第26話

 先ほどまで星の輝きが広がっていた夜空には、激しく明滅を繰り返す暗色の雲が覆われていた。


 その黒雲の中には意図的に作り上げたプラスとマイナスの電気が驚異的な速度で滞留していく。


 本来、絶縁体である空気中に発生する雷は、その膨大なエネルギーの放出により決まった目的の場所へ落ちることはない。


 だがシュミテッドは精霊魔法により空気中にイオンの通り道を形成し、自分が定めた場所へピンポイントで高出力の雷を落とせることができた。


「暗き神天より舞い降りる白雷の嵐――業魔招雷!」


 シュミテッドが紡いだ〝雷〟系に属する精霊魔法により、空間が猛々しく悲鳴を上げた。


 上空を覆っていた黒雲からは無数の稲妻が放出され、うねりを生じることもなく目的の場所へと容赦なく降り注いでいく。


 何十億ボルトという放電量であった雷撃の雨。人間であろうと建造物であろうと、直撃すればまず無事では済まない。


『無駄ダト言ッテイルダロウガッ!』


 上空から自分に降り注いでくる雷の豪雨に向かって、ロジャーは魔法力を込めた左手のガトリング砲を連射する。


 鉄の弾丸ではない魔法力を弾丸として放つロジャーのガトリング砲には、銃火器最大のデメリットである弾切れがない。無尽蔵ともいえる魔法力の弾丸は、迫りくる落雷を無駄なく撃ち砕いていった。


 ロジャーはシュミテッドが放った精霊魔法を残らず撃ち落すと、すかさず右手の大砲をシュミテッドに向けた。大砲の筒口に目映い光の粒子が凝縮し、やがて大砲全体を高熱の渦が巻き込んでいく。


 刹那、大気を震わすほどの轟音が響くと、巨大な光の塊が夜空を駆け抜けた。


 爆発的な魔法力を凝縮した砲弾がシュミテッドに襲い掛かる。その迫り来る圧力は、小型の太陽を彷彿させるほど凄まじかった。


 そんなものをまともに受けるわけにはいかない。


「光嶺より来たりし聖神の壁。我を守護する御盾となれ――防魔十字星!」


 シュミテッドは重ねた両掌を前に突き出した。


 一拍の間を置かず、シュミテッドの前方には全長五メートルほどの巨大な光の十字架が出現した。


〝雷〟系に属する精霊魔法により空気中に電磁的力場を発生させ、その上から膨大な魔法力で包んで十字架に形成するこの精霊魔法は、あらゆる物理ダメージから自分の身を守護することができる防御魔法の一つであった。


 防御魔法を唱え終えた直後、ロジャーが放った魔法砲弾はシュミテッドが形成した光の十字架に衝突した。


 大気が爆ぜ――轟音が高鳴り――衝撃波が巻き起こる。


「ぐああああああああ!」


 シュミテッドは絶叫を上げるなり、その五体を激しく吹き飛ばされた。


 ガラスが外部からの衝撃で破壊されたように、目の前に張った防御魔法が跡形もなく砕け散ったのである。


 大小無数の破片と化した光の十字架は、爆風の勢いに乗って術者であるシュミテッドに襲い掛かってきた。


「くっ、飛神転送!」


 それでもシュミテッドは咄嗟に詠唱言霊を破棄し、一言で精霊魔法を唱えた。

 シュミテッドの肉体は光の塊と化し、一瞬でその場から移動する。


 その後、数秒も経たないうちに防御魔法の欠片はシュミテッドの元いた場所を通過し、やがて空気に溶け込むように霧散していった。


 森羅万象の力を異のままに操る精霊魔法は、その威力に応じてある一定の長さの詠唱言霊を唱えなければならない。


 だがあえてその詠唱言霊を破棄し、精霊魔法が発動する最後の呪言だけを唱えるという荒業も存在する。この方法を実行すれば、精霊魔法を発動させる時間を大幅に短縮することができる。


 しかし、同時に威力と精度が極端に減少してしまう。


 現にシュミテッドは先ほどいた場所から数十メートルしか移動していない。移動できなかったのである。


 すべての詠唱言霊を紡げば、十数キロメートルという途轍もない距離でも移動できる精霊魔法だったが、今はそんな悠長に詠唱言霊を紡げる時間はなかった。


 そして現在のシュミテッドは魔法力により空中を飛行しているが、そのためには常に気象の干渉を予測し、森羅万象の理を熟知、把握していなければならない。


 それには通常の人間には不可能な膨大な魔法演算に伴う、高度な知能と経験が必要になってくる。


 しかし今は計算している時間がない。敵の戦闘力が想像以上に凄まじすぎる。


 自分自身が体験していない記憶だが、魔王ニーズヘッグの側近であった天魔四天王が率いる幹部クラスの強さがあるかもしれない。


 一定の距離にまで移動したシュミテッドは、数十メートル先に点在するロジャーに注意を払いながらも視線を周囲に彷徨わせた。


 敵の予想以上に威力がある攻撃に防御魔法は撃ち砕かれ、あやうく自分が発動させた精霊魔法により致命傷を負うところであったが、それ以上に気になることがあった。


 リンゼはどうなった。先ほどロジャーが放った極大の魔法砲弾は、街の広場を一瞬で消滅させた。そのときシュミテッドは危うく難を逃れたが、リンゼは違った。街全体を揺るがした衝撃の余波をまともに受けてしまったのだ。


 無事でいるといいのだが。リンゼに対して最悪の状況を考えながらも、シュミテッドはロジャーと再び対峙する。


『アハハハハハハハッ! サスガハ〈ア・バウアーの聖痕者〉ノ複製人間ダッ! 最高ノ魔法兵器ダッ!』


 余裕を見せるロジャーにシュミテッドは歯噛みした。


 もう、あまり時間がない。シュミテッドは自分の左腕を意識した。


 熱い。焼き鏝を押し付けられる間際のような熱が腕全体から感じ、やがてそれは熱さから痛みへと変わっていくだろう。


 シュミテッドは首を左右に振った。余計なことを考えまいと雑念を振り払い、目の前の現実だけに集中する。


『我ガ結社ノ悲願ノタメ、貴様ハココデ死ヌノダッ!』


 ロジャーは左手のガトリング砲の銃口をシュミテッドに向けた。


 ガトリング砲全体がバチバチと電気を迸らせ、魔法力がそれぞれ六本の銃身に凝縮されていくのがわかる。


 まずい! シュミテッドは動けなかった。


 ロジャーの行動速度がここにきて異常なほど加速していた。


 おそらく、融合現象が最終段階に入った証であった。先ほどまではまだ完全に一つに融合していない不完全な状態だったのだろう。


 それでもあの戦闘力である。これ以上戦闘時間を引き伸ばせば確実に勝機が途絶えてしまう。それどころか、もっと恐ろしい状況になりかねない。


 シュミテッドは一か八か詠唱言霊を破棄させようと、両指を絡めて魔印の形を作ろうとした――まさにその瞬間、


 ロジャーは真下から猛スピードで突っ込んできた〝何か〟と衝突し、身体を激しく吹っ飛ばされた。


「リンゼ!」


 シュミテッドは叫んだ。


 数百メートル真下から光速の勢いで現れた〝何か〟の正体はリンゼであった。


 だが、全身を覆っていた強固な鱗は痛々しいほどに剥がれ落ち、その傷口からはどくどくと血が流れ出ている。背中から生えていた六本の巨大な翼のうち三本は無残にも折れ曲がり、平衡感覚を保ちながら飛行するには一苦労であっただろう。


 それでもリンゼは生きていた。どんな姿になったとしても、生きていてくれたのならばそれでいい。


「無事だったか、リンゼ!」


 顔をほころばせながら、シュミテッドはリンゼがいる場所まで飛行した。


 ――……はい……何とか……生きています。


 弱々しい言語伝達能力で語りかけるリンゼであったが、その真っ赤な瞳には依然、消える気配がない生気の輝きが見て取れた。


「そうか、すぐに治療するからじっとしてろ」


 シュミテッドはすぐに治療魔法の詠唱に取りかかった。絡めていた指を解き、リンゼの身体に優しく両掌を当てた。


 シュミテッドの両掌を通して、ゆっくりと魔法力がリンゼの身体に流れていく。


 だがリンゼ自身の自然治癒力の低下や、現在の状況を考えると三分の一も回復できるかわからない。それでも何もしないよりはマシである。


「天命に従う我の魂魄。求めし者には祝福を、迷いし者には癒しの奇跡を――」


 表情は焦りながらも、シュミテッドの口からはゆっくりと詠唱言霊の韻律が紡がれていった。己の魔法力を触媒に、自然界に流れている霊的な力をも吸収してリンゼの治療に全力を注いでいく。


 その間、リンゼの不意打ちをまともに受けたロジャーは狼狽していた。


 大きく身体を吹き飛ばされたロジャーであったが、実のところ面食らっただけで物理的なダメージはほとんどなかった。元々、膨大な魔法力で全身を鎧のように包んでいたロジャーには、精霊魔法以外ダメージを与えることができない。


 それでも時間稼ぎにはなった。


 魔法力を異常圧縮し、今まさに撃とうとした瞬間を邪魔されたのである。人間が持つ銃に例えれば、暴発を起こしたようなものであった。


 拡散した自身の魔法力の影響でロジャーの身体は軽い痙攣状態に陥っていた。


 それでも数分も経たずに回復するだろう。融合現象の最終段階に入ったのならば、復元再生能力も強化されているはずである。


 だが遠くで身体を震わせているロジャーを見向きもせずに、シュミテッドは治療魔法の詠唱に専念している。


 リンゼはかつて魔法使いたちが創った高次元生物〈霊龍〉の生き残りであった。五百年前には幾度となく魔族との戦いに投入された魔法兵器。


 生命力、魔法力、機動力に優れていたが、知能に著しい欠陥が見られ、挙句の果てには人間の尖兵、もしくは囮としてぞんざいに扱われた過去があった。


 だからこそ死なせない。人間のエゴのために利用され、葬り去られようとした最後の相棒まで失うわけにはいかない。


 ――シュミテッド……私に構わないでください……今が絶好の機会です……。


「うるさいッ! いいから大人しくしていろ!」


 無理に動こうとするリンゼを一喝し、シュミテッドは再び詠唱言霊を紡ごうとした。


 そのときである。


『ガアアアアアアアアアアア――――ッ!』


 シュミテッドが詠唱言霊を再開させようとした矢先、ロジャーは絶叫を上げた。

激痛のせいなのか、身体をくねらせてもがき苦しんでいる。


 シュミテッドリンゼはただ呆然とロジャーを見つめていた。


 その苦しみ方は見るからに尋常ではなかった。


 大砲とガトリング砲に変化した腕で胸の辺りを掻きむしろうとしているが、人間のように指がなくなった手ではその動作ができない。それでもロジャーは必死に胸の辺りを押さえようと必死であった。


「何だ?」


 魔法眼でロジャーの胸元を見つめたシュミテッドは、その異変に眉を細めた。


 ロジャーの胸元には網目のような亀裂が縦横無尽に走っており、その亀裂は見る間に全身に拡大していく。


 最初はリンゼの体当たりのせいかとも思ったが、そうではない。リンゼの攻撃は身体を吹き飛ばしただけで実質的ダメージはなかった。


 それはシュミテッドにもわかった。だからこそわからない。何故、ここにきてロジャーが苦しみだしたのか。


 シュミテッドが常人以上の回転率で思考を巡らせている間、ロジャーの胸元から走った亀裂は身体全体に行き渡った。


 そしてそれは起こった。


 ロジャーの胸元から大型のガラスが砕け散ったような破裂音が響くと、細かな光の破片を散りばめながら一人の少女が体内から飛び出てきた。


 イエラだ。


 シュミテッドの魔法眼は確かにその容姿を視界に捉えていた。手足をバタつかせながら、真っ逆さまに落下していくイエラの姿を――。

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