34.謁見


 真面目なレオンハルトの調査により、アルバンには除隊という処分が下った。また、デニスとガブリエラは罰を与えられることなく、そのまま辺境軍に従事することになった。本人たちが反省している点と、レッドドラゴン討伐に加わって重要な役目を担っていたことをレオンハルトは特に評価していた。なお、第三隊長は降格になっただけで済んだが、プライドが高い人物なのか、正式に処分が下される前に軍役を退いたとの話がのちにヴィルフリートたちの耳に入った。


 辺境伯ハインリヒ・マルシュナーは、全権を息子に譲り引退するという形で落ち着いた。さすがに上位貴族ともなると厳しい罰を与えることはできないとの判断によるものだ。レオンハルトは少々悔しがっていたが、辺境伯ももう年齢が五十になるため、若い世代に託すならそれでいいとヴィルフリートは考えている。


 ――レッドドラゴン討伐から、五十日が経過した。王宮の一角、腕のいい庭師によって美しく整えられた庭園内を歩きながら、ヴィルフリートとレオンハルトは話をする。


「すまなかったな、事後のことを色々任せてしまって」


「……レッドドラゴンの素材が一番難儀だった……。王立軍が倒したわけじゃないから、権利だの何だので」


「いやぁ、悪かったよ」


「ヴィルがやることは、本当に突飛というか何というか……予想ができないから……まさか軍が到着する前に倒そうと考えるなんて……」


「あのなぁ、もしフェリクスじゃなくおまえが聖女探しに来てても、倒そうって言ってたと思うぞ。そして、おまえはそれに乗るんだ」


「うっ、そうだな、そうかもしれない」


 レオンハルトはバツが悪そうに頭に手をやり、ヴィルフリートから目をそらす。


 カロリーネはやはり聖女だった。彼女が手をかざした水晶玉が、きれいな薄赤色に染まったのだ。レオンハルトは、妻であるビアンカの役目が終わったという事実を突きつけられ、複雑そうではあったが、喜んでいた。


「なあレオン、突然姪っ子ができた感想は?」


「感想……、うれしかったに決まってるだろ。知った時には自分でも驚くくらい喜びが込み上げてきて、胸がいっぱいになったよ」


「そうか……、よかったよ」


 久し振りに穏やかに会話できるようになった古い友人の、心からの笑みを見られたうれしさに、胸が詰まる。ヴィルフリートが最後にレオンハルトに会ったのは彼とビアンカの結婚式だったが、その時にはまだ気まずさがあり、個人的に話すことはなかったのだ。


「本当に、よかった。本当に」


 不意に立ち止まると、それからしばらくの間レオンハルトは何かを言おうとはしなかった。きっと様々な気持ちが彼の中で入り乱れているのだろうと、ヴィルフリートも口を閉ざす。


「……ディアナさんが、兄さんだけを見てくれる人で、よかった」


「ああ、そうだな」


 しばらくの沈黙ののちレオンハルトが静かに口を開き、ヴィルフリートも同様に静かに答える。


 ディアナは再び王都に住むことに決め、既に引っ越しを終えている。やはり王都から神殿に通うようになった娘のカロリーネが心配なようだ。フェリクスは相変わらず神殿暮らしを続けており、彼女たちと一緒に暮らしてはいない。


「フェリクス、神殿出ればいいのにな。レオンからも言ってやれよ」


「もう言ったよ。でも、何だかんだと言い訳を並べて……あれたぶん、恥ずかしがってるんだな」


「どうせ毎日のように家を訪ねてるんだろ」


「そうそう。カロリーネと一緒に神殿に行ったりするんだぞ。どっちが家なんだか」


 ははは、とレオンハルトは軽く笑うが、その笑顔にはわずかに暗い影が差している。


「……ビアンカの容態は、どうだ?」


「今は落ち着いているが、ただの小康状態だ。もう長くはない」


「カロリーネに会って、具合がよくなったと聞いたが」


「そう、それから小康状態を保っている。もう自分が祈らなくても魔物が出現してしまうことはないと思うと、穏やかな気持ちでいられるんだろう」


 ふっと薄く笑みを作ってから口を引き結ぶと、レオンハルトはヴィルフリートをまっすぐに見た。


「悪かったよ」


「何が?」


「……前回の旅の時、ヴィルを避けたりして……。悪かった」


 午後の日の光を受けた紫の瞳が、ヴィルフリートをとらえる。一本気な性格のレオンハルトのことだ、きっと長年このことで思い悩んでいたのだろうと思うと、微笑ましいような、申し訳ないような気持ちになってくる。


「そんなこと気にするなよ。みんな若かったんだ、それくらいの軋轢のようなものがあるのは当然だろ。もう二度と謝らないでくれ、俺だって悪かったんだから」


「わかった。……若かった、か。そうだな。今よりずっと元気で、今よりずっと向こう見ずで、今よりずっと希望にあふれていた」


「そうか? 俺は今でも希望にあふれているが」


「さすがヴィルだな」


「年寄りだって熱くなれるんだ。俺らが証明したろ」


「ははっ、ヴィルにかかるとそのあたりの常識が覆されるよ」


 レオンハルトの表情が明るくなり、ヴィルフリートは安心する。ビアンカのことを常に気にかけているため、ともすると暗い表情になりがちなのだ。


「閣下、ご一行が到着されたようです」


「ああ、着いたか。ヴィル、行くぞ」


 レオンハルトの後ろに控えていた侍従が王宮の使者から伝言を聞き、レオンハルトに伝えた。


「ええー……面倒……。レオンだけ行けよ」


「そんなわけにいくか。ったく、おまえはそうやってすぐに面倒面倒って……。今日だけじゃなくて、これから開かれるパーティーにも出席しないといけないんだぞ」


「またやるのか!? もういいじゃないか、二度目なんだから!」


「しょうがないだろ、聖女様を二度探し出したんだから」


「うう……、謁見もパーティーも、めんどくさ……」


「待たせるのはよくない。ほら、行こう」


 ヴィルフリートの背中を押すようにしてレオンハルトが歩き出し、渋々並んで王宮の廊下を進む。ふかふかの絨毯が敷かれている廊下は歩きやすく、旅の間に歩いた地とはえらい違いだな、などと、現実逃避めいたことを考えてしまう。


「ああ、そうだ、言うのを忘れてたんだが」


「何だ?」


「三人に、陞爵しょうしゃくがあるかもしれない」


「……俺、伯爵って柄じゃないんだが……」


「あ、そうだ、クリスの場合は叙爵じょしゃくだな。兄さんとヴィルが陞爵だ」


「ううう、面倒……」



**********



 ヴィルフリートとレオンハルトが広間に到着した時には、既に玉座のアーデルベルト・ラングハイエンの前にクリストフ、フェリクス、ディアナ、カロリーネの四人がひざまずいていた。誰も口を利いておらず、静かな空間になっている。それに倣い、レオンハルトとともにヴィルフリートも腰を落としてひざまずいた。


「お待たせしてしまい、申し訳ございません。陛下におかれましては……」


「前置きはいい。顔を上げろ」


 レオンハルトがうやうやしく述べる言葉を遮り、アーデルベルトが口を開いた。


「フェリクス・ベルツ、ヴィルフリート・レッシュ、クリストフ・モリーニ、三名の活躍は既に聞き及んでいる。聖女を探し出しただけでなく、西の辺境のレッドドラゴン討伐まで行ったこと、誇りに思う。キルニアード帝国の不穏な動きも、これで抑えることができるだろう」


「もったいないお言葉でございます」


 前回の旅から、こういう時に必ず最初に発言するのはヴィルフリートと決まっていて、レオンハルトやフェリクスもいるのに何故だろうと疑問に思う。特にクリストフはほとんど口を出さず、ヴィルフリートか別の者に追随するだけだ。あとで文句を言ってやろうと考えながら、ヴィルフリートはアーデルベルトとの会話を始めた。


「よって、褒美を取らせようと思うのだが」


「恐れながら、申し上げます。私はまもなく爵位も家業も息子に譲り、引退する予定でおります。また、レッドドラゴンの素材を売っ払……売却し、金銭的にも余裕がございますので、お手を煩わし、気にかけていただく必要はございません」


「ああ、金銭もだが、陞爵しょうしゃくだぞ。引退が延びることになるとは思うが、レッシュ卿にとっていい話であろう」


「ええと、つまり、老い先短い身でありながら、これからも国のために身を粉にして働けという意味ととらえてよろしいでしょうか」


「おい、ヴィル、何だっておまえはそういう口を……」


 ここでは他の貴族の目がないからか慇懃無礼になっているヴィルフリートの物言いを、レオンハルトが咎める。そういえばこれまで何度か「口を開かなければ……」などと言われてきたなと、この段になっても本人は非常に気楽に構えているのだが、その飄々とした態度がレオンハルトをひやひやさせるのだ。


「そんなこと言うなら最初からレオンが話せばいいだろ。何でおまえらいつも俺に話をさせるんだよ。大体な、いらないって……」


「ええい、ごちゃごちゃとうるさいわ。拒否するならそれなりの理由が必要なのだが」


 隣のレオンハルトへの文句を全て言うことはできず、アーデルベルトの言葉が響いた。


「……幸甚に存じます。謹んで受け賜ります」


 ヴィルフリートが嫌々ながらも諾了すると、アーデルベルトは明らかにほっとした表情になる。旅に出よとの命を受けた時と同じだ。しかし、あの時とは違い、今は聞かなければならないことがある。


「陛下、質問をお許しいただけますでしょうか」


「許す。申してみよ」


「私ども三名に勅令を発出された理由を。三名でなければいけなかったのでしょうか? マルシュナー閣下は、フェリクス様にのみご用事がおありだったようですが」


「……もったいぶった言い方をするな、レッシュ卿と話していると疲れてかなわん。率直に言うぞ。あの時はレオンハルトの軍も向かっていたのだ、そなたらであれば状況を読んで協力し、最善を尽くしてくれるであろうと踏んでいた」


「詳細を省いた勅令だったのは、マルシュナー閣下への配慮でしたか?」


「気付かれたら何をしでかすかわからないと思っていたからだ。結局気付かれてしまったが……。フェリクスには謝らねばなるまい」


「めっそうもございません。私はこうして生きて帰って来ております」


 少々うんざり気味に話すアーデルベルトとヴィルフリートとの会話に、フェリクスが割って入る。ヴィルフリートからは遠い位置にいるが、声がよく通り、聞き取りやすい。久し振りに聞いた、優しい声。旅の最中に何度も思い出した、フェリクスの声だ。


「……うむ。よく生きて帰って来た。しかも家族まで連れて」


「申し訳ないことを……、勝手な真似をいたしました」


「何を謝ることがあるだろう。ああ、そうだ、フェリクスも陞爵になる。モリーニは叙爵じょしゃくになるな」


「ええと……その、老い先短い身で王位継承権などないにもかかわらず、これからも国のために身を粉にして働けと……」


「ええい、フェリクスまでごちゃごちゃうるさいわ。拒否するならそれなりの理由が必要だと言っているであろう。ったく、誰の影響なのか……。モリーニは、何か言いたいことはあるか?」


「私にとっては、ありがたき幸せとしか申し上げようがございません。謹んで受け賜ります」


「おお、最初からその言葉を聞きたかったんだ」


 フェリクスの言で再び眉をひそめるアーデルベルトに、クリストフが優等生さながらの返答をする。アーデルベルトの表情が柔らかくなったが、それも次のヴィルフリートとの会話により、一瞬だけに留まった。


「しかし、ああ言えばこう言うのが一人……いや、二人……。人選を間違えたか……いや、正しい判断だったはず……」


「陛下、何かお考えのところ申し訳ございませんが、詳細についてはのちほど文官から説明が?」


「あ、ああ、そうだな。何かお考えって、おまえのことだ、馬鹿者」


「……失礼いたしました……」


 やはりヴィルフリートは、アーデルベルトに叱られてしまう。相性が悪いのだろうか、冗談なんて言っていないのに……と考えていると、アーデルベルトはごほんと一つ咳払いをしてから声色を変え、話し始めた。


「聖女カロリーネ・アレンス」


「は、はいっ」


 突然アーデルベルトに名前を呼ばれたカロリーネが身を固くして応じ、母であるディアナが隣で心配そうに見つめる。


「既に神殿で祈りを捧げてくれていると聞いている。おかげで魔物の動きが沈静化し、世に平和がもたらされている」


「はい」


「今後も支援は厭わないつもりだ。何かあればフェリクスにでも訴えるがいい」


「そ、そんな、もう神殿などで十分助けていただいています」


「……そなたは、姪でもある。伯父としても手助けをしたいという気持ちがあるのだ」


「……そのお言葉だけで、ありがたいです……」


 カロリーネを見るアーデルベルトの目に何かが光っているようだが、全員が見ないふりをする。短い沈黙の後、アーデルベルトは玉座を立ち、ひざまずくカロリーネの元へ静かにやって来て言った。


「これまで苦労したであろう。よく、来てくれた。ありがとう」


 大国の王にしては素朴すぎるその言葉は、とても優しく、温かいものだった。カロリーネの紫の瞳は潤み、やがて一筋の涙がほんのり紅潮した頬を伝い落ちた。

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