第9話 家族の話

『 GA歴八十七年 四月二日 十七時 』


神代署じんだいしょ』での長い事情聴取を終えた四人――母・華豊かほう、父・朱角あけすみ、そして双子のみこと一斗いっとは、夕方になってようやく自宅の玄関にたどり着いた。誰もがどこか気力を削がれたように、疲れた顔をしている。


「ただいまです……」

みことが扉を開けながら、小さくそう呟くように言った。声には明らかに力がなく、彼女の心がまだ現実と向き合いきれていないことを示していた。


「みんな、おかえり。遅かったね……母さん、何かあったの?」

リビングから顔を出した祈琉いのるが、エプロン姿のまま声をかけた。彼の表情は柔らかいが、目にははっきりとした不安の色が浮かんでいる。


「ただいま、祈琉いのる……お昼はちゃんと食べたし、聴取もすぐ終わったんだけどね……」

華豊かほうはゆっくりと靴を脱ぎながら、穏やかな口調で説明を始めた。だがその声には、子どもたちを気遣う母親らしい沈痛な気配がにじんでいる。


みこと一斗いっとがね、話を聞いた後……応接室から動けなくなっちゃって。すごく、ショックを受けてたのよ」


祈琉いのるは小さく息を呑む。


「……そうだったんだ。でも、ご飯、ちゃんと用意しておいたから」

そう告げる彼の声は優しかったが、その目には弟と妹を思う兄としての切なさが浮かんでいた。


祈琉いのる……本当に助かるわ。ありがとう」

華豊かほうが微笑むが、その口元にはまだ疲れの影が残っていた。


そのやりとりを横目に、比智ひさとが無言で朱角あけすみに近づく。玄関先の騒がしさとは対照的に、彼の声はひそやかだった。


「おかえり、親父おやじ……なぁ、ミコと一斗いっとがさ、なんか……スゲェ暗いんだけど。何があったんだ?」


比智ひさとの眉間には深い皺が寄っていた。普段から口は悪いが、家族想いの彼にとって、妹と弟の沈んだ様子は見過ごせなかったのだ。


「ああ……」

朱角あけすみは一度、視線をみこと一斗いっとへ向ける。二人はリビングに向かう足取りすら重く、まるで何かを引きずっているかのようだった。


「二人には……那岐紗なぎさちゃんのことを伝えたんだ」


その言葉を聞いた瞬間、比智ひさとの顔から色が引いた。


「……そうか」


短く漏らしたその一言には、驚きとやるせなさ、そして何より怒りにも似た深い悲しみが込められていた。沈む夕日が差し込む玄関で、家族の空気は重く、静かに沈んでいた。


* * *


──今日の『七代家ななしろけ』は、みことが妖魔に襲われ、入学式を迎え、さらに那岐紗なぎさ訃報ふほうを知らされるという、まさに激動の一日だった。


夕食前のリビング。重苦しい沈黙が、どこか所在なく家中を包んでいる。


そんな中、みことがぽつりと声を上げた。


「ねぇ、ヒサ兄……トカ婆は?」


うつむきがちに尋ねるその声には、疲労と混乱の色が濃く滲んでいた。今日一日で、あまりにも多くのことを受け止めようとしている――そんな小さな肩を見つめながら、比智ひさとはなるべく明るい調子で答えた。


「ああ、婆さんはな。神事の準備で忙しいらしくてよ。今夜からしばらく、上で寝泊まりするんだと」


いつもの軽い調子を意識しながらも、その声には気遣いがにじんでいた。


「…… “上”とは、『神代山じんだいやま』の頂上にある『神代神社じんだいじんじゃ』のことを指す。『七代家ななしろけ』から坂をさらに十分ほど登った場所にある ……」


みことは小さく頷いたあと、ふっと視線を落とす。


「そうですか……色々、お話ししたかったです……」


静かに漏らしたその言葉は、どこか寂しげで、胸の奥に残った思いを誰かに伝えたいという、少女らしい弱さが滲んでいた。


比智ひさとは無言でみことの肩をそっと引き寄せ、優しく頭を撫でる。妹がこうして頼ってくれる時、普段は茶化してばかりの彼も、自然と兄の顔になる。


「話したいことがあるなら、明日にでも行って来いよ。すぐそこなんだからさ」


そう言って、ぽんと背中を軽く叩く。


「……そうです。ありがとう、ヒサ兄」


みことが小さな笑みを浮かべたとき、比智ひさとも心の中でほっと息をついた――が、次の瞬間、ふとある存在を思い出して固まる。


(やっべ、一斗いっと……)


咄嗟にみことから距離をとり、慌ててリビングへ目を向ける。


一斗いっとは、ソファに深く腰を沈めたまま、黙って俯いていた。その肩はわずかに揺れ、言葉では語れない想いを抱えているのが痛いほど伝わってくる。


(……いつもならすぐに噛みついてくるのにな。今は……流石に無理か)


比智ひさとは胸の奥に、じんわりとした痛みを覚えていた。あの一斗いっとが、みことでようともしない――それが、すべてを物語っていた。


「さあ、みんな。僕が作った夕飯、食べてよ。美味しくできてると思うから」


リビングの静けさを破るように、祈琉いのるが優しい声で言った。彼は淡々と食器を並べながらも、内心では家族を少しでも元気づけたいという想いがあった。落ち込んでる双子の背中を見て、彼なりに今、できることを模索していたのだ。


比智ひさとがすぐに乗っかる。


「おい、ミコ!今日の夕飯、兄貴の手作りだってよ!」


いきなり両肩をがっしりと掴み、大げさにみことの体を揺さぶる。


「……あ……え?」


ぼんやりしていたみことが、ようやく顔を上げる。


「だーかーらー!ミコの祈琉兄様いのるにいさまの、て・づ・く・り・ご・は・ん・だー!」


語尾を強調しながら顔をぐっと近づけて叫ぶ比智ひさと。その顔には、どこか祈るような切実さがあった。なんとかみことの心を戻してやりたい――そんな願いが、ふざけた振る舞いの裏に潜んでいる。


「え?マジです?」


みことの目が一気に輝きを取り戻す。


「マジだ」


比智ひさとはあえて真剣な顔で頷いた。


「はぁぁぁぁ♡」


みことは胸の前で手を組み、天を仰ぎながら恍惚とした表情を浮かべた。瞳にはすでに崇拝の色が宿り、心は完全に“祈琉兄様いのるにいさまのごはん”へと回帰していた。


「……よし、戻ったな」


比智ひさとは心の中で小さくガッツポーズを決める。今はそれでいい。ほんの少しでも、笑顔を取り戻せれば。


命様みことさま、鼻血……出ておりますよ」

ふわりと宙に浮かびながら、バクマがどこか面白がるような調子で、しかし執事然とした丁寧な口ぶりで注意を促した。


その小さなヌイグルミ型のペッポッドは、みことの肩の高さにふわふわと浮遊しながら、片手を胸に添える仕草でゆっくりと頷いていた。


「おいおい、ミコ、大丈夫か?」


比智ひさとが慌ててティッシュを取り、そっと妹の鼻にあてがう。


その手を止めることなく、彼の視線はふと一斗いっとへと移った。ソファに座ったまま、依然として無言のまま俯いている弟の背中。


(……これでも、ダメか。さて、一斗いっとは……どうするか)


比智ひさとの瞳には、静かな決意と兄としての責任が滲んでいた。彼はただ、黙って弟の様子を見守り続けていた。


──その夜の『七代家ななしろけ』には、まだ言葉にならない想いが、静かに、確かに、残されていた。


* * *


「ここで少々、『七代家ななしろけ』のダイニングテーブルについてご紹介いたします」

突然、バクマが場にそぐわぬ解説を始めた。


「八人掛けの大きなテーブルでございます。金毘羅様こんぴらさまがご存命の頃は、キッチン側にお父様・お母様・お祖父様じいさま・お祖母様ばあさまが座られ、兄妹四人はその向かい側に並んでおりました。金毘羅様こんぴらさまがご逝去されて以降は、祈琉様いのるさまがキッチン側の奥、つまり“主の席”に着かれるようになりまして、その真正面──つまりテーブルの向こう側の奥──に命様みことさまがお座りに。隣に比智様ひさとさま、さらにその隣に一斗様いっとさまという配置が現在の定番でございます」


一息ついて、バクマは少しだけ砕けた調子で続けた。


「ちなみに、普段は華豊様かほうさま朱角様あけすみさまはお仕事でご不在が多く、キッチン側には戸叶様とかなさま祈琉様いのるさまだけというのが一般的ですね。本日は、戸叶様とかなさまがおられませんので……ちょっと寂しいです。なお、朝食時は人数がまばらなので、だいたい皆さん好きな席に座ってます」


「ふーん。バクマくん、そんなことまでよく知ってるね」


祈琉いのるが、どこか意地の悪い笑みを浮かべながらツッコむ。


「はい、それがですね……何故かそのあたりの座席データが保存されておりまして。しかも、なぜか話さなきゃいけないような気がしまして……はい」


バクマは首を傾げるような口調で答えた。


「そうなんだ。ねぇバクマくん、ほんとにAIなの?」


「AIですよ。……たぶん、ね」


* * *


そんなやり取りを横目に、比智ひさとがそっと一斗いっとへと視線を向け、静かに声をかけた。


「おい、一斗いっと


応答はない。ソファに座ったままの一斗いっとは、まるで全てを遮断するように、視線を落としたまま微動だにしない。


一斗いっと!」


もう一度、少し強めに呼びかける。それでも、一斗いっとは反応を見せなかった。


「…………」


(……完全にシャットアウトか。婆さんがいてくれりゃなぁ……あいつ、婆さんには逆らえねぇからな。呼びに行ってくるか……?)


比智ひさとは内心で焦りを募らせる。いつもならからかえばすぐにムキになって返してくる一斗いっとが、今はまるで殻に閉じこもってしまったかのようだった。


一斗いっとは根っからの“婆ちゃん子”だ。戸叶とかなの言葉には絶対に逆らわず、どんなにふてくされていても素直に従ってきた。だからこそ、今ここに戸叶とかながいてくれたならと、比智ひさとは思わず歯がゆさを感じていた。


するとその時、ダイニングから柔らかい声が響いた。


「……ほら、一斗いっと。一緒にご飯、食べましょ」


華豊かほうだった。母としての直感が働いたのだろう。見かねたように、しかしあくまでも優しく言葉をかけながら、椅子から立ち上がると、一斗いっとが座るリビングのソファーへと、ゆっくり歩み寄っていった。


「……うっ」


わずかに一斗いっとの肩が揺れる。反応があった。


(お、反応した! さすが……お袋おふくろ


比智ひさとが思わず心の中でつぶやいた。


母上ははうえ……」


かすれたような声で、一斗いっとがようやく言葉を返す。その声は弱々しく、だが確かに母の呼びかけに応えようとしていた。


那岐紗なぎさちゃんのこと、辛かったり、悔しかったり……今は色んな気持ちでいっぱいだと思う。でもね、一斗いっと。まずは、ご飯。ちゃんと食べましょ?」


華豊かほうの言葉には、慰めや正論ではなく、ただただ母としての温もりが込められていた。


「……母上ははうえ……」


再び口にしたその呼び名は、どこか震えていて、言葉の奥には崩れそうな感情が潜んでいた。


「お願い。一斗いっと……心配で……わたし……」


言葉が詰まり、堪えきれなくなった涙が、華豊かほうの目に溢れた。


その姿を見た一斗いっとは、胸の奥で何かが揺らいだかのように、そっと視線を落とした。

そして、小さく、だがしっかりと頷いた。


「……母上ははうえ……承知仕った」


力を振り絞るように、彼はそう答えた。背筋はわずかに伸び、瞳には少しだけ、いつもの一斗が戻ってきていた。


「ありがとう、一斗いっと……」


華豊かほうの目からぽろりと涙がこぼれ落ちた。その一粒には、安堵と愛情がぎゅっと詰まっていた。


「おい、一斗いっとよ。俺の女、泣かしてんじゃねぇぞ」


タイミングを見計らったように、朱角あけすみが冗談めかして声をかける。


「ち、父上……“俺の女”とは、いささか……破廉恥はれんちな物言いにござるな……」


一斗いっとは口元をかすかに緩め、皮肉を交えながらも返してきた。その声音には、ほんの少しだけ、いつもの彼の色が戻ってきていた。


「はは、冗談だ。さっさと席につけ。飯にするぞ」


笑いを交えてそう言いながら、朱角あけずみもどこか安心したような表情を浮かべる。


華豊かほうも、もういいぞ。ウソ泣きはな」


からかうように言う朱角あけすみに、華豊かほうがいたずらっぽく舌を出す。


「てへっ」


「……えっ、母上ぇぇぇ……」


呆然とする一斗いっとの声が響いたその瞬間、部屋の空気が一気に和らいだ。自然と笑い声がこぼれる。みこと祈琉いのるも、比智ひさとも、そして朱角あけすみも。


ようやく、七代家ななしろけのダイニングテーブルに、家族の姿が揃った。


まだ癒えぬ傷があっても、こうして皆で食卓を囲めることが、何よりの救いだった。


* * *


「よし、みんな揃ったな……それじゃあ、いただきます」

朱角あけすみが静かに号令をかけた。声には、家族全員が揃っていることへの安堵と、これから話す内容への覚悟が込められていた。


「いただきます」

華豊かほうは穏やかな笑みを浮かべながら、両手を合わせる。どこかほっとした様子で、家族が再び一つの食卓を囲めた奇跡を噛みしめているようだった。


「いただきますです!」

みことは鼻血もすっかり止まり、ぱぁっと輝くような笑顔を見せた。その顔には、まだあどけなさが残りながらも、ほんの少しだけ立ち直った様子が感じられる。


祈琉兄上いのるあにうえ、かたじけのうござる。いただくでござる」

一斗いっとはわずかに沈んだ面持ちを残しつつも、確かに微笑んでいた。食卓に戻ることで、自分自身を少しずつ現実に引き戻そうとしているのが伝わってくる。


「いっただきやーーす!」

比智ひさとは勢いよく声を張り、朗らかな声で場の空気を盛り上げる。テーブルを囲む家族の顔をひとりひとり見渡しながら、ようやく訪れた団欒に胸を撫でおろしていた。


いつも通り──とは、さすがにいかない。けれど、こうして笑顔が交わされ、あたたかな言葉が飛び交う食卓には、確かなぬくもりと絆が静かに戻りつつあった。


やがて、夕食が始まっておよそ一時間が経った頃。

落ち着き始めた空気を見計らうように、朱角あけすみが静かに口を開いた。


「……みんな、少し話を聞いてくれ」


その低く落ち着いた声に、一同は思わず箸を置き、空気がピリッと引き締まる。家族全員の視線が、自然と朱角あけすみに集まった。


「今日起きたことは、もう誰もが知っているな?」


頷く家族たち。その表情には、それぞれが抱えている不安と痛み、そして覚悟が滲んでいた。


「じゃあ、改めて整理しておこう」


朱角あけすみは一呼吸置き、覚悟を決めたように語り始める。


「まず、那岐紗なぎさちゃんの件だ。『GFBI』はこれを“『妖魔』の犯行”と断定している。……『妖魔』絡みということで、義母かあさん──戸叶とかなに捜査協力の要請があったんだが、義母かあさんからは“『妖魔』関連の件は堅蔵けんぞうに任せている”という返答があり、それを正式に『GFBI』にも伝えた」


一同は黙って聞き入っている。みことは眉を伏せ、拳を膝の上でそっと握りしめた。


「次に、みことが襲われた事件。これは、一斗いっと堅蔵けんぞうの証言により、間違いなく“『妖魔』による襲撃”と認定された。そして、このみことへの攻撃方法と、那岐紗なぎさちゃんの殺害手段──この二つが酷似している。よって、同一の『妖魔』による犯行と断定された」


空気がさらに重くなった。家族の誰もが息を詰め、真実の重みに言葉を失っていた。


「そして最後に……この“殺害の手口”は、3年前に起きたお義父とうさんの事件──金毘羅様こんぴらさまの件とも非常によく似ている。『GFBI』は、この三件すべてが“同一の『妖魔』”によるものだと推測している。……ここまでは、大丈夫か?」


「はい」

それぞれが静かに、しかし確かな意志を持って頷いた。


「それから――『GFBI』に新しい部隊が結成されたそうだ。名前は『対妖魔部隊アドルフ』。堅蔵けんぞうもそのメンバーに加わっている」


父上ちちうえっ! 師匠ししょうが参加しておるのですか?」

一斗いっとが思わず身を乗り出す。沈んでいた気持ちに少し火が灯ったようだった。


「ああ、そうだ。妖魔戦闘のプロという評価と、義母かあさん──戸叶とかなの推薦もあってな」


わたくしも、参陣は叶わぬのでしょうか?」

一斗いっとの目は期待にきらめいている。久しぶりに見せた“戦士”としての顔だった。


「それについて、今から話すところだ」


「……御意」

一斗いっとは背筋を正し、神妙な面持ちで頷いた。


「現在、『妖魔』に対抗できる戦力は限られている。実質、『甲賀猿飛流こうがさるとびりゅう』と、『神陰連合しんいんれんごう』の精鋭と総代の義母かあさん──戸叶とかなぐらいだ。そして、義母かあさんは『アドルフ』への参加を辞退されたそうだ」


家族たちは言葉を挟まず、朱角あけすみの話を静かに受け止めていた。


「それと――一斗いっと。お前には、淳二じゅんじくんから“みことの護衛”を任された。覚えているな?」


「はい」


「そのため、お前には“みことの護衛を目的とする”という条件で、『アドルフ』への参加を認める」


「恐悦至極にございます、父上ちちうえ!!」

一斗いっとは喜びと誇りを噛みしめるように、背筋を伸ばして深く頭を下げた。


だが、次の瞬間、比智ひさとの声が響いた。


「おいおい、一斗いっとよ! 喜んでんじゃねぇよ!」

感情が抑えきれずに立ち上がる。


親父おやじぃ、いくら強いっつっても、一斗いっとはまだ十二歳だぞ? 本気で言ってんのかよ」

その声には怒りと同時に、弟を想う兄としての焦りと不安がにじんでいた。


「分かってる。だがな、比智ひさと――みことがなぜ狙われたのか、いまだに分からない。『GFBI』の戦力だけじゃ、みことを守り切れる保証はないんだ」


朱角あけすみの表情は真剣そのものだった。父として、科学者として、すべてを背負う覚悟が滲んでいた。


「それに、淳二じゅんじくんも……お前と同じように怒ってたよ。自分自身に、な」


「……そうかよ……でもさ……」

比智ひさとは俯き、言葉を探した末に、黙り込んだ。


「それと――俺と華豊かほうも、対妖魔兵器の開発に協力することになった。もし何かあったら、俺だってみこと一斗いっといのちがけで守る。絶対に、だ」


その言葉に、比智ひさとはようやく少しだけ視線を上げる。しばし沈黙ののち、肩を落とすようにして頷いた。


「……分かったよ。親父おやじがそこまで言うなら……」


「ありがとうな、比智ひさと。やっぱりお前が一番、家族思いだよ」


「ば、ばっかやろう! わけわかんねぇこと言ってんじゃねぇよ!」


耳まで真っ赤にして怒鳴る比智ひさとだったが、照れ隠しの裏に、誰よりも優しい兄としての想いがにじんでいた。

そしてその想いは、きっと誰よりも、みことに届いていた。


* * *


「さて……ここからが本題だ」

朱角あけすみが真剣な表情で口を開くと、場の空気がわずかに引き締まった。彼の声は柔らかくも、これから告げる内容への慎重さを滲ませている。


みこと一斗いっとは、しばらく堅蔵けんぞうの家から学校へ通うことになる。ツバキさんも一緒にいるから、心配はないはずだ」


その言葉に、すかさず反応したのは一斗いっとだった。顔を赤らめ、目を潤ませながら、両手を小さく握りしめて身を乗り出す。


父上ちちうえ、それはつまり……はぁ、はぁ……みこととの……同棲ということで……はぁぁ……ござるか……?」


もはや全身から気味の悪い熱気を放ちながら、妄想に浸っているようだった。


「……はぁ……」

朱角あけすみは深々とため息をつき、額に手を当てた。


「違う。みこと一斗いっと、それに堅蔵けんぞうとツバキさん。四人での共同生活だ。同棲ではないし、『甲賀猿飛流こうがさるとびりゅう』のお弟子さん達や先代も居る」


あくまで冷静に、淡々と諭すように伝える朱角あけすみだったが、目の前の息子がどこまで理解しているかは、どうにも疑わしい。


すると今度はみことが口を開いた。頬をふくらませ、ふいっと顔をそむける。


いやです」


明確な拒否の言葉に、場の空気が一瞬凍りつく。


「どうしてパパは、わたしと祈琉兄様いのるにいさまの仲を引き裂こうとするですか」


その目にはうっすらと涙が浮かび、口調には拗ねたような幼さと、切実な想いが混じっていた。


「ミコちゃん、家にいると危ないから、堅蔵けんぞうおじさんの家で“少しだけ”過ごしてほしいだけだよ」


朱角あけすみはできるだけ優しい声で説得を試みるが、みことの目はなおも鋭い。


「……ホントに、少しだけですか?」


問い詰めるような目に負けそうになりながら、朱角あけすみは困ったように祈琉いのるへ視線を送る。“頼む”という、父親から長男への無言の助け舟だった。


その視線を受け取った祈琉いのるは、やわらかな微笑みを浮かべて妹に声をかける。


みこと


「はいですっ!」


反応は早かった。みことは食いつくように祈琉いのるの方を向き、瞳は一瞬にしてキラキラと輝き出す。まるでハートマークが飛び出しそうな勢いで、その全身から“喜びのオーラ”が噴き出していた。


「お兄ちゃん、みことに会いに行ってあげるから。ちょっとだけ、我慢しような?」


「はいです! 絶対に、来てくださいです! 絶対……絶対です……はぁはぁ」


必死な眼差しで懇願するみこと。もはや若干過呼吸気味である。


「分かってるよ。お兄ちゃんだって、みことに会えないのは……寂しいからね」


そう言って祈琉いのるがふわりとみことを抱き寄せ、優しく頭を撫でる。


「うっ……うれしい……で……す……」


その瞬間、みことの顔から一気に力が抜けた。次の瞬間には、ふらりと祈琉いのるの胸元に倒れ込み、そのまま気を失ってしまった。


「……あーあ、兄貴あにき。今のはやりすぎ」

比智ひさとがあきれたように呟く。だが、その声には少しだけ笑みが混じっていた。


「えっ? そうなのか?」

祈琉いのるは本気で分かっていない様子で目をぱちくりさせる。


「そうだよ。まったく、兄貴あにきは妹のこと、わかってねぇな……」


呆れながらも、どこか微笑ましそうに言う比智ひさとは肩をすくめ、深いため息をついた。


「すっ……すまん……」

祈琉いのるは照れくさそうに苦笑いを浮かべ、頭を掻いた。


その横で、朱角あけすみは頭を抱えていた。これが日常の一コマであることに苦笑しながらも、どこか安心したようでもあった。


──『七代家ななしろけ』の夜は、まだまだにぎやかになりそうだった。

そして、それこそがこの家にとって、何よりの”日常”であり”強さ”でもあった。


* * *


みことをリビングの隣の和室へそっと寝かせ、朱角あけすみは襖を静かに閉める。そして再び戻ったダイニングでは、話の続きを告げるように場の空気を整え直した。


「父さん。僕と比智ひさとは……何をすればいいんだ?」


祈琉いのるが少し不満げな表情で口を開いた。沈痛な空気の中でじっと話を聞いていただけに、何も行動できないことが彼には耐えがたかった。


「家族の一大事なのに、何もできないっていうのは……ちょっと、歯がゆいよ」


その言葉には、科学者としての自負と、兄としての責任感がにじんでいた。


朱角あけすみは深く頷き、静かに口を開く。


「……それなんだがな。お前たちに、ちょっと頼みたいことがある」


朱角あけすみの言葉に、祈琉いのるの瞳が揺れた。身を乗り出しながら、彼はまっすぐに父を見つめる。


「なんですか?」


その視線に応えるように、朱角あけすみは名を呼ぶ。


「バクマ、少し来てくれ」


呼び声に応じ、どこからともなく“ふっ”と空間に揺らぎが走った。

ふわり、ヌイグルミ型のペッポッド――バクマが音もなく宙に現れ、テーブルの端へと静かに浮かび上がった。


「お呼びでございますか、朱角様あけすみさま

バクマは小さく一礼しながら、丁寧な口調で応じる。宙に漂うその姿は、機械であるはずなのに、どこか威厳すら感じさせた。


「……ねぇ、バクマ。君はいったい何者なんだ?」


朱角あけすみが静かに問いかけると、室内に一瞬、緊張が走った。誰もが予想していなかった問いに、空気がわずかに静まり返る。


「どういう意味でございましょう?」


バクマは滑らかに姿勢を変えながら、変わらぬ執事口調で問い返す。


朱角あけすみは言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。


「確かに、私と華豊かほうみことの入学祝いに用意したペッポッドと姿形は同じだ。でも……いくら祈琉いのるの開発したAIを搭載しているとはいえ、ここまで流暢に、しかもあんな風に『妖魔ようま』の攻撃を防ぐなんて芸当ができるとは思えない。それに堅蔵けんぞうからの報告にもあった。バクマが“結界らしきもの”でみことを守ったと……」


朱角あけすみの言葉には、科学者としての冷静な観察眼と、父としての戸惑いがにじんでいた。


一瞬の間を置いて、バクマが静かに答える。


「申し訳ございません。その問いへのお答えは、現在ロックが掛かっております。特定の条件が満たされ次第、情報が段階的に解除される設計でございます」


その返答に、朱角あけすみは苦笑しながらも目を細める。


「……そうか。じゃあ、今はその時を待つしかないんだな」


「はい、朱角様あけすみさま。近い将来、すべてではございませんが、いくつかの情報が開放される見込みでございます。その際には、祈琉様いのるさまおよび比智様ひさとさまにご協力を仰ぐことになるかと存じます」


ふわりと浮かぶ姿勢のまま、バクマは宙を滑るように移動して一礼する。


「だそうだ」


朱角あけすみは二人の息子に視線を移し、真っ直ぐに告げる。


祈琉いのる比智ひさと。たぶん、バクマから“対妖魔”に関する重要な情報が手に入る気がしている。その時は、迷わず協力してほしい」


父のその言葉に、二人は迷うことなくうなずいた。


「……分かりました」

祈琉いのるは表情を引き締め、静かに答える。普段は穏やかな彼の瞳に、研究者としてではなく、一人の兄としての決意が灯っていた。


「ああ、任せろよ」

比智ひさとは腕を組みながら応じる。その声はぶっきらぼうだが、芯の強さが宿っていた。弟としての責任と、兄妹への強い想いがその一言に込められていた。


朱角あけすみは少しだけ視線を落とし、独りごとのように呟いた。


「……俺の勘だがな、これはきっと、永い戦いになる。そしてその中心には……みことがいる気がするんだ」


その言葉は、予感に過ぎなかったかもしれない。しかし父として、みことを見守り続けてきた彼には、それが確信にも似た直感だった。


「……父さん」

祈琉いのるがぽつりと声を漏らす。


親父おやじ……」

比智ひさともまた、静かに呼びかけた。


テーブルに座る三人の間に、重く、だが確かな“覚悟”の気配が満ちていた。


* * *


和室で休んでいたみことが、ふとむくりと起き上がり、リビングのソファーへと足を運ぶ。まだ少しぼんやりとした表情のまま、静かに母・華豊かほうの隣へと腰を下ろした。


その様子を見た祈琉いのる比智ひさと一斗いっとの三兄弟と朱角あけすみも、自然とダイニングテーブルを離れ、リビングへと移動してきた。それぞれがみことの様子を気遣いながらも、何気ない動作の中に安心した色を滲ませていた。


そんな中、朱角あけすみが少し落ち着かない様子で腰を浮かせ、もじもじと目を伏せながら話し出した。


「えー……最後にひとつ、報告がある。まあ、良い知らせだ……」


普段の厳格な態度とは打って変わった、妙に照れくさそうな口調に、子どもたちは一斉に首をかしげる。


「なんですか? パパ?」

みことが小首を傾けてのぞき込む。その瞳はどこか期待と不安が入り混じっていた。


「えっと……その……」

朱角あけすみは声を濁しながら言葉を探すが、肝心なところで声が小さくなる。


「パパ! 聞こえないです! もっと大きな声でお願いします!」

みことが思わず声を上げた。


「だ、だから……」

朱角あけすみの口からかすれた声が漏れたが、それでもはっきりとは聞こえない。


その様子に、華豊かほうがふっと笑みを浮かべ、代わりに口を開いた。


「もぅ、仕方ないわね。私が言うわ」

母としての余裕と、少しだけ照れくささを滲ませながら、やさしく続ける。


「えーっと、赤ちゃんができました。妊娠三か月です」


その一言が告げられた瞬間、リビングの空気が一気に弾けた。


「ええええええーーーーーーっ!?」


子どもたちの驚きの声が揃い、室内に歓声のようなざわめきが広がる。


比智ひさとがにやりと笑みを浮かべ、隣の祈琉いのるを肘で軽くつついた。


「やってることやってんなぁ、おやじ〜」


その悪ノリに、朱角あけすみが即座に声を上げた。


「おいっ、比智ひさと!」


「なんてはしたないことを言うんだ。まったく……」

そう言いながらも、朱角あけすみの頬はうっすら赤く染まっていた。恥ずかしさを隠すように語尾を濁すその姿には、父親としての照れと、どこか誇らしさが同居していた。


「弟ですか!? 妹ですか!? はぁぁぁぁ、妹が良いですぅぅぅ! でも、妹だとイチに狙われる可能性があるです!」


みことは目を輝かせながら叫び、すぐさま隣の一斗いっとに鋭い視線を向ける。


「心外にござるっ! それがしみこと一筋でござるっ! ぐふっ……!」


鼻息荒く主張した瞬間、みことから放たれた冷酷な一撃が飛んだ。


「イチ、気色悪いです」


その一言に、一斗いっとは言葉を失い、背筋をびしりと伸ばした。


「まだ性別は分からないわよ。もう少しすれば分かると思うけど」

華豊かほうはお腹にそっと手を当てながら、穏やかな笑みを浮かべている。母としての喜びと、いのちを宿す誇りがその仕草に込められていた。


「おめでとう、父さん。母さん」

祈琉いのるは落ち着いた声で祝いの言葉を口にした。どこか感慨深い面持ちで、目元には温かな光が宿っていた。


「おめでとう、親父おやじ、おふくろ

比智ひさとも少し照れくさそうに笑いながら祝福の言葉を添える。けれどその声は、照れを超えて嬉しさに満ちていた。


慶祝けいしゅく仕る、父上ちちうえ母上ははうえ

一斗いっとは正座の姿勢でかしこまり、真剣な表情で深く頭を下げた。口調はいつもの侍言葉だが、その瞳には素直な喜びが浮かんでいる。


「おめでとうです、パパ、ママ!」

みことも両手で小さく拍手をしながら、弾けるような笑顔で祝福を送った。


ふわり、と空間の端から軽やかに滑るように、バクマが静かに宙を移動してきた。ぬいぐるみのような姿のまま、やや低めの位置に浮かび、丁寧に一礼する。


「おめでとうございます、朱角様あけすみさま華豊様かほうさま。新しいいのちの訪れ、心よりお祝い申し上げます」


執事のように控えめな語り口の奥に、どこか温かな感情が感じられた。


「ありがとう。みんなのおかげで、心強いわ。無事に産んでみせるからね」


華豊かほうは優しくお腹を撫でながら、まっすぐに子どもたちを見つめた。その目には、母としての揺るぎない決意が宿っていた。


「よし、それじゃあ……いつもので締めるぞっ!」


朱角あけすみの掛け声と同時に、声が響いた。


七代家家訓ななしろけかくん!」


「無理を通し!」

一斗いっとが叫ぶ。


「道理を越え!」

比智ひさとが続ける。


「俺たちはことわりをブチ壊す!」

最後は朱角あけすみ華豊かほう祈琉いのる比智ひさと一斗いっとみことの全員が声をそろえて叫んだ。


リビングには、しばらく笑い声が響いていた。


温かくにぎやかな夜――それは、確かに“家族”という名の光が、そこに灯っている証だった。

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