迷子Ⅶ

「あら、あなた……私が見えるのね?」

「――――え!?」


 目の前の女性に話し掛けられて、ユーキは愕然とする。

 瞬き一つの間に自分が座っている場所が、馬車ではなく大きな木の根の上であることに気付いたからだ。慌てて周りを見ると、霧は晴れ、辺り一帯がどれも樹齢何百年を超えるだろう大樹のそそり立つ森であった。

 木の葉の間からは黄金と緋色の混ざった幾条もの煌めきが差し込み、頬を撫でる風が地面に落ちたばかりの青々とした葉を揺らす。

 何より驚いたのは女性の姿が病的な、或いは霊的な青白い姿ではなかったことだろう。金髪に草冠を戴き、透き通った白い布を体に巻いていた。肌も纏った布に負けず劣らずの白さで、一瞬、太陽を直視してしまったかのように神々しく見えた。


「どうしたの、こんなところで? もしかして、迷子さん?」

「えっと、俺は――――」


 自分が何者で、これからどこに行こうとしていたのか。周りにいた仲間たちはどこに消えたのか。様々な疑問が浮かぶはずなのに、ユーキの口からは何も出てこない。

 それどころか、その疑問すらも頭の中から掻き消えていた。


「――――家に、帰ろうとしてたんだ」


 ただ一つ。自分のいた世界に戻らなければいけない。それだけが口から漏れ出た。

 それを聞いた女性は慈しむような眼でユーキを見つめた後、目の前まで歩いてきて、手を差し出した。


「そう。でも、こんなところにいても日が暮れてしまって危ないわ。今日は私たちの家に泊まっていきなさい」

「はい、お世話になります」


 吸い込まれそうな緑色の瞳に映ったユーキは、まるで母親に手を引かれる幼子のように頷いた。

 満足そうに女性も頷くと立ち上がったユーキを森の奥へと先導する。一歩進むごとにユーキの意識は朦朧とし、眼が虚ろになっていく。体の動きも、どこか操り人形の如く、機械的になっていった。

 そんなユーキの耳元で声が通り過ぎていく。


「見つけた! 見つけた! 迷子を見つけた!」


 一人の子供がはしゃいでいるようにも、何十人もの子供が大合唱しているようにも聞こえる言葉はユーキには届かず、森の中へと消えていく。

 一方その頃、ユーキの消えた馬車は大騒ぎになっていた。


「おいおいおい、何だよ今の!? ユーキが消えちまったぜ!? あだっ!?」


 マリーは思いきり立ち上がって、頭を天井にぶつけて悶える。

 そんなマリーを尻目に、クレアはフェイに振り返った。


「今の、見た?」

「はい、僕も見ました。間違いなく、彼はここにいました。それは、他のみんなも一緒の筈です」


 フェイはユーキが座っていた場所に残されたウンディーネの宿る精霊石を見つめた。


「あなたが残されたということは……」

「やはり、昨日の声は聞き違いじゃなかったみたいですね」


 フェイとウンディーネとの間で進んで行く話に流石のクレアも目が点になる。


「フェイさん! 昨日の声って、どういうこと? ユーキさんはどこにいっちゃったの?」


 サクラが声を挙げるとフェイはクレアへと目配せする。

 話の流れがわからなくとも、根本的な部分では異なっていないのか。クレアはフェイが言わんとしていることを理解してゆっくり頷いた。


「昨日、見張りをしているときにね。ウンディーネと僕はある声を聞いたんだ」

「普通の人間には見えないし、聞こえない。例え見えても、魔法で干渉できない。クレアやマリーがお化けだと思って怯えていた者の正体です」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。今の流れだと姉さんも正体知ってそうな雰囲気があるのに納得がいかないんだけど」


 涙目になりながらマリーがクレアを指差す。その指をはたき落しながらクレアは呆れた顔で答えた。


「はぁ、あのね。あたしはあんたより年上なの。わからないものは調べる、って魔法学園飛び出たあたしが、それを調べていないとでも?」


 精霊石を拾い上げて、マリーのポケットに突っ込みながらクレアは言葉を続ける。その先を任せようと後ろを見るが、後ろではフェイが異変に気付いた外の騎士たちに説明を始めていた。


「こういう話を聞いたことがない? 生まれた赤ん坊や歩き始めの幼児が育つにつれて、やけに賢かったり、教えていない単語を話し始めたりする。あるいは逆にどんどん弱って行って死んでしまう」

「――――チェンジリング」

「正解」


 アイリスの言葉にクレアは軽く手を叩いて、称賛する。


「妖精が自分の子供と人間の子供を取り換えてしまうっていう伝承。ユーキが幼児かどうかって点は微妙だけど、妖精の気を引くものが一つあるでしょ?」

「……魔眼!?」

「正解」


 サクラの言葉に同様にクレアは拍手をする。


「なんだかよくわからないけど、見えないものを見るってことは、見たものにも見られるってこと。あたし、っていうよりはマリーは年齢的に対象だったのかもしれないけど、ユーキはそれでチェンジリングの対象になっちゃったんだろうね」


 顎に手を当てて、一通り推理を述べた後、その視線がメリッサへと向く。

 先程から何も話さず、ただじっと事の成り行きを見守っていた彼女がゆっくりと笑みを浮かべる。それはユーキを攫った女性と非常に似ているようで、その実、正反対の笑みだった。


「やはり、クレア様ですね。あの事件の真相、既にそこまで辿り着いていましたか」

「わかっただけで、何の解決にもなっていないけどね。ユーキはどこに消えたのかなんて、さっぱりだし」

「答えは簡単です。妖精とはいえ、こんなに大規模な霧を起こして人を攫うなんてことはできません。衆人環視の中、堂々と世界を区切って攫うなんて、それこそ何百年と生きた大妖精クラスでないと」


 霧のなくなった窓の風景に視線を移しながら、メリッサは窓に映ったマリーを見返す。


「そう考えれば行きつく場所なんて、一つしかありません。それは――――」


 メリッサがそれを告げる頃、大樹のトンネルを抜ける女性の背にはいつの間にか透き通った羽が生まれている。


「人間の迷子さん、ようこそ。ここが我らの――――」


 その半透明な羽越しにユーキを見ながら女性は口を開く。その言葉は奇しくもメリッサと全く同じ音を同じタイミングで発していた。


「「――――妖精庭園フェアリーガーデン」」

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