第4話


 亀山に紹介されて、恭介はU社の女子社員の千葉桔梗と交際していた。休日に神戸市の三宮に出かけるとセンター街の映画館でアメリカ映画の『ブルー・スチール』を見た。映画館に入るときに、売店でポップコーンとコーラを買い求めて、中で視聴しながら飲食した。桔梗は、コーラは飲み干したが、一度もポップコーンに手を伸ばそうとしなかった。

 夕食はファミリー・レストランのデニーズで、和風ハンバーグを食べた後で、デザートのティラミスを注文し、コーヒーを飲んだ。桔梗との会話はあまり弾まず、プライベートの質問をすると「あのう、そこまで話さないといけませんか?」と、小首を傾げて尋ねた。

 恭介は、桔梗のつかみどころのなさにうろたえ、胸の中でぼやいていた。桔梗は花のように美しかったものの、恭介に対して心を開かず、何を話しても生返事を繰り返した。恭介の内に生じていた不埒な思惑は――男女の懇ろな関係になりさえすれば、桔梗の心を奪える――と、感じていたが、関係が進みそうもなかった。

 不満はあったものの、それでも異性と親密に交際しているのは楽しかった。恭介は、付き合いが長くなると、いずれは心を開いてくれると信じていた。休日、恭介は早々とベッドから飛び出すと、わくわくしながら置きだした。恭介は、可憐な花のような桔梗との交際が誇らしく、人生の一大転機が訪れたような錯覚にとらわれていた。

 恋愛に対する恭介の好奇心は、情熱、歓喜、快楽のすべてを桔梗と分かち合えると信じさせた。日常の倦怠感や不安は、桔梗の存在が癒してくれる――と、想像力を駆使して、様々な情景を頭の中に展開させていた。恭介は、恋愛の価値を時間の価値と同質だと考えていた。それは、時間と共に成長し、生活に潤いをもたらす価値でなければならなかった。

 桔梗とは神戸の『ポートピアランド』や、大阪の『天保山ハーバービレッジ』に七月にオープンしたばかりの『海遊館』に出かけたり、アフター・ファイブにレストランで食事をしたりして過ごした。しかし、桔梗は打ち解けず、事務的な堅苦しい話題ばかりを口にして、プライベートな内容は、一切話したがらなかった。

 恭介は、桔梗の内側に自分を見出そうとして、見つけられないでいた。人は自分を愛せないと他人を愛せない。逆に、自分だけを深く愛すると、他人の状況が見えなくなった。それは、ギリシャ神話の美少年ナルキッソスが、水面に映った自分の姿に恋したのと大差なく思えた。桔梗は、自分に執着し過ぎて、視線の先に恭介の本質を見つけていないかに思えた。

 恭介が、もし――女を楽器のように扱って、美しいメロディーを奏でられるほどの名手なら、桔梗を翻弄するのも、幸福にするのも容易にできたが――、恭介には、女性心理の深いところが、十分には理解できずにいた。桔梗との交際は、半年も続いたが別れる頃には、恭介の神経はくたくたにすり減っていた。

 人間は非人間的なものを内包していて、時折それを垣間見せる――それを恭介は、経験的に知っていた。恭介には、桔梗が非人間的な何物かに見える時間があった。事務的な応答や、ロボットのような感情のこもらない表情や、虚礼に見られる反応は、優れた社会性と質的に似通っていたが、プライベートな時間に、それを見せられると落胆するしかなかった。仮面の向こう側にある桔梗の本心が見透かせなかった。

 宗教家は皆、愛こそが、この世でもっとも大事だと主張する。自分を愛するように他人を愛し、自分を労わるように他人を労われる利他的存在こそが、悟りの人だとしている。恭介は、恋愛でも同様の部分があると見ていた。だが、桔梗は恭介を取引先の男性社員としてしか見なかったのが、別れる原因となった。

 恭介は、不動産会社の販売部の応援要員として、U社の分譲マンションの販売事務所に出向いて接客にあたった。マンションのパンフレットは、光沢があり写真映えのするコート紙が使われており、手に取るとつるりとした紙の質感が伝わってきた。パンフレットの内容は、建築概要や周辺環境などを詳述した案内書、図面集、価格表の三部構成で一セットになっているが、どの一つをとっても、U社のこのマンションに対する思い入れの強さが分かった。

 販売事務所に隣接するモデル・ルームに入ると、新しい建材や塗料や接着剤の匂いがした。分譲マンションの一室を細部まで具現化しているので、顧客は内覧中に完成後の部屋の様子を頭の中でイメージできた。部屋の中は、全体照明を補う箇所に、効果的な部分照明がされているので、彫刻のような立体感があり、美しく見えた。

 食卓テーブルの上には、お洒落なクロスやカトラリー、リビング・ルームの落ち着いた色合いのソファーや、ふかふかのクッション、書斎のデスクに重ね置かれた洋書や、子ども部屋のテディベアのぬいぐるみ等々、家具調度品から小物類まで、入居後の暮らしを夢見させる工夫が施されていた。

 昼休みを利用して、販売事務所から徒歩で五分の場所にあるマンションの工事現場に足を運んだ。現場では、仮囲いの内側にショベル・カーや、杭打機があり、基礎工事をしているのが窺えた。プレハブの現場事務所の階段を下りてきた腕章をつけている監督は、大きな声で職人たちに、指示を飛ばしていた。

 現場の見学を終えて、昼食後に販売事務所に戻ると、恭介は再び、接客にあたった。ファミリー型の分譲マンションだが……、恭介が接客した客の中には、明らかに先高感にあおられて、投機的利益を目論んで購入する構えを見せる者が散見された。

 茶谷は、事務所の壁に表示されたマンション各室の申し込み状況を指で示すと、亀山に向かって話しかけた。

「平均倍率十倍の現状を考えると、抽選日に即日完売間違いないな。駅から近く、坪単価が他社よりも安い物件でも、ここまでの人気が出るとは信じられない気分だよ」

 恭介は話の続きが気になりながらも、黙って待っていた。すると、女性事務員が恭介の所へ来て「渋江さん、先にお昼の休憩をとってください」と指図し、控室に案内した。昼食はU社が用意したもので、豪華な料亭の仕出し弁当だった。

 販売事務所で桔梗に会うと、さすがに気まずかった。が、桔梗は終始よそよそしく振る舞っていた。

 分譲マンションの人気は、最上階がもっとも高く、二階と四階が忌避されるケースが多かった。上階ほど、見晴らしも日当たりも良好なので、同じ間取りでも分譲価格は、高く設定されていた。一階は庭付きのメリットがあるものの、庭は区分所有法では、共有部分にあたり、専用使用するかたちをとるので、毎月使用料を支払う必要があった。

 ちょうど、最後の客が帰り、モデル・ルームと事務所の入り口を閉めると、二人は仮申込書の集計と分析を始めた。

 集計が終わり、一段落がつくと

「茶谷さんとこのマンションは、駅から近いし……、三LDK、二十坪で三五〇〇万円なら、僕の今の年収でも手が届きます」と恭介は話しかけた。

「人気物件なので、かなり高い倍率になりそうです。抽選時は平均倍率も二十倍になるでしょう。取引先でも、確実に押さえるのは難しいですが、抽選には参加していただけます」茶谷は、興奮気味に告げた。

 茶谷は週刊誌を開くと――関東・関西のおすすめマンション五〇――と題した記事を見せた。広告を掲載した不動産情報誌ではなく、一般誌でありながら加熱する不動産ブームに便乗した内容が書かれていた。週刊誌では、U社のマンションが紹介されており――交通至便で、駅から近く、周辺の商業施設も充実しているうえ、坪単価で比較した場合に価格面でもお得な物件だ――と、専門家が分析していた。

 恭介は、好況時にマス・メディアで「これからも、どんどん景気が良くなります」「株、不動産などの投資ブームは当面も続くでしょう」と煽り立てるのは、経済学でいう「アナウンス効果」から考えて危険視すべきだ――と、考察していた。経済は、滅びやすいものの上に君臨しているため、驕り高ぶると没落の伏線になる気配がした。恭介には、栄光は、限りなく儚いもので、脆くも崩れやすい土台の上に打ち立てられている気がしていた。

 U社の分譲マンションには魅力があったものの、販売好調がいつまでも続くとは到底思えなかった。逆に、恭介は分譲マンションのような居住用不動産を投機目的で求めようとする顧客に苛立ちを感じていた。

 恭介は、顧客を見分けると――先高感にあおられて、購買動機が必要性によるものではなく、投資的なものになっています。投資なら、高値をつけている今、買うのには反対したいと思います。私は、実態経済を乖離している動きだから、今買うべきではないと思っています。今すぐの必要性がないのなら……もう少し、先を見て購入すべきでしょう――と、何度も繰り返した。あくまでも、顧客の立場に立って、彼らを救おうと考えていた。

「君は、モデル・ルームに来た客に、今買うなと忠告しているのか? 余計な話は、一切するな。君の言うことは、営業妨害にあたる」

 恭介は、銀行の所属課長に誰もいない会議室に呼び出されると、平手で頬を叩かれた。入行して以来の最大の屈辱に思えていた。

       ※

「千代の富士さん凄いです。日本の相撲の大ファンになりました」

 一九九〇年一月、大相撲で横綱千代の富士が前人未到の通算一〇〇〇勝を達成した。

 ネパールからの留学生、グルン・ラクシュミーは明るい表情で話した。「千代の富士関は、サッカーのナレンダ・マン・シンよりも偉大なアスリートだ」と、ラクシュミーは付け足した。恭介は、ラクシュミーがネパールの英雄と称える――ナレンダ・マン・シン――を知らなかった。

 ラクシュミーは「去年のドラフト会議で注目を集めた野茂英雄投手の近鉄バファローズへの入団が決まっていますが……、私の目にも、他の選手との器の違いが分かります。活躍が期待できそうですね」と、にこやかな表情をした。

 実家が、留学生をホーム・ステイさせるホスト・ファミリーをしていたので、年齢の近い恭介がラクシュミーを町中に案内しては、雑談した。

 ラクシュミーとは、恭介の部屋で一緒にアメリカ映画『フィールド・オブ・ドリームス』を見た。家の近所に出来たレンタルビデオ店で借りたVHSをビデオデッキに入れると、ラクシュミーは「わくわくしますね」とほほ笑んだ。

 映画はウイリアム・パトリック・キンセラの『シューレス・ジョー』を原作にしたもので、トウモロコシ畑の農場主が「それを造れば、彼が来る」とささやく、謎の声を聞き、言葉に突き動かされて、畑を切り開き、小さな野球場を作ったところ、伝説の野球選手ジョー・ジャクソンの亡霊を見る――ファンタジックな物語だった。

『フィールド・オブ・ドリームス』は、ノスタルジックな雰囲気の漂う映画で、アカデミー賞の受賞作品でもあった。

 恭介はネパール人のラクシュミーの反応が気になり、親が幼い子供の様子を窺うように、映画を視聴している間に、何度も見て確認した。

 ラクシュミーは映画を見終わると、恭介が尋ねるより早く「ノスタルジックでファンタジックな良い映画でしたね」と、感想を言葉にした。恭介は、ラクシュミーの故国ネパールと、風俗習慣は異なるが、感性では共通する部分もあるのが嬉しくなった。それと同時に、日本人の自分がアジア人でありながら、普段は欧米人と同じアイデンティティーを持ち、ネパール人のラクシュミーに対して奇異な印象を抱いているのを不思議に感じていた。

 ラクシュミーは、信仰上の理由で牛肉は食べられなかったので、ビーフカレーは敬遠していた。が、三宮のカレー・ショップで食べたポーク・カレーを「ネパールやインドのカレーライスとは、まったく違う味だ」と驚きながらも、大好物になり「ネパールにいる家族にも食べさせたい」と、思いを告げた。

 食事の時は、必ず両手を合わせて「いただきます」と告げてから、箸を手に取る姿を見て、母は「日本の若者よりも、礼儀正しい」と、ラクシュミーを褒めた。

 父は、ラクシュミーの前で「今の日本の教育は、心が失われている。学校では、記憶した事実を用紙の上に、ペンや鉛筆で再現する能力を学習能力だと言って奨励している。それより、もっと大事なのは、何を考えどう感じるかの心を学ぶ構えだと思う。学友と競い合い蹴落とす闘争心よりも、創造性のある思考能力や、思いやりの心や、大きな希望を学ぶべきだ」と、滔々と話し続けた。

「私も、それはそうだと思う。だけどね。日本に学びに来ているラクシュミー君の前で、日本の教育の難点ばかり数えるのはどうかと思う。日本の教育にも、良い面があるでしょう?」母は、ラクシュミーを気遣って窘めた。

「ああ、すまなかったね。わしが、言いたかったのは、義務教育のことだよ。日本では古くからの伝統や、わびさびや、陰翳を愛する美しい世界観が損なわれて、台無しになってしまった。ただし、ラクシュミー君の学ぶ、学術研究の分野は、たいしたものだよ。ラクシュミー君も、日本にいて日本の教育から多くの実りのある内容を学んでほしい。が、君の故国、ネパールの方が優れた面も、たくさんあると思う」

 恭介は、欠伸が出そうになるのを我慢していたが、ラクシュミーは姿勢を正し、畏まった様子で頷き「お父さんのご意見は、勉強になります。ですが、私は日本の素晴らしい面を見てきて、毎日が驚きの連続です。義務教育を学んでいる小中学生の子供たちも皆、可愛らしいですね。私を見て――外人、外人――と、子供たちに指さされた経験がありますが、どこか、親しみがこもっていました」と、笑顔を見せた。

 父が、ラクシュミーに「お釈迦様は、インド人ではなくてね。ネパール人説がある。釈迦族の暮らしていたカピラヴァッドゥは、現在はネパール領になっている」と伝えると、ラクシュミーは喜び、菩提寺に参詣するときには、「ぜひ、自分も連れて行ってほしい」と懇願した。

――ラクシュミー――の苗字は、本来はヒンズー教の女神の名前なので、霊験あらたかな聖なるものだ。

 菩提寺に参詣した時、ラクシュミーは大喜びで臨んだが、寺の本堂に入ると、正座をした経験がないので困惑の表情を浮かべた。寺に着いたときは、既に大勢の参詣者が着座しており、全員が正座して住職の入場を待っていた。ラクシュミーが、不安そうに正座して待っていると、住職が姿を現し、挨拶の後で読経を始めた。看経の時間は長く、苦痛を強いられたラクシュミーは、十五分で音を上げると、座布団の上で足を崩した。

「両足の感覚がなく、電気が走ったようにびりびりします」と、ラクシュミーは小声で告げると、足を胡坐に組み直した。

「ヒンズー教の寺院でも祭壇に向かって、両手を合わせ、お祈りをします。供物を捧げて、マントラを唱える日もあります」と、ラクシュミーは懐かしそうな表情をした。

 ラクシュミーは、寿司や刺身などの生ものは食べず、ビールは飲むもののジュースなどの冷たい飲み物は嫌った。甘さや辛さがはっきりとした味を好むので、和食よりも洋食が嗜好性に合っていた。

 四週間のホーム・ステイ期間を終えると、ラクシュミーは家を出た。恭介たち家族には、たどたどしい日本語で明るく振る舞うラクシュミーが、純真無垢で素晴らしい青年に見えていた。

       ※

 一九九〇年十月、東ドイツ(ドイツ民主共和国)の州が西ドイツ(ドイツ連邦共和国)に加入するかたちで、東西ドイツが統一された。すでに、一九八九年の十一月に東ドイツの市民たちの動きでベルリンの壁が崩壊し、十二月にドイツ社会主義統一党の独裁体制が終焉していたので、時間の問題と見られていたが、誰もが興奮気味に「一時代が終わった」と、言葉にした。

 周囲では――資本主義が、社会主義に勝利した――と、語るものが多かったが、恭介は資本主義より、混合経済体制による自由主義の勝利と見ていた。自由主義なら、市場原理の競争力と、計画経済による調整が、共に受容できる……と、分析した。市場経済と計画経済の二つは、クルマの両輪として、いかにアクセルを踏み、ハンドルで操舵し、どのタイミングでブレーキをかけるか――それが経済の要諦だ……と、恭介は考察していた。

 人間は社会構造に規定され、国や地域の習慣に縛られ、決められた言語で会話を交わしながらも、この世に自由意思を持った存在として生きている。それは恰も、自動車の機械構造の操作方法を知ることで、自分の願う目的地を自由に選択できるのと同質的だ。恭介たちは自由と不自由の混在する世界の内側に存在するかに見えて、誰も外側に何があるかを知らなかった。それゆえ、世界の内側に存在する人間は、夢の空間のような幻想を知覚して、それがすべてだと、錯覚しているのではないか?

 恭介には、夢が確かな実在に見せかけた虚妄であるのと同じように、現実にも確たる実体が見当たらなかった。夢なら、自分が見ていながらも、目的をもって世界の状況を変化させられない。だが、夢ならぬ現実の世界では、枠組みの中で自由に考えて行動できた。人生はある意味で、謎解きのための自作自演のドラマだった。他者が複雑に関わるので、このドラマは様々に展開し、しばしば結末が分からなくなった。 人々は、三次元の枠組みの中でしか考えられないため、迷いに縛り付けられていた。

 恭介は、世界が激動する中で強い不安を感じていた。それに反して、マス・メディアでも、周囲の者の言動も、相変わらず景気楽観論が支配的だった。

 バブルによる好景気が続いたので、日本人は経済大国で優雅に暮らしている状況に満足し、誰もが自信に満ち満ちて見えた。だが、それが災いして、人が自信を持つときの心理反応――呼吸が深くなり、無敵の存在に思える状況――の中にいて、冷静さを失い、視野が狭くなっていた。誰もが慢心するあまり、天狗になっていた。

 銀行では、ギャンブルの話題は厳禁だが……、U社の茶谷に誘われて、G一レースが開催されると、亀山や如月と日曜日に駅で待ち合わせ、阪神競馬場や京都競馬場に出向いた。亀山や茶谷の勤めるU社では、平日の定休日なので、競馬のために有給休暇を取得していた。四人で秘密を共有している気分になった。競馬場に着くと、デビュー四年目で、二十一歳のリーディング・ジョッキー武豊騎手の戦績が話題になった。

 亀山は、冬のボーナスで購入したダウン・ジャケットを着ていた。見るからに温かそうに見えた。

「ダウン・ジャケットは、ガチョウの胸の羽根を使っているので温かいよ。水鳥の羽毛には空気層があるので熱伝導率が低く、断熱効果がある。もともとは、登山用のシュラフなどのアウトドア・スポーツで使われていた」

「最近よく見かけるけど、もこもこしていて筋肉質に見えるね」

トレンチ・コートを着用して寒そうに肩を竦めて席に座る三人を横目に見ながら、競馬新聞でレースの予想を口にした。

「パドックで馬の様子を見たけど、ミルフォードスルーが来そうな気がする」と、亀山は自信満々に告げた。

 京都競馬場では――阪神ジュベナイルフィリーズ――が開催されていた。恭介は一番人気の牝馬ミルフォードスルーの馬番三を迷わずに単勝で選んだ。騎手は、注目株の武豊なので、あまり考えずに投票した。

 亀山は枠連で二―三の組み合わせで勝ち馬投票券を購入していた。

茶谷は「今日は、何かありそうな気がする。勘が働くよ」と、告げると単勝で二番人気のイブキマイカグラで馬番二に投じ、枠連では何と五番人気の二ホンピロアンデスと組み合わせの二―五で投票していた。

 如月は「大穴狙いだ」と息巻くと、人気のない馬を枠連で組み合わせて、無難に千円だけ購入していた。

 レースが終わると、ミルフォードスルーは牡馬のイブキマイカグラと二ホンピロアンデスの後塵を拝する結果となった。

 茶谷の一人勝ちとなり、単勝、枠連ともに一万円を投じていたので十六万六千円が払い戻されていた。

「なぜ、君は二―五に賭ける気になった?」と、亀山が茶谷に聞くと

「十二月九日は、おばあちゃんの命日なので、今日の運を引き寄せたと思う」と、意外なことを口走った。

「僕には、何の関係があるのか分からない」

「いや、亡くなったおばあちゃんが、お神楽が好きでね。それと、若いころに日本舞踊を習っていたのを思い出してね。単純に馬の名前だけで選んだ」

「運は全部、茶谷さんのように直感の働く人に持っていかれそうですね」

 茶谷は気を良くして、三人に缶ビールを一つずつ奢った。

 一九九〇年五月の安田記念の優勝に続き、十二月の有馬記念で武が騎乗するオグリキャップが優勝した。スポーツ紙では、天才騎手として注目される武豊と、葦毛の名馬オグリキャップの組み合わせを――ゴールデン・コンビ――と称えていた。恭介はウインズ梅田で、安田記念のときは馬番九、有馬記念では馬番八に単勝で一万円の勝ち馬投票券を購入した。その結果、安田記念では一万四千円、有馬記念では五万五千円が換金された。

 同僚の如月は、安田記念でも、有馬記念でも別の馬に投票し損していたので、有馬記念の結果を聞いて悔しがった。

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