問題爺かく語りき Ⅲ
――これは、本編のけっこう前のことである。
「小生が思うに、主従関係とは、一方的に隷属的であると考える。いちど服従を誓った従者は、その後の主人がいかなる変化を遂げようとも、その当時の主人の姿を覚えているならば、態度を変えることはない。これは、以前の小生の持論とは異なるものだ。あれはまだあるじを持っていなかったころの、青い小生の、青い持論であった」
老人は、ひと息にそこまで言うと、ティーカップにくちをつけた。
場所は、中央連盟本部の空中庭園。高層階にある、うえからみると口の字をした外席である。四方はガラス張りであり、マスクを外すことができる場所だ。
周囲に咲くのは、遺伝子研究によって人工的に生まれた、花の各種。
中央には、ガーデニングチェア。
ジャーヴィスは、そこでティーセットを広げていた。が、カップの中身は茶ではなく、プロテインであった。
どういうわけか、茶器で飲んでいた。
「なんだか若返ったようにみえますね、ジャーヴィス」
「む。それならば、日々が充実しているからであろう。すべては警壱級のおかげだ、感謝している」
「そ、そう素直にこられると気恥ずかしい感じがしますね……」
対するのは、リィリンである。
ジャーヴィスは、たしかに肌つやがよくなり、以前よりも若返ったようにみえる。
もちろんリィリンのほうは、若返るもなにもない。
完璧に、昔のままの姿で向かい合っている。
「最後にあなたとこうしてお茶を……あなたのはお茶ではないですが……とにかく、こうしてゆっくりと過ごすのは、およそ五年ぶりですね」
「む。われわれにとっては、そう長いものでもあるまい」
「そうかもしれません。ですが実際のところ、あなたとふたりで過ごすのは、これくらいのペースでじゅうぶんです」
「ふはっは。元上官ながら、言いおる」
快活に噴く老人。
そのとおり、リィリンはすでに、ジャーヴィスの上司ではなかった。
現在は、べつの指揮系統で動いている。
「ところで、どうですか、最近のあの子は」
「わがあるじならば、健勝甚だしいぞ。なんといっても、小生がすべての栄養バランスを完璧に計算し、仕事のスケジュールも適切に管理しておる。もっとも、連盟の内外であれだけ活躍される御方、当人の希望もあって、まともな休日は月にいちどしかご用意できていないのだがな」
「では、きょうあなたがフリーなのは……」
「うむ、本日がその日だ。ごゆうじんと、すぱとやらに行かれるとのことであった。小生もついていこうとしたのだが、」
「そんなの、怒られるに決まっているでしょう」
若い女の子が、プライベートの遊びにじいさんが同伴してきて嬉しいはずもない。
とはいえ――とリィリンは思う。そうはいっても、あの子もあの子で天然、お目付け役がいないとなれば、それはそれで嫌な予感がする。
「小生も、書類仕事がたんまり溜まっておる。あるじについていることができぬのであれば、消化しておかねばな」
「あの万年おさぼり粛清官だったあなたが、書類仕事ですか」
「む。当たり前だろう。わがあるじに、あのようなつまらぬ雑事をやらせるわけにはいかぬ」
「私の下にいたときは、ただのいちども手伝いなどしてくれなかったように記憶しているのですが……」
きりっとした顔に、リィリンはあきれた。
だが、あきれるくらいでちょうどいいのだろう。
あのころのジャーヴィスは、死に体だった。理想があるのに、その理想に生きることができない、かなしい老人だった。
今がそうではないのなら、べつになんだっていい。
「私がどうですかと聞いたのは、もっと実務的な内容のつもりでした。あなたたちの基本の活動場所は、地下でしょう。報告書には目を通していますが、ナマの感想も知りたいところです」
「小生も、わがあるじも、地下攻略は性に合っておる。〝火事場〟のぼうずと持ち回りのようなかたちとなっているが、あの無駄な縛りはなくしてもらいたいものだ」
「それでしたら、心配いりませんよ。ボッチはとっくにルーチンを無視して、地下に入り浸りです。あの子の持ち帰ってくる情報量は、本来の攻略時間では説明がつきませんよ。あなたがたも、もしも潜行の時間が増やせるのなら、どうぞお好きに」
「む、そうであったか。形骸化している制度なら、小生としても異論はない」
生来の風来坊か、フレキシブルに受け入れるジャーヴィス。
リィリンからすれば、もう少し本部を拠点に動いてもらいたい人材たちだったが、今やべつの指揮系統のこと、当人たちの意向に任せるつもりでいた。
「もう少し飲まれるかね、警壱級」
ジャーヴィスは席を立つと、ティーポットを持ち上げて中身を確認した。なくなっているとみると、みごとな手際で用意していく。
「そういうことができたのですね、あなたも」
「む。こうみえて学生の時分は、なかなかに優秀だったのだよ。もっとも、何十年も前の知識で止まっていたゆえ、一からまた叩きこんだのだが」
「喜ばれていますか? あなたのあるじさまには」
皮肉をこめたリィリンのことばに、ジャーヴィスはくつくつと笑って首を振った。
「わからぬ。わがあるじは、茶よりも炭酸飲料水を好く。だが、それでよいのだ。奉仕とは、やはり一方的なものよ。この老いぼれの自己満足に付き合ってくださるあるじには、頭が上がらぬ」
いかにも幸福そうな横顔の老人に、リィリンの口許が自然とゆるんだ。
間近で観戦することになった、ふたりの契りの一戦を思い出す。
「――わが生涯を、貴女に捧げたい」
敗北したのち、儀式としてみずからの握る剣を差し出すかのように、インジェクターを捧げて膝をついた老人に、バニーはわらったのだった。
かりにそれがおかしかったり、滑稽だったからだったとしても、無表情であることが悩みの少女が、たしかにわらったのだった。
あのとき、リィリンが第一に心配していたのがジャーヴィスであったことにはまちがいない。だが、パートナーに恵まれない可能性があったのは、向こうも同じだったのもまた事実だ。
存在をおそれられてきた少女。うさぎは、本来はさびしがるものだというのに。
だからリィリンは、この采配以外ありえなかっただろうと考えている。
(どうあれ、私は、あなたがたの関係が一方的なものだとは思いませんよ)
とある日の昼下がり、リィリンが普段は午睡に充てている時間が、ただ静かに過ぎていった。
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