだね」
次の瞬間、ディートリヒが片手を上げる。
一瞬遅れて、矢が放たれた──
大量の矢が、ジョニーめがけて真っ直ぐ飛んでいく。エルフたちの弓は特殊なものであり、射たれた矢は人間のそれより強い威力を持つ。鉄の鎧ですら、簡単に貫通できるのだ。
しかも、放たれる矢は肉眼でとらえることの出来ない速さで飛んでいく。狙いも正確である。ジョニーの体は、ハリネズミのごとき有り様になっている……はずだった。
ところが、エルフたちにとって予想外のことが起こる。矢が当たる瞬間、ジョニーの体がフワッと浮いた……ように見えた。
直後、矢が全て落とされていたのだ──
(そんなバカな……)
ひとりのエルフが、彼らの言語で呟く。目の前で起きたことが信じられないのだろう。
一方、ジョニーの表情は冷めたものだった。平静な顔つきで、じっとエルフたちを見つめている。
すると、ディートリヒがエルフ語で叫んだ。
(どうせ今のは、つまらん魔法だ。弓が効かないなら、剣で殺せ!)
直後、エルフたちは一斉に襲いかかる。だが、彼らを待っていたのは、予想もつかない展開だった──
見える……奴らの次の動きが、完璧に追える!
今のジョニーは、異様な感覚に支配されていた。
剣を振りかざし、襲い来るエルフたち……その全ての動きが、手に取るようにわかるのだ。前から切りかかろうとする者。左右から突きかかろうとする者。背後に回り見えない位置から攻撃をかけようとする者。彼ら全員の動きが、周囲の空気を揺らす。その微かな振動が、剥き出しになった上半身の肌に情報として伝わってきた。
肌に伝わってきた情報は、脳内で瞬時に映像へと変わる。まるで、上空から見下ろしているかのようである。
その映像に対し、体が即座に反応し適切な動きを選び取る。と同時に、手足が動き技を放っていた。
今も背後からの攻撃を、最小限の動きで躱す。紙一重の間合いで剣の攻撃を避け、同時にカウンターの突きを急所へと当てていく。直後、ほぼ同時に左右から振るわれる刃を、素手でいなすように
その攻防には、無駄な動きも力も必要なかった。ジョニーの技が、完璧なタイミングで襲いくる敵に炸裂していく。全ての技が、カウンター攻撃になっているのだ。エルフたちはジョニーの技を受け、次々と奈落の底に落ちていった──
これが、武術の奥義なのだ。
戦いの最中、ジョニーははっきりと悟った。
人外部隊での戦いの日々……繰り返される実戦により、ジョニーの戦闘技術は磨き抜かれていた。状況に応じ、何をすればいいかは体で習得している。
そして今、ジョニーの肉体と精神は、この瞬間に完璧なまでに集中しきっていた。余計な情報を全て遮断し、今の一瞬一瞬にのみ集中する。
この極限の集中により研ぎ澄まされた五感が、彼に神の視点を与えてくれている。神の視点により得られた情報から、自身の肉体がもっとも適切な技を選びとる。実戦により磨き抜かれた技が、敵に放たれていく。
岩を砕く拳も、手のひらから発射する火の玉も必要ない。この境地に至ることこそが、真の奥義だったのだ。
今のジョニーは、完璧な戦闘機械と化していた──
(う、嘘だ……あり得ない)
ディートリヒは、エルフ語で呟いていた。
ここにいるのは、エルフ族の中でも選りすぐりの強者たちである。剣も弓もトップクラスの精鋭たちだ。
しかも、エルフたちの歴史は一万年を超えている。その長い歴史の中で、独自の文化を築いてきた。剣術や弓術もまた、長い時を経て独自の発展を遂げている。歴史の浅い人間の武術など、足元にもおよばないレベル……のはずだった。
ところが、目の前では想像もしていなかったことが起きている。自分たちの足元にもおよばないはずの人間が、たったひとりで百名近いエルフの精鋭たちを圧倒している。
いや、圧倒などという生易しいものではない。精鋭たちが、完全に子供扱いである。戦いと呼べるものではない。これは一方的な殺戮だ──
(なぜだ……たかだか数十年の寿命しかない下等生物が、我々を超えたと言うのか)
思わず下を向き、エルフ語で呟く。その時だった。
「何ごちゃごちゃ言ってんだよ。残るは、あんたひとりだぜ」
不意に聞こえてきた声に、ディートリヒは慌てて顔を上げる。
いつの間に接近したのだろう、目の前にジョニーが立っていた。一方、彼の部下はひとりもいない。
全員、ジョニーに橋から叩き落とされたのだ。
「手下は全員、下に落ちたぜ。あんたも行ってきな。この奈落の底に、何があるか見てきてくれよ」
「ま、待ってくれ! わ、私はエルフ族の重要人物……ハイ・エルフなのだ。君も聞いたことがあるだろう?」
ディートリヒは、体を震わせながら言った。その目には、涙が浮かんでいる。先ほどまでの自信に満ち溢れた表情は消え失せ、あるのは恐怖に歪む顔だけだ。
「私を生かしておけば、君を我々の国に招待するよ! 君らが、今まで見たこともないような宝を──」
最後まで言い終えることはできなかった。命乞いのセリフの途中、ジョニーの右足が動く。
右のハイキックが稲妻のような速さで放たれ、音もなくディートリヒの顔面を打ち抜いた。自称ハイ・エルフは声をあげる間もなく意識を失い、奈落の底へ落ちていく──
「お前、顔は本当に綺麗だったな。けどな、お前らの腐った腹ん中は、どんな化け物より醜いぜ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます