第23話 血の祭典-後編-
多数の死傷者が出た為、武術競技会は初日で中断された。
初め、ギリングたちは競技会の続行を主張していたが、そうも言っていられなくなった。
重傷者の一人に、ギリングの息子、エーギルがいたのである。
「まったく、情けない奴じゃ」
病室に息子を見舞って、ギリングは叱責するように言った。
寝台の傍らに座っているメニヤが、その言葉に眉を顰める。
「相手を殺しても良かったなら、こんな怪我はしなかった」
不満そうに、エーギルは訴えた。
「殺す気でやれば良かったろうに」
「対戦相手を殺してはならんと、アルヴァルディ様からお達しがあった。俺が怪我をしたのは、熱くなって相手を殺しそうになった仲間を止めていたせいです」
エーギルの言葉に、ギリングはフン、と鼻を鳴らす。
「全く……つくづくお前はアルヴァルディに傾倒しておるな」
それはともかく、とギリングは続ける。
「重症と聞いておったが、腕を怪我しただけか? それで重症とは大袈裟じゃな」
エーギルの腕の包帯を見て、ギリングは言った。
エーギルとメニヤは顔を見合わせる。
「親父殿、実は……医者が言うには……」
言いにくそうに、エーギルは途中で一旦、言葉を切った。
それから意を決して続ける。
「腕の腱が切れておって、治らんのだそうです。もう……剣を持つ事もできなくなる」
「何?」
「い……いや、右腕が使えなくなっただけです。腕はもう一本ある。鍛えれば左手でも剣は振るえる」
「でも、それでは盾が持てなくなるでしょう」
横から言ったのはメニヤだ。
エーギルは困惑気な表情で、父と母を交互に見た。
「エーギルの言う通りじゃ。剣は左手でも使えるし、甲冑があれば盾なんぞいらん」
「そうやって、エーギルの生命を危険に晒すのですか?」
ギリングの言葉に、メニヤは言った。
ギリングは眉をしかめる。
「腕の一本や二本で何を騒ぐ必要がある? エーギルはまだ充分、戦え――」
「この機会に申し上げます」
椅子からすっくと立ち上がり、メニヤは夫の言葉を遮った。
「エーギルは戦士よりも文官の方が向いています。負傷を機に、文官として取り立てて頂けるよう、アルヴァルディ様にお願いすべきです」
「文官じゃと?」
荒々しく、ギリングは訊き返した。
「あんなもの、
怒鳴ると共にギリングは壁を拳でドン、と叩いた。
ビリッと、空気が震える。
エーギルはますます困惑した表情になったが、メニヤは顔色を変えなかった。
「……かつてヨトゥンヘイムは、ただの豪族領の集まりに過ぎませんでした」
「何の話じゃ?」
ややきつい口調でギリングは訊いたが、メニヤは構わずに続ける。
「スリュム様が全ての豪族を戦で打ち負かし、王を名乗られた後も、反乱が相次ぎ、国としてのまとまりは無かったのです。ヘルヘイムという外敵を作る事で一旦は団結しましたが、百年戦争が終わってヘルヘイムと連合王国となると、再び豪族たちの反乱が続きました。アグレウス様が周辺諸国を保護国として国力の回復に努めていた間に、ヨトゥンヘイムでは豪族の反乱が相次いで、土地は荒れ、国は乱れていたのです」
淡々と、無表情のままメニヤは続けた。
「その豪族たちの反乱を鎮め、治水灌漑工事などを進め、ヨトゥンヘイムに国としてのまとまりと豊かさをもたらしたのはアルヴァルディ様の政策のお陰であり、その政策を進めるには文官たちの協力が不可欠でした」
「…………」
メニヤの言葉に、ギリングは黙って耳を傾けた。
そして、『国は治めるものじゃ』というスリュムの言葉を思い起こす。
感情を抑えて冷静に考えれば、メニヤの言う事は尤もであり、文官たち――その主な者はオリアスの側近でもある――は、国を治める上で重要不可欠な存在だ。
「……お前がアルヴァルディに憧れているのは知っとるが、烏が鵜のマネをしても溺れるだけじゃぞ」
息子に向き直って、ギリングは言った。
「エーギルは、あなたの期待に応えたかったのです」
ギリングの肩に手を置いて、メニヤは横から言った。
「大将軍であるあなたに認められるような強い
「……それは親の欲目じゃろう」
低く、ギリングはぼやいた。
「大将軍になる道が閉ざされたから文官に転向するなぞ、そんな甘い考えで勤まるようなもんじゃない」
それまで無表情だったメニヤが、その言葉に口元に笑みを浮かべる。
「文官は戦士になれない腰抜けの集まりでは無いと、そうお認めになるのですね?」
「揚げ足を取るな」
短く言い捨て、ギリングは妻子に背を向けた。
そして、窓から外を見遣る。
暫くそうして黙っていたが、やがて再び息子に向き直った。
「文官になるなら本気でやれ。アルヴァルディの温情で、無くても良いような職を与えられてお茶を濁すようなマネは許さんぞ」
「親父殿、それじゃ、文官になる事を許可してくれるのですか?」
期待に顔を綻ばせ、エーギルは訊いた。
「とっくに成人しとるんじゃ。自分の身の振り方くらい、自分で決めろ」
敢えて吐き棄てるようにギリングは言ったが、その表情は穏やかだった。
メニヤとエーギルは顔を見合わせ、安堵の笑みを交わした。
武術競技会の開かれる前日に、アールヴはヘルヘイムに戻っていた。
数ヶ月ぶりに会ったアグレウスに、アールヴは嬉しそうにヨトゥンヘイムでの暮らしについて語った。
だが、アールヴの瞳の輝きも、生き生きした表情も、アグレウスの心を重くするばかりだった。
アールヴがヨトゥンヘイムでの生活をとても気に入り、アグレウスが野蛮だと軽蔑している父や異母兄たちに、すっかり懐いてしまっているのが判ったからだ。
――ヘルヘイム皇家の血族ともあろう者が、あのような蛮族どもと親密になるとは……。
アグレウスは、苛立ちを覚えた。
そしてその苛立ちは、かつて少年だったオリアスに対して抱いた感情と同じだった。
それでもオリアスの微笑を見れば、心が和らいだ。
オリアスが成長し、将来のヘルヘイム皇帝の座を脅かしかねない存在になってからでも、それだけは変わらない。
オリアスをヘルヘイム皇帝に擁立しようと誰が企もうと、オリアス自身はそれに反対し、兄である自分の地位を奪ったりはしないのだと、アグレウスは信じているからだ。
改めて、アグレウスはアールヴを見遣った。
アールヴは少年の頃のオリアスのような天真爛漫さを備えてはいるが、ヨトゥンヘイムでの出来事を楽しそうに語る姿に、心は冷えてゆくばかりだ。
外見はリディアに似ているが、心の平穏をもたらしてくれる不思議な静謐さは持っていない。
反魂術のための器にもなれなかった。
言ってみれば、ただの失敗作だ。
「……父上?」
黙り込んでいるアグレウスに、幾分か不思議そうにアールヴは声をかけた。
「ヨトゥンヘイムに戻ったら」と、平淡な口調でアグレウスは言った。
「あちらでの出来事を文で仔細に知らせてくれ」
アールヴとドロテアたちをヨトゥンヘイムに滞在させることで、彼らを通じでヨトゥンヘイム国内の様子を探る。
最早それ以外にアールヴの利用価値は無いのだと、アグレウスは思った。
一方、ヨトゥンヘイムでは、オリアスたちが大荒れとなった武術競技会の事後処理に頭を悩ませていた。
「初日だと思って油断した……」
「儂は面白かったぞ。久しぶりに
ぼやいたオリアスに、ベルゲルミルは笑って言った。
オリアスは微かに眉を顰める。
「エーギルが重症を負ったと聞いているし、他にも多くの死傷者が出た。これではまるで戦だ」
「いっそ、戦をした方が良かったんじゃないか?」
言ったのはスリュムだ。
「十日の予定だったのにたった一日で中断したせいで、出場できなかった者どもが不満に思っとるじゃろう。こんな状態では褒章も出せんし、誰を罰すれば良いのかも判らん」
兵士や戦士たちの不満を鎮めるための競技会であったにも拘らず、却って不平が高まる結果となってしまっていた。
「少なくとも、死傷者には見舞金を出すべきだろう」
オリアスは言ったが、スリュムは首を横に振る。
「金なんぞで解決できる問題じゃない。暇を持て余した兵どもは鬱憤が溜まっとるんじゃ。それを晴らすには、戦しか無い」
「おう、それが良い。どこを攻める? アースガルズか? ニダヴェリールか?」
新しい玩具をもらって喜ぶ子供のように勢い込んで訊くベルゲルミルの姿に、オリアスは微かに眉を顰め、こめかみを押さえた。
ヨトゥンヘイムの男たちは――時には女たちも――幼い頃から強い
そして、商業や漁労農耕は奴隷のやるべき卑しい仕事とみなし、武芸を磨くことのみに専念する。
それがヨトゥンヘイム兵の強さの秘訣であり、ヨトゥンヘイムを強国たらしめた要因である一方、強い戦士になれない者は役立たずとして見下され、他の才能があったとしても埋もれてしまう。
その為、オリアスは文官の登用に苦労し、その多くは
フレイヤはそのような荒くれ者の中で子息が育てられる事に不安を抱き、オリアスの乳母や守役にヘルヘイムの者をつける事を願った。
が、ヘルヘイムで
その結果、オリアスはヨトゥンヘイムの風俗習慣に慣れ親しみながらもそれ以外の価値観や思想にも触れて育ち、スリュムが望むような勇猛な戦士になる一方、フレイヤを安堵させるほどの思慮深さと教養を身につけていた。
成人してからは教育制度を制定して文官となりうる者の育成に努め、それまでは地位が低く、将軍たちの言いなりだった文官に一定の権限を持たせた。
オリアスのやり方はヨトゥンヘイムでは異質だったので最初から受け入れられた訳では無く、スリュムや異母兄たちを説得し、数百年かけてヨトゥンヘイムのあり方を少しずつ、変えていった。
ベルゲルミルはその一人であり、スリュムも、戦を好む感覚は失っていない。
「アースガルズを攻めるなど無謀だし、ニダヴェリールを敵に回したら
「ならば
オリアスの言葉に、スリュムは言った。
「ヨトゥンヘイムには、闇の妖精に攻め滅ぼされた
「デックアールヴヘイム侵攻の名目にできるほど多くの者は住んでいない。彼らの殆どはアースガルズかヴァナヘイムに逃れたから、ヨトゥンヘイムやヘルヘイムにはそう、多くない」
「数が多くなくとも、妖精王の親族の生き残りをヨトゥンヘイムで保護していたら、立派な名目になるじゃろう?」
スリュムの言葉に、オリアスは口を噤んだ。
黙ったまま、明るい翠の瞳で父を見遣る。
スリュムはアールヴの特別な能力の事を知っているが、その血筋の事までは知らない筈だ。
「何だかよく判らんが、妖精王の親戚とやらを見つければデックアールヴヘイムと戦ができるのか?」
期待をこめて訊いたベルゲルミルに、スリュムはニヤリと笑う。
「見つけた事にすれば良い。妖精王の親族の生き残りがヨトゥンヘイムに保護を求めてきたと主張すれば――」
「それは無理だ」と、オリアスはスリュムの言葉を遮った。
「今も言った通り、アースガルズとヴァナヘイムには落ち延びた
「ばれる前に戦に勝てば良いだけの話じゃ」
スリュムは言ったが、オリアスは首を横に振る。
「虚偽が露見すればアースガルズとヴァナヘイムがデックアールヴヘイムに加勢する可能性が高くなる。そうなったら、ヨトゥンヘイムは圧倒的に不利だ」
スリュムは腕組みをし、不満そうな吐息を漏らした。
暫くそのまま考えていたが、三つの大国を相手どって勝利する可能性が低い事は、認めざるを得なかった。
「まずは死傷者に見舞金を出し、武術競技会の再開については別途、検討すると公表すべきだろう」
オリアスの言葉に、スリュムは尚も不満そうに渋面を作っていたが、やがて渋々、頷いた。
「結局、戦はできんのか……」
残念そうに、ベルゲルミルはぼやいた。
「どうでも良いが、アールヴの坊主は『妖精』って意味の名前をしとるんじゃな」
「……単に発音が同じなだけだろう」
異母兄を見遣り、オリアスは言った。
そしてゲイルロズは、終始、沈黙を保ったままでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます