竜殺しの魔女
やっぱりね。思った通りだ。
ザフィーは心の中で呟いた。落下によって生ずる強烈な圧を全身に受けながらも、右手を話そうとしない。
今、ザフィーが使っている魔法は……触れたものの魔力を完全に消失させる効果がある。もっとも、高位の魔術師でなければ使いこなせない上、使う労力の割に範囲が限定的だ。何せ、触れなければ魔法が発動しない。大半の魔術師からは、使い道のない魔法として軽んじられていた。
しかし今、ザフィーはこの魔法で、ドラゴンから飛行能力を奪ったのだ。ジョニーとブリンケンの会話から閃いた仮説……エジンが翼から発している魔力により空を飛べるのだとしたら、その魔力を消し去ればどうなる?
この作戦は、見事に的中した。エジンは今、生まれて初めて重力の鎖に繋がれてしまったのだ。鎖は、魔竜を地獄へと引きずりこもうとしている。
その時、ザフィーの胸に痛みが走った。
クソ、来やがったか──
恐れていた事態が起きてしまった。肉体に、そろそろ限界がくる。強力な魔法を使い続けたためだ。
しかし、ここでやめるわけにはいかない。もう少しだ。もう少しだけ……ザフィーは全身を襲う激痛に耐えながらも、右手を離さない。今、離してしまったら全てが終わりなのだ。
必死の形相で、右手に力を込めた時──
「隊長! 今です! 離れてください!」
カーロフの声が、微かに聞こえた。ザフィーは手を離すと同時に、呪文を唱える。
すると、彼女の姿は消えた。直後、ようやくドラゴンの翼に魔力が戻る。どうにか体勢を立て直し、再び上空へと舞い上がろうと試みる。
しかし遅かった。ドラゴンの巨体が上空より落下する速度、および落下により発生するエネルギーは、翼からの魔力ごときで回避できるようなものではなかったのだ。
一瞬の後、エジンは凄まじい勢いで地面に激突した。その瞬間、大地が割れ大きな土煙が上がり、周囲を大きく揺るがせる。周辺に住んでいた鳥や小動物たちは、一斉に逃げ出した。
そんな災害を巻き起こしたエジンは、地面の上で哀れな骸を晒していた。今となっては、ドラゴンの形すら留めていない。骨はバラバラに砕け、皮も肉も潰れた状態で地面に散乱している。付近の土は大きく陥没し、すり鉢状に変化していた。
この世界で最強に近い力を持つ魔竜ですら、上空からの落下がもたらす衝撃力には耐えられなかったのだ。
もっとも、勝ったはずの者たちは、勝利の余韻に浸ることすら出来なかった。
ザフィーは、カーロフの腕の中にいた。
瞬間移動の魔法を使い、一瞬にして空から地上へと降り立ったのだ。もっとも、今の彼女は死にかけている。かろうじて息はあるが、その命は風前の灯だ。
ここまで数々の魔法を使い、肉体に多大なる負担をかけながらも、最強の魔竜を倒したザフィー。その代償を今、彼女の生命で支払うことになったのだ──
「隊長! しっかりしてください!」
カーロフが叫びながら、地面に横たえる。傍らにいるブリンケンは、言葉を失い立ち尽くしていた。
それも当然だろう。ザフィーの黒髪は、今や真っ白になっていたのだ。地面に仰向けに横たわり、苦しそうに息をしている。
やがて、その目がカーロフに向けられた。
「ふたりを、今すぐ連れて来て……」
「わかりました」
カーロフは、すぐさま走っていった。ブリンケンは、言葉もなく立ち尽くしている。
一方、ザフィーは、空を見上げていた。
空を飛び、ドラゴンの翼の魔力を消し続け、地面に激突する寸前で瞬間移動……どの魔法も、高位のものばかりだ。しかも高速でドラゴンの追跡から逃げ回り、その巨大な背中に貼り付いたのた。彼女のような強靭な肉体とトップクラスの魔力を持つ魔術師でなければ、出来ないことだった。
過去の記憶が、頭の中を走馬灯のように流れていく──
・・・
幼い時、初めて魔法に触れた時の感動は今も忘れていない。
魔法には、腕力は関係ない。だからこそ、体力のない女でも使える。ましてや、身分など関係ない。女であり、辺境の部族出身の自分でも魔法だけは平等だ。
ザフィーは、魔法にのめりこんでいった。昼夜を忘れ研究に没頭したが、実験の最中に予期せぬ事故が起こり、顔の下半分に醜い傷を負ってしまう。
それでも、ザフィーは魔法の研究をやめなかった。むしろ、事故を機にますます研究にのめりこんでいったのだ。
やがてザフィーは、上位の魔術師になるための大審問を受けようと願い出た。このテストに受かれば、貴族にも匹敵する地位と、魔法の研究に没頭できる環境が約束されるのだ。もちろん、合格するのはほんの一握り……魔法を究めし者だけである。
ところが、彼女は合格しなかった。それどころか、審問官たちは試験を受けることすら許さなかったのである。
「女に、魔法の何がわかるというのだ」
「こんな下賎の者を、我々の一員に加えるなど言語道断」
「伝統ある大審問を、どこの生まれとも知らぬ女に受けさせることなど、絶対にあってはならぬこと」
そう、この世界にて上位に君臨している魔術師たちは……古い考えに支配された者たちによって占められていたのだ。
彼らは、ザフィーの能力を見ようともしなかった。見ていたのは、女性であることと生まれ育ちだけである。その二点だけで、大審問を受けることすら出来なかったのだ。
やがてザフィーは、魔術師の世界を見限る。自由きままな傭兵として生きるようになったのだ。
・・・
「隊長! どうなってんだよこれは!?」
突然、声が聞こえてきた。直後、ジョニーとイバンカの顔が視界に入ってくる。
ザフィーは、口元だけで笑った。
「魔法の使いすぎさ……ざまあないね」
力ない声で呟くように言うと、イバンカの方を向いた。
「お嬢ちゃん、あたしはここまでのようだ。この先はもう一緒に行けないけど、頑張るんだよ」
途端に、イバンカの目から涙が溢れる。体を震わせながら、ザフィーを見つめていた。
ザフィーは、苦しさに耐え口を開く。この少女には、伝えなくてはならないことがある。
「泣くんじゃないよ、お嬢ちゃん。あんたには、しなきゃならないことがあるんだろ」
自分でも情けなくなるくらい、小さな声しか出ない。
イバンカは、泣きながらもしゃがみ込んだ。涙を拭い尋ねる。
「な、何なのだ……」
「立つんだよ。立って、前に進むんだ。うちに帰るんだろ。帰ったら、いっぱい勉強して偉くなるんじゃなかったのかい」
そう言って、ザフィーは微笑む。この子は、綺麗な心の持ち主だ。その心を忘れず、成長してもらいたい。
そして、いつの日か夢を叶えて欲しい。
果たせなかった自分の夢を──
「天空の世界で偉くなって、ふたつの世界の架け橋になっておくれ……それが、あたしの願いだよ。その願いが叶うなら、あたしの命なんか惜しくない」
「わ、わかったのだ」
涙ながらに答えるイバンカに、ザフィーは力を振り絞り手を伸ばす。
少女の涙を、そっと拭った。
「あんたには、あんたの役目がある。それを果たすんだよ。だから、今は涙を拭いて立ち上がるんだ。立って、前に進むんだよ。泣いてちゃ、前が見えないだろ」
語るザフィーだったが、不意に手の力が抜けた。もう、ここまでらしい。
「あたしの役目は、どうやら終わりのようだね……これじゃ隊長失格だ。カーロフ、悪いけど後は頼んだよ」
「お任せください。私の命に換えても、必ず守り抜いてみせます」
答えたのはカーロフだ。これまで、何があろうとも冷静な態度を崩したことのなかった人造人間。仲間であったマルクやミレーナの死ですら、平静な表情で受け止めていた。
しかし今、その瞳からは涙が溢れている──
次にザフィーは、ジョニーの方を向いた。
「いいかい、忘れんじゃないよ……エジンを倒したのは、あたしだ。人外部隊の隊長ザフィーが、打倒エジンを成し遂げた……みんなに、そう伝えとくれ」
すると、ジョニーは何度も頷いた。顔を歪めながら、どうにか口を開く。
「もちろんだ。あまたの勇者を葬ってきた魔竜エジンを仕留めたのは、世界最強の魔女ザフィーだって、あっちこっちに触れ回ってやる。あんたの名は、竜殺しの魔女として永遠に残るんだ」
その言葉に、ザフィーは笑みを浮かべた。
大審問を受けようとした時、冷たい侮蔑の目で自分を見下ろしていた審問官のジジイたち……奴らは、いざという時には何も出来ない腰抜け揃いだった。
いや、奴らばかりではない。魔術師たちは、そのほとんどが実戦の場では役立たずである。そのくせ、自ら戦いの場に赴くザフィーのことをバカにしていた。
そんな口ばかりの連中の誰ひとりとして成し遂げられなかったことを、自分はやってのけたのだ。
もはや、死への恐怖などない。誰にも出来ないことをやってやった……その満足感が、ザフィーを包んでいた。
「そうかい……どいつもこいつも、ざまあみろだ」
言った時だった。突然、空が白く輝き始める。光はどんどん大きくなり、ザフィーの視界いっぱいに広がっていった。異様な光景だが、それは彼女にしか見えていないものだ。
その光の中に、見覚えのある者の姿があった。しかも、ふたりだ。
片方は、獣のような顔と厳つい体の男。片方は、若く美しい顔の女だ。どちらも、ザフィーが家族と同じくらい……いや、それ以上に愛していた者たちである。
そう、現れたのはマルクとミレーナだったのだ。ふたりは微笑みながら、ザフィーに手を伸ばしている。
ザフィーを迎えに来たのか──
全く、しょうがない奴らだねえ。
あの世でも、一緒なのかい。
仕方ない。地獄で、傭兵稼業再開だよ。
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