第2話フロレアール②・再動

 ……憂鬱だ。どうしてこうなったの?


 整理しよう。わたしは前世の記憶を思い出した。それはこの世界に酷似したゲーム『双子座』のシナリオライターだった私のもの。だから今わたしはこれからどんな事をすればどんな感じの未来になるかは手に取るように分かってしまっている。

 ただ、『双子座』のお話は言わば本みたいなものだから、その日に誰が何をしたかって詳細までは予測できない。私は各キャラのタイムスケジュールを事細かに決めていたけれど、あくまでファンブックに乗せてないから非公式。本当にそうなるかは未知数ね。


「わたしはわたし、だよね?」


 私の世界ではこちら側とは比べ物にならないぐらい創作活動が盛んらしい。本がいっぱいあるなんて羨ましい限りね。その中で最近にわかに人気を集めているのが異世界に転生するってお話らしい。現代人がファンタジー世界で二回目の人生を送り始める、みたいな。


 わたしはって言うと私の記憶を鮮明に思い出せる上にそれもわたしなんだって実感もある。けれど私がわたしの人格で塗り潰されたわけじゃなさそうね。とは言ってもわたしより長く生きた私の経験と思想が結構わたしにも影響を与えているのは否定しない。


 そんな私が掲げる悲願は公爵令嬢ジャンヌに幸せになっていただく事。わたしからしたらジャンヌ様は初めてお会いした天上の方で接点がまるで無い。こちらからお話するだけでも不敬に値する高貴なるお方なのに、恐れ多いばかりだ。


「とにかく、攻略対象の皆さんとジャンヌ様に極力近づかなければいいのかな?」


 わたしと私が考える今後の過ごし方は一致している。私が目指すべきはどのルートのエンディングでもない。全ての攻略対象の好感度も稼がずにメインヒロインの死亡フラグも建てないで迎えるバッドエンド、通称平穏エンドだ。

 平穏エンドだとメインヒロインはどの攻略対象とも親しくならずに終わる。攻略対象から素っ気ない態度で接してこられるのでその手の嗜好でもない限りシナリオを読み進める度にストレスが溜まる一方。けれどメインヒロインは本来の夢に向けてまい進、各ご令嬢方も本来の婚約者と添い遂げるようになる筈ね。


 あれ、バッドエンドの方がベストエンドじゃね? とは良く言われたものだ。と言うか私が強引に締切間近にそのシナリオをねじ込んだせいで後でチーフプロデューサーからこっぴどく叱られたぐらいだし。この終わり方なら誰も傷つかずに終わるわね。


「今朝はしくじっちゃったけれど、その後は上手くいったよね?」


 まだ私の知識を思い出していなかった登校時は王太子様とのイベントを発生させちゃったけれど、その後の休み時間でのイベントはトイレに行って回避出来た。下校時のイベントもこうして図書室で自習して下校時間をずらしているから問題ないでしょう。


「それにしても……どうしてジャンヌ様はわたしにあんなお言葉を?」


 唯一気になるとしたら、今朝早くにジャンヌ様がわたしに囁いたお言葉だ。あの一言には歓喜、憎悪、憤怒、慈愛。とにかくあらゆる感情が込められている気がしてならなかった。それだけ甘く、けれど鋭くわたしの印象に残った。


 私の知識を動員して思い浮かぶのは今のジャンヌ様が本来の状態じゃない可能性だ。

 例えば――。


「お隣、いいかしら?」

「えっ? あ、大丈夫で……す……!?」


 不意に声をかけられて驚くわたし。だって昨日学園への入学式が行われたばかり。今日は授業も無くてオリエンテーションだけ。上級生も始業式明けだから放課後の図書室の利用率はあまり良くない。席はがらがらだからわざわざわたしの傍に座る必要は無いんだもの。


 だから一体誰が、と思って顔を上げて、固まってしまった。

 だって、わたしの傍らには今正に考えていたジャンヌ様当人がいらっしゃっていて――!


「そう、ありがとう」


 ジャンヌ様はわたしの隣の席に座る。鞄の中から今日各自に配られた教材を出して、全部裏表紙にして並べていく。何をするかと思ったら裏表紙をめくってご自分のお名前と学生番号を見惚れるぐらいに綺麗な文字で記していく。


「まだ授業も始まっていないのにもう予習? 勤勉なのね」

「あ、はい。入学試験の時に全科目でちょっとだけ試験範囲になってましたから。今のうちに進めておこうかなーって」


 おかしい。何もかもおかしい。ジャンヌ様は学園にいる間は必ず取り巻き……もとい、ジャンヌ様が懇意にしておられるご令嬢が同行していた筈だ。現に入学式でも今朝もそうだったし。お供を連れずに単身わたしに接触するなんて私の書いたシナリオには――。


「あら、私はてっきりカトリーヌさんは全て勉強済みかと思っていたけれど」

「今日渡された教材をこの短時間だけで読み解ける程頭良くないですよ」

「あら、そうだったわね。ふふっ」


 ジャンヌ様は上品に微笑まれてわたしへと視線を向けてくる。私が美術館で見た宝飾品にちりばめられた宝石よりも深い色をさせて輝く双眸は、まるでわたしの全てを見透かすようで。勉強を進めようと意識しても全然集中出来なかった。


 もしかしてわたしと同じでジャンヌ様も私側の世界の誰かが転生している? 前世がジャンヌ様の大ファンで私みたいにやり直しのチャンスに恵まれた? だから感情を爆発させてあんな風に憎きメインヒロインに宣戦布告紛いの発言を?


「ところで今日の休み時間、王太子殿下がカトリーヌさんにご用があったらしくて教室を訪ねてきたのだけれど?」

「えっ? そ、そうだったんですか? わたし、今日はちょっと緊張してて何度もトイレ行っちゃってて……」


 まさか、探りを入れてきてる? 今わたしが取っている行動は『双子座』のメインヒロインの選択肢から完璧に外れている。異常な行動を起こすわたしをキチンと異常だって認識出来る可能性は勿論限られている。私みたいに『双子座』についての知識がある転生者か、もしくは……。


「もうね、私はこんなの飽きちゃったわ」

「飽きちゃったって、勉強がですか?」

「だってもう八回目だもの。もう教科書を開かなくたって試験でいい点を取る自信があるわ」


 ――何度も同じ場面をやり直しているか、だ。


 反射的に逃げようよした所、ジャンヌ様は不意に手を伸ばしてきてペンを持つわたしの手を握ってきた。あまりに突然だったものだから全く反応できなかったし、がっちり離さないせいで全く動かせなかった。


「ふぅん。どうやら貴女、いつものカトリーヌとは全然違うみたいね」

「わ、わたしは、カトリーヌですっ。全然違うって、その……意味が分かりませんっ」

「そう白々しく演技する貴女も可愛いけれど、そういうのいいから」


 混乱するわたしがジャンヌ様の方へと振り向くと、いつの間にかジャンヌ様はこちらに身体を向けてじっと見つめてきていた。その狂気すら帯びた眼差しに恐怖を感じて悲鳴を漏らしそうになったら、今度は逆の手で口を塞がれた。


「一回目は確か……そう、絞首刑だったかしらね? 貴女どころか王太子殿下の命すら脅かした私は何もかも失ったわ。留置場で下種な兵士共に何をされたか教えてあげましょうか?」

「……っ!」


 知りたくない。そもそも私は悪役令嬢が断罪後にどんな目にあったかは簡潔な文にしているだけで事細かには一切決めていない。ジャンヌ様の尊厳を踏みにじる悲惨な最期は悪乗りしたサブライターの仕事だった。


「二回目は野盗に手籠めにされた挙句に娼館に。三回目は入れられた国境付近の監獄が敵国に攻め落とされて拷問されたわね。四回目は修道院とは名ばかりの奴隷斡旋所に飛ばされて肥え太った貴族の玩具って結末。五回目は……何だったかしら? そうそう、留学って体で追放されたのは良かったけれど、船が転覆したんだったわね。流れ着いた先が全く知られてない種族が住む大陸で、怪物の苗床として気が遠くなるぐらい長い間死ねなかったわ」


 ジャンヌ様が披露しているのは『双子座』での各攻略対象ルートのハッピーエンドだった。けれど……そんなに事細かに裏設定は決められてはいない。サブライターの悪乗りだってあくまで非公式。どの公式作品でも悲惨な最期は一文だけであっさり描写されていた筈よ。

 私、その手の技術や経験も豊富ですの、とわたしの口元から話した手の指を淫らに動かしながら笑って聞かせてくる有様は、既に正気を失っているとしか考えられなかった。


「六回目は今日正にこの日に自殺してやったわ」

「……!?」

「どう足掻いたって私は破滅するんだからいっそ自分で幕を下ろしてやろうってね。けれど、結局始まったのはまたジャンヌ・ドルレアンとしての人生だったわ」


 それは知らない。悪役令嬢がその役割をいきなり投げ捨てるなんて、ゲームの本筋からは完全に外れている。

 ジャンヌ様は微笑を浮かべながらわたしの口から手を離して、そのままわたしの身体に指を滑らせていく。漆喰のように白い指は胸の谷間を通って最後に胸の下辺りで止まった。その仕草は……まるで心臓を指で一突きしているみたいだった。


「七回目は今日貴女を殺したんだったわね」

「わ、たしを……?」

「何も知らずにのうのうと生きる貴女が憎くて憎くてたまらなかったわ。だから貴女を誘拐して、私に考えられるありとあらゆる凌辱と苦痛を味わわせてあげたの。貴女の悲鳴と救いを求める懇願の声、とても聞き心地が良かったわよ。はしたなくも興奮しちゃったぐらいにね」


 それも知らない。フラグも無しに悪役令嬢からデッドエンド級のバッドエンドを仕掛けられるなんてどんなクソゲーよ。大体『双子座』はR-18指定を受けていないんだから、そんないかがわしかったり凄惨なシーンは思わせぶりな描写のみに留めてあった筈だし。

 ジャンヌ様の独白ターンはまだまだ続く。周囲には誰もいないしどちらも大声も出していないから人影が現れる気配も無かった。


「八回目の今回はどうしようかって考えてね。一つ思い付いたんだけれど……まさかカトリーヌの方から変わってくれるなんて思いもよらなかったわ」

「そ、それは……」


 ジャンヌ様は子供に語りかける母親のように優しくわたしに問いかける。けれどその目は全く笑っていない。わたしに鋭く命じてきている。真実を話せ、と。


「ねえカトリーヌ。どうしてさっきは王太子殿下を避けたの?」

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