ちよこれいと大作戦 Ⅵ
鞍馬手織は、鬱屈した気持ちでいた。
自覚している自分の弱点として、気持ちの切り替えがうまくない。とくに仕事のミスなんかは、たとえ些細なものでも引きずるほうだ。
——くそ、ぜんぜん役に立てなかったな……。
泥酔したパートナーを引っ張って会場を歩きながら、テオリはマスクのなかで苦汁の表情を浮かべていた。
今回の件は、もちろん仕事ではない。職場の先輩に同行しただけで、プライベートもいいところだ。
しかも、もしもうまくいかなかったとしても、目当てのチョコレートが買えないというだけ。
普段のテオリであれば、そもそも一笑に付すようなイベントだというのに、それでもロクに役に立てなかったという事実が、いやに心を蝕む。
せっかく頼ってもらえたというのに、俺ときたら……。
連勤で疲れていたせいか?
まさか、ライラと話しすぎてバカが感染したんじゃねえだろうな……。
そう疑っていると、
「だいじょうぶ? 鞍馬くん」
先導するシルヴィが振り向いた。
そのやけに凛々しいまなざしを、テオリは直視できなかった。
ときおり、目があうと心臓が跳ねることがある。その理由が、テオリにはわからなかった。おそらく、尊敬する先輩だから失望されたくないという、後ろ向きな理由だとは思うが……。
「ぜ、ぜんぜんだいじょうぶっす」
「悪いわね、ライラさんを任せっきりにしていて。もう、すぐそこだから」
「なに言ってんすか。こんなんでも俺のパートナーなんですから、俺が面倒みるしかないっす……」
オラ、きびきび歩け! と、まるで奴隷を連れるようにしてテオリは乱暴にひっぱるも、「ふにゅうぅ~」と腑抜けた声を出して、ライラはふらふらついてくるばかりだった。
なにはともあれ、もうクイズも終わりだ。あとは先輩に買い物してもらって、このバカを適当に送り届けたら、自分も家に帰ってとっとと布団をかぶろう――。
目的地である、会場の奥に辿り着く。
人混みを掻き分けると、そこには――さらなる人混みがあった。
「あら……?」
「? なんだ……?」
違和感に気づいたのは、シルヴィと同時だった。
ものすごく見覚えのあるマスク――中央連盟の職員の指定マスクをかぶっている人間が、とあるブースの内側で、ショップの店員と話していた。
まわりのブースの人間も、みなそれに注目している。
「失礼。なにがあったのか、教えていただけますか」
すばやく駆け寄ると、シルヴィがそうたずねた。
「あー……えっと、お客さんですかね? すみませんが、一般の方には……」
「第七のバレトです」職員にだけ聞こえるように、シルヴィは極めて小声で伝えた。バッグのなかに視線を誘導したのは、粛清官手帳をみせるためだったのだろう。
身分を知った職員は、途端にビシッと姿勢をただして敬礼した。
「お、お疲れさまです! まさか、粛清官殿にもご連絡がいくほどのことだったとは……!」
「どうかお静かに。わたしは、私用でこのイベントに足を運んでいただけです。事情がわからないうちに事を荒立てたくはありませんが、なにがあったのかはぜひ知りたくて。事件性のあることですか?」
「え、ええ。まだわれわれも聞き込みをはじめたばかりなのですが――どうやら、このTHE APARTMENTという店の女性店員が、何者かに攫われてしまった可能性があるようでして……」
その言葉に、一同は衝撃を受けた。
酔っ払っているライラを除いて。
*
「ッ……痛ってぇーなぁ……」
彼女が目覚めると、暗い密室のなかにいた。
ドクター・レイチェルは、すぐにここが車のなかだということに気がついた。
全体が揺れている。おそらく、走行する車のトランクに閉じこめられているのだ。
なにが、どうなったんだっけ……。
霧がかかったようにぼんやりする頭で、気をうしなう前のことを思い出す。
えーと?
俺様は天才のパティシエで?
毎日自由に楽しく菓子を作って、菓子を配って?
で、あのいつもうっさいバフォメ社の企画部のおっさんが、中央街の金持ちのために限定チョコレートを作れとかなんとか言ってくるのがうざくて?
それで――ちっとはマシなやつになら、まあ食わせてやってもいいけどぉ? って挑発のつもりで言ったら、「ドクターの人柄は知られているし、そういう企画も悪くないか」とかなんとか言って、アイデアが採用されちって?
そうした理由で開いたのが、今年のチョコレートフェスのクイズ企画だった。
金持ってるだけのアホじゃ解けないように、何日も考えて凝った問題を作って、いろいろ手配したんだっけな。
どうせだれも解けねーだろってわかっていたけど、律儀にクイズの答えになる最終地点で来ねー待ちびとを待っていたら……
たしか……呼ばれたんだ。
俺様がいたブースの裏。非常ドアのほうから、ちょっとすみません、来てくれませんかって、だれかに言われた。
めんどくせーな、だれか怪我でもしたのか? まあ、どうせ暇だし、席を立つくれーはいいけど……そう思って様子をみにいったら、頭をブン殴られたんだ。
犯人は、男女のふたり組だった。
どういうわけか、マスクじゃなくて素顔だった。ガタイのいい、いかにもヤンキーみてーな角刈りの男と、金髪の、やっぱこっちもヤンキーみてーな女。
いちおう抵抗したけど、腕っぷしじゃあ無理だ。だいたい、この黄金の手はまちがっても壊せねーしな。
そこまで思い出したレイチェルは、フンと鼻を鳴らし、縛られているせいで動かしづらい身体をどうにか回転させて、できるかぎりラクな姿勢を取った。
どこに連れて行かれるのだろうか。
犯人はなにが目的なのだろうか。
自分は……殺されるのだろうか。
恐怖がないとは言わない。それでも取り乱さなかったのは、レイチェルの生まれ育った環境によるものだった。
砂塵世界じゃ、死ぬときゃ死ぬ。
あっけなく逝くやつ、何人も見てきたし。
ただまあ、最低でもそうなるための理由ってのが知りたいけどな……。
いやに揺れる車だった。どうやら相当の安物のようだ。
そのせいかはわからないが、わずかに声が聞こえてきた。
「——……うして殴ったのさ! 素直にお願いするって話だったじゃないのよ!」
「しょうがねえだろ――! だいたい、正面から頼んで聞いてくれる……ねーだろ!それに、もう関係は……ねえ! おれたちは――……を、出ていくんだ!」
「あんたって男はむかしから――!」
「お前だって……!」
大声でひどい言い争いをしているようだ。
勝手にしてろ、バカ、と言いたいところだったが、誘拐犯にはできるだけ冷静でいてもらったほうが助かるというのが、攫われた側の正直な意見だ。
まあ、いい。
物事はなるようにしかならない。
レイチェルは唇を舐めた。
甘味が恋しかった。最後に食べたのは――今回、自分の作った試作品か。
あれが最後だという可能性があるなら、俺様はもっとがんばっただろうか?
いや――とレイチェルは首を振った。
全作品に魂を込めている。俺様の作る菓子は、すべてが最高傑作だ。
だから、あれが最後になっても後悔はねえ。
ただし――ともういちど首を振る。
もしもこれが最後だから好きなものを食えと言われたら。
――俺様が選んだのはきっと、ビフィー・ラビットのチョコレートなんだろうな。
レイチェルを乗せた車は、全速力でどこかへと向かっていった。
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