第36話 刹那の果てに

 風の刃が肩をスライスし、肉が削げて血を流す。


 足が、腕が、肺が、全身が燃えるように痛い。苦しい、辛い。


 黒瘴こくしょう竜の異能で作り上げられた炎の鉤爪かぎづめが僕の足首に食い込む。足が内側から焼かれる。


「あああああああ!!」


 “焔月”を振るって、炎の鉤爪を斬り払う。


 間断なく、風の刃や弾丸、炎の波、極光ブレスの弾幕が視界一杯に迫る。


「ハアアアアアアアアア!!!!!」


 雄たけびをあげる。凄まじい物量だ。その一つ一つを後ろに逃してしまえば、誰かが流れ弾を受けてしまう。


 一つも取り溢すな!! 全てを切り刻め!! 


 腕がもげるのではないかと思うほど、“焔月”を振るう。何度も何度も何度も!


 限界を示すように激痛が全身を走るが、簡単な治癒術でねじ伏せる。“鬼鈴”の≪回癒≫が僕を生き延びさせてくれている。


 まだ戦える! 戦い続けられる!


「ガアアアアアア!!」

「あああああああああ!!」


 命の灯を燃やしつくすが如く、裂帛の気合をあげた。
















「ハァ、ハァ、ハァ」


 生命活動に必要な霊力すら、残り僅か。“焔月”を握る握力もない。


 両腕は折れ、脇腹は抉られ、肩の肉が削げている。すぐに死に至る致命傷はないものの、体中傷だらけ。血に塗れる。


 自分でも息ができているのか疑問に思うほど呼吸は薄く、赤く染まった視界すら暗転し始めた。


 痛みすら感じる事ができず、あらゆる五感の感覚は薄れ、意識は遠のく。


 それでも最弱の本能恐怖と≪危機感知≫、そして積み重ねた灰鉄流の刀術によって、体が自然に動いていた。


 でも限界がきた。


「…………あ」


 ガクンと、膝をついてしまった。


 目の前に迫るは、黒瘴こくしょう竜の爪。死そのもの。

 

 ……もう、体に力は入らないや。


 正直、戦う気力がない。


 バーニーやマチルダ、リリーさんみたいにいい人もいる。でも、同級生の殆どがローズや鼠人族みんなに悪口言った。


 そんな人たちのために、もう、命をかけられないよ。


 むしろ、よくやったよ。


 霊力量Eランクの僕がAランクに迫る黒瘴こくしょう竜相手に五分も戦ったんだよ。皆を守って避難する時間を稼いだよ。


 もう十分じゃん。あとは、運に任せようよ。それぞれの運命に……


 だからもう――


「……ちょっとヤだな」


 ≪刹那の栄光オーバー・クロック≫で死んだ母さんの息子として、鼠人族としてこのまま死ぬのは嫌だな……  


 窮鼠が竜に一矢報いないのは、ちょっとムカつく。意地がある。


 どうせ、もう死ぬんだ。残りの命全てを消費すれば、≪刹那の栄光オーバー・クロック≫も一瞬くらい発動できる。 


刹那のオーバー――」


 僕は薄れゆく意識の果てで、≪刹那の栄光オーバー・クロック≫を発動させようとした。


 その瞬間。


「ホムラ君ッ!!」

「ホムラ!」

「グァアアアアア!!??」


 バーニーが大盾、“天巌てんがん”で黒瘴こくしょう竜の爪を受け止めた。


 それと同時に、ローズが炎を纏わせた“ブレイブドライグ”を黒瘴こくしょう竜の前足に向かって振るい、鱗を焼き、傷を与えた。


 黒瘴こくしょう竜は驚愕に咆え、距離を取った。


「聖霊騎士の意地にかけて、何としても少年の命を守れぇぇぇぇ!!」

「「「「「うぉぉぉぉぉぉおおおおお!!」」」」」


 聖霊騎士が雄たけびをあげて、黒瘴こくしょう竜へと突撃する。チラッと見えた胸の勲章を見るに、ファイアーヴェルク聖霊騎士団の人たちだ。


「バーニーくんっ!」

「おう!」

「え?」


 バーニーも“天巌”を輝かせ、黒瘴こくしょう竜に突撃していく。ローズは僕を持ち上げて〝竜翼〟を羽ばたかせ、後退する。


「ろ、ローズ。待って! バーニーがっ!」

「少しは他人を信じなさいよ! 勝手に諦めるんじゃないわよ、バカ!」

「何を……」


 二百メートルほど後退さられ、僕は地面に降ろされた。


 そして凜と輝く黄金の瞳が僕を見た。


「ホムラ君。今度は私が、私たちが時間を稼ぐわ! だから任せたわよ!!」


 そう言ってニィッと笑ったローズは〝竜翼〟を羽ばたかせ、黒瘴こくしょう竜へと突撃していく。


 駄目だよ! ファイアーヴェルク聖霊騎士団の人だって、もう倒れ始めてる!


 このままじゃローズもバーニーも死んじゃう! それだけは嫌だ! 


 這ってでも黒瘴こくしょう竜との戦いに戻らな――


「ホムラさんっ! 駄目です!」


 ヘーレン先生が僕の体を抑える。


「は、離してっ」

「いいえ、離しません! ローズさんからの伝言があるんです!」

「伝言……?」

「はい」


 ヘーレン先生は治癒術で僕の傷を癒し霊力を譲渡しながら、頷いた。


「『約束を果たすわ。私が絶対呪いから守るから、倒しなさい』、と。正直、教師としては戦わせたくないのですが、状況が状況です。このままでは皆が死にます」


 あの黒瘴こくしょう竜を倒せるのは、ヴィクトリアさんを含めたごく僅か。


 だけど、その誰もファイアーヴェルク小聖域にはおらず、一番近くにいるヴィクトリアさんや生徒会長さんでも数十キロも離れたこの地に来るには時間がかかる。


 もう、間に合わないのだ。


 だから逃げて欲しいのに、ヘーレン先生は鋭い瞳で僕を見た。


「ホムラさん。アナタに黒瘴こくしょう竜を倒せますか?」

「……それは」


 僕が出せる最大出力は十五パーセント。


 それじゃあ、あの黒瘴こくしょう竜には届かない。殺しきることはできない。


 言い淀んでしまう。


 その時。 


「遠距離型は全力で攻撃しなさい! そうでない者は霊力を込めて投げなさい! ホムラさんが立ち上がるまで、少しでも黒瘴こくしょう竜の足を止めるんですの!!」


 マチルダの叫びが聞こえた。


 そちらを見れば同級生たちがいた。皆、恐怖で体が震えているにも関わらず、必死に叫んで近くの瓦礫を黒瘴こくしょう竜に向かって投げていた。


 黒瘴こくしょう竜の方を見た。


 ファイアーヴェルク小聖域へと足を踏み入れていた黒瘴こくしょう竜は、ファイアーヴェルク聖霊騎士団とバーニーを蹴散らした。皆、地に伏す。


「ここで私が負けるわけにはいかないのよ! 約束を守るのよっ!! ハアアアアア!!!」

「ガアアアアアアア!!!」


 ローズだけが、裂帛の叫びをあげて戦っていた。


 新技である炎の鎧ドレス、つまり≪イグニス≫と〝竜鱗〟の混合技、〝炎妃の竜衣プロミネンスドレス〟で、風や炎の刃、爪撃を最低限防ぎ、高出力の炎を纏わせた“ブレイブドライグ”で黒瘴こくしょう竜の鱗に傷を与える。


 一見互角に見えるが、違う。


 ローズは膨大な霊力を消費して戦っているのだ。あのままでは一分も持たないでローズが力尽きてしまう。


 それが分かっていながら、ローズは全力で戦う。傷つき、血を流し、それでも叫び剣を振るう。


 まるで、あの時のように。


 ……ああ、いつだってローズは僕に勇気をくれる。ローズがいれば、どんなことだって成し遂げられると思える。


 僕は立ち上がった。迷いは、もうない。


 約束が僕の胸の奥にほむらともす。


「ヘーレン先生。傷の手当はもういいです。それより霊力をください」

「……わかりました」


 ヘーレン先生は残りの霊力を僕に譲渡してくれた。霊力がほぼ全回復し、その霊力を練り始める。


「じゃあ、行ってきます」


 “焔月”を腰に召喚し、ゆっくりと歩き出す。


 走らない。身体強化もしない。体力も霊力もギリギリまで温存する。


「グルアアアアア!!」

「くっ!」


 黒瘴こくしょう竜の爪撃を受け止め切れなかったローズは吹き飛ばされた。


 だけど、それは予定調和。僕の隣に着地した。


「行くよ、ローズ!」

「道は切り開くわ!」


 鞘に収まった“焔月”と黒刀に触れたローズは〝竜翼〟を羽ばたかせ、黒瘴こくしょう竜へと突撃していく。


「すぅぅぅ。はぁああ」


 僕は深呼吸を行い、真っすぐ黒瘴こくしょう竜を見定める。

  

 極限まで意識を研ぎ澄ませろ。全意識を集中させろ!


 走り出す。一歩一歩力強く地面を蹴り、徐々に加速していく。


 暴風を発生させてローズを吹き飛ばした黒瘴こくしょう竜は僕に顔を向ける。口を開き、極光ブレスを放つ。


「ガアアアアアアア!!!」


 僕は防ぐ動作すらしない。気にせず、真っすぐ走る。


「〝炎竜の咆哮ドライグデトネーション〟!!!」


 ローズが火炎ブレスを放ち、極光ブレスとぶつかる。拮抗し、光が迸って消滅する。


「グルアアアア!!」

「させないわっ!! 紅蓮流――剛毅天翔ごうきてんしょう!」


 迸った光を目くらましに黒瘴こくしょう竜が黒瘴灰こくしょうはいと風を纏わせた爪を僕に振り下ろす。


 だが、〝竜翼〟を羽ばたかせて僕の頭上に飛翔したローズが、“ブレイブドライグ”を大きく振り上げて爪撃を弾く。


「グァラアアアアアアア!!」

「紅蓮流――覇断竜爪はだんりゅうそうッッ」


 ノータイムで黒瘴こくしょう竜は極光ブレスを放つ。


 だが、ローズは風の刃と炎の刃を纏わせた“ブレイブドライグ”で極光ブレスを斬り飛ばした。


 そして一筋の流星のように、煌々と紅に輝かせた〝竜翼〟を大きく羽ばたかせて黒瘴こくしょう竜の下に潜り込んだローズは。


「紅蓮流奥義――覇竜斬はりゅうざんッッ!!」

「ガアアッ!?」


 黒瘴こくしょう竜の喉元を切り裂き、そのまま胸のあたりに体当たりした。

 

 胸に大きな衝撃を受け、黒瘴こくしょう竜が前足を大きくあげて後ろによろける。


 大きな隙を晒した。


「ありがとう、ローズ」


 霊力を使い果たしてせいで〝竜翼〟が消えて落下しながらも、ローズは僕にサムズアップした。


 僕は頬を緩め、“焔月”の柄に手を添えた。


「≪刹那の栄光オーバー・クロック≫・灰鉄流奥義――」


 極限まで練った霊力の一部・・を開放する。


 その瞬間、世界が間延びした。


 音は聞こえず、光すら止まり、一秒が無限に感じられるほどのスローモーションの世界。


 思考だけは極限に研ぎ澄まされ、僕は“焔月”の鯉口を切る。


 鯉口から炎が溢れだした。気にせず抜刀し始めれば、“焔月”の刀身は灼熱の炎を纏っていた。

 

 ローズのもう一つの新技、〝炎竜の祝福フレイムエンチャント〟。圧縮した≪イグニス≫の炎を他人の霊装や武器に付与する技。


 僕は黒瘴こくしょう竜の喉元めがけて跳んだ。ローズがつけた切り傷のみを見定めて。


雷斬らいきりッッ!!」

「ガアアアアア!!」


 流石は黒瘴こくしょう竜。己がもつ全黒瘴気こくしょうきを喉元に集めて、僕の“焔月”を防ごうとする。


 それによって威力が減少。一瞬だけ拮抗したのち、“焔月”は喉元の四分の一ほどを斬って、筋肉と骨に食い止められてしまった。


 だけど、だからこそ、一瞬に全てをかけろ! すべてを超えろ!


 花火のように、刹那に命のほむらを燃やすんだッッ!!


「≪刹那の栄光オーバー・クロック≫――」


 “焔月”から手を離しながら、残りの霊力を全て開放する。


 物理法則すらも捻じ曲げ、その限界を突破する身体能力が僕の身体をはしる。同時に血管が破裂し、目や口、手足から血が噴き上がる。


 それでもローズとの約束があるから。


 僕は音すらも遠く置き去りにして、刹那。


 黒刀の柄を握りしめ、空中を蹴りながら炎が湧き出る鯉口を切り。


「灰鉄流奥義――」


 煌々こうこうと灼熱の火炎がほとばしる黒刀を抜刀し、ローズが、そして“焔月”が作った切り傷めがけて振るう!!


竜殺りゅうごろしッッ!!」

「ガアアアアア!!」


 “焔月”を防ぐために黒瘴気こくしょうきを消費してしまった黒瘴竜お前は、この一閃最強を防げないッッ!!


 己が命の危機に逆らうように咆えた黒瘴こくしょう竜の鱗を断ち、肉を断ち、骨を断ち。


「ガア………………」


 シャンッという鈴の音と共に、黒瘴こくしょう竜の首を両断した。


 その首は抜刀の衝撃波によって吹き飛ばされて黒瘴こくしょう地帯の地面を転がり、残された肉体は轟音をたてながら倒れた。

 

 黒瘴こくしょう竜は息絶えた。僕が倒したのだ。 


「もう、むり……」

「ホムラ君っ」


 そしてそれを見届けた僕の意識は、暗転した。

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