分断されど、小さな聖女は揺るがない。

 戦いは、いきなり風雲急を告げた。


 女神の聖剣を有したジークハルトは世界最高峰のレベルにある攻防に加えて、圧倒的なタフネスを兼ね備えた歴代最強の勇者だ。

 剣聖リュウキは芸術的な剣技を圧倒的なスピードで発揮する百年に一人の才の持ち主である。

 大魔導士リュークは優れた才能に溺れることなく、日々の研究に弛まぬ研鑽を重ね合わせ、そして、ただの初級魔法を大魔法を凌駕するまでに昇華させた天才を超える天才だ。

 他種族の猛者たちにも、決して引けを取らないその三人が、突として消えた。

 消えてしまった。まだ何もしていないのに。

 思わずして叫んでしまうコリンナ。


「お兄様!」


 残されたのは防御術に優れた仲間たち。

 作戦の要、肝、アタッカーの彼らがいなければこの作戦は成り立たない。

 主力のいきなりの脱落に、聖女コリンナの心情は如何なるものか?


 ――焦るな。状況を確認しよう。


 困惑したのは一瞬だった。

 惚けていた目力を強くして、直ぐに思考を巡らせる。

 彼女は聖女だ。

 それもとびきり優秀である。

 近い将来、次期大聖女であるアニエスをも越える逸材と期待されている。

 大聖女、それは勇者に並び立つ人族最高峰の称号である。

 弱冠十歳にして、勇者パーティに加入したのも伊達ではない。

 鋼のメンタルを持ち、本番に強い実戦タイプであり、闘いの中でメキメキと成長していくという生粋の天才である。

 生まれながらにしてリーダー気質も兼ね備えている過去に類を見ない才能の持ち主だ。

 そして、柱である勇者のいなくなった今、此処で、自分が立て直さなければならないという使命感が芽生えた。

 元より勇者が前線に出た時点で、全体の指揮権はコリンナに移行する手筈となっている。

 左右に展開する餓狼の戦線も踏まえて、全体のバランスを見ながら回復などの補助に務める所存である。

 頭の中でのシュミレーションは何度も繰り返している。


「コリンナ!どうする!」


 コリンナの右前。

 両手に短刀で構えるリリーが肩越しに指示を仰ぐ。

 鋭い眼差しだ。その意思のある瞳が何を言いたいのかを物語っている。


 ――撤退するのか?それとも?


「はい!」


 幼くとも力強く、コリンナは薄い胸を張って続ける。


「三人は悪魔の結界に囚われてしまったものだと思われます。

 悪魔の文献としてそのような記述があったのを記憶しています。

 恐らくは、悪魔の幹部、もしくは魔王の下へと飛ばされてしまったのかと推測します」


 女神にとって、悪魔とは不倶戴天の敵である。

 女神に仕える聖女は悪魔の性質をある程度は学習している。

 過去には人類の手に負えない大悪魔を、天使を召喚して討伐したという記録も残っている。

 それを踏まえての考えだ。


「そうか、ならば」


「はい!」


 再びの力強い声。

 コリンナの大きな瞳が、必ず果たすと確固たる覚悟を宿している。


「お兄様たちがそれを打ち破り、帰還するのをここで待ちます!

 それまでは一人も欠けることのないようにしましょう!」


「わかった。餓狼もいいな!」


「おーす!了解だー!」


 餓狼のリーダー、ハルトがサムズアップして了承を示した。


 コリンナを中心に、その斜め前にはリリー。

 左右に餓狼五名ずつという布陣で勇者たちの帰りを待つ事となる。


「にゃーはっはっは!」


 白猫の悪魔がコリンナを指差して言う。


「ご明察だにゃ。

 お前、ちっちゃいのになかなかの物知りだにゃあ」


「それはどーも」


 律儀にペコリと頭を下げるコリンナ。

 太々しい貌で、こんなモノはピンチではないという態度。

 この未曾有の大ピンチでも、小さな聖女は揺るがない。

 総身には金色の聖なるオーラを纏い、目力を強くした凛々しいその面持ちは、歴戦の雰囲気を漂わせ始める。

 天才を超える怪物。それがコリンナの真の姿。

 怪物の真価がここに発揮され、秒単位でメキメキと成長していく。


 ――私が必ずこの戦線を維持してみせる。


「フフ、流石は聖女様だ」


 ニヤリと口端を上げるリリー。

 その頼もしさを背中に受けながら、戦闘前、死ななければ必ず私が癒しますと言われたのを思い出した。

 大言壮語に聞こえたそれは、今、この場では冗談に思えない。

 いや、必ずやり遂げるだろうと確信した。

 ならば自分は死なないように上手く立ち回るだけ。


 ともかく、誰も欠けることなく時間を稼がなくては。


 コリンナは身の丈を超える聖女の杖を両手で持ち、魔力を練り始めた。

 金色の魔力がその全身を覆い尽くす。


「にゃっはっは〜」


 その勇ましい様子に、白猫の悪魔が満足そうに口端を吊り上げた。


「悪魔を前に、威勢の良い人間たちだにゃ〜。

 ご褒美に、名前を名乗ってやるにゃ。

 吾輩の名前はカチューシャ。

 じゃあ、早速、始めるかにゃー」


 言って、右手を見せつけるように突き出し。


 パチーン!


 派手に指を鳴らした。


 カチューシャの傍ら、ニョキニョキと生えてくる。

 コピーをしたかのような、カチューシャそっくりの何か。

 全身白タイツをピッタリとしたような、しなやかな女体。

 猫耳を模った頭部に目鼻に口の無い、のっぺらぼうである。


「にゃっはっはっは。

 これは吾輩の眷属にゃ。

 まずは小手調べ、行くにゃー」


 腕をブーンと振るうと、隣りの猫型がダッと一直線に駆け出し。


「任せろ」


 リリーがコリンナを守るように背中にして、腰を落として迎え撃つ。

 リリーは人族最高峰の軽業師にして、様子見のスペシャリストだ。

 優れた観察眼に加えて頭の回転が抜群に早い。

 向かって来る猫型を瞬時に分析して解析し、即座に適したアクションを選択する。


 ――魔法を使う気配は無い。魔力を練る様子も無し。ただ一直線に向かって来るだけだ。スピードも並、全くもって脅威を感じない。つまりは雑魚ということ、ならばとっとと排除する。


 左右の短剣を逆手持ちに、爪を立てた猫パンチをヒラリと半身でギリギリで回避すると、すれ違い様にズバッとクロスの一閃とする。


「閃!」


 ボフンと、猫型は声も無く煙が消えるようにして霧散した。


「ほう」


 しかし、カチューシャはニヤリと余裕のまま。


「やるにゃあ。人間」


 再び、派手に指を鳴らす。


 パチーン!


 カチューシャの左右から、猫型が再びニョキニョキと生えてくる。

 今度は倍の二体。


「どんどん行くにゃ、人間共」


 聖女コリンナ&シーフリリー対白猫の悪魔カチューシャの闘いが幕を開けた。


 ◇◇◇◇◇


 一方、餓狼と巨漢の悪魔二体との闘いは一足早く始まっていた。

 餓狼は国に一組いるかいないかというSランクの称号を持つ超一流のパーティだ。

 全員が凄腕の精鋭部隊である。

 特に、魔獣退治はお手のもので、巨漢の悪魔は魔法を使わないパワータイプだった為、相性が良かった。

 大振りの斧を回避しては一撃を返し、距離をとっては魔法を放つといったヒットアンドアウェイ戦法。

 決して無理はせず、命大事にという作戦に終始する。

 悪魔は戦った事はおろか見た事も無い。

 古い伝承では頭を落としても死なないという。

 そんなものは人の身で倒し切れるのか甚だ疑問である。

 一番攻撃力のあるリーダーハルトが大斧の一撃を加えても全く手応えを感じない。

 ならば、指揮官の少女に従って時間を稼ぎ、勇者様方英雄たちが帰還したら頼もうぜという心算である。


 ◇◇◇◇◇


 時を同じくして、前線でも動きがあった。


 悪魔の儀式が完成を遂げてしまうのだ。


 大きな輪を作って魔力を注ぐ七十の悪魔たち、その中心で明滅を繰り返す魔法陣が一際妖しく強い輝きを発光すると、

 黒い瘴気が禍々しく立ち上り、そして、誕生する。


『オ、オ、オ、オ、オ、オ』


 この世のものとは思えないおどろおどろしい嘆くような声が響き渡り。

 魔法陣中央にて、大地から浮かび上がってきた一人のアンデッド。

 身の丈は三メートルを超える骨だけの巨体。

 瘴気を纏わせた黒のローブを羽織り、一角獣のようなツノを生やした髑髏の頭。

 それは、三年前に討伐した不死の魔王ネルドロスであった。


『オ、オ、オ、オ、オ』


 続け様、その周囲からアンデッドの群れがワラワラと生まれてくる。

 次から次へと止まる事を知らない。

 それは瞬く間に百を超え千を超え、尚も湧き出てくる亡者の群れに、前線は騒然となった。


 その一報は直ぐに大将軍まで届けられる。


「不死の魔王だと!」


「はっ!その後も次々とその配下が召喚されています。

 前回同様、スケルトンやグールにゾンビ。

 指揮官のリッチーの姿も確認しました」


 三年前の悪夢再び。

 悪魔の群れに加えて、不死の魔王がアンデッドの群れを引き連れての参戦である。

 驚愕の事実にしばし固まってしまう。

 しかし、びびっている場合ではない。


「閣下!指示を願います」


 早く手を打たなければならない。

 弱い者から死んでいくのだから。

 大将軍は頭を振って直ぐに立て直し、命令を下知する。


「盾持ちを配した防御陣形を取れ。前線は精鋭を配置せよ。

 負傷した者は直ぐに後方に下げて治療させるように。

 死者を出さないように守りを固めて、反撃の刻を待て!」


「はっ!了解しました!」


 とりあえずは無難な策を投じた。

 不死の魔王は命を奪った相手を傀儡として操ってしまう。

 少しでも犠牲を出さないようにするしかない。

 勇者一行はこの場にいないのだ。あの規格外の姫将軍もいない。

 魔王を討てるとしたら、それはその英雄たちだけ。

 しかし、それでも、彼の国が援軍に来てくれれば。

 大将軍はそう思い、自然と目を向けていた。

 援軍用にと設置されている転移魔法陣のある城塞都市の方角に。



 ◇◇◇◇◇


 同刻。

 戦場後方にある城塞都市。

 その彼の国こと、神聖国より援軍が到着した。

 大聖女を筆頭に五人の聖女。

 聖騎士を主体とした精鋭部隊が馳せ参じたのである。

 数は百人程度だが、全員が手練れであり、万の大軍にも匹敵するほどの大戦力だ。


「アッチだな」


 門を出たところで、大聖女マリアが戦場の方角に睨むような目を向ける。


「瘴気が膨れ上がっている。

 既に開戦した模様だ、急ぐぞ」


 マリアの言葉にジジイの騎士団長が声を張る。


「応っ!急ぎ進みながら列を成せ!このまま出立だ!」


 大聖女を先頭に神聖騎士団が進軍を開始した。

 その速さは馬をも置き去りとするとんでもない速さだった。


 ◇◇◇◇◇◇



 混沌としてきた戦場から離れた遥か東の地。

 とある領主館の食堂にて。


「むぐっ!」


 食事中だった美貌の女領主は喉を詰まらせ、大きなお腹を抑えながら言った。


「う、産まれる!」


「テレスティア様」


 背後に控えていた侍女がすかさず一歩前に出る。


「では、お産婆さんを呼んで参りますので、寝室で横になってお待ちください」


 と、至って冷静にそう言い残し、そのままスタスタと部屋を出て行ってしまった。


「ええ?」


 振り返りもしない侍女に女領主はキョトンとして疑問を述べる。


「肩を貸してくれないの?

 妊婦を一人にするつもりなの?

 そして、何故にそんなにも冷静なの?

 心配とかしないのかしらー?」


 女領主はブツクサと文句を言いながらも素直に指示に従い、寝室へと向かった。


「まったくあの侍女は、幼い頃からの付き合いとはいえ主人を軽んじている。

 まぁ、とはいえ、ようやく禁酒生活も終わりだ。

 あー、早くワインが飲みてー」



 薔薇の誕生までのカウントダウンが始まった。

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