第一章 森での生活

第1話 転移と森とサバイバル

『あー、ごめんね? でもほら、仕方ないことってあるじゃん?』 


 川沿いを走る電車に揺られながら、俺の頭にそんな言葉が響いた。


 蘇るのは、人生最悪の記憶。


 人生で初めて出来た彼女が、親友と仲良く並んで大人のホテルに入って行く。

 その姿を俺は偶然目撃した。してしまった。

 あるいは見て見ぬふりをしていればよかったのかもしれないと、未だに思う。

 だが、俺は問い詰めた。その結果言われたのが最初の言葉だ。


 好きになっちゃったから仕方ないってか?ふざけんじゃねえよ。 

 ただでさえ胸糞NTRとかこの世で一番嫌いだというのに、まさか自分が体験する事になろうとは。


 そうしてリアル脳破壊を喰らった俺は何もかも嫌になり、晴れて立派な引きこもりニートとなった。


「くそ……気分悪ぃ」 


 視界の奥でふわっとした金髪の所謂清楚系ギャルが友達と笑い合っているのを、俺は遠目に見ていた。

 2年前、彼女がしていた格好とよく似ている。 


 たまらず窓の外へと視線を移すと、ちょうど電車が地下に潜り、窓に自分の顔が反射する。

 不健康そうな色白の肌に、大学デビュー丸出しのポロシャツにダックパンツといういで立ち。

 2年前、大学に入った頃と何も変わっていない。

 ま、入学半年で引きこもったから服なんて必要なかったしな。

 結構苦労して入った大学も、除名されたのか、親が休学届を出したのかすら知らないレベルだ。


 でも、全てがどうでもよかった。

 ただひたすら、人と関わるのが怖かった。


「……作業するか」


 思い出すのも嫌になり、俺はスマホを取り出してメモアプリを開く。

 今連載しているネット小説、その最終回の更新日が今夜に迫っているのだ。

 これだけは完成させてからにしないと。

 よくある異世界モノだが、高校生くらいの時に思いついてずっと温めていたネタだ。そこまで多くの人に読まれているわけじゃないが、作品は完結させたい。


 ——それさえ果たせばもう、この世に未練はない。


 2年間、引きこもりつつも運動したりゲームしたり……色々してみたけどダメだった。 

 何をしても、生きる気力というものが湧いてこなかったのだ。

 だから、この電車には死地を探す為に乗っている。

 どうせならどこか静かで綺麗な場所で死にたいしな。


 それから俺は、時折広い河川敷をなぞるように走る景色を見上げながらしばらく執筆を続けた。

 一人の世界に集中している時間は周囲の自分を見る目も気にならなくなり、心地良かった。


 ――だからだろう。”それ”を認識するのが遅れたのは。


「よし、出来たっ!」


 書き終わり、小説サイトへの予約投稿を終えたその瞬間。


 橋を越え市街地を抜ける快速電車。その巨体が不自然に”横”に揺れた。

 それはまるで、空間そのものが歪んでしまったかのようで。

 違和感に気付いた者たちが叫び声を上げ始めたところで、俺はようやく何かが起きている事に気が付いた。


「……ん? 一体何が――」


 小さく呟いた次の瞬間。


 ドゴン! と何かが爆発するような音が響いて、世界が真横に傾いた。

 そうして何が起きたかもわからぬままに、異常な勢いで体が吹っ飛び、俺の意識はこと切れた。


 ――なんとなくわかったのは、首筋に焼けるような痛みが走った事だけだった。



***



 目を覚ますと、そこは深い森の中だった。



「……はぁ?」


 衝撃で間抜けな声が漏れる。


 辺りは見渡す限りぶっとい木と枯れ葉が敷き詰められた地面が続いている。


 おいおい、確かに死地を探しに行く予定だったがここはまだ電車の中のはずだ。

 こんな森に来た覚えはまるでない。


 ということはつまり、


「な~んだ、ただの夢か!」


 俺は周りに誰もいないのを良いことに思いっきり叫んだ。

 枝葉に吸い込まれ、叫びが不気味な感じに溶ける。


「しっかし、こんなに意識が明瞭な夢も珍しいよなぁ」


 とはいえないわけではない。偶に、結構自由に動き回れたり、夢の中でこれは夢だ! と思って色々楽しんだ後で次の日ちゃんと起きる、みたいな夢もあるし。

 てかそういう夢ほど好きなヒロインと結ばれたりしてめちゃくちゃ幸せだったりするよね。

 まあ大体ちょうどエッチな事に発展しようって時にアラーム鳴ったり母ちゃんが起こしに来たりして発狂しそうになるけど……。

 因みに一回だけ全ての予定を無視して無理やりもう一回寝てみた事があるが、同じ夢は見れなかった。マジで悔しい。


「じゃなくて! ……これ、本当に夢か? もしかして異世界転生したとか……いやまあ確かに死のうとはしてたけど、死んだ覚えはないしなぁ」


 記憶は電車に揺られながら小説を書いていた場面で途切れている。

 大方、その後座席にでも座って書きながら眠ってしまったのだろう。

 異世界に転移したってよりかは、そっちの方が余程信ぴょう性のある話だしな。

 というか異世界転移のトリガーが死ってのがもう古いオタク丸出しの発想だ。


「しかし殺風景だ。夢でも異世界でもいいからもう少し分かりやすい所に置いてくれよ」 


 そうじゃないならせめて、隣に美少女の一人でも寝かしておいてくれないものだろうか。


「まあたられば言っても仕方ないし……とりあえず辺りを見て回るか」


 俺は自分を奮い立たせて歩き出した。


 因みに、俺の独り言が多いのはデフォルトである。

 一人暮らしが長いと自然とそうなる、というのもあるが、元々俺はFPSとか対戦ゲーをすると思考が口に出てしまうタイプなのだ。

 もちろん周囲に人がいる時は自重しているが、一人ならそっちの方が頭が回る。


「しっかしまぁ、変な森だな」


 どれだけ進んでもぶっとい木、細い木、草、偶に倒木。

 その迫力は明らかに日本で見れるレベルじゃない。

 というか、生態系がおかしい。

 偶にサバイバル動画で見た南米のジャングル、それからハリーポッターとかに出てくる欧州西側の針葉樹林の生い茂る殺伐とした森。

 その二つが入り乱れて、冷たい真っすぐな木にツタが絡んだり、あちこちにバナナやヤシのような直線的な葉を付けた木が乱立している。


「というか、もうどこから来たのかもわからん」


 ナイフでもあれば目印を刻んでこれたのだろうが、生憎カバンを持たない主義なので俺の持ち物は財布とスマホだけだ。


「んー、やっぱただサバイバルの夢ってのは変だよなぁ……悪夢の明晰夢ってのはゾッとしないが。あ、てかまだあれ試してなかった」


 俺はふと思いつき、目を閉じる。

 そう、オタクが見慣れない景色の中で目を覚ましたら一度は試してみたいアレである。


『ステータス』


 そう心の中で念じてみると、


「うおっ!? まじか出やがった!」


 なんと、閉じた瞼の奥、何も見えるはずのないその赤みを帯びた闇の中に、はっきりと白文字が浮かび上がったのだ。




――――――――――――――――――――――


【ステータス】

・名前 葛西鴎外

・性別 男性

・年齢 21

・健康 良

・レベル 1


【スキル】

・純粋無垢


【装備】

・異世界の服(低級)

――――――――――――――――――――――




 ただまあ、表示されたのはいいものの……


「え、これだけ?」


 その内容については酷いものだった。


「もうちょっとこう、攻撃力とか防御力とかないのかよ」


 恐らく最低だろう1レべってのと、【スキル】の欄を除けばわざわざ表示されなくても分かる情報しか載ってない。

 というか装備品の(低級)ってなんだよバイト代貯めて買った天下のビームスさんの服舐めてんのか。


 大体スキルだって、


「純粋無垢……ええと、『なにものにも染まっていない無垢な存在。あなたは努力次第でなにものにもなれるでしょう。頑張れ!』って、何の効果もねえじゃねえか。ポケ〇ンの図鑑説明かよ」


 完全に設定だけ書いてあって性能面には特に影響しない要素の典型だ。

 説明文に効果があるならマグカ〇ゴとラン〇ーンの手であの世界は滅んでいる。

 仮にオーソドックスな剣と魔法あり、治安は悪い中世設定みたいな感じだったら普通に即死だ。

 四神獣解放せず、マス〇ーソードも取らずにガ〇ンに凸るくらいハードモードだ。


「せめて夢でくらいユニークスキルで爽快無双させてくれよ……」


 現実があんなに惨めだというのに。夢でまで能力値最低じゃ踏んだり蹴ったりだ。


「はぁ……まあせっかくの森だ。異世界要素には期待せず、せめてサバイバルでも楽しむかね」


 小説以外の唯一の趣味として、俺はサバイバルとか生き物ハント系の動画をよく見ている。

 虫とか苦手だから試したことはないが、某アニメに影響されてソロキャンプくらいなら経験もあるしな。

 何とか生き延びるくらいは出来るかもしれない。

 いや、どうせ夢だ。悲観的になってどうする。


 目標はドンと高く、どうせなら森林サウナくらい作ってやろう。


 現実なら無理でも夢なら不思議パワーであっという間に木材加工ってのもあるかもしれないし。

 ほら、あるじゃん。夢の中だと突然過程がすっ飛ばされるアレだ。



「ひとまず……水場かな」


 拠点を作るにしても水場から遠いと不便だ。ひとまず基本は抑えておくべきだろう。


 俺は迷わないようにひたすら真っすぐに進む。

 だが、1時間ほど彷徨ったところでぽつり、と冷たさが首元に落ちて来た。


「——っ⁉」


 その瞬間、何故か首全体が焼けるような感覚に襲われ、俺は慌てて首をぺたぺたと触る。

 ――よかった、首はついている。


「……やばっ」


 なぜそんな事で安堵したのかと考える暇もなく、一気に激しい雨が降り出した。

 すぐ近くの大木の陰に避難したおかげで殆ど濡れずに済んだが、これは不味いことになった。


「クソ、失敗した……先に薪と寝床を確保するべきだった」


 体が濡れれば体温が下がる。体温が下がれば人は死ぬ。

 だが、こうも雨が降ってしまっては火を起こすための乾いた薪は手に入らない。


「とりあえず、応急処置だな」


 俺はなるべく濡れないようにしながら周囲の細い木を折って回り、それらをアーチ状に立てかけて骨組みを作る。地面に突き刺して大木をなけなしの500円玉でぐりぐりして窪みを作ったら何とかハマってくれた。

 そこに落ちていた長めの枝を乗せ、ツルで縛って固定する。それを繰り返して、最後に落ち葉をわっさわっさと乗せまくったら完成だ。


「結構かかったが、木の下だし、これだけやればこれ以上濡れないだろ」


 状況的には結構やばい。

 だが俺は今、なぜかむちゃくちゃ感動していた。


「自分の手で物を作るのって、いいもんだな」


 こういうの、小学生の時秘密基地を作って以来だ。

 久々の達成感に包まれながら、俺はしばらく自作の拠点を眺めていた。

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