第19話 丘の上
「っ痛……う……」
次の日グリムは頭痛によって目を覚ました。昨日の夜のお酒が残っている。この感覚は間違いなく二日酔いだった。
「…………」
幸いにも今日はリオンと会う約束をしていない。そもそも昨日のあの雰囲気の後にどう接していいのか分からないグリムは無理をしてこの状態で外に出る必要もないと判断し、ベッドの上で頭痛が引くのを大人しく待った。
それから二日酔いの症状が軽くなり、外を出る頃には太陽が完全に昇った頃だった。
◇
「なんだが今日はやけに賑やかだな」
酒場から出て町の中を軽く見渡す。今までよりも人の動きが異なる……具体的には大きな荷物を運ぶ馬車が明らかに多い。馬車はお城の方角に向かうものがほとんどだった。
「もしかしたら……もうすぐ舞踏会が開かれるのか?」
物語が動き出すタイミングのほとんどは世界が決めている。しかし舞踏会に関しては王子様が決めることが出来る内容でもあった。必要な資材や主要な役割を持っている人間の状態など、いくつもの条件が適していると王子様が判断すれば物語は動き始める。おそらくお城にいる王子様が開催する時だと判断したのだろう。
「……頃合いかもな」
この世界から離れるにはちょうど良いタイミングだと物語の状況を見て感じ取った。
もともとはこの世界の完結と共に消えるつもりだったが、リオンのいるこの世界を乱すわけにはいかないと決めたグリムは境界線を目地して歩き始めた。
町を出る門がある場所はお城の方面と魔女のいる森、そして最初に彼女に連れられて入った場所の3か所だけだった。グリムは来た時と同じ場所からこの世界を出ようとする。
境界線はこの世界を囲うように存在している。どこから出ても問題はないが、境界線の先がどこかに繋がっているかは誰にもわからなかい。それゆえにたどり着いた場所と同じ所から境界線を超えたとしてもどこの世界に向かうかは不明だった。
物語が完結すれば「頁」を持った人々と共に世界は消失する。物語が完結しなくても灰色の雪が世界を覆いつくし、やがてその世界は人々と共に消えてなくなる。
物語は完結を迎えようとも、崩壊しようとも人々は最終的には消えてなくなる。その点だけは共通していた。
◇
町を抜けて最初に彼女に出会った場所の木を目指してグリムは一直線に歩き続ける。
世界を囲っている境界線はどこからどこまでが「境界線」なのか目視ではわからない為、一番早くこの世界から出る方法として、来た場所から抜け出す方法が一番確実だった。
「…………あ」
風に流れてその一言が、彼女の声が聞こえてくる。
丘の上、木の根元の部分、この世界で最初に出会った場所にリオンは座っていた。
彼女と目が合ってしまう。このまま来た道を引き返すわけにもいかず、別の境界線を目指して闇雲に走り出そうかと思ったが、グリムの足が動くよりも先に彼女がこちらに駆け寄ってきた。
「こ……こんなところで会うなんて奇遇ね、グリム」
「そうだな……」
「…………」
「…………」
会話が途切れてしまい、昨日の酒場のような気まずい沈黙が再び流れる。
「その、今日はダンス練習じゃなかったのか?」
この場の空気に耐えられなくなったグリムは話題を振る。
「そのつもりだったけど……今日は辞めといたわ」
シンデレラを講師の家に連れて行ってからリオンは舞踏会の練習に参加せずに一人でこの場所まで歩いてきたらしい。
「昨日の事は……本当にごめんなさい」
リオンは深く頭を下げて謝罪をする。
「顔を上げてくれ……それは俺が言うセリフだ」
彼女が顔を上げると同時にグリムも頭を下げる。その反応を見たリオンが今度は慌てるように声を上げる。
「違うわよ、私があなたの事を何も考えずにと聞いたのが良くないわ」
「いや、俺の配慮が足りてなかった、それに手まで傷つけたしな」
「あの程度で怪我なんてしないわよ!」
その後もしばらくは互いに譲らない謝罪の合戦が続いた。
「……ねぇグリム、なんで私がこの場所に来るか知ってる?」
「いや……」
彼女はいたちごっこになっていた会話に区切りをつけて話題を変えた。この場所というのは大木の下の事を言っているのだろう。
境界線に近い場所であり、「頁」を持つ人間ならば普通は近づかないはずだった。彼女の質問に対する回答を見つけることが出来なかった。
「こっちよ」
彼女に誘われて木の根元まで歩く。そこから彼女は樹を背に向けて一言だけ「見て」という。言われた通りにそこからの景色を眺める。
「…………」
絶景だった。城壁に囲われたシンデレラたちが住んでいる町、魔女が住んでいる深い森、舞踏会が開かれる綺麗なお城、この場所からはこの世界のすべてを見ることが出来た。
「私ね……何か嫌なことがあったり、落ち込んだ時はこの場所に来るの」
リオンは隣に座って町を眺める。そよ風が彼女の緋色の髪を揺らした。
「良い場所だな」
ここまで世界を一望できる場所はそう存在しない。彼女がお気に入りの場所にしているのも納得だった。
「ねぇ、グリム。どうしてここに来たの?」
「それは……」
この世界から離れる為とは言えなかった。彼女に別れを告げずにこの世界から出ていこうとする行為は良くない事ぐらいグリムも分かっていた。
「……ほらっ、見て」
優しい声でリオンは指をさす。その先を見ると舞踏会が開かれるお城の頂上にある大きな時計が見えた。
「ここからでもお城の時計は見えるのよ」
シンデレラの物語における一つの重要な要素である時間。あの城の上に設置された時計の長針と短針が12時の位置で重なった時、主人公にかかっている魔法は解けて物語は終幕へ向けて加速する。
「12時の鐘が鳴り響いた時、私はいったいどんな気持ちになってるのかしらね」
リオンは大時計を眺めながらそうつぶやいた。シンデレラ以外の人間にとって12時の鐘の音はどう捉えるのだろうか。シンデレラと同じように舞踏会が終わってしまうことに対する焦燥感か、それともようやく物語が終わりへと向かう安心感なのか……
「お前なら、きっとシンデレラが転んだりしないか心配するんじゃないのか?」
「お前じゃなくてリオンでしょ……ふふっ」
リオンはそう言って笑った。何がおかしかったのかと彼女を見ると一安心したかのように一息ついてこちらを見つめていた。
「よかったわ、あなた冗談を言える程度には元気なのね」
そこでグリムは彼女に気を遣わせてしまっていたことに気がついた。おそらくリオンはグリムがこの世界から出ていこうとしていた事を察していたのだろう。
「さてと、そろそろ町に帰ろうかしら」
リオンは立ち上がり軽く背伸びをする。そして彼女は昨日の夜と同じようにそれでいて穏やかな笑顔で手を差し伸べた。
「さぁ、いきましょ」
一体どこまでが彼女の気遣いで、どこまでが無意識なのかはわからない。それでもその手は決して振り払うわけにはいかなかった。
「……まるで最初に出会った時みたいね」
リオンは笑いながら腕を引っ張る。言われてグリムは初日の出来事を思い出す。
「この後また酒場にでも行くのか?」
「そうしたいのは山々だけど、シンデレラを迎えに行かなくちゃ」
リオンにつかまれた手に合わせてきた道を引き返す。
境界線を超えるのはもう少し後になりそうだとグリムは思った。
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