第7話「世界が開かれていく音がして(1)」

『あなたに、大切な話があるの』


 多くの優しさで包んでもらったはずなのに。

 多くの愛情を持って、私は迎えてもらえたはずなのに。


『あなたは……』


 初めて過ごす自分の部屋で見た夢は、新しくお母さんになってくれる女性に……。


『人を殺す可能性があるの』


 言葉を言われる夢だった。


『だから』


 そして、この言葉を最後に。


『あなたとは、今日でお別れ』


 私は、お母さんに会うことができなくなる。

 私は、二度とお母さんに会うことができなくなる。


『お母さん! お母さんっ!』


 現実でも、夢の中でも、私は新しいお母さんに愛してもらえなかった。


「んん……」


 視界に、光が差し込んでくるのに気がついた。


「ん……」


 瞳いっぱいに太陽の光を取り込むために、体が起きなさい起きなさいと脳に命令を与えてくる。


「朝……」


 やわらかくて、あたたかい。

 私の身体を包み込んでくれている寝具の寝心地があまりに良すぎて、命令されている割に意識の覚醒が遅れている。

 頑張って目を見開こうと思っても、このまま眠りの世界で体を休めていたい……いたい……いたい?


「何時!?」


 夜舞よまい病棟での規則正しい生活に慣れていたはずなのに、十年以上かけて体に馴染んだ規則正しい生活は一日にして崩壊した。


「十二時……」


 一時間ごとに文字盤の色が段階的に変化していくお洒落な掛け時計は、私が想像していた以上に針を進めていた。


雨依うい様の食事……!」


 まだ、私は雨依様の家族になれたわけではない。

 今日は、早く起きて雨依様に食事を持っていきたいと思っていた。

 誰に言われたわけでもなく、お金目当てでもなく、私が雨依様のために行動したいと思った。


「っ!」


 飾り箪笥の前に立ち尽くす私の気を引くように、部屋の窓硝子に何かがぶつかるような音を鳴らす。

 恐る恐る振り返る。

 何か恐ろしいものがいるわけがないとは思っていても、雨依様は滅びゆく魔法を使うことができる魔法使い様。

 魔法の力で生み出された凶悪な生物が現れたとしても、何も可笑しくはない。


「……フクロウ?」


 窓硝子をトントンと叩いて、まるで中に入れてくれと合図を送ってくれていたのは真っ白な外見のフクロウ。


「えっと……ちょっと待ってね」


 夜舞病棟に降り積もった雪を思い起こすような、美しい白色が特徴的なフクロウは口に紙切れのようなものを咥えていた。


(…………)


 カッ

 カッ

 純白色のフクロウと睨めっこ状態になると、フクロウは早く中に入れてくれと窓硝子と叩き始める。


「ごめんなさい! 今、開けるね」


 フクロウは窓が開いたことに満足したらしく、口に咥えていた紙切れを私に渡す。


『何か困ったことがあったら、右隣の部屋を訪ねてください』


 紙切れには、そう書かれてあった。


(雨依様……かな……?)


 雨依様が書く文字なんて見たこともないけれど、なんとなく。

 なんとなく、この文字は雨依様のもののような気がした。


(右隣……)


 バサバサッと羽が舞う音がする。

 顔を上げると、真っ白なフクロウは部屋の扉を開けるように私を促す。


(着替えてない……けど……!)


 今の私は、何を着ればいいか悩んでいる。

 つまりは、困りごとに直面している。

 私は今日初めて出会うフクロウ……フクロウさんから勇気をもらって、右隣の部屋へと助けを求めに行く。

 事情を説明して、自分の好みと自分に似合うものが一致するのか分からない。

 何を着ればいいのか分からないと素直に伝えると、まずは最初にお風呂へと案内された。


「ホー、ホー」

「フクロウ……さん」


 人生初めての朝風呂……もうお昼だけど。朝風呂というものを初めて経験したあとは、あんさんという名前の女性が髪を整えてくれた。


「お待たせ、待っていてくれたの?」

「ホー」


 ヘアアレンジ、メイク、洋服選びといった困りごとをすべて解決してくれるという至れり尽くせりと呼んでもいい状態を経験させてもらった。

 すべての支度が整うと、杏さんは私を部屋から送り出してくれた。


「雨依様に食事を持っていきたいんだけど、どうしたらいい?」


 まるで、お姫様みたい。

 本物のお姫様になれたような気さえしてしまうほど、私は雨依様の家に来てから多くの優しさを注いでもらっている。


『あなたは……』


 それなのに、私は……。


『人を殺す可能性があるの』


 将来、人を殺す可能性を持っている。

 私を産んでくれたお母さんが、そう言っていた。


「…………」


 好かれなければいけない。

 愛されなければいけない。

 雨依様の家族にならなければいけない。

 俯きかけた視線をフクロウさんに戻そうとすると、私の頬を優しい感触のものが触れた。


「……フクロウさん」


 白フクロウさんは、羽で私の頬を撫でてきた。

 くすぐったくなるような優しい撫で方に励まされ、私は涙を零さないように表情を整える。


「ありがとう」


 愛されているうちに、愛してもらえるうちに、私は強くならないといけない。

 一人でも、生きていけるように。

 たとえ人を殺すという運命を迎えたとしても、雨依様たちにはご迷惑をかけなくて済むように。


「案内してください」


 廊下を歩く途中、お屋敷で働く人たちから挨拶をされた。

 その際、お嬢様と呼ばれたことが……どうしても心の中で引っかかりのようなものになってしまって悲しい。

 お嬢様と呼んでもらえることに憧れを抱けばいい。喜びを感じればいい。


(もしも……もしも将来、私が人を殺してしまったら……)


 お嬢様と呼んでくれた人たちに、申し訳ないことになる。

 お嬢様になることを許してくれた、雨依様と雨依様のご家族に迷惑をかけることになってしまう。


「はぁ……」


 雨依様たちは、私を本物の家族のように扱ってくれる。

 でも、私の頭には主従関係という言葉が離れない。

 私たちは家族じゃなくて、主従関係で結ばれた関係だってことをきちんと理解していないといけない。


「ここが雨依様の部屋……」


 配膳用のエレベーターを使いながら、ようやく雨依様の部屋へと辿り着いた。

 雨依様の部屋に食事を運んで、食事が終わるのを見守る。


(主従関係っぽくて……いいよね……)


 悲しいなんて、思ってはいけない。

 これが、当然。

 私を受け入れてくれる人たちに迷惑をかけない。

 これが、私に課せられた生き方だから。


「失礼します」


 扉をノックして、雨依様の声が返ってくる。

 昨日、雨依様の声はたくさん耳にした。

 記憶に焼きつけることができるくらい、雨依様の声をたくさん聞いた。


(それなのに、凄く懐かしい……)


 心臓が高鳴りつつあるのを隠しながら、私は配膳カートを押しながら雨依様の部屋へと入った。


「そこに置いて」


 そこに置いて。

 部屋の入り口付近、ということがすぐに分かってしまった。

 なぜなら、雨依様の朝食用に運ばれた配膳カートが回収されていない。

 雨依様が朝食に手をつけていないから、朝食がそのままカートに残されていた。

 だから、どこに食事を置いておけばいいかということが、すぐに分かってしまった。


(私は寝坊して、ご飯を食べていないだけだけど……)


 雨依様は魔法研究に夢中になられた結果、朝食を摂ることができていない。

 多分、私が運んだ昼食も手つかずで終わってしまう。


(体……大丈夫なのかな……)


 雨依様の体を心配した瞬間、白フクロウさんが勢いよく雨依様の元へと飛び立った。


「え」

「えっ……」


 雨依様の声と、私の声が重なった。

 誰も、白フクロウさんが大きく羽ばたくことを想像していなかったから。

 だから、声が重なった。

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