第37話

 実体を現した〈ダイモーン〉の身体が爆発したかのように霧散し、周囲を黒く包む霧に変化したのである。


「ウィノラ、真上だ! 真上に思いっきり投げろ!」


 黒い霧に変貌した〈ダイモーン〉の動きは素早かった。


 自分を仮宿から強制的に退去させたウィノラに取り憑くため、巨大な風呂敷のように広がり始めたのだ。


 ウィノラは夜空に向かって人差し指を突きつける宗鉄を見て我に返ったのか、手にしていた〈シレルタ〉を天高く放り投げた。


 女とは思えない膂力により投げられた〈シレルタ〉は、夜空に浮かぶ月に向かって吸い込まれるように飛んでいく。


 一方、そんな〈シレルタ〉を空中で見事に受け取ったのはエリファスだ。


「うううううううう」


 そしてエリファスは〈シレルタ〉を摑むなり、全身の力を振り絞るように喉の奥から呻き声を発した。


 すると全身から放射されていた淡い光が徐々に強く輝き出していく。


 その様子を見た宗鉄は立ち止まり、固唾を呑んでエリファスを見守り始めた。


 ここまでは上手く事が運んだ。あとはエリファスの努力次第である。


 三人が話し合った末に出した策とは、至って単純であり身の危険を伴う策であった。


 それはまず宗鉄が鉄砲の射撃によりドゥルガーの注意を自分たちに引きつけ、続いてクアトラの能力を使ってウィノラが〈シレルタ〉を持ちながら近づく。


 そしてウィノラが〈シレルタ〉により仮の身体であるドゥルガーから本体の〈ダイモーン〉を引き離し、すかさずエリファスに〈シレルタ〉を投げ渡す。


 最後にウィノラから〈シレルタ〉を受け取ったエリファスが〈シレルタ〉に魔力とやらを込め、〈シレルタ〉の封印機能を再稼動させるということだった。


 やがてエリファスの全身を覆っていた不思議な光は〈シレルタ〉に伝達していき、〈シレルタ〉自体もエリファスと同じく淡い光に包まれ始めた。


「はあ……はあ……はあ……これでも喰らいなさい!」


 〈シレルタ〉に魔力が行き渡ったのだろう。


 エリファスは苦しそうに肩で息をしながらも気力を振り絞って〈シレルタ〉を〈ダイモーン〉に投げつけた。


 上から下へ〈シレルタ〉は空中に一条の光を描きながら〈ダイモーン〉が変化した黒い霧の中に急降下していく。


(やったか?)


 宗鉄は思わず拳を固く握り締めた。


 黒霧と化した〈ダイモーン〉の中に下降した〈シレルタ〉が、突如として眩い光を放ちながら〈ダイモーン〉を飲み込み始めたのだ。


 その姿は近くから見ていても圧巻だった。空中に出現した大渦に飲み込まれるような様は凄まじいと同時に神秘的でもある。


 これが異国の魔術というものなのか。


 光から目を保護するために目元を手で隠していた宗鉄は、指の隙間からそっと〈シレルタ〉が発動した様子を見て感嘆していた。


 ところが、ここにきて予想だにしていない出来事が起こった。


 光が徐々に収まってくるなり、一旦は〈シレルタ〉に飲み込まれたはずの黒い霧が再び外に流出してきたのだ。


 そのとき、宗鉄の脳裏にエリファスの言葉が蘇った。


 ――何せ半分に割れちゃっているからね。正直、どんな作用が起こるか……


 そうである。本来の〈シレルタ〉は綺麗な円形だとエリファスは言っていた。


 しかし、ウィノラが持っていた〈シレルタ〉は半分に欠けて半月形になっていたのだ。


 つまり、今の〈シレルタ〉は本来の半分の力しか出せないということか。


 ようやく事態の重さに気づいた宗鉄。


 すると魔力を〈シレルタ〉に注入して体力気力ともに衰えていたエリファスが、最後の力を振り絞って宗鉄の元へ飛んできた。


「おい、一体どうなっている? 成功したんじゃなかったのか?」


 すかさず宗鉄はエリファスに問いかける。


「成功はしたよ……でも、やっぱり半分だけじゃ駄目だったみたい」


 疲労困憊したエリファスは見るからにやつれていたが、今は気遣う余裕がないのもまた事実である。


「ならばどうする? 他に何か手はないのか?」


「他にって言われても今から片方の〈シレルタ〉を見つけ出すのは不可能でしょう?」


 当然だ。こんな一刻の猶予もないときに暢気に探し物など出来るはずもない。


「だったら後は〈シレルタ〉ごと破壊するとか……でも、これをしたら本当に一体どんなことが起きるか想像も出来ないし」


 ぽつりと漏らしたエリファスに宗鉄は食いついた。


「そんなことをして大丈夫なのか? 破壊した後に余計に事態が悪化したらどうする?」


「だからわたしもわからないわよ。ただ、このままだと〈ダイモーン〉は自力で〈シレルタ〉から脱出するでしょうね。そうしたらもう打つ手はない。わたしの魔力はもうすっからかんになっちゃったから……」


 そうこうしている間にも、空中で静止している〈シレルタ〉からは黒い霧がどんどん外に溢れてくる。


 速度こそ遅いものの、エリファスが言うように〈ダイモーン〉が自力で脱出するのも時間の問題だろう。


「仕方ない」


 宗鉄は一度だけ大きく深呼吸をして気息を整え、ふと目線を下に落として脇差を見た。


 どうやら再びこれの出番らしい。宗鉄は脇差しの柄をしっかりと摑んだ。


「まさか、そんな小さな剣で〈シレルタ〉を斬るつもりなの? いくらソーテツでもそんなの無理よ」


 宗鉄自身もそれは十分理解していた。


 ただの脇差しであのような特別な道具が斬れるとは到底思えない。


 だが――。


「エリファス、もう忘れたのか? これはただの刀ではない。それは牢屋を破ったときにお前も直に見ただろうが?」


「あ!」


 エリファスはようやく思い出しとばかりに声を上げる。


「わかったら下がっていろ。とばっちりを受けても知らんぞ」


 そう呟いた直後、宗鉄は地面を勢いよく蹴って疾駆した。


 エリファスやウィノラが見守る中、宗鉄は〈シレルタ〉へと間合いを詰めていく。


 やがて黒霧の中に身を投げ入れた宗鉄は、海に潜ったような息苦しさを感じながらも脇差しを抜き放った。


 このとき、宗鉄の身体が黒霧と化した〈ダイモーン〉に包まれていなければエリファスやウィノラたちにも見えていただろう。


 宗鉄が抜いた脇差しの刀身は、相手を斬るために鍛えた鋭利な武器ではなかったことに。


 そして、〈ダイモーン〉を半ばまで封じ込めていた〈シレルタ〉は猛々しく爆発した。


 遠巻きに見ていたエリファスとウィノラは言葉を失い、爆風により巻き上がった砂塵を掻き分けながら宗鉄の元に走り寄った。


 そこには粉々に砕け散った〈シレルタ〉と、至近距離で爆発の煽りを受けたためかぐったりと地面に倒れていた宗鉄の姿があった。


 そんな宗鉄の右手には鞘から抜き放たれた脇差しが握られ、慌てて駆け寄ってきたエリファスとウィノラにその刀身を覗かせていた。


 日本刀の特徴である刃紋はなく、筒状になっていた先端から濛々と黒煙を垂流していた異様な刀身の姿を――。

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