第7話 捥がれた心

『 GA歴八十七年 四月二日 十二時三十分 』


大石おおいしに案内されて、入学式を終えた七代家ななしろけの面々は『神代署じんだいしょ』を訪れていた。


「さあ、皆さん、どうぞ応接室へお入りください」


そう言って出迎えたのは、古山参謀こやまさんぼうだった。手慣れた様子ではあるが、どこか緊張感を隠しきれない表情をしている。


「まずはお昼にしましょう。お弁当を用意していますので、どうぞ召し上がってください」


そう続ける大石おおいしの声は穏やかで、少しでも皆を気遣うような柔らかさが滲んでいた。彼はソファーの方へと彼らを誘導する。


「はーい、あたしがお茶いれますねぇ~」


明るく響いた声とともに、どこからともなくツバキがひょっこり現れた。その瞬間――


「うわっ!」


古山こやまが思わず悲鳴を上げて、ひっくり返りそうになった。彼の心臓は明らかに何度目かの危機を迎えている。


「おい、石井いしい! 心臓に悪いからやめてくれぇ!」


半ば本気で怒りながらも、どこか情けなさがにじむ古山こやまの声に、ツバキはいたずらっぽく微笑む。


古山参謀こやまさんぼう……『ツ・バ・キ』ですよ」


そう言いながら、人差し指で古山こやまの鼻を軽くつつく。彼女の顔にはいたずらを楽しむ子どものような無邪気さが浮かんでいた。


「さっすが! 朱角様あけすみさま一斗いっとくんは、全然驚かなかったですねぇ。少しは二人を見習ってくださいよ、古山参謀こやまさんぼう


肩をすくめて、あっけらかんと笑うツバキ。その様子に古山こやまは肩を落としながらぼそりと漏らす。


「いや、無理だろ……」


彼なりに真面目に返したつもりだが、それはほとんど諦めの表情だった。


「愛が足りないですねぇ」


ツバキがすかさず追撃するように呟いた。


「愛って……何を言ってるんだ……」


古山こやまは顔を赤らめながら戸惑いを隠せず、目を逸らす。ツバキに振り回されている自分を意識してしまったのだ。


そんな二人のやり取りを、朱角あけすみはソファに腰掛けながら、どこか楽しげな微笑を浮かべて見守っていた。


「まあ、気配は感じなかったけど、真白ましろさんの氣は少し漏れてたからね」


冷静に、しかし少しだけ得意げにそう言ったのは一斗いっとだった。彼の目は真白ましろを見据え、鋭くもどこか優しさが滲んでいる。


「あれ? 漏れてたぁ……そっかぁ、あたしもまだまだだなぁ」


ツバキは頭をかきながら、少し照れくさそうに笑う。完璧でいたい気持ちと、弟弟子おとうとでしに見抜かれた悔しさが混ざったような表情だった。


――さて、読者の皆さん……お気づきだろうか?


あの七代一斗ななしろいっとが、この場ではあの気味の悪いさむらいのような口調ではなく、ごく普通の言葉で話していることに。


* * *


一斗いっとがまだ幼かった頃のことだ。


その日も、彼は『三雲家みくもけ』の裏庭でツバキの指導のもと、訓練に励んでいた。


「ねぇ、一斗いっとくん」


不意にツバキが声をかけてきた。軽やかながらも、どこか引っかかるものを感じる口調だった。


「なんでございましょう、ツバキ様」


一斗いっとは真面目な顔で振り返り、さむらいのような言葉で答える。その様子にツバキは思わず眉をひそめた。


「最近……話し方、変じゃない?」


ツバキの問いに、一斗いっとはほんの一瞬だけきょとんとした後、首を傾げながら答える。


「左様でござるか?」


「“ござる”って……何かあったの?」


ツバキは苦笑いを浮かべた。目の前の少年が突然時代錯誤な口調になった理由を察しながらも、やはり気になってしまった。


「実は先日、西暦の遺物にて“時代劇”なる映像作品を拝見いたしましてな」


一斗いっとは得意げに説明した。目を輝かせながら、まるで武士の魂に触れたかのような熱意を滲ませて。


「それで影響されちゃったの?」


ツバキは呆れながらも、どこか微笑ましさを感じていた。


「うむ、それも無きにしもあらずなのですが……」


一斗いっとの表情が急に真剣になり、声のトーンがわずかに落ちる。何かを告白するような、そんな気配を察して、ツバキは首を傾げた。


「……何?」


「拙者、近頃ずっとみことのことを思い続けておるのでござるよ」


そう言った一斗いっとの顔には、照れとも恍惚こうこつともつかぬ、妙な表情が浮かんでいた。


「はぁ? なんでみことちゃんの話になるのよ?」


ツバキは呆然とし、思わず半歩引く。突然すぎる話の飛躍に思考が追いつかない。


「いや、その……みことのことを……はぁ、はぁ……愛しておるのでござる!」


そう叫んだ一斗いっとの顔は、熱に浮かされたように真っ赤になり、その目はやたらとうるんでいた。端的に言えば、ものすごく気持ち悪かった。


「愛してるって……キモっ! あんたもみことも、まだ六歳でしょ? 恋とか愛とか、分かるはずないじゃん」


ツバキは笑い飛ばすでもなく、本気で引いていた。明らかに限界を超えた小学生男子の暴走に、ただただ戸惑っていた。


「で、では……ふぅ、ふぅ……ツバキ様は、恋や愛を理解しておると申されるのですか?」


一斗いっとはやたらと呼吸を荒くしながら、神妙な面持ちで問い返してきた。表情は真剣そのものだが、その異様な熱量がむしろ不気味だった。


「さすがにね、私も三十路みそじを越えたオバサンですから、それくらいは分かりますよ」


ツバキは苦笑しながらも少し胸を張って言った。年齢をネタにできる程度には、この騒がしい会話を楽しんでいる節もある。


「えぇぇぇ! それは驚きでござるな! 二十歳くらいかと拝察しておりましたぞ……!」


一斗いっとは目を見開いて、心底驚いた様子で言い切った。その表情は、まるで戦場で思わぬ伏兵に出会った武士のような、敬意すら含んだものであった。


* * *


「もう六歳だから、学校でちょっとは習ったかな? あたしね、『不老二世ふろうにせい』なのよ」


ツバキは、一斗いっとに向かってふとそんな話を切り出した。明るく言ったつもりだったが、その瞳の奥にはほんのわずかに影が差していた。


「『不老二世ふろうにせい』……とは、なんでござろうか?」


一斗いっとは首を傾げ、真面目な表情で聞き返す。彼なりに理解しようという姿勢が伝わってくる。


甲賀猿飛流こうがさるとびりゅうの隠密は特殊な任務が多かったから、二十五歳のときに“不老”に戻してもらったのよ」


ツバキはさらりと言ったが、それがどれだけ特殊で、どれだけ重たい意味を持つのかを、一斗いっとが理解しているとは思っていない。それでも――


「不老に“戻す”とは、これまた不思議な話でござるな……」


一斗いっとは目を丸くしながらも、想像を膨らませているようだった。純粋な好奇心と、それを超えるほどの敬意がそこにある。


「うん。『不老二世ふろうにせい』って、生まれつき成長が止まる体質なのよ。赤ちゃんのままだと、すぐに命を落としちゃう」


ツバキの口調はいつもの軽さを保っていたが、その内容は重たかった。彼女の中には今でも、誰にも見せない記憶があるのだろう。


「なんと……」


一斗いっとが息を呑んだ。子どもなりに、その言葉の深刻さを感じ取ったのかもしれない。


「だからね、生まれてすぐに検査をして、『不老二世ふろうにせい』だってわかったら、“抗不老薬こうふろうやく”っていう特別な薬を使って、DNAを調整してあげるの」


ツバキの説明は簡潔だったが、その一つひとつにいのちを繋ぐ意味が込められていた。


「つまり、その薬にて成長を可能にする……ということでござるな?」


一斗いっとは真剣な表情のまま、頷くように言った。その理解の早さに、ツバキはふっと笑みを漏らす。


(バカだと思ってたけど……意外と、ちゃんと聞いてるのね)


「そう。そして大人になったら、希望すればまた“不老”に戻すことができるの」


「さようでござったか……ツバキ様が今も若々しきは、かような理由があったとは。まこと、驚きでござる! では、ツバキ様も赤子の頃に、DNAの調整を受けられたのでござるか?」


一斗いっとの目には、心底からの尊敬が浮かんでいた。それがツバキにとっては、むずがゆくもあり、どこか嬉しくもあった。


「ううん、検査を受けたのはもっとあと。私、産まれて暫くして養護施設の前に捨てられたのよ。で、拾われてそのまま養護施設に引き取られたの」


ツバキの声は少しだけ沈んだ。だが、それを隠すように微笑みを保っていた。


「なんと……それでは、どうやって『不老二世ふろうにせい』と分かったのでござるか?」


一斗いっとの顔にも、静かな衝撃が広がっていた。想像もしていなかった過去を聞いて、戸惑いを隠せない。


「施設に来たとき、体調がすごく悪くてね。死にかけだったの。その時、養護施設の園長先生が実は凄い人でね。施設で検査して、『不老二世ふろうにせい』だってわかったのよ」


ツバキは懐かしそうに、そしてどこか誇らしげに言った。いのちを救ってくれた恩人の存在を、今でも大切にしているのだ。


「して、間に合ったのでござるか……?」


一斗いっとは思わず息を呑んだ。その目は真っ直ぐにツバキを見つめていた。


「ごらんの通りよ。でも、ほんとギリギリだったらしい。施設の園長先生が言ってたわ――『もうちょっと遅がったら、助がらねがったかもしんね』って」


ツバキはさらりと口にしたが、その言葉の裏にあったいのちの瀬戸際を思うと、今でも胸が少しだけ痛む。


「まっこと……命運尽きかけておったところを、よくぞ生き延びられたものでござるな……」


一斗いっとの声は自然と低くなり、そこには彼なりの敬意と驚きが込められていた。


「うん、だから今こうして話せてるのも奇跡みたいなもんよ」


ツバキは微笑んだ。その笑顔は強がりでもなく、感謝でもなく、ただ静かな受容を湛えていた。


「ははあ……人のいのちとは、かくも儚く、されど強きもの……」


一斗いっとはその言葉を噛みしめるように呟いた。幼いながらに、彼は“生きる”ということの重みを、少しだけ知った気がした。


* * *


「……って、あらやだ。話がずいぶん脱線しちゃったわね。もともとは恋と愛の話だったわよね?」


ツバキがぽんと手を打つようにして話を戻す。楽しげではあるが、ちらりと一斗いっとの顔色をうかがっていた。


「そうでござった……でっ?」


一斗いっとの表情が急に真剣になる。どこか“これこそ本題”と言わんばかりの、期待に満ちた目をしている。


「あなたが感じてるのはね、妹への愛情よ。ただちょっと、その気持ちが強く出すぎてるだけ」


ツバキはやんわりとした口調で言った。少し困ったような、けれど相手を否定しない優しさをにじませて。


「しかし……ふぅ、ふぅ……この胸の内より湧き上がる想い、どうにも抑えきれぬのでござる……」


一斗いっとは顔を赤くしながら、息を荒くして訴える。その表情は……とても、気持ち悪かった。


(また出たわね……その顔)


ツバキは心の中で溜息をつく。


「まあ、みことちゃん、すごく可愛いもんね。ちょっと分かるわよ」


ツバキはそう言って笑ってみせた。完全に理解はしていないが、少なくともその“溢れすぎた愛”の方向性は分かる気がした。


「で、ござろう……ふぅ、ふぅ……とにかくみことは、可愛くてたまらぬのでござる……はぁ、はぁ……」


一斗いっとは両手を胸にあて、まるで恋文でも朗読しているかのように恍惚と語る。その姿は、やはり気持ち悪かった。特に顔が。


「少し前までは、毎日のランニングで疲れたみことを背負い、家まで運んでいたのでござる。その時に……“イチ、ありがとう”と微笑んでくれて……ふぅ、ふぅ……」


一斗いっとの語りは続く。回想にふけるその顔には、どこか寂しさも混じっていた。


「だが最近では、すっかり走り切れるようになってしまい、嬉しくもあり、どこか寂しゅうてな……しかも放課後は、那岐紗殿なぎさどのみこととで巫女見習いの修行に励んでおり、遊ぶ時間もなくなってしまったのでござる……」


切々と語るその声には、純粋な“取り残された兄”のような孤独が滲んでいた。


「そっかぁ。一斗いっとくんも放課後は、こっちの修行に専念してるもんね」


ツバキは柔らかく言った。彼の言葉の裏にある“寂しさ”を感じ取っていたからだ。


その時だった。


「……それでぇ!? こじらせたわけかっ!!」


突然、低く太い声が話の輪を切り裂いた。まるで雷鳴のような怒声に、一斗いっとはビクリと体を震わせる。


「おっ、お師匠様ぁぁぁ……! お聞きになっておられたのでございますか……?」


慌てて振り返った一斗いっとの顔には、冷や汗と絶望が浮かんでいた。


「『お聞きになっておられたのでございますか』じゃねぇ! 一斗いっと、てめぇ妹に欲情してんじゃねぇぞッ!!」


堅蔵けんぞうが怒鳴った。普段ぶっきらぼうな彼が、本気で怒るときの迫力は別格だった。


「いっ、いえっ! そのようなつもりでは……っ」


一斗いっとは必死で否定するが、口調は完全に動揺していた。いつもの調子も吹き飛んでいる。


「言い訳すんな! 今後、俺たちの前では普通に話せ! 絶ッ対だッ!! 特にみことの話をする時は! 丁寧に! 落ち着いて! 普通に! だ!」


堅蔵けんぞうの叱責は止まらない。そこには、“妹想い”の範疇はんちゅうを越えかけている弟子への本気の危機感があった。


「そうで、ご、ござ……いえ、分かりました……」


一斗いっとは明らかに「えーーー」と言いたげな顔で、しぶしぶ頭を下げた。


「“ござる”とか言いかけてんじゃねぇぞ!」


堅蔵けんぞうが追い打ちをかける。


「……はぁぁぁ」


深いため息。完全に落ち込んでいる。


「“はぁ”じゃねぇ!! 罰として今日の基礎訓練は倍だ!!」


「えぇぇ!? 二倍ですかぁぁぁ!?」


思わず声を上げる一斗いっと。だが堅蔵けんぞうは容赦しない。


「十倍だよ」


さらりと、まるで天気の話のように言い放つ。


「じゅっ……十倍……」


その瞬間、一斗いっとの膝が崩れ落ち、そのまま後ろにバタンと倒れ込んだ。


一斗いっとぉぉぉ! 何寝てんだコラ! さっさとやれ!」

(……ふぅ、今日はウチにお泊まりだな!)


堅蔵けんぞうが怒鳴りつける。だがその声には、厳しさの奥に微かな“弟子への愛情”も滲んでいた。


「はっ、はいっ!! 精進いたしますっ!!」


一斗いっとはハッと目を見開き、倒れた体をバネのように起こして気合いを入れた。


「ツバキ! 義姉ねえさんに連絡しといてくれ!」


「御意!」


ツバキはぴしりと姿勢を正し、軍人のように応じた。


こうして、愛と執着と修行にまみれた一斗いっとの一日は、またも修羅場を迎えることとなった。


* * *


という出来事があり、それ以降、一斗いっとは『甲賀猿飛流こうがさるとびりゅう』の師匠や門弟の前では、あの気持ち悪い話し方を控えるようになったのであった。


「もぅ、一斗いっとくんったら! 可愛すぎる〜っ!! ……それとね、今は“ツバキ”って呼んでね」


ツバキが声を弾ませながら、いたずらっぽく微笑んだ。


その瞬間――彼女は勢いよく一斗いっとの頭を自分の胸元へと引き寄せ、力強く抱きしめた。


「ぐぅぅ……わ、分かったから……っ、はっ、放して……」


一斗いっとはもがきながらも苦しげに言葉を絞り出す。だが顔はすでに胸に埋まっており、手足をバタバタさせるも、なかなか抜け出せない。


ツバキの細身の外見に反して、その腕の拘束力は並ではなかった。


(なっ、なんという拘束力……これが“おばさん”の本気か……!)


心の中で密かに恐れを抱く一斗いっと。だが声には出せない。


「ははっ、ツバキさん、そのへんで勘弁してあげてください……それより、“様”付けはもうやめてくださいよ。わたしはもう堅蔵けんぞうにすべて託しましたから」


朱角あけすみが苦笑を浮かべつつ、穏やかな声で言った。かつての兄弟子としての矜持きょうじも、今では堅蔵けんぞうへの信頼に変わっていた。


「託したとはいえ、朱角様あけすみさま堅蔵様けんぞうさまのお兄様で……それに、私の兄弟子でもあるんですよ」


ツバキが目を細め、軽く睨むような視線を朱角あけすみに向けた――その一瞬の隙をついて、


「今だっ!!」


「ふんぬっ!!」


一斗いっとが全力で踏ん張り、体をねじるようにしてツバキの胸元から抜け出すと、床に転がりながらなんとか脱出に成功した。


その姿は、まるで捕縛から解放された小動物のようで、周囲は思わず笑いに包まれる。


* * *


そうして談笑しながらの昼食も三十分ほど経過した頃、大石おおいしが空気を一変させるように、重い声で口を開いた。


「皆さん、お昼も食べ終わったようですね。そろそろ本題に入りましょうか」


彼の表情は引き締まり、周囲をゆっくりと見渡した。そして静かに言う。


みことくん、一斗いっとくん、心を落ち着けてよく聞いてください……昨夜未明、伊波那岐紗いなみなぎささんが『神代南公園じんだいみなみこうえん』で『妖魔ようま』に殺害されました」


――その言葉を聞いた瞬間、みこと一斗いっとは同時に立ち上がった。


「さ、殺害って……那岐紗なぎさが死んだってことですか……?」


みことが震える声で叫ぶ。


「……そうです」


大石おおいしは静かに、だが迷いのない口調で頷いた。


みことは言葉を失い、そのままソファへと崩れ落ちた。顔は真っ青で、細かく震えている。


「どういうことだぁぁぁ……!」


一斗いっとが絶叫する。全身から激しい白い氣が噴き出し、怒りと悲しみが渦巻くように周囲を包む。その気迫は、周囲の空気すら震わせた。


一斗いっとぉ! 落ち着けぇぇぇ!」


大石おおいし咄嗟とっさに声を張り上げ、勢いのまま一斗いっとの頬を平手で打つ。


応接室に大きく響いたその一撃に、一斗いっとの氣は徐々に収まり始めた。


そして、大石おおいしは諭すように言った。


「これから詳しく話します。だから、座りなさい」


静かに促され、一斗いっとはふらふらとソファに腰を下ろす。拳を握りしめ、唇を噛みしめ、俯いたまま身体が小刻みに震えている。


「ナギが……ナギが……なんで……」


声が漏れた。怒りとも、悲しみともつかない、深い絶望がそこにあった。


みこと一斗いっと、二人の肩には、そっと華豊かほうが手を置いた。母として、ただ静かに寄り添うように。


大石おおいしは、これまでの経緯を丁寧に説明し終えたあと、やがて口を開く。


「少しは落ち着いたようだね、一斗いっとくん」


「……はい、すみませんでした」


一斗いっとはようやく冷静さを取り戻し、小さく頭を下げた。


「君たちの祖父である金毘羅様こんぴらさまと、那岐紗なぎさくんを殺した妖魔と、みことくんを襲った妖魔は――同一だと考えています」


大石おおいしの言葉に、一斗いっとはぐっと眉を寄せる。


「そこで一斗いっとくん、君にはみことくんの護衛をお願いしたい。普段一緒にいるのは君だけだからね……頼めるかい?」


「……はい、分かりました」


一斗いっとは静かに頷いたが、その顔にはまだ納得しきれない何かが残っていた。心は、那岐紗なぎさの死を受け入れきれずにいる。


一斗いっとくん、護衛とはいえ防衛行動は構わないが、戦闘行為は禁止だ。『妖魔ようま』の気配を察知したり、襲われそうになったらすぐに逃げなさい。そして堅蔵けんぞうかツバキに連絡を……いいね?」


「はい……」


一斗いっとの返事は、どこか力がなかった。


その時――


「少しお時間いただけますか、総司令そうしれい!」


ツバキが立ち上がり、真剣な面持ちで口を開いた。


「なんだ、ツバキ」


一斗いっとくんは、すでに私よりもはるかに強いです。護衛だけでなく、『妖魔ようま』を発見次第、戦ってもらった方がいいのでは……」


ツバキのその言葉に、大石おおいしの表情が一変した。


「黙れっ! ツバキぃぃぃ!! 本気でそんなことを言っているのかぁぁぁ!!」


怒りがこもった声が部屋に響き渡る。立ち上がった大石おおいしは、ツバキを真正面から睨みつける。


「お前は一斗いっとくんが強いからって、十二歳の子どもに“私たちは弱いから戦ってください”なんて言えるのか?!」


その言葉は、大石おおいし自身の信念に根差した叫びだった。目には涙がにじんでいる。


「……すまん」


大石おおいしが静かに頭を下げた。


しばらく沈黙が流れる。やがて大石おおいしは大きく息を吐き、ゆっくりと語り始めた。


「……自分の力が足りないからといって、子どもに任せて何もしないなんて、俺にはできない。力がなくても、いのちを賭けてでも守り抜く。それが、俺の正義だ。もちろん、ツバキにそれを押しつけるつもりはない。でも――『アドルフ』で活動する以上、この正義を少しでも理解してもらえたら嬉しい」


その言葉に、ツバキは深々と頭を下げた。


「申し訳ありませんでした、総司令そうしれい


内心では、己の未熟さを痛感していた。


(……総司令そうしれいに嫌われちゃったかな……はぁ……)


思わず心の中でそう呟くツバキ。


そんな彼女を見て、古山こやまが気遣うように言葉をかけた。


「ツバキ……そういうことだ、もっと精進しろよ」


だが、


「お前もなっ!」


と、あっさり切り返された古山こやまは、肩をすくめて苦笑するしかなかった。


その後――


「ところで大石おおいしさん、みゆきさんと健一けんいちさんはどうしてるんですか?」


心配そうに問いかけたのは、華豊かほうだった。


「みゆきさんは、遺体の詳細測定が終わったので、『神代病院じんだいびょういん』に行って、那岐紗なぎさちゃんに会ってると思います」


大石おおいしが静かに答える。


「そうですか……みゆきさん、大丈夫かしら……」


華豊かほうは小さく呟いた。その声音には、深い哀しみと祈るような優しさが滲んでいた。






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