相州村岡郷平忠通邸「跡」・頼義、敵の名を知るの事

焼け落ちた屋敷のど真ん中で平然と酒を酌み交わしている二人の武将は、頼義たちを見ると手招きをして盃を差し出した。



「すっかり見晴らしが良くなっちまったが、まあひとつ雪見酒と洒落込むとするかいね。雪も降ってねえけどな」



黒焦げのはりに腰をかけて座り込んでいる人物がそう言ってグビリと杯をあおる。もう一人の人物も何事もなかったかのように黙って盃に満たした酒を口にする。



「こんな状況でよくもまあ酒なんぞかっ喰らってやがるなあ碓井のとっつぁんよう。怪我はねえのかい?」



金平が呆れたように言った。「碓井のとっつぁん」と呼ばれた男……かの頼光らいこう四天王が一人、碓井うすいの貞光さだみつはそう言われても平然と杯に酒を継ぎ足す。



「おかげさんでな。さすがは武家屋敷よ、ちゃんと逃げ道が作ってありやがる。家の連中もうまいこと逃げおおせたもんだから死人も怪我人も出ねえで万々歳ってとこだ。しかしお前さんは相変わらずの口の聞きようだなオイ。もう少し年配者に対する敬意の念ってものを抱きなさいよ。ねえそこのお人」



唐突に話を振られて頼義は返事に窮してしまう。



「ははは、貞光のおじさんの事なんて覚えちゃいねえか。いやいや、すっかり大きくなったもんだねえ。まあ仕方ねえ、俺が『すゞ子』ちゃんの顔を見たのはまだ赤ん坊の頃だったからなあ。いやいや、それがこんな立派な若武者になられるとは世の中は面白きものよ。うんうん、目元あたりがまた親父殿に良う似とる……可哀想に」



さりげなく失礼な事を言われたような気がしないでもないが、本人には全く悪気は無いものらしい。「すゞ子」と女性名で呼ばれたのも久し振りだ。だが今、自分は「女人」ではなく「武士」としてここに立っている。頼義は姿勢を正し、改めて眼前の武人……頼光四天王が一人、碓井貞光に向かって挨拶をした。



「この姿ではお初にお目にかかります。上野介頼信が嫡子、さきの左馬助さまのすけ頼義に御座りまする。ご子息貞景さだかげどのにはひとかたならぬお世話になり……おせわに……」



大丈夫、と思って切り出してはみたものの、口を開いた途端固く堪えていたものがせきを切ったように溢れてきた。せめて最初の挨拶くらいはと我慢していたが、「貞景」の名を出した途端、自責の念に駆られてしまう。あの立派な、誰もがその将来を嘱望しょくぼうした若者の命を、自分の未熟さ故にあたら無駄に散らしてしまった事。頼義は思い極まり、言葉を失ってしまった。貞光は動じる事もなく頼義の次の言葉を待つ。



「わ、私の、至らぬばかりに……ご本家の大切なご嫡子を、まことに、あい申し訳なく……」


「なんの。あれも武門の道に生きた者よ。戦さ場で果つるならそれもまた本懐であったろう。貴殿のような良き主君に巡り会えて愚息は幸せでござった」



貞光は笑って頼義に向かってこうべを垂れる。その謝意を過大に感じ取ってしまった頼義はいっそう畏まってしまう。そんな彼女に向かって再び頭を上げるとニコリと笑みを浮かべ



「ま、とりあえず飲もうや、貞景せがれの弔いも兼ねてまずは一献」



そう言って貞光は盃を差し出す。



「なーにいい話みたいに持ってこうとしてやがんだよとっつぁん、単にテメーが飲みてえだけだろうが」



金平が盃を横取りしてグイッと飲み干す。貞光は怒りもせず「ちげえねえ」と笑ってまた酒を注ぐ。



「で、何が起こったってんだよこりゃあ。寒いからって家に火をくべて暖でも取ったか?」



金平の悪口あっこうにもまるで平気な顔で貞光が事の次第を語り出した。



「まずはこちらにおわす御仁を紹介せんとだな。この野郎サマは当屋敷の主人にて『鎌倉党』の棟梁とうりょうであらせれる村岡むらおかの次郎じろう太夫だゆうことたいらの忠通ただみちどのだ。俺とは腹違いの兄弟に当たる」


「なんだいねその紹介は。持ち上げてるんだか馬鹿にしてるんだかわからぬぞ」



紹介された武人はそう言い返した後、柔和な笑みを浮かべて頼義たちに会釈した。鎌倉党、と確かに貞光は言った。頼義はあの夜、初めて襲ってきた異形の賊の言った言葉を思い出していた。


(鎌倉党にくみするならば生かしてはこの地を去らせぬ……)


という事は、連中は自分たちをこの人物と引き合わせる事を妨害しようとしていたという事か。



「鎌倉党、と申しますと」


「なに、この辺り一帯の豪族どもを取りまとめるゴロツキの集まりみたいなものよ。地域の産業や交通の保護を目的とした武装集団、と言えば聞こえはいいがな、ははは」



なるほど、祖父源満仲みつなか摂津国せっつのくに多田荘ただのしょうを支配地として多くの家人を抱えて「多田党」という一族郎党を組織していたのと同じようなものらしい。この地域の有力な武家勢力なのだろう。



「この辺りはまあ坂東ばんどうの中でも産業が色々と盛んな地域でな。その産業品の流通を巡って上総国かずさのくにの連中とちょっとした『縄張り争い』みてえな事態が起きちまっているのよ」



前にも感じた印象だったが、武蔵国むさしのくにを挟んで遠く離れた相模国と上総国でこのような争いごとが起こるのが頼義には不思議だった。しかし貞光と忠通が説明するところによると、大昔東海道は武蔵国を通らず、ここ鎌倉から海路で上総国に繋がっていたのだという。陸路では湿地帯である武蔵国を通過して何十里もの長い距離を幾日も費やして行かねばならないため、相模灘から三浦崎みうらのみさきを回って浦賀水道を通り上総国側の館山に達する海路は古くから発達しており、そのため両国の交流は意外にも頻繁に行われていたのだそうだ。


今までは特に波風が立つこともなく両国共存しながら交易を行っていたのだが、昨年辺りになってから急に上総国に流入する物資に高い租税をかけられたり、海上を封鎖して東北地方から送られてくる生産品の輸送を差し押さえられたりと、その動きが不穏になってきたのだという。



「その上な、いよいよ相模灘方面にまで海上で略奪行為を行うようになってきてのう。中央に願い出てもその動きは遅い。これ以上の被害が広まる前に自分らで対処しようと箱根からわざわざ貞光を呼んで今後の対応を練ろうとしていた矢先に、これよ」



次郎太夫こと忠通が渋い顔で言う。どうやらこちらから打って出る前に逆に先手を打たれて焼き討ちにあってしまったものらしい。先方は初めから戦を仕掛ける気であったと見える。



「連中の狙いはハッキリしておる。我ら『鎌倉党』を排除してここ相模国の利権をも自らの手中に収めたいのであろうよ、あの若造は」



あの若造は、と忠通は言った。すると、敵の首謀者はすでに見当がついていると言う事か。どうやら父頼信が「追捕使」として派遣される次第になったのも、その首謀者の名が判明していて、その捕縛・討伐を目的としたものであったか。



「その首謀者とは、何者なのでございますか」



頼義が聞く。貞光と忠通は顔を見合わせてから頼義に答えた。



「その者の名は『たいらの忠常ただつね』と言う。つい先年『上総介かずさのすけ』に就任したばかりの若造よ」

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