第46話 赤い炎の真実

『 GA歴八十七年 八月八日 十九時二十分 』


ようやく茶番が終わり、再び戦いに戻った朱角あけすみ半蔵はんぞう

だがその二人の背には、どこか寂しげな影が差していた。ふざけ合っていたようでいて、何か硬い絆で結ばれているようにも見える──そんな空気が周囲を包んでいた。


「ねぇ、さっきの茶番はなんなの? 朱角あけすみくんはまだしも……半蔵はんぞうくんまで乗るなんて」

サクラが少し呆れたように半蔵はんぞうを見た。だがその瞳には、ほんのわずかな優しさも含まれていた。


「……すまん、美波みなみ。続きを始めよう」

半蔵はんぞうは気の抜けた声でそう呟く。まだどこか心ここにあらずといった様子だ。


「気持ちの切り替え!」

堅蔵けんぞうが茶化すようにツッコミを入れた。


「なんだ、堅蔵けんぞう。文句でもあるのか? こっちは今、戦いなんてやりたくねえ気分なんだよ」

その言葉には、茶番の裏にあった感情を引きずる半蔵はんぞうの本音が滲んでいた。


「えーーー、じゃあやめます?」

堅蔵けんぞうが口を尖らせる。


「止めるわけねぇだろ。戦うぞ」

そう言って、ようやく半蔵はんぞうが笑った。だが、その笑みはどこか照れ隠しにも見える。


「もう……なんすかそれ」

堅蔵けんぞうは呆れ顔で溜息をついたが、半蔵はんぞうが立ち直ったことにどこか安心していた。


「で? 半蔵様はんぞうさま、何か“見せてくれる”って話でしたよね」

朱角あけすみが声をかけた。少し目元が赤い。先ほどの感情を押し殺して、今は平常を装っている。


「ああ……お前たちも、みことの赤い炎は見たな?」

半蔵はんぞうもその目を朱角あけすみに向け、どこか遠くを見るような声で言った。


「……はい」

朱角あけすみは真剣な眼差しで頷いた。


「俺たちは、一度霊界に落ちた。だから気づけたんだ」

半蔵はんぞうの言葉は重く、静かだった。


「えっ? まさか……赤い炎を使えるんですか?」

朱角あけすみが目を見開く。半蔵はんぞうの語る内容が信じられなかった。


「ああ。ただ、みことほど強力じゃない。だが──自分に干渉するくらいはできるようになった」

半蔵はんぞうは静かに答える。だがその声の奥には、みことへの想いと羨望が滲んでいた。


「……ただ?」

朱角あけすみが問い返す。


「そうだ。これから行うのは――みことの赤い炎に近しい力を、無理やり発動させることだ」

半蔵はんぞうの口調が一段と真剣になる。


「強制的に、ですか?」

朱角あけすみが眉を寄せる。


「ああ。いくつもの氣を調整して、みことの使う氣に近づける必要がある」

半蔵はんぞうはそう説明しながら、ゆっくりと構えた。


「なるほど……」

朱角あけすみが唸るように呟いた。


「まあ、見てろ」

半蔵はんぞうが短く告げた。


その瞬間、半蔵はんぞうの体から白い炎の氣が噴き出した。

「これが、この理の世界に生きる人間の氣の力だ」

彼の周囲に静かに揺れる白炎が、言葉の重みを裏付けるように灯っていた。


「で──ここに神道の氣を混ぜる。豊雲とよくもくん」

その姿がふと豊雲へと変わった。


「ほい。これが『神道』の氣の力じゃ」

軽やかに返した豊雲の白い炎の中から、金色の粒が浮かび上がり、宙に溶けていった。


「そして……『陰陽道』の氣を混ぜるのじゃ」

老いた声がそう呟くと、紫色の氣が白炎に混じり合い、やがて青紫の光へと変化していく。


半蔵殿はんぞうどの

豊雲とよくもが声をかけると、その姿は再び半蔵はんぞうに戻った。


「ああ──あとは任せろ」

半蔵はんぞうの声には、覚悟の色が宿っていた。


「次は……妖氣だ」

言うと同時に、黒い炎が立ち上る。炎は黒から青へと変色し、激しさを増していく。


「そして最後に……お前らには、まだ感じ取れない氣を混ぜるぞ」

半蔵はんぞうの表情が厳しくなる。


「そっ、それは……」

朱角あけすみが震えるように声を漏らした。


「少し、離れてろ」

半蔵はんぞうが三人に下がるよう促す。


「──理氣りきだ!」

その瞬間、何も起きなかったかのように見えた。だが、それは錯覚だった。無色透明の氣が半蔵はんぞうの体に満ち、炎は赤黒く、猛々しい輝きを放ち始めた。


「……すごい」

堅蔵けんぞうが目を見張った。


「でも、みことの赤とは……少し違うような気がします」

朱角あけすみは冷静に見極めようとしていた。


「ホントね……」

サクラも静かに頷いた。だが、その瞳には半蔵はんぞうの努力に対する敬意が込められていた。


みことの赤は“真紅”。俺たちのは“紅蓮”。似て非なるものだ」

半蔵はんぞうが説明する。


「紅蓮は……自分たちの“事象”にだけ干渉できる」

その言葉の意味を問うように、朱角あけすみが目を細めた。


「事象に……干渉、ですか?」


「──まあ、こういうことだ」

そう言って、半蔵はんぞうの体がふたつに分かれた。


「えっ? 分身の術……?」

堅蔵けんぞうが驚きの声を上げる。


「……こっからだ」

その二つに分かれた半蔵はんぞうの紅蓮の炎が一気に燃え上がり──

分身の一人が、豊雲とよくもへと変化した。


場が静まり返る中、朱角あけすみ堅蔵けんぞう、サクラの三人は目を見開いたまま、その現象を息を飲んで見つめていた。


* * *


半蔵はんぞう豊雲とよくもが目の前で二人に分かれたのを見て、場が一瞬静まり返った。

その異様な光景に、三人の反応はまちまちだった。


「あ、あああああっ……!」

堅蔵けんぞうが素っ頓狂な声を上げて、思わず一歩後ずさる。驚きと困惑が入り混じった表情だ。


「どういうことだ……」

朱角あけすみは眉をひそめ、冷静に目の前の現象を見極めようとしていた。だが、内心では驚きの波が押し寄せている。


豊雲とよくもさん……」

サクラは小さく呟き、どこか嬉しそうな微笑みを浮かべた。その視線には、再び姿を現した豊雲とよくもへの懐かしさと尊敬が滲んでいる。


「ふぅ……すっごい疲れるな、これ」

半蔵はんぞうが額の汗を拭うように言った。力の消耗だけでなく、精神的な負荷も大きいのだろう。


半蔵殿はんぞうどの、お疲れ様じゃ」

豊雲とよくもが労うように静かに声をかけた。どこか満足げな微笑を浮かべている。


豊雲とよくもくん、成功したな!」

半蔵はんぞうは、まるで子どものように嬉しそうな表情を見せた。二人で積み重ねた試行錯誤が報われた実感があったのだ。


「ああ、仮説は……正しかったんじゃ」

豊雲とよくももゆっくりと頷く。老練な彼にも、抑えきれない達成感があった。


「……お二人とも、どういうことですか?」

朱角が堅く口を開いた。目の前で起きた事象の意味を探ろうとしている。


みことの赤い炎を見たときにな……あれは何なのか、二人でずっと考えておったんじゃ」

豊雲とよくもが語り始めた。淡々としているが、どこか回想するような目だ。


「でな、霊界にいたときに、あの炎とよく似た波動を感じたのを思い出したんだよ」

半蔵はんぞうがそれに続く。声には手探りで辿ってきた過程の苦労と、それでも諦めなかった意思が宿っていた。


「それでワシらは、その波動を探って、強制的に作り出す方法がないか考えた。そしてようやく、多少だが使えるようになったんじゃ」

豊雲とよくもの表情に、誇りと同時に、みことにはまだ届かないという悔しさもちらりと浮かぶ。


「……ただな、色んな氣の波動を混ぜて調整して、ようやく“紅蓮の炎”ってのを作り出せたんだが──みことの炎ほど強力じゃねえし、色も真紅とは違ってた」

半蔵はんぞうが肩をすくめる。言葉の裏には、自分たちなりの限界を受け止めた覚悟があった。


「それで今度は、分身の術を使ってな……その分身に“もう一つの自我”を定着できるか、仮説を立てて実験してみたのじゃ」

豊雲とよくもは分かりやすく説明しながら、半蔵はんぞうの顔をチラリと見た。長年の信頼を感じさせる視線だった。


「で? それは分かったんですが、結局“仮説”とか“事象”がどうとか……」

堅蔵けんぞうが首を傾げる。彼にはその理屈が今ひとつ飲み込めなかった。


「あっ……分かった、そういうことか」

朱角あけすみが小さく呟き、目を見開いた。まるで一気に何かが繋がったかのような表情だ。


「えっ、兄貴、分かったのか?」

堅蔵けんぞうが身を乗り出す。


「ああ。みことの力ってのは、ことわりを超えて、事象そのものに干渉する力だってことだ」

朱角あけすみの声には確信が宿っていた。彼の科学的視点と霊的な経験が結びついた瞬間だった。


「……分からん……」

堅蔵けんぞうが素直に白旗を上げる。


「私も分かんないわよ、そんなん」

サクラも難しい話にはついていけず、肩をすくめた。


「だから──みことの場合は、“妖魔と人間を分離したい”と彼女自身が強く願ったから、ことわりを超えて、それが可能になったんだよ」

朱角あけすみが静かに語る。その目には、みことの中にある純粋な意志の力への敬意が込められていた。


「……えっ? みことが願えば、なんでもできるの?」

サクラが思わず聞き返す。驚きと、少しの不安が混ざった声だった。


「まあ、簡単に言えば……そういうことだ」

朱角あけすみが柔らかく頷いた。


朱角あけすみさといんじゃな」

豊雲とよくもが穏やかに言った。まるで長年見守ってきた孫を褒めるような口調だ。


「まあ……これでも科学者ですので」

朱角あけすみが少し照れたように笑う。


「そうじゃったな。霊界から見ておったぞ」

豊雲とよくもの言葉に、朱角あけすみの目が丸くなった。


「えっ、霊界から見られるんですか!?」

驚きと警戒が同時に走った。


「うむ。今際いまぎわにおれば、あの世からこの世の全てが見通せるのじゃ」

豊雲が穏やかに語る。


「ああ、“今際いまぎわ”か……『甲賀猿飛流こうがさるとびりゅう』の伝承は、やっぱり本当だったんですね」

堅蔵けんぞうが納得したように言った。どこか安堵のような、不思議な信頼を感じさせる声だった。


「そうじゃな……ワシも、最初はビックリしたわい」

豊雲とよくもは懐かしそうに笑った。その笑みは、あの世のえにしを越えて繋がる者たちへの優しさに満ちていた。


* * *


豊雲とよくも堅蔵けんぞうたち三人と談笑しているその頃──

半蔵はんぞうはふと姿を消し、次の瞬間には一斗いっとの目の前に静かに現れていた。


一斗いっと、見たか?」

低く、落ち着いた声。だがその声の奥には、何かを確かめるような響きがあった。


「はい」

一斗いっとはまっすぐ半蔵はんぞうを見据え、短く頷いた。表情には迷いはない。

だがその胸の内では、先ほど目にした“紅蓮の炎”の意味を反芻はんすうし続けていた。


「お前なら……理屈は大体、分かるだろう?」

半蔵はんぞうが静かに問いかけた。

目の前の少年がどこまで気づいているのか、半蔵はんぞうは試しているわけではない。ただ──確認したかったのだ。

この力を継ぐ者として、どこまで“届いている”のかを。


「はい。……なんとなく、ですけど」

一斗いっとは真っ直ぐな目で答える。自信満々とは言えない。だがその“なんとなく”には、直感で掴んだ本質があるようにも思えた。

──みことと自分をつなぐもの。ことわりの力。世界のほころび。

それはまだ輪郭がぼんやりとした霧のようだったが、確かに感じ取っていた。


「それでいい」

半蔵はんぞうは満足げに頷くと、一瞬でその場から姿を消した。


残された一斗いっとは、わずかに目を伏せた。

胸の奥で、何かが静かに燃え始めている──そんな感覚があった。


* * *


「さて、三人共──二対三になったところで、続きをやろうか」

半蔵はんぞうがゆっくりと前に出ながら言った。

先ほどまでの感情を切り替えたのか、その表情には静かな闘志が宿っていた。だがその眼差しはどこか柔らかく、弟子たちの成長を楽しみにしているようでもある。


「おう」

堅蔵けんぞうが応じた。

鋭く短い返事の裏には、強者として挑まれる立場に対する覚悟と、半蔵はんぞう豊雲とよくもという“壁”を乗り越えんとする燃えるような意志が見え隠れしていた。


「分かりました」

朱角あけすみも真剣な眼差しで頷いた。

内心では、紅蓮の炎と分身の術を見た興奮がまだ冷めていなかった。だがそれを抑え、戦いに集中しようとしていた。


「……ほんとにやるのですか、豊雲とよくもさん」

サクラが不安げに声を漏らした。

その目は豊雲とよくもに向けられていたが、言外に“あなたに何かあったら”という心配がにじんでいた。戦いに身を投じる愛しい人の姿が、どうしても割り切れなかった。


「俺は、半蔵様はんぞうさまを相手します」

朱角あけすみが声を張る。

その目には決意が宿っていた。紅蓮の炎を再現した師──その存在を真正面から受け止め、超えていきたいという想いがあった。


「分かった。サクラさん、俺と一緒に豊雲様とよくもさまを」

堅蔵けんぞうがやや優しい声で言った。

サクラが迷っていることに気づき、あえて冷静な口調で誘導した。


「……うん……」

サクラは小さく返事をしたものの、まだ完全には納得していないようだった。

だがその中にも、一緒に戦う仲間への信頼と、自分にできることを果たそうという気持ちが少しずつ芽生えていた。


そして──

空気が静かに張り詰めていく中、三人はそれぞれの立ち位置をとり、再び戦いが始まった。

朱角あけすみ堅蔵けんぞうにとって自分たちの祖父そふ二人であり、サクラにとってはかつての仲間で愛しい人、そして今は互いに認め合う者同士としての、真剣な“手合わせ”が、再び幕を開けた。


* * *


先ほどまでの手合わせとは空気が違った。

技と技が真正面からぶつかり合い、静かな駆け引きの応酬は次第に激しさを増していく。


「どうした、朱角あけすみ。まだまだいけるはずだろ」

半蔵はんぞうが柔らかな微笑を浮かべながら、鋭く右拳を繰り出す。その拳を腕で受け止めた朱角あけすみは、即座に左拳で反撃した。


だが、半蔵はんぞうはそれを身をひねって躱し、間合いを取りながら再び距離を詰める。朱角あけすみもまた、半歩下がって低く構えた足から蹴りを放ち、半蔵はんぞうの脇腹を狙ったが、それも紙一重で外れる。


二人の拳と足が絶え間なく交差する。

打つ、躱す、蹴る、捌く──まるで舞のように、だが確かにいのちを削る実戦だった。

朱角あけすみは汗を流しながらも、半蔵はんぞうの動きから何かを学び取ろうとしていた。

(この人は……戦いの中で“言葉”を教えてくる)


「こっちもやるぞ」

堅蔵けんぞうが気合いを込めて叫び、サクラの隣へと躍り出る。


「……分かったわ」

サクラは唇をかすかに噛みしめながら頷いた。

目の前にいるのは、かつて心から愛した人──豊雲とよくも

その姿に拳を向けることを、彼女の心はまだ許してはいなかった。


だが、豊雲とよくもはそんなサクラを責めることはしなかった。

「……よいよい。お主の拳は、お主の心で決めるがよい」

そう言ったような微笑を浮かべると、豊雲とよくもは無言で拳を構えた。


先ほどのように術は使わない。

拳と蹴りだけで堅蔵けんぞうと向き合う。


堅蔵けんぞうもまた、真正面から応じた。体格の差は歴然、だがそれでも彼は真正面からぶつかることを選んだ。

豊雲様とよくもさま、容赦はしませんよ」

「うむ、それでこそじゃ」


拳と拳、足と足──

祖父と孫が交わす肉体の対話。サクラは一歩後ろでその光景を見つめながら、心の中に小さな迷いを抱え続けていた。


──そして、戦いが始まって十分が経過した。


半蔵はんぞう豊雲とよくもは背中合わせに立ち、自然と動きを止めた。

互いの背中に寄せ合うように、その場でわずかに呼吸を整える。


全員が全身に傷を負っていた。

拳は裂け、頬に血が滲み、足は腫れ上がって動きが鈍っている。

呼吸は荒く、しかし誰一人として退こうとしなかった。


「……はぁ、はぁ……さて、半蔵殿はんぞうどの。どうしますかの」

豊雲とよくもが疲れた笑みを浮かべながら、背中越しに問いかける。

その口調には、歳月の重みを抱えた穏やかさと、ほんの少しの名残惜しさが混ざっていた。


「ふぅ……最後の悪あがきといこうか。大技で締めますか?」

半蔵はんぞうが肩で息をしながらも、どこか楽しそうに笑う。

戦いを通じて交わしたもの──その意味を、彼はきちんと受け止めていた。


「そうですな。もう限界じゃし……あの技、行ってみようかの」

「……ああ、豊雲とよくもくん」

「おうとも、半蔵はんぞうくん」


背中合わせのまま、言葉を交わすでもなく、二人の氣がゆっくりと重なっていく。

そこには長年共に歩んだ者同士にしか分からない、静かな呼吸があった。


──そして。


一斗いっと、しっかり見ていろよ)

半蔵はんぞうは心の中で、遠くで見守っている少年に向けて、そっと念じた。

“この世界のことわりの向こう側”──それを目指すには、まず超えなければならないものがあると。


師たちは今、それを拳で示そうとしていた。


* * *


――俺たちは、物部守屋もののべのもりやに殺された。

気がつけば、そこはもう生者の世界ではなかった。


(……ここは? どこだ?)

半蔵はんぞうが目を覚ましたのは、深い森の中だった。辺りを見渡すと、木々の間から微かに陽が差し込み、風のざわめきだけが静かに響いていた。


(オレは……死んだんだな。ここが霊界ってやつか? ……うーん、でも妙に見覚えがある気がするな)

そう考えながら半蔵はんぞうはゆっくりと立ち上がる。

(地獄って、どう行けばいいんだ? 誰か案内してくれるのか……)


一方その頃、豊雲とよくもは『神代神社じんだいじんじゃ』の裏手──境内の奥、大木の根元で目を覚ましていた。

頭を抑えながらゆっくりと起き上がり、目の前に広がる風景を見つめた。


(……ここは……『神代神社じんだいじんじゃ』のやしろの裏……? うちの裏庭か……)

混乱しながらも、どこか懐かしさを感じる。ふと目をやると、そこには金毘羅こんぴらの姿があった。

「おい、金毘羅こんぴら!」

声をかけても、彼の耳には届かない。まるで自分の存在がこの世界に無いかのように──


(……聞こえない? もしかして……ここは……)

豊雲とよくもはすぐに察した。

(これは“今際いまぎわ”……死と現世の狭間にある境界か)


その頃、半蔵はんぞうもまた、自宅の縁側に集まっている家族の姿を目にしていた。

(……なんだよ、みんな無視かよ……。ああ、なるほど。そういうことか)


だが、半蔵はんぞうの心にはひとつの疑問が浮かんでいた。

(でも……なぜ、俺はここに? なぜ“死んだまま”こうしている……?)


まるで示し合わせたように、半蔵はんぞう豊雲とよくもはそれぞれの場所で、同じ思いを抱いた。


(……アイツの仕業か? くそ……死んでもなお俺たちを縛るつもりか。とにかく、豊雲とよくもくんと合流しないと)

(あいつが自我を引き止めたのか……。死んでまで、まだ抗わねばならないとは……半蔵はんぞうくんも、きっと気づいているはずだ)


そして二人は導かれるように、『神代川じんだいがわ』の河原へとたどり着く。


豊雲とよくもくーーーーん!」

「……あっ! 半蔵はんぞうくん!」


互いの姿を見つけた瞬間、重く張り詰めていた心がふっと緩む。

この再会が、なぜか懐かしくも心強かった。


「元気か?」

半蔵はんぞうが軽く笑って言った。


「まあ……一応、元気だよ」

豊雲とよくもも肩をすくめて笑い返す。


「……なんだ、この会話」

「ふっ、そうだね。妙に普通すぎるよね」


笑いながらも、二人の心には確信があった。


「それよりさ、ここって……やっぱ“今際”ってやつだよな?」

「ああ。おそらく、物部守屋もののべもりやが俺たちの自我を地獄に送らせないように引き止めたんだ」

「なるほどな……この狭間から抜け出す方法があるはずだ。探そうぜ」


「でも……半蔵はんぞうくん、“今際”って、可能性の未来が見えるって伝承があったよね」

「ああ、そういや聞いたことあるな」


「……見に行かない? 未来を」

「未来を……か。……ああ、いいぜ。見に行こう」


「そうだね。どうせ暇だし」

「いやいや、暇じゃねえから!」

「えっ?」

「……ごめんごめん。昔から仲間に言われててさ、つい」


「……そうなんだ。じゃあ行こう、半蔵はんぞうくん」


そして二人は、“今際”の地で無数の可能性に満ちた未来を見渡した。

幾通りもの結末。その中には、笑顔に満ちた未来も、血に染まった最悪の未来も存在していた。


「ねぇ半蔵はんぞうくん……最適解って、あれしかないよね」

「ああ……そうかもな。正直、あの子には申し訳ない気持ちでいっぱいだけど……でも、あの未来だけはマズい。地獄だ」


「本当に……来てほしくない未来だね」

「でもさ、避けられない道でもあるんだろ? 一度は通らなきゃならねぇって、分かってる」


「……あの未来の『七代家ななしろけ』の結末だけは、なんとしても回避したいね」


「そうか……一度途切れた事柄は、この“ことわり”の流れから外れて、記録すらされなくなるんだな」

「……豊雲とよくもくん? どういう意味だ?」


「未来が途切れた瞬間、そこに意味は残らず、ただ空白として流れていく……まるで何もなかったかのように。それを思うと、ちょっと悲しくなるんだよね」

「そうか……でもさ、そういう“途切れた未来”で死んだ自我って、どこに行くんだろうな」

「分からない……少なくとも、この“ことわり”には来れないだろうし。……行き場がないのかもしれないね」


「ま、考えてもしょうがねぇことか」


「……そうだね。僕らは、時が来るまでここで見守ろう。あの子たちの未来を、できる限り……良い方へ導けるように」


──こうして、俺たちは霊界で待つことを選んだ。

そしてついに、物部守屋もののべもりやが現世へと顕現したとき──

俺たちもまた、再び姿を現すこととなった。

未来を変えるために──今度こそ、選ぶべき結末へと向かうために。


* * *


「では──一緒に参りましょう」

豊雲とよくもが静かに言った。


「おう」

半蔵はんぞうは穏やかな笑みを浮かべて応じた。


次の瞬間、二人は静かに上空へと舞い上がる。

空気が震え、空間がきしむような気配の中、半蔵はんぞう豊雲とよくもの身体から紅蓮の炎が吹き上がった。そして炎が渦を巻くように絡み合うと、二人の姿は一つに融合した。


それはもはや人の形ではなかった──

背丈は五メートル近く、顔は龍を思わせる威容。

その身体は鱗のような文様に覆われ、五色の艶やかな着物を纏い、頭には堂々たる鹿の角が二本、天に向かって伸びていた。

手に握られた大剣は人の身であれば到底扱えぬ巨大さであり、ただそこに立つだけで圧倒的な存在感を放っていた。


突如として、周囲の空が黒く染まり、漆黒の雲が空を覆った。

すると、男の角に向かって天から幾筋もの雷が奔流のように落ち、その雷光は紅蓮の炎を纏った大剣へと吸い込まれていった。


「──甲賀猿飛流こうがさるとびりゅう 中門なかもん轟雷麒麟斬ごうらいきりんざん

雷が迸るその刹那、男は大剣を両手で構え、地へ向けて一閃。


雷と炎が混じり合った刃の奔流が、朱角あけすみ堅蔵けんぞう、サクラの三人に襲いかかる。


「だめだ……避けられない」

「ぐっ……!」

「死ぬ……っ!」


圧倒的な衝撃と斬撃によって、三人の身体は弾き飛ばされた。

地面に叩きつけられた瞬間、全身を雷光が貫き、そのまま空中へ跳ね上がる。

そして、逆さまの姿勢で頭から地へと叩き落とされ、動かなくなった。


「ふぅ……」

男は静かに地上に降り立ち、そこに立ち尽くした。

一瞬の間を置いて、その巨大な身体はゆっくりと崩れ、二つに分かれる。

半蔵はんぞう豊雲とよくも、それぞれの姿に戻っていた。


「やったね、半蔵はんぞうくん」

「……ああ、豊雲とよくもくん」


二人は激闘を終え、静かに息を整えていた。

しかしその眼差しには、ただの勝利ではない、ある種の覚悟が宿っていた。


「ごめんなさいな、美波みなみさん……」

豊雲とよくもがポツリと呟く。その老いた瞳は、サクラの方を見つめていた。


「……朱角あけすみ堅蔵けんぞう……」

半蔵はんぞうもまた、倒れ伏す孫たちの名を静かに呼んだ。


そして──

一斗いっとぉぉぉ!!」

突然、半蔵はんぞうが空に向かって大声で叫んだ。


「は、はいぃぃっ!」

驚いた一斗いっとが思わず大きな声で返事をする。全身が強張っていたが、呼ばれたことで少しだけ意識が戻った。


「今の、見たな?」

半蔵はんぞうが静かに尋ねる。声は優しく、けれどどこか託すような響きだった。


「……見ました」

一斗いっとはこみ上げるものを堪えながら頷いた。


「後は頼むぞ」

「よろしくな、一斗いっとや」

そう言って、二人の身体がゆっくりと淡く光り始め、輪郭が滲み出す。


半蔵様はんぞうさま……!」

豊雲様とよくもさまっ!」

伊波いなみ雑賀さいがが駆け寄り、叫んだ。


「おい、救護班、早くっ!」

伊波いなみが叫ぶが、もはやその声は届いていないかのようだった。


一斗いっとや……お主には“赤い炎”の真実、そして先ほどの技の意味を伝えたかったのじゃ」

豊雲とよくもが静かに語りかけた。


「お爺様じいさま……」

一斗いっとは言葉を失いながら、震える声で返した。


「いいか一斗いっと──“真紅の炎”は、絆の力。ことわりを超えるには、家族や仲間との繋がりが必要になる」

半蔵はんぞうの声には、確かな想いと信頼が込められていた。


「……御意、半蔵様はんぞうさま。でも……消滅すると分かっていて、紅蓮の炎を……」

一斗いっとの声がかすれる。嗚咽をこらえながら、それでも言葉を絞り出した。


「……まあ、いいじゃねぇか。かっこよかっただろ?」

半蔵はんぞうがにやりと笑う。最後まで彼らしかった。


「良くないです……! こんな、私なんかのために……っ!」

一斗いっとはついに涙を堪えきれず、声を震わせた。


「なあ、一斗いっとや……頼むぞ。ワシらの代わりに、戸叶とかなを救ってやってくれ」

豊雲とよくもの声は、穏やかで、どこか切なげだった。


「……俺たちにはできなかったが、お前にはできるはずだ。真紅の炎と、“麒麟”を出せ」

半蔵はんぞうが、まっすぐに一斗いっとを見据えて言った。


「……はい……はい……っ!」

一斗いっとは崩れ落ちそうな身体を支えながら、必死に返事をした。


「では……」

豊雲とよくもが微笑む。


「じゃあな。……楽しかったぜ」

半蔵はんぞうがそう言い残し、ふっと目を細める。


──次の瞬間、二人の身体は一斗いっとの腕の中で、光となってゆっくりと消えていった。


彼らの存在は、静かに、しかし確かにこの世界に痕跡を残しながら──

そして、一斗いっとの心に深く刻まれたまま、消滅していった。


* * *


「──これは、引き分けでござるな。まあ……良しといたしましょう」

戦いを見届けた池上彦斎いけがみげんさいが、静かに口を開いた。


その言葉を聞きながら、伊波健一いなみけんいちはゆっくりと歩を進める。怒りを内に秘めたその瞳は、真っ直ぐに彦斎げんさいを射抜いていた。


「おい、池上彦斎いけがみげんさい

低く押し殺した声で呼びかける。


「うむ? そなたは……?」

彦斎げんさいは顔を向けて、眉をひそめた。


伊波健一いなみけんいちだ」

伊波いなみはその場に立ち止まり、名乗った。


「ふむ、伊波殿いなみどのか。して、その伊波殿いなみどのが拙者に何用でござる?」

彦斎げんさいは静かに応じるが、どこか余裕を漂わせていた。


「お前は──『扇風機妖魔』なのか?」

伊波いなみの目が鋭く細められる。言葉の端には怒りが滲んでいた。


「……さようでござるな」

彦斎げんさいは、ひと呼吸おいて頷いた。

「正確には、後藤一馬氏ごとうかずましに妖魔を降ろし、その想念と同化した結果、あの男が想いれのある扇風機の姿に変化へんげしたのでござる。そして、その妖魔に……拙者・池上彦斎いけがみげんさいの自我を融合させた──そうして生まれたのがこの姿、すなわち拙者でござるよ」


伊波いなみはその説明を黙って聞いていたが、深く頷くと、目を伏せた。

「……そうか。丁寧な説明、感謝する」


だが、次の言葉には、押し殺した怒りが宿っていた。

「──なぜ……なぜ、娘を殺した?」


彦斎げんさいの眉がわずかに動く。

「娘……? ふむ、さて……」


伊波那岐紗いなみなぎさだ」

伊波いなみの声が震える。怒りと悲しみが混ざった、その名を告げる声だった。


「ああ、あの娘御でござるか」

彦斎げんさいは思い出したように、うっすらと目を細めた。


「そうだ……俺の娘を……なぜ殺した……!」

伊波いなみの声は、今にも爆発しそうな激情を堪えたものだった。


「……うむ。無念ながら、拙者自ら手を下した覚えはござらんが……記憶をたどれば、あの御方のご命令により、殺害したようでござるな」

彦斎げんさいはあくまで淡々と答えた。そこに罪悪感の色はなかった。


伊波いなみの拳が小さく震えた。だが、その拳を振り上げることなく、彼は静かに言った。

「……そうか。まあ、いい」

その声は怒りを呑み込み、何かを決意した者のものだった。


「次は──俺が相手だ」


それを聞いた一斗いっとが、たまらず割って入った。

父上ちちうえ、それは……危険です!」


「拙者は構わぬ。いかようにも、お相手いたそう」

彦斎げんさいが、まるで遊戯を楽しむかのような口調で言う。

「まずは、伊波健一殿いなみけんいちどの──拙者が相手つかまつるが、よろしいかな?」


「……ああ」

伊波いなみが静かに頷いた。


「ダメです、父上ちちうえ!」

一斗いっとが強く止めた。その表情には焦りと恐怖がにじむ。いのちをかける者の顔を、彼は知っていた。


伊波いなみパパ、わたしも行くです!」

みことも必死に声を上げる。その紅い瞳には、真剣な覚悟が宿っていた。


一斗いっとみこと……ダメだ。これは、俺の戦いなんだ」

伊波いなみは静かに言い、目を伏せた。


「……でも、大丈夫です」

みことが、ぽつりと笑顔を見せた。その表情はどこか無垢で、それでいて揺るぎない決意を湛えていた。

「わたし、変身できるんです」


「変身……って?」

伊波いなみが戸惑ったように聞き返す。


みこと、俺が行く。だから下がってろ」

一斗いっとみことの前に立った。だが──


「ダメです、イチ」

みことがきっぱりと言った。

「イチ一人じゃ……勝てないです」


「でも……」

一斗いっとの声に迷いが混じる。


「さっき……お爺ちゃんたちに頼まれたです。“トカ婆をお願い”って──みことはちゃんと聞いてたです」


「それは、そうだけど……」


「だから、ここは二人で行くです」

みことが、真っ直ぐに一斗いっとを見て言った。その目は、もう“子ども”ではなかった。


「……分かった」

一斗いっとが深く頷いた。

「とにかく、父上ちちうえだけは……行かせません。ここは、僕たちが行きます!」


「ダメだ、一斗いっと……っ!」

伊波いなみが一歩踏み出そうとした瞬間──


「……すみません」

一斗いっとの拳が、伊波いなみの腹部へと無言で打ち込まれた。


「……っ……!」

伊波いなみは苦悶の息を漏らし、そのまま意識を失って崩れ落ちた。


芹川せりかわさん……父をお願いします」

一斗いっとがすぐに駆け寄った芹川に託す。


「ああ……分かったよ。一斗いっとくん……まったく、熱いんだから……」

芹川せりかわはそう言いながらも、唇を噛みしめ、静かに涙をこぼした。


やがて皆は、静かに戦場から距離を取る。

そして残されたのは──


池上彦斎いけがみげんさい

そして、彼に立ち向かう双子の兄妹──七代一斗ななしろいっと七代命ななしろみこと


その姿は、今やもうただの少年少女ではなかった。

祖父・七代金毘羅ななしろこんぴらの仇。

そして、幼馴染・伊波那岐紗いなみさぎさの仇。


『扇風機妖魔』、改め──池上彦斎いけがみげんさいとの戦いが、いま始まろうとしていた。


みことは目を閉じ、心の奥底に問いかけた。


(わたし、本当にできるのかな……?)


けれども、その手を取った兄・一斗いっとのぬくもりが、彼女にひとつの確信を与えていた。


(大丈夫。イチとなら──きっと、やれるです・・・だが、どさくさに紛れて手を握りやがったなぁぁ、後で絶対殺す!)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る