分断されど、小さな聖女は揺るがない。

 戦いは、いきなり風雲急を告げた。


 女神の聖剣を有する勇者ジークハルトは世界最高峰のレベルにある攻防に加えて、圧倒的なタフネスを兼ね備えた歴代最強の勇者だ。

 剣聖リュウキは芸術的な剣技を圧倒的なスピードで発揮する百年に一人の才の持ち主である。

 大魔導士リュークは優れた才能に溺れることなく、日々の魔法研究に弛まぬ研鑽を重ね合わせ、遂には、ただの初級魔法を大魔法を凌駕するまでに昇華させた天才を超える天才だ。

 他種族の猛者たちにも、決して引けを取らないその三人が、突として消えた。

 消えてしまった。まだ何もしていないのに。


 その事実に、コリンナは思わずして叫んでしまう。


「お兄様!」


 とり残されたのは防御術に秀でる者たち、

 魔王クラスの攻撃でも凌いでみせる強者だ。

 しかし、あくまでもサポート役である。

 作戦の要であるアタッカーの彼らがいなければ本作戦は成り立たない。

 主力のいきなりの脱落に、コリンナの心情は如何なるものか?


 ――焦るな。直ぐに状況を把握しろ。


 困惑したのはほんの僅かな一瞬だった。

 強めの瞬きを一つ挟み、惚けていた目力を力強いモノへと変換して、直ぐに思考を巡らせる。


 コリンナの潜在能力は、過去に類を見ないほどに凄まじく、近い将来には、次期大聖女のアニエスをも越える逸材だと期待されている。

 大聖女、それは勇者と並び立つ人族最高峰の称号である。

 それに選ばれしアニエスは、歴代最強と言われる勇者と並ぶほどに強い、十年に一人のスーパー聖女である。

 コリンナはそれをも凌ぐのだ。

 弱冠十歳にして、人族最強を誇る神聖国でも十指に入る実力を持ち、この歳で勇者パーティに加入したのも伊達ではない。

 更に恐ろしいのは、此処からが本格的な成長期を迎えるという事だ。

 ここまでは、普通の修練を積むだけで、国内十指にまで昇ってしまった。

 肉体はまだまだ未熟な上に、本来は、本番に強い実戦タイプ、闘いの中でメキメキと成長していくという天才の中の天才である。

 年上に揉まれて培われた鋼のメンタルを持ち、生まれながらにしてのリーダー気質も兼ね備えている、過去に類を見ない才能の塊だ。


 そして、今、この場面で、柱である勇者のいなくなったことで、自分が立て直さなければならないという確固たる使命感が芽生えた。

 元より勇者が前線に出た時点で、全体の指揮権はコリンナに移行する手筈となっている。

 左右に展開する餓狼の戦線も踏まえて、全体のバランスを見ながらの、回復など防御系のサポートに務める所存である。

 頭の中で、あらゆる場面を想定しながら、全体の把握に全集中している。

 すると………。


「コリンナ!どうする!」


 右前からの叫び声。

 両手に短刀で身構えるリリーが、肩越しに指示を仰ぐ。

 鋭い眼差しで、その意思のある瞳が、何が言いたいのかを物語っている。


 ――撤退するのか?それとも?


「はい!」


 幼くとも力強く、コリンナは薄い胸を張って続ける。


「三人は悪魔の結界に囚われてしまったものだと思われます。

 悪魔の文献としてそのような記述があったのを記憶しています。

 恐らくは、悪魔の幹部、もしくは魔王の下へと飛ばされてしまったのかと推測します」


 悪魔とは、此処とは別次元にある魔界からの侵略者だ。

 この世界を統べる女神にとっての不倶戴天の敵である。

 女神に仕えし聖女は、悪魔との戦いの歴史を、ある程度は学習している。

 過去には人類の手に負えないような大悪魔を、大天使を召喚して討伐したという記録も残っている。

 それを踏まえての考えだ。


「そうか、ならば」


「はい!」


 再びの力強い返事だ。

 その鬼気迫る眼差しが、必ず果たすという揺るぎない意思を宿している。


「お兄様たちがそれを打ち破り、帰還するのをここで待ちます!

 それまでは一人も欠けることのないように、心がけましょう!」


「わかった。餓狼もいいな!」


「おーす!了解だー!」


 餓狼のリーダー、ハルトがサムズアップして了承を示した。


 コリンナを中心として、その斜め前にリリー、左右に餓狼五名ずつという布陣で、勇者たちの帰りを待つ事にする。


「にゃーはっはっは!」


 白猫の悪魔がニヤケながら、コリンナを指差して言う。


「ご明察だにゃ。

 お前、ちっちゃいのになかなかの物知りだにゃあ」


 ペコリと。


「それはどーも」


 律儀に頭を下げるコリンナ。

 太々しい貌で、こんなモノはピンチではないという態度。

 この未曾有の大ピンチにも、小さな聖女は揺るがない。

 総身には、金色に輝く聖なるオーラを纏い、目力を強くした凛々しいその面持ちは、歴戦の雰囲気を漂わせ始める。

 天才を超える怪物。それがコリンナの真の姿である。

 怪物は初めての死地を向かえた事で、その真価が発揮され、ここからは秒単位で、メキメキと成長していくのだ。


 ――私が必ずこの戦線を維持してみせる。


「フフ、流石は聖女様だ」


 リリーがニヤリと口端を上げる。

 ただならぬ雰囲気を醸し始めた少女の、その頼もしさを背中に受けながら、戦闘前、「死ななければ必ず私が癒します」と言われた事が頭を過ぎる。

 大言壮語に聞こえたそれは、今、この場では冗談に思えず、いや、必ずやり遂げるのだと確信する。

 ならば、自分は死なないように上手く立ち回るだけ。


 ともかく、全員の共通の認識は、誰も欠けることなく時間を稼げ、である。


「むんっ」


 と踏ん張るコリンナ。

 身の丈を超える聖女の杖を両手で持ち、魔力を練り始めた。

 たちまち、爆発的に増殖する金色の魔力が、ちいさな身体を覆い尽くす。


「にゃっはっは〜」


 そのなんとも勇ましい姿に、白猫の悪魔が満足そうに口端を吊り上げ。


「この太古の悪魔を前にして、なんとも威勢の良い人間たちだにゃ〜。

 ご褒美に、名前を名乗ってやるにゃ。

 吾輩の名前はカチューシャ。

 じゃあ、早速、始めるかにゃー」


 言って、右手を見せつけるように突き出して、トリッキーに指を鳴らす。


 パチーン!


 乾いた派手な音が鳴り響いた。


 それを合図に、カチューシャの傍らから、ニョキニョキと生えてくる。

 コピーをしたかのような、カチューシャそっくりの人型の何か。

 全身白タイツをピッタリとしたような、緩やかな双丘のあるしなやかな女体。

 猫耳を模った頭部に目鼻に口の無い、のっぺらぼうである。


「にゃっはっはっは。

 これは魔力て造った吾輩の眷属にゃ。

 まずは小手調べ、行くにゃー」


 腕をブーンと振るうと、隣りの猫型がダッと一直線に駆け出した。


「任せろ」


 リリーがコリンナを守るように背中に隠し、腰を落として迎え撃つ。

 リリーは人族最高峰の軽業師にして、斥候職のスペシャリストだ。

 優れた観察眼に加えて頭の回転が抜群に早い。

 向かって来る猫型を瞬時に分析して解析。

 そして、即座に適したアクションを選択する。


 ――魔法を使う気配は無く、魔力を練る様子も無し。

 ただ一直線に向かって来るだけだ。

 スピードも並、全くもって脅威を感じない。

 つまりは雑魚ということ、ならばとっとと排除するのみ。


 左右の短剣を逆手に持ち変え、爪を立てた猫パンチをヒラリ半身で、ギリギリで回避すると、すれ違い様にズバッとクロスの一閃とする。


「閃!」


 ボフンと、猫型は声も無く、煙が消えるようにして霧散した。


「ほう」


 しかし、カチューシャはニヤリと余裕のまま。


「やるにゃあ。人間」


 再び、派手に指を鳴らした。


 パチーン!


 カチューシャの左右から、猫型がニョキニョキと生えてくる。

 今度は倍の二体だ。


「どんどん行くにゃ、人間共」


 聖女コリンナ&シーフリリー対白猫の悪魔カチューシャの闘いが幕を開けた。


 ◇◇◇◇◇


 一方、餓狼と巨漢の悪魔二体との闘いは一足早く始まっていた。

 餓狼は国に一組いるかいないかというSランクの称号を持つ超一流のパーティだ。

 全員が凄腕の精鋭部隊である。

 特に、魔獣退治はお手のもので、巨漢の悪魔は魔法を使わないパワータイプだった為、相性が良かった。

 大振りの斧を回避しては返す刀で一撃を返し、距離をとっては魔法を放つといったヒットアンドアウェイ戦法。

 決して無理はせず、命大事にという作戦に終始する。

 悪魔は戦った事はおろか見た事も無い。

 古い伝承では頭を落としても死なないという。

 そんなものは人の身で倒し切れるのか甚だ疑問である。

 一番攻撃力のあるリーダーハルトが大斧の一撃を加えても全く手応えを感じない。

 ならば、指揮官の少女に従って時間を稼ぐのみ。

 後は、勇者様方英雄たちが帰還したらお任せだ、という心算である。


 ◇◇◇◇◇


 時を同じくして、前線でも動きがあった。


 悪魔の儀式が完成を遂げてしまうのだ。


 大きな輪を作る七十の悪魔たち、その中心で明滅を繰り返す魔法陣が一際強い輝きを発光した後。

 ズズズと、黒い瘴気が禍々しく漂い始め、それが陣全体に満たされた時、生まれてしまう。


『オ、オ、オ、オ、オ、オ』


 この世のものとは思えない、おどろおどろしい嘆き声が響き渡る中。

 陣のど真ん中、大地から浮かんできた一人のアンデッドの姿。

 身の丈は三メートルを超える骨だけの巨体。

 瘴気を漂わせる黒のローブを羽織り、一角獣のようなツノを生やした髑髏の頭。

 それは、三年前に討伐した不死の魔王ネルドロスであった。


『オ、オ、オ、オ、オ』


 続け様に、その周囲からアンデッドの群れがワラワラと生まれてくる。

 容赦なく、間髪入れずに、次から次へと、その勢いは止まる事を知らず。

 それは瞬く間に百を超え千を超え、尚も湧き出てくる亡者の大群に、前線は騒然となった。


「伝令!」


 その一報は直ぐに大将軍まで届けられる。


「不死の魔王だと!」


「はっ!その後も次々とその配下が召喚されています。

 前回同様、スケルトンやグールにゾンビ。

 指揮官のリッチーの姿も確認しました」


 三年前の悪夢再び。

 悪魔の群れに加えて、不死の魔王がアンデッドの群れを引き連れての参戦である。

 最悪だ。

 驚愕の事実にしばし固まってしまう。

 しかし、びびっている場合ではない。


「閣下!指示を願います」


 早く手を打たなければならない。

 弱い者から死んでいくのだから。

 大将軍は頭を振って直ぐに立て直すと、命令を下知する。


「盾持ちを配した防御陣形を取れ。前線は精鋭を配置せよ。

 負傷した者は直ぐに後方に下げて治療させるようにしろ!

 死者を出さないよう守りを固めて、反撃の刻を待て!」


「はっ!了解しました!」


 とりあえずの無難な策を投じた。

 不死の魔王は命を奪った相手を傀儡として操ってしまう。

 少しでも犠牲を出さないようにするしかない。

 勇者一行はこの場にいないのだ。あの規格外の姫将軍もいない。

 魔王を討てるとしたら、それはその英雄たちだけ。

 しかし、それでも、彼の国が援軍に来てくれれば。

 大将軍はそう思い、自然と目を向けていた。

 援軍用にと設置されている、転移魔法陣のある城塞都市の方角へと。



 ◇◇◇◇◇


 同刻。

 戦場後方にある城塞都市。

 その彼の国こと、神聖国より援軍が到着した。

 大聖女を筆頭に五人の聖女。

 聖騎士を主体とした精鋭部隊が馳せ参じたのである。

 数は百人程度だが、全員が手練れであり、万の大軍にも匹敵するほどの大戦力だ。


「アッチだな」


 門を出たところで、大聖女マリアが戦場の方角に睨むような目を向ける。


「瘴気が膨れ上がっている。

 魔王級の強者の存在を感知した。

 既に開戦した模様だ、急ぐぞ」


 そのマリアの言葉にジジイの騎士団長が声を張りあげる。


「応っ!急ぎ進みながら列を成せ!このまま出立するぞ!」


「応っ!」


 大聖女を先頭に、神聖騎士団が進軍を開始した。

 その速さは馬をも置き去りとするとんでもない速さだった。


 ◇◇◇◇◇◇



 混沌としてきた戦場から離れた、遥か東の地。

 とある領主館、その食堂にて。


 食事中だった美貌の女領主は、喉を詰まらせた。


「むぐっ!」


「テレスティア様」


 背後に控えていた侍女がすかさず前に出て、グラスを差し出す。


「水です」


「っ!」


 急ぎ、そのグラスを呷って流し込んだ後、大きなお腹を抑えながら言った。


「う、産まれる!」


「テレスティア様」


 再び、背後に控えていた侍女がすかさず前に出た。


「では、お産婆さんを呼んで参りますので、寝室で横になってお待ちください」


 と、至って冷静にそう言い残し、そのままスタスタと部屋を出て行ってしまった。


「ええ?その反応、嘘でしょ?」


 振り返りもしない侍女に女領主はキョトンとした後、疑問を連ねる。


「肩を貸してくれないの?

 妊婦を一人にするつもりなの?

 そして、何故にそんなにも冷静なの、あなた?

 心配とかしないのかしらー?

 まったく、もう。

 あの侍女ったら、幼い頃からの付き合いとはいえ、主人を軽んじているな」


 女領主はブツクサと文句を言いながらも指示に従い、素直に寝室へと向かうのだった。

 文句を言ったところで、戻って来る訳がなく、言われた事が間違っている訳でも無い。

 それに、幼い頃からの借りも色々とある。

 王城を抜け出しての家出とか、家出とか、家出とか。

 まぁ、家出が事の始まりだ。

 あの侍女が付いてきてくれなかったら、直ぐに王城に戻る羽目になっていたはずだ。

 何せ、いきなり詐欺に合い、持っていた全ての金貨を巻き上げられてしまったのだから。

 侍女がその詐欺を暴き上げ、私がとっ捕まえて、ボコボコのボコボコにしてやったが。

 侍女が止めなかったら殺していたところだ。

 ともあれ、その後も侍女のサポートを頼りに、冒険者を堪能することが出来たのだ。

 その時に、今の旦那と出会うことが出来たのが何よりの借りである。

 結婚しようと仕方なしに連れて城に帰ったが、平民だったので揉めに揉めた。

 文句を言ってきた奴は片っ端からぶん殴ってやったが。

 別にそのまま国を出ても良かったのだが、旦那が悲しい顔をしたので、二の足を踏んでいると。

 あの侍女がなんとかしてくれたのだ。

 姉は女王へと、私は大公爵として、国を守ることを条件に、結婚出来るよう、話しをまとめてくれたのである。

 次いでに、姉の臣下に降るのではなく、あくまでも対等な立場であるという事を付け加えてみせた。

 何人たりとも、私に命令は出来ないのだ。

 まぁ、姉は国政を、私は国防をという棲み分けだ。

 理想的過ぎる展開に、他人の事を初めて凄いと思ってしまった。

 あの無愛想な侍女が、無愛想のままに、淡々と、色々と知恵を回してくれたおかげで、私は女王にならずにすんだのだ。

 あんな面倒なモノは、責任感のある姉がやれば良い。

 私は雲。風任せに、自由気ままに生きて行くのだ。

 それはともかくとして。


「ようやく禁酒生活も終わりだぜ。

 あー、早くワイン飲みてー」



 何はともあれ、薔薇の誕生までのカウントダウンが始まった。

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