第22話 妖魔 VS アドルフ
『 GA歴八十七年 七月十三日 午前六時 』
『アドルフ指令室』では、『虚空カメラ』の映像確認で徹夜での作業が続いていた。
「おおお! 見つけました、
突如として
「……あ、朝ごはん……ですか……?」
まだ夢の中にいるような口調で、眠たげな目をこすりながら周囲を見渡す天草。
「
容赦ない一喝が飛ぶ。
「す、すいませんっ!」
ぺこりと頭を下げた天草は、慌てて
「
呼ばれた
「どれどれ……」
「三か月前の記録か?」
「ああ、はい。実は二か月前から、
「……つまり、二か月前に何かあった。妖魔の力を得たのもその頃というわけか」
「おそらくは」
「なるほどな。『
「ええ、その通りです」
「……ん?」
また別の日の映像が流れると
「この時間、昼前くらいか?」
「はい、十時半頃の記録です」
「なら……なぜ正門が閉まっている?」
その疑問に、
「調べたところ、この日は工業地区全体の休業日でした。防犯上、外部設置の『虚空カメラ』のみ稼働していて、内部のカメラはメンテナンスのため全て停止していたようです」
「さらに、こちらをご覧ください。
(……ふむ、だとすれば。この日を狙って……
「ヤマさん、西側と言ったな?」
「はい、間違いありません」
「その西側に……廃工場はあるのか?」
「はい。二つ、存在しています」
「……そうか。もしかして、その二つの廃工場と周辺の下見だったのか?」
推測を口にした
「
声を弾ませる
「ならば、
「良くやったぞ、ヤマさん!」
「ありがとうございます」
冷静に礼を述べる
「……さすが、見つけのヤマさんですね」
その声に含まれたわずかな悔しさを察したのか、
「シャキッとしろ、
「うっ……すいません……」
肩を落とす
「それに、これはまだ推測に過ぎん。確証は何もない」
「はい。……重ね重ね、すいません……」
ぽつりと漏らしたその言葉に、部屋の空気が少しだけ和らいだ。
『 GA歴八十七年 七月十三日 午前七時三十分 』
『アドルフ指令室』。
まだ朝の空気が静かに漂う中、室内には重々しい緊張感が張り詰めていた。全メンバーがすでに招集され、持ち場を離れて整列している。
「では始める。敬礼!」
全員が一斉に背筋を伸ばし、視線を前方――総司令席に座る
この場にいる誰もが、これから語られる言葉の重さを察していた。
「休め。……
その姿には、普段の穏やかさとは別の、決意の色がにじんでいた。
「アドルフの諸君――」
低く、よく通る声が室内に響く。
「すでに、先に共有した事跡情報には目を通してくれていると思う。
メンバーたちは黙って頷きながら耳を傾けていた。
「だが――」
ここで一拍置き、
「
重く、鋭い言葉が空気を切り裂いた。
ツバキは奥歯を噛みしめ、
「そしてこの事件は、我々アドルフの使命――すなわち妖魔討伐とも深く関係している」
その視線は誰一人として逃さなかった。まるで覚悟を測っているかのように。
「私はここに宣言する。
言い終えると、
「――この方針に賛同できない者。あるいは、
室内が凍り付いたような沈黙に包まれた。
誰も動かない。誰一人として。
その静けさが、むしろ全員の決意を示していた。
「……かつて、力ある者が弱き者から奪い、支配していた時代があった。奪う者がいれば、護ろうとする者もいた。正義が乱立し、秩序が崩れた混沌の時代だ」
「その時代、人々は自らの信じる正義に従い、己の行動を決めていた。そして、行動したからには、全力で戦い、それを勝ち取る。――その価値観は今も、『ガイア』に息づいている」
「ガイア国民は、自身の正義に従いどう動くかを決める。『GFBI』でも、こうした確認は必ず行われる。そして……仮にここで立ち去ったとしても、あるいは犯人に加担したとしても、それ自体が直ちに罪となることはない」
ざわりとわずかな動揺が走ったが、誰も口を開こうとはしなかった。
「だが、人を殺めた場合は――例外なく『事跡裁判』にかけられる。これは、正義の行使がどのような結果をもたらしたか、その是非を被害者の近親者が問う場だ。そして我々『アドルフ』も、『GFBI』と同じく、この原則に従っている」
そして――
誰一人、この場を去る者はいなかった。
全員が、ただ前を向いて立ち尽くしていた。揺らぎのない意思をその背中に宿して。
「……
静寂を破ったのは、
「どうした、
「
室内の空気がぴんと張り詰めた。言葉にすることを避けたかった問い。しかし、彼はそれをあえて口にした。
「まず、
「だが、
言葉の端々に、部下を戦場に送り出す者としての苦悩が滲んでいた。
「ありがとうございます。
「他に質問はあるか?」
だが、誰も言葉を発しなかった。
そのかわり、全員がまっすぐに、
自分たちの立つ場所を、そして進むべき道を、はっきりと胸に刻みながら。
「……よし、異論はないようだな」
全員の沈黙と真っ直ぐな視線を確認した
「では、これより捜査会議を始める」
その声に、場の空気が改めて引き締まる。
張り詰めた緊張の中で、
「まず初めに――GFBI捜査一課第十三係に所属していた
わずかにざわついた空気の中で、二人の男が一歩前へ進み出る。
「
背筋を伸ばし、まっすぐ前を見据えながら
その表情には真摯な覚悟が滲んでいた。
「『アドルフ』の正義に、是非とも協力させていただきたく希望しました。
誠実な口調が心を打ち、室内に自然と拍手が広がった。
続いて、一歩遅れて
「
少し緊張した様子ながらも、どこか明るい人懐っこさを含んだ口ぶりだった。
「妖魔ってのはねぇ、正直アタシ、この前の喋るカラスが初めてだったのよォ。いまだに夢見てる気分なんだからぁ。だけどぉ、
その言葉に、再び指令室内から笑いと拍手が湧いた。
何人かは肩を揺らしながら笑みを浮かべ、
「よぉっ、オスギ!」
陽気な声でからかったのは
「オスギじゃないわよ、もう……こ・す・ぎ・よ、うふっ」
「すいません、
「ははっ、いいんだよ。
「はっ!」
二人は揃って背筋を伸ばし、力強く返事をした。
その声には、確かな覚悟と新たな一歩を踏み出す自負がこもっていた。
(いい補強になる。……きっと、大丈夫だ)
指令室には、確かな連携の兆しが芽吹き始めていた。
捜査会議が始まると、これまでの捜査状況の確認と、
「今朝、新たに確認された『虚空カメラ』の映像だ」
「三か月前、工業地区が全体休業となった日の記録。『
指令室内の空気が次第に重くなる。
「……ここからは推測になるが、
簡潔な口調だが、その裏に込められた緊迫感は否応なく伝わってくる。
「なるほどな……廃工場内部とその周辺は、『虚空カメラ』が切られてるから確認できないってことか」
「ええ。『
「そうよ。それなら、直接の関係がなくても、土地勘がある工業地区の廃工場に隠すのが妥当なのよね」
捜査員たちは次々に情報を重ね合い、推理と意見が飛び交い始めた。
だが――
「よし、
「まず、工業地区には『GFBI』の権限で避難勧告を出す。……
「はっ!」
「今回の『事跡裁断』の結果、捜査続行を希望するGFBI隊員が十数名いる。そいつらを連れて現地へ向かえ。避難指示と工業地区の封鎖を頼む!」
「了解です!」
「次、ツバキ!」
「はっ!」
ツバキは
その仕草に、
「ゆっ……『遊撃隊』は先行して西側の廃工場を重点的に捜索!
「はっ!」
ツバキは笑みを浮かべながらも、返事はきっちり締めた。内心ではすでに現場の地図と隊員配置を思い描いていた。
「次、『抗魔隊』!
「はっ!」
「『抗魔隊』は突入の際、『GFBI』の『SAC――特殊突入部隊』と共に、前線に立ってもらう」
「
「なんだ?」
「現時点では『SAC』への対妖魔装備の支給が間に合っておりません。よって、突入は『抗魔隊』のみでお願いしたく」
「……そうか」
古山は小さく頷いた。
「では『SAC』は最終防衛ラインに配置、突入は抗魔隊単独で行う!」
「はっ!」
遠く、メインモニター席の後ろで、
そして、
「最後に……ツバキ!」
「はい」
なぜか真顔で応えるツバキ。その表情は完全に無表情である。
「……あのぉ? ツバキさん?」
「……」
無言でじっと見つめ返すその様子に、
「ま、まあ……ツバキは『遊撃隊』から離れ、
「はーーい♡」
真顔から一転、爽やかな笑顔と高めの声で返事をしたツバキに、
「ふぅ……では――」
少し疲れた表情を浮かべながら、
「
「本日十七時。それが、我々に残されたタイムリミットだ」
その声は重く、だが強い意志に満ちていた。
「これは『アドルフ』としての、初の妖魔戦闘でもある。……もし乱戦となり、前線が押し込まれた場合、力を持たない者は――絶対に逃げろ」
一部の新任隊員が、緊張で喉を鳴らす。
「人の打撃も、剣の斬撃も、銃も、大砲も……妖魔には通じない。力を持つ者であっても、決して油断するな。一瞬の隙が、
その言葉の重みに、全員が息を呑んだ。
「……いいか、皆。死ぬな。――そして、
「はっ!!」
「おおおおぉぉぉ!!」
怒号のような雄叫びが、『アドルフ指令室』に響き渡った。
「では、行けぇい!!」
アドルフのメンバーたちは、それぞれの持ち場へと駆け出していった。
その胸に宿すのは、ただ一つ。
自らが信じる“正義”と、“少女を救い出す”という誓いである。
* * *
『 GA歴八十七年 七月十三日 十二時 』
工業地区正面入口。
『アドルフ』の各部隊はすでに布陣を完了していた。
最前線には、『抗魔隊』と『遊撃隊』が並び立ち、廃工場突入に備えて静かに息を潜めている。さらにその後方――警戒区域のギリギリ外れには、GFBIの『SAC(特殊突入部隊)』が最終防衛ラインとして待機。
彼らの背後には、
そのとき――
「
「関係各所への通達および、工業地区へ繋がる全ルートの封鎖、各所出入口の閉鎖を完了しました。GFBIの隊員たちには、交通誘導と近隣住民への説明対応に回ってもらっています」
報告の声には誇りと責任がにじんでいた。
「よくやったぞ、
「はっ!」
その刹那――
「やぁまさん……♪」
囁くような声が
「うわっ……!」
驚きつつも、冷静に声の主を振り返る
「ふぅ……やっぱりな」
呆れたような表情の中に、諦めにも似た感情が混ざる。
「なんですかぁ、“やっぱり”って?」
ツバキが首をかしげて聞いた。
「お前のこういう登場の仕方には……もう慣れてきたんだよ」
やれやれ、と
「うわぁーん、傷つくぅ〜……もう報告なんてしませんっ!」
ツバキはわざとらしくふくれっ面をして、くるりと背を向ける。けれど、その背中にはどこか茶目っ気が漂っていた。
「おいおい、それとこれとは話が違うだろうが……!」
「知りませんー!」
舌をぺろりと出してから、軽やかな足取りで
「
「おう、ツバキか。どうした?」
「ヤマさんが冷たいので、直接報告に来ました!」
そう言って、ツバキはぷりぷりと肩をすくめる。
「……そうか、仲良くやってくれよ」
「えへへ、それじゃあ報告します!」
ツバキは一転して真面目な表情になり、背筋を正した。
「『遊撃隊』で工業地区の西側を捜索したところ、最奥にある廃工場の窓ガラスが、内部が見えないほど曇っていました。念のため『熱感知センサー』で内部を確認したところ、三名分の熱源を検出しました」
「三名?」
「はい。立って動いている熱源が二つ、もう一つは低い位置にあり動きもなく、体積も小さい。立っているのは
「……根拠は?」
「動いている二つの熱源は成人の体格、もう一つは明らかにそれより小さく、地面に近い位置で動かない……状況的に、
理知的な分析に大石も頷く。
「『虚空カメラ』は?」
「全て故障か、破壊されていたようで起動できませんでした。なので『熱感知センサー』を使いました」
「なるほど……では、
「確認できませんでしたが……廃工場内の気温はこの時期にしては異様に低く、二十度前後。
「つまり、冷たくなった
「……何にしても、突入すれば分かることだ。ヤマさん?」
促された
「はい。予定通り、十五時突入でよろしいですか?」
「そうしてくれ。それまで待機だ」
「はっ!」
「あのぉ……ツバキさん?」
「ふんっ」
ツバキは横を向いたまま、拗ねた様子を崩さない。
「……
「ふぅ……これから迎えに行きますっ!」
「そっ、そうか。よろしく頼むぞ……」
「言われなくても。昨晩のうちに、作戦のことは二人にしっかり伝えてますから!」
頼もしげな声に、
指令車の周囲には、徐々に戦闘前の緊張が漂い始めていた。
十五時――それが決戦の刻となる。
* * *
作戦前日の夕刻。
捜査会議を終えた
「たっだいまぁ〜」
玄関の戸を開けると、
「あっ、お帰りです! マシロ姉ちゃん!」
ぱたぱたと駆け寄ってきた命が、勢いよく
「へへ、ただいま、
廊下を歩きながら訊ねると、
「はい、変身前でも魔法の制御、できてきたです」
「ほんと? それはすごいわねぇ!」
「まあ、ちょっとだけですけどね。お帰りなさい、
ひょっこりと居間から顔を覗かせたのは
やや無防備な笑顔が、
「
からかい気味に言うと、
「
それにすかさず
「そうです? イチは口調が普通でも、良い男ではないです」
「ああああ……
「二人とも、夕飯はもう済ませた?」
「はいです」
「……はい」
「じゃあ、そっち座って。明日の作戦の話、するから」
「はいでーす」
しかし、座らずに何やら怪しい動きをしていた。
(はぁ……
そのとき――襖の隙間から、鋭い視線が放たれた。
殺気を察知した
「ぐわっ!」
座卓に頭をぶつけ、派手な音とともに机が一瞬浮き上がった。
ゆっくりと襖が開き、そこから
「……少し落ち着いたらどうだ、
落ち着いた口調だったが、眼光だけは冷たく光っていた。
「あっ、
「
「そうか……だが、
「わ、わたくしは何もしておりません!」
「……そうか? ならいいがな」
居間の空気がわずかに引き締まる中、
「じゃあ、明日の作戦を伝えるわね」
「はいです」
「よろしくお願いします」
「まず、明日の午前中は学校でいつも通り勉強してください。昼はここで食べて、私が迎えに来るまで待機。その間に身支度も済ませておくこと」
「はいです!」
「御意」
「
「動きやすい格好です?」
「そう。どうせ変身するんだから、普段着でも問題ないわよ」
「でも、記録取られるです……」
「ええ、バクマや他のポッドたちが全部録ってるわね」
「じゃあ、動きやすくて可愛いお洋服、着ていくです!」
と、
「いいわね。じゃあ後で一緒に選びましょう。
(そっそうか、夏だからな……Tシャツにスパッツ……はぁはぁ。それとも体操着……? いや、短めのワンピにショートパンツ……あっ、あれは最高だ……)
「……
(ぎくっ)
心の中で大きく動揺する
「えっ?
「顔がさ、気持ち悪いのよ。なんか想像してたでしょ」
「そっ、そんなことは……滅相もない!」
「そうなのか?
なぜか
「しっ
「はいはい、もういいわ。続けるわね」
「十三時から十四時の間に私が迎えに来ます。現場に着いたら、私の指示に従って動いて」
「はいです」
「了解です」
二人が素直に返事をすると、
「
「明日は間違いなく、妖魔との戦闘になる。俺と淳二は最前線に立って、必ず食い止める。だから、お前たちは『F1妖魔』との戦いに備えておけ」
「はいです」
「御意」
二人の表情が、ぐっと引き締まる。
「もう一つ。……
「はいです」
「御意」
「そうそう、最後にひとつ。『F1妖魔』の人間体の写真と、共犯者のデータがアドルフの共有ストレージにあるから、必ず目を通しておいて」
「はいです」
「了解です」
作戦前夜。
『
――少女を救うため。
その一歩は、すでに始まっている。
* * *
『 GA歴八十七年 七月十三日 十四時三十分 』
静まり返った戦線の後方――
突如、指令車から警告音が鳴り響いた。
緊張が走り、空気が一気に張りつめる。
「全隊員に告ぐ、妖魔の反応を確認! 戦闘に備えろ!」
慌てて構えを取る隊員たち。だが、誰もがその“気配”を正確には掴めていなかった。
「どこだ……」
「まさか、本当に出たのか……?」
「……バケモンなんて、やっぱ幻じゃ……」
騒然とした空気の中、突如として沈黙が訪れる。
そのときだった。
「『GFBI』の諸君……いや、『アドルフ』の諸君よ」
静かな、しかし異様に響く声が頭の内側から届いた。
誰かの発した言葉ではない。空間そのものが語りかけてくるような錯覚。
「どこだ……今の声……?」
「……あれを見ろ!」
誰かの叫びに引き寄せられ、前線の隊員たちが一斉に視線を向けた。
一本の外灯。その上に、あり得ない光景があった。
男が立っていた。
漆黒の着物に身を包み、腰には二本の刀。顔の輪郭は見えにくいが、動じる気配が一切ない。
まるで時代劇からそのまま抜け出したような、侍姿の男だった。
「……なんだ、あれ……?」
「侍……? あんなの資料映像でしか見たことねぇぞ……」
動揺のさなか、侍姿の男が再び語りかけてくる。
今度は明確な声、だがその響きは、隊員たちの心臓を冷たく掴んだ。
「鎮まりなされ」
低く通るその声音が、空気を揺らし、喉奥に圧をかけてくるような錯覚を与える。
「改めて、『GFBI』、ならびに『アドルフ』の
男の声には、どこか芝居がかった余裕があった。
だが、その態度が逆に不気味さを際立たせる。
「人質の救出――まこと御苦労なこと。……されど、黙って見送るのも、礼に欠けよう。ゆえに、この拙者めも、ほんの少しばかり手を貸そうかと、こうして参上仕った」
そのとき、
「“手を貸す”とは……どういう意味だ?」
侍姿の男は口角をわずかに吊り上げ、刀に手をかける。
「……こういう意味にござるよ。――
抜刀の動作と共に、空気が震えた。
何かが走った。目には見えないが、確かに“斬撃”が飛んでいた。
次の瞬間、最終防衛ラインに布陣していた『SAC』――その第一列が崩れた。
前方にいた隊員たちは、間を置くこともなく、ばたりと倒れ込んだ。
身体は斜めに裂かれ、胴と肩が同時に落ちた者もいれば、首の位置にあったはずの顔が地面に転がる者もいた。
誰一人、悲鳴を上げる暇すらなかった。
飛び散った血が、周囲にいた隊員たちの顔を濡らし、匂いでようやく“何が起こったか”が理解される。
「……逃げろぉぉぉ! 妖魔の攻撃だ!!」
生き残った者の中にも、冷静さを保てる者はほとんどいなかった。
「では、これにて――退散といたそう」
男がひらりと手を振る。宙に放たれた数十枚の札が空中で瞬時に展開し、小さな炸裂音を連続的に響かせた。
次の瞬間、煙の中から黒装束に顔を覆った異形たちが現れた。
――妖魔。三十体近く。
全てが人の形をしているが、その目の奥には、人ではない光が宿っている。
「待てぇッ!!」
だが、妖魔が一斉に前に出て進路を塞ぐ。
(今……あいつ、“
殺気と冷気が、空間を圧倒していた。
そして、惨劇が始まった。
妖魔たちは、一糸乱れぬ動きで前線に突撃。
手ぶらで殴りかかる者。二メートルはあろうかという長斧を振るう者。鋭い槍で突き刺す者。
『アドルフ隊員』と『SAC隊員』たちは、応戦する間もなく次々に倒れていった。
銃声が鳴る。
弾丸が妖魔の身体を貫いた――はずだった。
だが、撃ち込まれた弾は皮膚の上で止まり、落ち、あるいは無傷で押し返されていく。
「なんで……効かねぇ……!」
叫ぶ者の声も虚しく、妖魔の打撃がその胸を陥没させ、体ごと地面に倒れ込んだ。
盾で防ごうとした者も、腕ごとへし折られた。金属音ではない。骨の折れる音とともに。
千切られた腕が空中を舞い、踏み潰された頭蓋が舗装の上に潰れていく。
防衛線は完全に崩壊していた。
隊員の悲鳴が断続的に響くが、それさえもやがて沈黙に飲まれていく。
地面に広がるのは赤黒い血。
倒れた仲間の亡骸は一部が欠損し、視線の先には見知った顔の無い胴体が転がっている。
混乱と恐怖――
戦場が、血の海と化した。
* * *
阿鼻叫喚の戦場。
最前線はすでに崩壊し、無数の仲間たちが命を落とした。拳銃も防具も通じない敵。
それでも、諦めずに抗っている者たちがいた。
『アドルフ捜査隊』――
だが彼らは、
『
妖魔の武器を拾い、敵の死角に滑り込み、わずかな隙を突いて反撃を加える。
ギリギリの綱渡りのような応戦――だが、それでも一矢報いることができていた。
その中で、もっとも過酷な状況に置かれていたのが
瓦礫に囲まれた狭いスペースに、二人は背中合わせに立っていた。
周囲には五体の妖魔が取り囲んでいる。どれも装備は異なり、動きにも個性がある。
戦場で生き残るには、もはや感覚と本能がすべてだった。
だがその目は、まだ諦めていなかった。
「……
息を乱しながら、
「……一体です」
「そうか……俺は二体だ」
「こんな時にマウントっすか……隊長、らしいけど……」
「笑ってる場合か。……まだ、いけるか?」
「……ギリギリっす。でも、立てます」
「なら上等だ」
右腕はもう使えない。片手では間に合わないが、それでもやるしかない。
視界の端では、仲間の身体が倒れ、血が地面を濡らしていく。だが、その光景に心を乱している暇はなかった。
「……行くぞッ!」
妖魔は咄嗟に躱そうと動いたが、刃はその肩口を裂いた。骨までは届かずとも、肉は裂けた。
同時に
狙いは正確。妖魔の胸部に突き刺さり、背中から穂先が突き抜けた。
妖魔が仰け反りながら倒れる。その隙に、
刀が妖魔の首をなぞるように走り、斜めに裂けた。
だが――息をつく暇はなかった。
残りの三体が間合いを詰めてくる。
「……次、来るぞ」
それでも――背中合わせの感覚で、お互いがまだ立っていることを感じていた。
「死ぬ気はないですよ、俺。ここで止めなきゃ……皆、やられちまう」
「……ああ、わかってる」
――捜査隊であっても、仲間を守るためには刃を取る。
その意志だけが、二人の身体を動かしていた。
* * *
西側廃工場へ向かうの最前線――
緊迫した空気の中、
「
「侍姿の妖魔により、最終防衛ラインの『SAC』が全滅……現在、捜査隊が応戦中。確認できている数は三十体です」
情報の重さに、
「……大丈夫か、ヤマさん!」
思わず口走った声に、戸惑いと動揺が混ざる。
最前線にいる
「……
「わかった。『抗魔隊』と『遊撃隊』を救援に向かわせる!」
強く言い切ったその直後――
「お、お願いします……っ!」
通信の向こうから聞こえた声は、混線し、叫びと共に途切れた。
沈黙が残る。
「ヤマさーーん!!」
「『抗魔隊』、『遊撃隊』は最終防衛ラインへ直ちに救援に向かえ!」
「はっ!」
各部隊の隊長たちが同時に返答し、部下たちを率いて動き出す。
地を蹴る足音と、引き抜かれる刃の金属音が現場に緊張を刻み込んだ。
その時、
「おい
その目には、怒りと不安、そして仲間を救いたいという強い衝動が揺れていた。
だが、
仲間の死。仲間の悲鳴。そして、自分の無力感――
「
「これは――妖魔の陽動だ。ツバキが
言い切る
焦りを噛み殺し、今やるべきことに徹する。それが彼の戦いだった。
「……そうだな……
だがその声には、明確な怒りと悔しさがあった。
「くそ……っ」
自分だけがまだ戦えていない。
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