【書籍化決定】ギャルの自転車を直したら懐かれた

生姜寧也

1:ギャルがコケそうになってた

 ガタンと大きな音がして、続いて、「うおお!」と女性の焦った声が聞こえた。


 振り返って見てみると、自転車に跨った女性が、その自転車ごと横転しそうになっている。斜めから歩道に乗り上げようとした所を、バランスを崩したのか、前輪が滑ったのか、兎に角のっぴきならない状態に陥ったようだ。


 危ない、と思った時には体がひとりでに動いていて、僕は普段からは考えられないようなスピードで自転車に駆け寄り、前カゴを抱え込むようにして引っ張り、何とか歩道側へ傾けた。女性の足も歩道側についたみたいで、自転車は水平に安定した。


「だ、大丈夫ですか?」


「ありがとう、マジ助かったわ! 沓澤くつざわクンて足速かったんね!」


 テンションの高い声に、僕はようやっと前を向いて(今まで引っ張っていた自転車しか見てなかった)自転車の持ち主を確認した。少しキツイ印象はあるけど切れ長で形の良い目を一層際立たせる、ラメの入ったアイメイク。高く整った鼻梁に、口元は派手過ぎないピンクのリップ。耳に3つブッ刺さった銀のバーベル型ピアスが攻撃的な印象を与える。


 こんなに近くで顔を見たのは初めてだけど、多分、同じクラスの、ギャルグループの一人。名前は確か……


洞口どうぐちさん、でしたっけ?」


「はあ?」


 途端にギャルの人が片眉を上げて威嚇してくる。怖い。


「アタシ、溝口星架みぞぐちせいか。洞口はアタシの友達の方ね」


「あ、そうなんですね。ご、ごめんなさい。申し訳ないです」


 あばばば。名前を間違えてしまった。こういう小さなことからイジメに発展することも間々あると、テレビやネットで喧伝されている。高校に上がったばかりで、友達も全然いない状態で、クラスのカーストトップに君臨するギャルグループを敵に回すような事があれば、もう僕のスクールライフは一巻の終わりだ。


「で、アンタは……」


「父さん、母さん。先立つ不孝をお許しください」


「ほえ!? 死ぬの?」


 溝口さんの素っ頓狂な声に、僕もビックリする。よくよく見れば、イジメをやる人間特有の、あのねっとりとした湿度のある視線はしていない。


「何か分かんないけど、面白いねアンタ……じゃなくて、アタシ名乗ったんだからさ、一応自己紹介してくんない? アタシだけバカみたいじゃん?」


 意外に礼儀とか気にするタイプなんだろうか。まあ確かに、名前まで間違えて覚えていた上に、自己紹介してもらって、僕だけ黙って立ち去ったら酷い話だ。


「えっと、僕は沓澤康生くつざわこうせいです」


「こう……せい」


「ああ、漢字はやすって字に、生きるのせいです」


 時々、ヤスオと読まれたりするが、僕自身はこの名前は結構気に入っている。彼女が名乗ったセイカという下の名前も、漢字が少し気になったけど、僕みたいなエリート陰キャが聞くと気持ち悪がられるかも知れない。


『うわー。ちょっとコケそうになったの助けただけで、もう下の名前で呼ぶ気かよ。キッショ! こいつイジメようぜ』


 みたいな事になったら……


「父さん、母さん、先立つ不孝をお許しください」


「なんでさっきから、ちょいちょい死のうとしてんの?」


 溝口さんが少し呆れた声を出すが、まさかアナタにイジメられる被害妄想が爆発したとは言えない。

 と言うか、もうこれ以上話す意味はお互いに無い。悪い印象を与えないうちに退散するのが最善だろう。それこそ彼女の下の名前なんて、一生呼ぶことはないのだし。


「あの、それじゃあ、僕はこの辺で」


「あ、うん。助けてくれてあんがとね」


 やっぱり溝口さんは、話せばそう怖い人ではないのかも知れない。けど、まあどっちでも良い。流石にもう関わることはないだろう……


 ガチン!


 異音に振り返ると、溝口さんが自転車を動かそうとしていた。だが自転車はその場に縫い付けられたように動かない。


「うわクソ最悪。チェーン外れてるっぽい!」


 あー、うん。早速前言撤回。まだ関わることになりそうだ。

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