第1話  ノースランド家の朝



「グアアッ~」


 大きな欠伸をして、居間に入ってきたノースランド・ビンデを見て、母と姉は顔を見合わせた。


「あんた、また飲んできたのかい?」


 母のセッツが聞いた。


「ん、ああっ……」


 眠そうな顔をして居間を通り過ぎていくビンデ。


「あんた、新聞に出てたけど、憲兵たちが酒場で騒いでいる連中を捕まえているんだってさ。気をつけなよ」


「母さん、それはグララルン・ラードの事さ。ここでは関係ない」


 ここは首都グララルン・ラードから西へ百四十キロの場所にあるナターシャと呼ばれる街である。太古の昔からムーア大陸の町々を結ぶ街道、ソルトロードの宿場町として、ナターシャは栄えていた。


「しかし、国はいつも私たちを見張っているんだ。気をつけないといけないよ。法を使ったりしてないだろうね?」


 今年、八十一になる母は、足腰は弱くなったが、気はしっかりしており、猜疑心は歳を重ねるごとに強くなっていた。


「使ってないよ。心配性だな」


 ビンデは顔を洗いに外へ出て行った。


「本当に使ってないかね?」


 母は、隣に座る娘のヤーニャに聞いた。


 ヤーニャは開いた本から目を離さず、首だけを捻ってみせた。


 このノースランド家には秘密がある。


 ナターシャの田舎町に暮らす年老いた母といい歳をした子供二人はその秘密の為、世間から隠れるようにひっそりと暮らしていた。


 彼らはこの世界で唯一、魔法を使える一家であった。


 長男のビンデは自分のことを『なんでも屋』と称している。


 見た目は小太りで背が低く、何処か憎めない愛嬌があり、職業同様に捉えどころがない印象を与える。


 昼頃から、外へ出て、いつものようにナターシャの町を巡って、要件を聞いて回る。


 ナターシャの街は流通の中継地点の為、多くの旅人や商人が行き来する。その中で困っている人がいれば、助けてやったり、宿を探してやったり、病人がいれば、医者に連れて行ってやったりもする。勿論、町の人々の困りごとにも対処してやりお金を得ているが、その報酬は決して高くはない。


「お前、よくやっていけるな」


 よく知り合いの大工の棟梁がビンデに言うが、ビンデはへらへらと笑っているだけだ。


 実はビンデには他に副業がある。エントラントから泡の出る水を運んできてもらい、それを町の酒場に卸しているのだ。これが今や本業をしのぐ、金が手に入る。


 この泡(あわ)水(すい)はエントラントでしか取れない水で、エントラントの外れにある山の裾野から湧き水として出ているのでタダである。しかし、サウズ・スバートまで持ってくるには、人件費がかかり、それをビンデが払って、酒場に卸しているのだ。


 この泡水とラクという酒を五対一(水5:ラク酒1の割合)で割ると得も言われぬ爽快感とのど越しが味わえる魔法の酒となる。これが今、ナターシャの町はずれにある『トダンの酒場』で密かなブームになっているのだ。


 この日は、エントラントの行商人ハッサンタルトが、泡水を大きめの馬車で持ってくる日であった。


「しかしねえ、旦那。去年の災害で、道はやられ、これ以上早く来るのは無理でさあ。それにこの馬車だと途中の道もいっぱい、いっぱいなんでさ」


 真っ黒に焼けた顔をしかめ、ハッサンタルトは言った。


 馬車で運んできた樽を下ろし、空の樽を積んだ後、ビンデは行商人に対し、もっと早く来れないかと催促した。時間が経てば、経つほど、水の中に含まれる泡の量が減っていく事に気付いたからである。


「じゃあ、もう一人、誰かを御者を雇えばいい。二人いれば、違うだろう?」


「エントラントは今、好景気でね。なかなか行商人をやる奴がいないんですよ。探してはみますが、見つかるかどうかね」


 ハッサンタルトは上目遣いでねだるような目をする。


「分かった。お前の給金を倍にして、御者にも金は弾むと言っておけ。大体、お前、本業でも相当儲けているだろう。小遣い稼ぎにしては儲けすぎだ」


「へへっ」


 と歯をむき出しにして笑うその歯が真っ黒なヤニで汚れていて、思わず顔をしかめるビンデあった。


 泡の出る水の入った樽を『トダンの酒場』に運び込んだ後、ハッサンタルトを見送り、ビンデは店の中に入った。


「ご苦労さん。全部で十樽。五十万ルギーだな」


 酒場の主人、トダンは樽のようなお腹をした大男である。赤い鼻の頭をして酔っ払いのように見えるが下戸である。


「なあ、もう少し、上げてくれないか?何しろ、エントラントの行商人ががめつくてな」


 ビンデはカウンターの椅子に腰を掛け、トダンと向きあった。


「ん?うんん……」


 トダンは歯切れの悪く、口の中で唸った。


「泡ラク酒も好調だし、売り上げもかなりいいんだろ?」


「だが、いつブームが去るかわからん。なんてったって、国の政策が出たばかりだ。税金もまた上がる」


「そうなりゃあ、逆に酒場に人が押し寄せるよ。国王に対する不満を肴に酒が飲める」


「それだって、憲兵の耳に入れば、逮捕されるって話じゃあないか」


「都だけだろ?」


「いや、昨日、トリ地区の酒場で逮捕者が出たそうだ」


 トリ地区は、トダンの酒場の隣の地区で、ナターシャの中心地区である。因みにここは中心から外れたウマ地区である。


「そうか……面倒くさいな。国王は国民のうっぷんまで取り締まろうっていうのか。ひでぇ話しだ」


 ビンデは鼻を鳴らした。


「都では、酒場が営業停止になるケースもあるそうだ。そうなったら、俺たち一家はどうなる?小さいガキが三人もいるんだ。それをお前が面倒見てくれるのか、ええっ?」


 トダンの言葉をうるさそうに手で払って、ビンデは続けた。


「なんで、酒場まで取り締まる必要がある?」


「そりゃあ、国民の暴言を助長させたとか、提供した場だとか言って」


「バカバカしい。こちとら、国民の明日の活力を与えているんだとか言ってやれよ」


「言えるか……だから、今後、どうなるかわからんのよ。店の経営も。それにラク酒の増税の問題もあるし、大変なんだ。嫌な世の中になったもんだよ」


 とトダンはため息を付いた。


「ンンッ?今、なんて言った?」


「ラク酒の増税のことか?まったく、酷いもんさ。五割増しだって言うんだから。これじゃあ、商売あがったりだよ。売上は確実に落ちるだろうよ。なんたって、ずうーっと不景気だしな。下手すりゃあ……」


 ビンデがトダンの話を手で制す。


「ラク酒の増税?」


「ああ、だから売り上げが確実に下がるよ。下手すりゃ、つぶれる店が出るかもな」


「……ラク酒の税金が増える?」


「そう言っているだろ。新聞を読んでないのか?今まで一リットルあたり千ギルだったのが、千五百ギルになる。四月からだ」


「ふ、ふざけんなああ~」


 ビンデがカウンターを激しく叩いて立ち上がった。

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