15 フロランス、孤軍奮戦する

 ナディとレオノールが夜闇に消えて程なく。


 地図を睨みながら戦略を練ってはいたが流石に睡魔に襲われ始めた頃。僅かな振動を感じてそれを吹き飛ばしたフロランスは、宿を飛び出し身体能力を全開にして城壁へと走った。


 そして全速でその上に登り、月明かりに照らされてはいるがやはり薄暗い平原を目を凝らして見る。


 その視線の先に、夥しい数のオークが声も無く接近して来るのが見えた。


 即座に居眠りをしている見張りを起こし、警鐘を鳴らす。それにより奇襲が完全には成功しないことを理解したオークの軍勢は、だが雄叫びを上げながら接近する。


 それに正しく対応出来る兵士は、残念ながら居ない。


 そう。完全な奇襲は失敗したが、恐慌状態に陥らせることには成功したのである。


 ああ、これは駄目だ。


 完全に混乱して伝令すらままならない現状を、フロランスは素直にそう評価した。


 正直に言えば、このまま逃げてしまいたい。なにしろ自分たちが到着した時点で、既に軍として機能していなかったのだから。それに、言ってしまえば自分が其処までしてこの街を守る義理もない。防衛は此処の領主の仕事なのだ。


 だがこの街の領主は、長らく不在であった。運営は商業連合に任せ、王都に住まい税のみを徴収している有様であるのと聞いたことがある。


 いつか痛い目に遭うだろう。そのときのフロランスはそう思った。


 しかし――


「まさか、わたくしがそれに遭うなんて思いもしませんでしたわ」


 自虐的に笑い、ただ慌てるだけの兵士たちを見回して――腹を括った。


「民を守る。人々を守る。それが、わたくしたち貴族なのです!」


 


 それを貫ける貴族など、どれほどいるだろう。もしかしたら、自分だけかも知れない。


 そして逃げてしまっても、誰も文句は言えないだろう。


 だが、フロランスは逃げない。


 それが、自分の誇りなのだから。


 接近するオークの雄叫びはやがて街全てに轟き、やっと気付いた人々が思い思いの行動を始める。それは一切の統制が取れておらず、やはり軍として機能するのは難しいだろう。いや、既にそれ以前の問題だ。


 ならばどうするか。


 フロランスが最初にしたのは、「信じる」ことだった。


「ナディ、レオノール。信じていますわよ!」


 血を分けた妹と、を思い起こし、自身の【フォース】を発動させる。


 ――皆は【】とか【気力オーラ】とかを別物扱いしてるけど、根っこは同じなのよね。


 出立前。刃の翼について聞いたフロランスに、なんでもないことのようにそうナディは答えた。


 ――だから【マキシマム・マギ・リカヴァリー】持ちのフロウは事実上燃費を気にせず【フォース】を無制限に使えるんだよ。


 ――ただし、体力の方が保たないけどね。


 そう言いながら肩を竦める、貧民出身なのに知識量が異常な万能娘を思い起こして口元を綻ばせる。


 ナディは自らを【ナディージア・ヴォリナ】の生まれ変わりだと言っていた。今までの諸々を加味するに、きっとそれは事実であろう。


 だがそれより、口を滑らせたのか稀にアーチボルトがナディを「母上」と呼ぶのが気になっていた。


 アーチボルト・アシェリー・アドキンズ。


 その名に、実は


 ファルギエール家の邸宅にある書斎に、何故か有ったのだ。


【魔王ヴァレリア】の家系図が。


 著者は確か【トリア】という人物で、ファルギエール家の祖先であるらしい。ただ人物像や肖像画すら残っていないため、詳細は不明だ。


 魔王妃が【ヒト種の裏切り者】と謂れているアデライドであるのは周知の事実だが、その子らの全容は知られていない。ただ二百三人の子だくさんであったという伝記が残されているのみだ。


 なのに、それには詳細に記されていた。


 から成る子息子女の名が。


 その多過ぎる名前の羅列を全て覚えてはいないが、は覚えている。何故に前後二人ずつなのかは、自分でも判らないが。


 その上から二番目のが、現魔王である【オードリック・アルフィ・ド・シルヴェストル】。


 下から二番目の末娘が【ヴィクトリア・ヴィラ・ヴァーノン】。


 末子の末息子が【】。


 そして――


 早逝した長女【】の名が、隠すように端にあった。


『お姉ちゃんの前世は魔王妃アデライド。そしてレオも前世は魔王の第一子レオノール』


テネーブル・ソル】でレオノールが言ったそれを、今更ながら納得する。


 ナディが展開していた四色から成る刃の翼。あれはそれぞれ【】の藍、【気力オーラ】の真紅、【フォース】の黄金、そして見たこともない蒼白であった。


 それらを同時に行使する者など前代未聞だし、なにより千年以上前に災厄と恐れられた【燃え爆ぜる皇帝竜】と刺し違えたと謂れている、闘神【ゾエ・ヴォーコルベイユ】でさえ【】と【気力オーラ】を同時に行使するだけであったという。


 それを超え、その四色を同時行使し、挙句その後の一言が「疲れた」で済ませるナディは、明らかに異常だ。


 だから納得してしまう。


 そして――何があってであるアーチボルトが精霊化したのか、それは判らない。だがそれより、以上の推察から導き出される結論は、結局それが事実であるということだけだ。


「まったく。この世は判らないことだらけですわ」


 先ほどとは別の意味で自虐的な笑みを浮かべ、だがふと、とあることが引っ掛かった。


 そういえば、父上がヴァレリーに入学するように命じた時に、ナディと一緒ならと条件を出したと。だがいくら冒険者としての実績があっても、貧民出身者が貴族令息、令嬢が過半数を超える学園に入学するのは、肩身が狭いどころか明らかな標的にされてしまうだろう。


 だがヴァレリーはそれを鼻で笑い、


『社交界に巣喰うなんの実力もない本能で生きている性獣どもが、


 そう言ったと、頭を抱えていた。


 ――アデライドの転生体であるナディを、自分を倒せると評価した弟。


 ――ヒト種には起きる筈のない【魂の継承ソウル・ジェネシス】を弟。


 ――色仕掛けすら辞さない貴族令嬢をことごとく袖にし、だがナディにだけ欲じ……懸想する弟。


 ――そして、スーハーさ……変態行為を受けてもそんなモンだと受け流す、アデライドの転生体であるナディ。


「まさか、なんですの?」


 そこまで考え、だがすぐに切り替えた。


 それにそれは、後で問い詰めれば良いことだ。


「楽しみが増えましたわ」


 眼下に迫るオークの大群――いや、大軍を前に、後の娯楽を見出したフロランスは不敵な笑みを浮かべた。


「フロランス様」


 そのフロランスの傍に、空間から滲み出るようにアーチボルトが現れる。ロングテールスーツを纏ったその姿に見惚れ、思わず笑顔が溢れた。


 その笑顔に思わず胸が高まってしまうのは、きっと生体であった頃の名残りだろう。アーチボルトはそう思う。ナディに言わせれば、それは違うと断じられるだろうが。


「此処は危険です。直ちに避難を――」

わたくしはこれから、アレらを討伐します」


 アーチボルトの言葉を皆まで聞かず、自身に宿る【マキシマム・マギ・リカヴァリー】に意識を向ける。それによりその固有技能はより活性化した。


 それは魔術が使えないから無駄だと言われ続けたが、諦め切れずに研鑽した結果にして成果。


 そして続けて発動する【フォース】が黄金の輝きを放ち、それが天に昇り周囲を黄金に染めた。


 ちなみにそれは意図してやった。理由は、格好良いからとか言うナディとは違い、単に明るくしたかったのと――オークの注意を自分に引きたかったから。


「アーチボルト様」


 止めようとするアーチボルトに微笑み、マジックバッグになっているベルトポーチから白銀の籠手を取り出し装着する。


「お願いが二つあります」

「――お伺いします」


 柔らかな笑顔であるが、それは揺るがない決意であると理解したアーチボルトは、その時点で説得を諦めた。それと同時に、なんと美しいなのだろうとも思う。


「最小限で構いません。この街を、この街の人々を守って下さい」

「……はい。微力を尽くします」

「もう一つは、帰ったらわたくしの話を――」


 そこまで言い掛け、だが口をつぐみ、



 そう言い直した。


「え……そ、れは……」

「愛しています。愛していますわ。魔王の末子、アーチボルト・アシェリー・アドキンズ様」


 優美にカーツィをし、ベルトポーチから長柄の両端に刃がある真紅の双刃刀ツイン・セイバーを取り出し、身体能力を全開にして城壁を蹴り飛び出した。


「【フォース・アクセラレーション】【エクステンション・オブ・エフィック】【マキシマイズ・オブ・エフィック】【リトル・リジェネレーション】【デュレーション・キュアディジーズ】【バイタリティ・メインテイン】【デュレーション・ホウルリカヴァリー】【セーフ・コンディション】【ホウルリフレクション】【ブーステッド・フィジカル】【ブーステッド・マインド】【ハードアーム】【アタック・ペネトレイト】【フォース・ブースト】【フォース・ペネトレイト】【ブラー】【ファスト・ムーヴ】【イレイズ・レジスト】【イレイズ・オブ・オシレーション】」


 そして空中で【フォース】を高速化させ、本来は魔法である自己強化をする。


 なんだ――


「魔法なんて、簡単でしたわ」


 根本が一緒なら、【フォース】を運用しての治癒魔術と同じ要領でそれが出来る筈。そう考えてぶっつけでやってみたが、案外出来るものだ。


「なら、こういうことも出来る筈ですわ!」


 双刃刀ツイン・セイバーに自身から生成される膨大な【フォース】を込め、密集しているオークの一団に飛び込み地面に突き立て、そして――


 黄金の光を撒き散らし、地面を捲り上げ大気を震わせる大爆発を引き起こして周囲のオークを根刮ぎ消し飛ばした。


「……うわぁ……」


 その予想以上の効果に、自分で呆れるフロランスである。ナディに言わせれば、当然の結果だと言わそうだが。


「【爆砕する理力バースト・フォース】。やれば出来るものですわ!」


 周囲に散らばるドロップ品である魔結晶と美味しそうなお肉を見てちょっと名残惜しく思いつつ、だがすぐに気を取り直して独白する。


 そんなフロランスに、城壁の上から魔法が付与された。その効果は即発揮され、散らばったドロップ品が一瞬で集められて虚空に消える。


「あら。これはナディとレオノールが使っている、収集と収納の魔法ですわね。ふふ、アーチボルト様ったら――」


 爆発により半径10メートルほどが空洞化したその中心で、真紅の双刃刀ツイン・セイバーを一振りして呟く。


「女にお肉を集めさせるなんて。たくさん獲って振る舞えというということですの?」


 その空洞化した中心に居るフロランスに気付き、そして黄金に輝く肢体とその美貌にも気付いたオークたちは、歓喜の雄叫びを上げて殺到する。


 オークは闇に住まうというその性質上、光を発するものを破壊する習性がある。そして、美しいものを蹂躙する衝動もまた、その本能に刻まれていた。


 その両方の条件を満たしているフロランスにそうして殺到するのは、もはや自明である。


「ならば、その期待に応えなければ女がすたりますわ!」


 並の者ならば恐慌状態に陥ってもおかしくない状況で、だがフロランスは心底可笑しそうに笑ってそう独白し、膂力を全開にして双刃刀ツイン・セイバーを振るう。


 それにより込められた【フォース】が刃となり周囲に撃ち出され、迫るオークをことごとく斬り裂き消滅させ、魔結晶とお肉が落ちて即座に虚空に消える。


 それはアーチボルトが掛けた【アセンブル】と【ストレージ】の効果であるが、別に本当にお肉を集めるために付与したわけではない。単純に足場を確保して戦い易くしただけだ。


 ちなみに、察しの良いフロランスはとうに気付いている。軽口らしきことを言ったのは、いわば気合入れのようなものだ。


 ――こうしてフロランスの孤軍奮戦が始まった。


 一方その頃。


 その街――【交易都市グレンゴイン】では、絶望に染まり無気力になった人々がただ無為に蹲っていた。


 それは兵士や駆り出された冒険者も同様で、オークが城門を破って侵入するという来るべき未来を想像し、震えているだけで何もしていない有様であった。


 それらの人々に、フロランスがたった一人で迎え撃っていると伝えて奮い立たせようとするアーチボルトであったが、それでも尚、人々は動かない。


 それでもフロランスとの約束のため、諦めずに立ち上がるように言うが、逆に怒りの矛先が向いてしまった。


 嗚呼、これは駄目だ。アーチボルトは思う。此処の人々は、助けを乞うだけで何もしないのだと。


 戦うことはおろか逃げることすらしない、自身の命すら人任せな卑怯者どもなのだ。


「……このような、このような卑怯者どもの為に、フロランス様は……!」


フォース】による黄金の光を撒き散らし、逆巻く暴風のように双刃刀ツイン・セイバーを振るい、それでも接近されると即座に群青の二刀――ダブル・ブレードに替え逆手で振るって斬り裂くフロランスを城壁から見降ろしながら、アーチボルトは自身の無力さを嘆いた。


 精霊であるアーチボルトには、実は戦闘能力が無い。事実、肉体が無いために物理的な攻撃など出来る筈もなく、魔法は使えるもののその躰を構成しているのは魔力であるため、それを消費するのは存在自体が希薄となるということに繋がる。


 傍に魔力の塊である純魔結晶や、強烈に魔力を放出する人物がいれば話は別だが。


 もっともその人物は、彼の知る限り身近にいる。そして現在、この街を守るためにただ独りで戦っているのだ。その無限ともいえる固有技能を活用出来れば、魔法による援護も容易い。


 それを可能にするためには、物理的に接触する必要がある。だがそれは動きを封じるということに繋がり、結果的に最悪の事態を招いてしまう。それは絶対にしてはならないし、出来ない。


 実はもう一つだけ、例え離れていたとしてもそれを活用出来る方法はある。


 精霊である彼とその対象が【契約エンゲージ】すれば良い。


 そうすれば接触していなくとも、例え離れていたとしても、その固有技能を活用出来る。


 ただ一つ、重大な問題があった。


 それは、純粋な精霊とのそれであったのならばただの【契約エンゲージ】で済むのだが、生体から精霊化した、いわば純粋ではない精霊との契約は、より魂の繋がりが強くなる。それが男女であるならば尚更だ。


 つまり、どういうことなのかというと。


 生体と生体から精霊化した個体との【契約エンゲージ】は、婚姻と同議なのである。


 正直、自分はフロランスに好意を抱いている。それは恐らく一目惚れだったのであろう。

 精霊化し生体としての機能を失っているのに、まさかそんな感情が残っていたのには驚きと戸惑いが綯い交ぜになり、どのように接して良いのかすら判らなくなった。そして意外とグイグイ来るし。


 だがフロランスは貴族――しかもファルギエール侯爵家の令嬢だ。きっとこれから様々な役割を負うことになるだろう。それを一時の感情に流されて奪ったり、失わせてはならない。


 だから、アーチボルトは自分の想いに蓋をした。


 今の自分は、相応しくないから。


 そして、どうしようもないことも考えてしまう。


精霊化症候群スピリチュアル・シンドローム】に罹患していなかったら――


 生体のままでフロランスと出会えていたなら――


 そして、恋に落ちていられたなら――


 だが、そんなは起こり得ない。


 だから自分は―― アーチボルト・アシェリー・アドキンズは、それに蓋をした。


 ナディに言わせれば、本当に諦めるのなら「蓋をする」のではなく「捨てる」のが本来だと呆れられて、更に「鈍感が過ぎる」とか「朴念仁」とか言われそうである。最後のは当て嵌まらないだろうが。


 そうして自身の思考の沼にハマってしまい、だがそれでも強化魔法が途切れないように都度付与するアーチボルトを他所に、その視線を感じて強化魔法を受け入れているフロランスは、背を押してくれていると勝手に解釈てテンアゲ状態になっていた。


 それでも、そんな状態が長時間続く筈もなく、夜が明け朝日が昇り始めた頃、遂にフロランスは限界を迎えた。


 振るっていた双刃刀ツイン・セイバーは、込められた【フォース】に耐えられなくなり崩壊し、次いで振るっていたダブル・ブレードすら限界に達して折れてしまう。


 だがそれでも、フロランスは折れなかった。


 唯一残った白銀の籠手に【フォース】を込めてオークを爆散させる。


 そんなフロランスを嘲笑うかのように、切れ間なく次々とオークが襲い掛かり、そして――その眼前に一際大きな個体が立ちはだかった。


「……このタイミングで、これですの?」


 オークの多くはこん棒などの鈍器で武装しているばかりで、ほぼ半裸であるのだが、その個体は違った。武器こそ鈍器ではあるが、その巨体は重厚な板金鎧に包まれている。


「エリートクラス……もっと早ければ、より楽しめましたのに……」


 実際に見たのは初めてあるため、そのオークがどんな役割を果たしているのかは判らない。別に知りたくもないし。


 だが、この状況は最悪であるのだけは理解出来る。


「ですが、諦めませんわ。わたくし、こう見えてしつこい女ですもの!」


 白銀の籠手に【フォース】を込め、柱ほどもあるウォー・ハンマーを振り上げるオークを迎え撃つ。


 かくして、振り下ろされたウォー・ハンマーと白銀の籠手が真っ向から打ち合い、込められた【フォース】がウォー・ハンマーを砕いてオークの胴体に大穴を開けた。


 そして――その一撃でフロランスの体力は完全に尽きてしまい、その場に膝から崩れ落ちた。


「……此処まで、ですの……」


 極度の疲労により呼吸すらままならず、心臓が早鐘のようにを打つ。そしてその霞む視界に、先程倒した個体と同じかそれ以上のオークが複数体、下卑た笑みを浮かべながら迫るのが見えた。


 ああ……自分は此処までか。


 口に出し、次いで自身を納得させるように更に心中で独白する。


「今だ……けで…………達成、ですわ……ね……。マティ……アスの……悔し……がる、顔……が、目に浮か……ぶ、ようです、わ……」


 ことある毎に魔物の討伐数を誇る兄を思い起こし、フロランスは笑みを浮かべた。それをどう感じたのか、迫るオークの足が一瞬止まるが、既に動けないと理解したのかその歩が進む。


 心残りは――無いわけがない。


 まだやりたいことは沢山ある。


 残してきたものもある。


 なにより――


「死にたく、ないよぉ……」


 朝焼けの空を仰ぎ見て、呟く。視界が霞み、空に黒い点が浮かんでいる幻すら見える。きっとこんな状況で、助けなど来る筈がない。そして、それは当り前だろう。


「死に、たく……ない、よぉ……」


 徐々に視界が黒くなる状況で、その碧眼を濡らしながら、子供のようにフロランスは泣いた。


「死なせません」


 そのフロランスを、誰かがそっと抱き締める。


 霞む目を凝らしてそれに目を向けると、其処にアーチボルトがいた。だが魔力を使い過ぎた所為か、その存在が希薄になっている。


「貴女一人を、死なせません」

「アーチ……ボルト……様……」


 アーチボルトは精霊である。そしてその存在を構成しているのは魔力であり、魔法を使うことでそれを消費する。よってそれが過ぎれば、その存在が希薄にあるのは当然だ。


「貴女が死ぬのなら、俺も共に逝きましょう」

「アーチボルト……様……」


 抱き合う二人にオークが迫り、その柱ほどもあるウォー・ハンマーが振り上げられ、そして――










「よくぞ吠えた」











 漆黒の球体がフロランスとアーチボルトを包むようにトプンと落ち、それが爆ぜ無数の刃となり周囲のオークを残らず消し飛ばす。ついでに城壁まで消し飛ばしたのはご愛敬だが。


 突然の状況に呆然とする二人のかたわらに、景色が歪んで見えるほどに濃厚で、濡烏である筈の髪が紫紺に染まるほど圧倒的で膨大な魔力を全身から迸らせた、影の魔剣【グルーム・ブリンガー】を携えた【魔王】が――


「後は、ボクに任せろ」


魔族の王ウォーロック】ではなく正しい意味での【サタナス】であるヴァレリーが顕現していた。

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