時を超えたチェーンメール

【怪異14】終落

「……これがその絵葉書。色褪せてるけど」


 ミカンの段々畑が延々と重なる、日当たりのいい山肌の民家。

 その長い縁側へ腰を下ろし、家主の長谷川繁はせがわ・しげるさんが差し出してきた絵葉書を、両手で丁寧に受け取る。

 同時に長谷川さんがベタリと廊下へ腰を落とし、膝を曲げて座り込んだ。

 黄ばんだステテコ、全体的に薄い白髪、皺が深く刻まれた顔、タバコで痛めたであろう喉から絞り出されるしゃがれ声。

 しかし彼の老齢を一番物語っているのは、裸足はだしの裏にあるゴツゴツとした隆起だろう。

 何千回……いや何万回と上り下りしたであろう、頭上と眼下のミカン畑。

 季節は五月、いまその枝葉に実を見ることはできないが、わたしの目的は美味しいミカンではなく、いま手の中にある絵葉書。

 半世紀以上前の絵葉書を、切手と絵葉書の収集を趣味としていた片田舎の少年は、二度の改元を経てもなお保存していた。

 知人の知人の知人の紹介という、か細い糸を騙し騙し手繰り寄せながら、わたしはようやくこの絵……情景を目にする。

 絵葉書は、いわゆるチェーンメール。


「……これはチェーンメール。ネズミ算式に増える悪戯葉書ですね?」

「ああ。俺がガキのころに流行った、しょうもない冗談ジョークさ」


 そんな悪戯に夢中になってしまった少年時代へ思いをはせるかのように、長谷川さんがタバコ臭い息で吐露。

 こちらはにわかに息を止めてその悪臭をやり過ごし、絵葉書の裏面を見入る。

 絵葉書の裏面……すなわち絵、写真。

 長谷川翁の住所氏名を無視し、マツの木が意匠の二〇円切手に一瞬目を止めながら、裏面に印刷されている絵画へ視線を落とす。

 色使い濃いめの水彩画、その印刷物。

 シルエットで描かれた連山の谷間にわずかに日差しを残す夕日。

 空の高いところは暗く、無数の星が瞬いている。

 でこぼことした水平の地の立つ、木造の平屋建て。

 そのガラス窓は弱々しい電灯で黄色に染められ、家屋の端……炊事場と思しき場所からは、薄い蒸気が星を目指して上っている。

 童画と水彩画の中間みたいなタッチで描かれた情景。

 高度成長期にあった村落の、家電の普及具合を絶妙に描いた一枚。

 当時、受け取った者の数だけ解釈が生じそうな、味のある……それでいて狡猾な絵。

 その左端の夜空部分に白い手書き文字で、こんな一文がある。


『未使用の葉書へ貼り付けて、ご友人へこの幸せをお届け下さい』


 白い絵の具と細筆で認められたであろう、達筆ではないムラのある書体ながらも、誠実さに満ちたメッセージ。

 これはいわゆる──。


「……幸福こうふくの手紙、ですか」

「そうそう。不幸の手紙の……別バージョンさ」


 一九七〇年代に流行したチェーンメールの一種、不幸の手紙。

 それは『五人へ同様の手紙を出さないとあなたに不幸が訪れます』といった文面の、少々たちの悪い悪戯。

 拡散すべき枚数は、お小遣いが潤沢でない子どもを意識しての三枚や、「死」を連想させる四枚などまちまち。

 これが七〇年ごろのオカルトブームにピタリとはまり、大流行。

 また、いまで言う「招待制SNS」「LINEグループ」的な人間関係の濃淡を浮き彫りにさせるリトマス紙要素も、拡散に追い打ち。

 「葉書や切手を売らせるために郵政省が仕組んだ策略じゃないか?」って陰謀論もあったほど。

 あ……っと、郵政省はもう解体されてるんだっけか。

 まあこの手の悪戯……チェーンメールってのは、日本国内外問わず、大昔からあるんだけどね。

 ……にしても、この牧歌的な風景画、味わいある。

 だれかに見せたくなる当時の人の心理、わかる。

 アナログ版の再投稿リポストね。

 この画風、東山魁夷ひがしやま・かいいの影響も見て取れるわ。


「……東山魁夷のタッチに寄せてますね」

「おっ! あんたその若さで魁夷を知ってるのか!?」

「ええ、まあ。こうして訪ねてくるくらいですから、アハハ……」


 ……ふう。

 「安楽椅子の妊婦」のときもそうだったけれど、わたしはあんたたち人間よりずっと年長だっての。

 うっかり口滑っちゃった。

 長生きゆえの語りたがり……まだまだわたしも俗、ね。


「魁夷の未発表作って噂もあってな。それがよけいにこれをバラまくことになった」

「まあ、東山魁夷は風景にこんな俗は入れませんが」

「そうそう。画壇もこぞってその説を否定したな。魁夷本人からのコメントもなくって、それでこのチェーンメールも収束したっけか」


 その画壇に、例の画商もいたのかしら?

 いまとなっては彼の見殺しが惜しいわ。

 高齢者の見殺し……という点では、今回の探訪もそうなのだけれど。


「……なるほど。たいへん興味深い話、ありがとうございました」

「あれっ? もういいのかい?」

「ええ、まあ。実物を見て、東山魁夷の作ではないとわかったもので」


 ……わたしがこの絵に興味を持ったのは、まったくの別口。

 令和に入って不自然に相次いでいる、高齢者の失踪事件。

 認知症を患っている高齢者がとある日失踪し、家族や行政が目撃情報を募る事案が、過去にないペースで多発している。

 単なる失踪事件とは思えない。

 怪異の視点からアプローチし、辿り着いたのがこの絵葉書──。


「……長谷川さんは、この絵への思い入れはあります?」

「いや……ないなぁ。あればだれかへ転送して、いまここにはないさ。教室クラスのアイドルとかへね。結局死んだ嫁さんが、終生のアイドルだったがな」

「それはそれは、ごちそうさまです。ではそろそろ、失礼します」


 絵葉書を所有者へ返し、郊外の農家を去る。

 ……絵葉書に描かれた村落の情景。

 それは質素でありきたりながらも、その時代を懸命に生きた人の心へ、強く訴えるものがあったのだろう。

 そしてこのは、必然的に人気者へと集まる。

 なにしろ『ご友人へこの幸せをお届け下さい』と書かれてあるのだから、嫌いな奴へ葉書代切手代を費やす算もない。

 「好きな相手へうっすら告白できるチャンス!」と、この葉書を利用し、想い忍んだ彼、彼女へと、絵葉書は渡ったことだろう。

 その、葉書をたくさん受けとったの記憶に、この風景が刻まれていたならば──。

 絵葉書に描かれている、物質にはまだまだ恵まれずとも、心は幸福の味を知っていたその時代。

 いま老いた人たちが、絵葉書の景色へ帰ろうと実在しない村落を求め、あやふやな記憶力に肉体を操作されて、ありもせぬ幸福な村を夢想して徘徊し……。

 山へと入り、廃集落と耕作放棄地を目にし、それでもなお、この先には「あの温かな光景」があると信じて突き進み……。

 数時間後、もって数日後に、人間としては長めの生涯を閉じる。

 令和で牙をむき始めた、半世紀もの猶予期間モラトリアムを置いた、人食い絵葉書。

 この怪異に命名し、言霊で紐づけるならば……。

 ……終落しゅうらく

 ついの集落をもじって終落。

 んー……いまいちな気もするな、仮称ってことにするか?

 けれどこうした怪異は早めに名づけて、言霊を紐づけたほうが、その存在が型に嵌り、制御が利くようになる。

 あとはその呼称へ、怪異の姿を写した絵と、簡単な説明文を添え、人間界へ定着させる……。

 その、怪異の名前、特徴、姿を伝えるのが、わたし個人が編纂を続けている怪異録……だ。

 ある程度怪異の数が溜まったところで、つての小さな出版社で本にしてもらい、全国の本屋と図書館……の隅に置いてもらう。

 あるいはWEB上でデジタル配信……。

 時代の流れとともに、人間の干渉で生じた怪異を、言霊を用いて存在を制御するために名づけ、書籍やネットでその存在を確たるものへしてもらうために……人間へと広める──。


「それが……わたしの仕事の一つ、ふふっ。さて……」


 ……さて、バス停だ。

 この集落から街中へ移動する最終便が、そろそろ来る時刻……。

 ……………………。

 ……………………。

 ……………………。

 ……来ない。

 時刻になっても来ない。

 まあ、田舎のバス路線だし、多少の誤差は…………って。

 あっ…………。


「ああっ……ここ、認知症徘徊者の収容用バス停じゃないっ!」


 認知症を患った高齢者は「行きたいどこか」へ行こうと、とりあえずバス停のいすへと腰を下ろす……。

 その心理、あるいは本能を逆手に取って、徘徊中の認知症患者を確保するための、バス停を偽装した建物が日本のあちこちでできてる……って話は知ってる。

 気を抜いていたとはいえ、それに疑うことなく立ち寄ってしまったってことは……。

 この不老不死のわたしも、どこかの領域で人間的に年を重ねてるって……ことっ!?

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