166:陰キャと労働者を曇らせた

 <星架サイド>



 帰り道。いつものように送ってくれている康生が、例の公園を過ぎた辺りで、


「というワケで、映画に行きましょう、星架さん」


 何の脈絡もなく、こんなことを言い出した。


「どういうワケ?」


「いや、これで本当に僕の復讐は完了しましたから。あとはもう夏休み全部、楽しい時間にしましょうってワケです」


 なるほど。確かに復讐は復讐で楽しかったけど、いつまでも他人を笑ってても時間の無駄なのは間違いない。

 ここからは楽しい時間にしたい。その提案に異論はない。けど問題がひとつある。


「カネがねえわ」


「園田さんからお祝いというか、依頼料のオマケで1万円、返ってきたじゃないですか。というか、最初から賞金で行くつもりでしたけど……言ってませんでした?」


「聞いてない。つか、あれはアンタのカネじゃん」


 康生としてはそのつもりだったとしても、こっちとしては人のカネをアテにして計画は立てんよ。てか本当に、レンタル配信とかで十分だと思ってたのに。


「そんなの気にせず」


「気にするよ、それは。折角ノブエルが評価されて、賞までもらった証じゃん」


「それはそうですけど、多少は肖像権料として」


「うーん、そう言われてもなあ。それ受け取っちゃうと、アタシ=チャリエルって自分で認めちゃうみたいで抵抗あるわ……それにアンタの褒賞をハネるみたいで気が引けるし」


 そんなアタシの言い分に、康生が切なげな顔をした。


「チャリ架さん……」


「混ざってる、混ざってる。こんな屈辱、初めてだ」


 今さっき、=になるのが嫌って言ったばっかだろうが。


「どうか気にしないで欲しいです。僕としては、トラウマの一件は本当に丸っと星架さんにお世話になってますから、せめてものお礼だと思って」


 ね? と顔を覗き込まれる。


「それに、僕がいま一番したいことってなると……星架さんとの映画デートなんです。その為に使うんですから、半分以上、僕のワガママですよ」


「……」


「……ダメですか?」


「……」


 はあっと溜め息が出る。折れるしかないか。ってか、もらう側が折れるってのも変な話だけど。


「分かった。ありがたく奢られるね。ただしユルチューブの収益が入ったら、その後、1回なんか奢るから」


「は、はい。でも明日は取り敢えず映画デートってことで良いんですよね?」


「うん。行こう。楽しみにしとく」


 康生の顔がパアッと輝く。ちっちゃい子でも相手にしてるみたいだ。道の真ん中なのに、思わずキスしたくなったよね。


 その後はマンションのエントランスまで戻ってきて、二人で最寄りの映画館を調べて、諸々の予定を立てて解散した。














 翌日は生憎の雨だったけど、太陽が隠れてる分、昨日より少しだけ気温が低かった。とはいえ湿度はお察しだけど。


 10時前に製作所へ。二人で駅へ向かい、そこからは電車。改札を通る時も、横中行きの電車に乗り込んだ後も、康生は完全に自然体だった。

 やっぱり今回の事が深い自信に繋がったんだろうね。復讐は何も生まないとか、世間は綺麗事を言うけど。この姿を見れば、それは嘘だなって思う。本当にやって良かったよ。


 そんな事を考えながら、隣に座る(思えば先日と違ってずっとシートに座れてるのも、リラックスできてる証拠か)康生の横顔をジッと見ていると、彼もアタシの視線に気付いて、もう大丈夫とばかりに、にっこり笑ってくれた。

 その可愛い笑顔に、つい手を伸ばしてしまう。人差し指と親指で頬を摘まむ。


「おもち!」


「おもちじゃないよ」


「こんなに柔らかいのに?」


「ほっぺた」


「そっか、ほっぺたかあ」


 愛おしいなあ。食べちゃいたい。

 心を殺したような顔で過去の傷を教えてくれた日のことを思うと、横中行きの電車に乗って、こんな風にじゃれ合える今が尊くて仕方ない。


 アタシは頬を挟んでいた親指だけ動かして、彼の唇を軽くなぞる。


「じゃあここは?」


「そこは唇」


「そっか、唇かあ」


 また嬉しそうに笑う康生。ダメだ、我慢できねえや。


「じゃあキスするね」


 何が「じゃあ」なのか自分でも全然分かってない。IQ下がりすぎやんね。

 アタシは両手で彼の頬を優しく挟んで、少しだけ顔をこっちに向けさせた。康生はされるがまま。両側から頬を押されて、少しだけタコみたいになってる唇。思わず鼻から息が漏れてしまう。


「ん~」


 アタシも少しだけ唇を尖らせて、そこに合わせた。半開きの唇を割って、少しだけ康生の前歯に触れた。


「ふふ」


 手を離して、見つめ合って、お互いに笑う。

 そこでふと視線を感じて振り返った。吊革に掴まって立つ半袖スーツのサラリーマンが数人、こっちをゲンナリした顔で見ていた。目が合うと、そっと伏せられる。

 ……なんかごめん。マジごめん。お盆休みまで出勤お疲れ様です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る