安堵と休息Ⅴ
全員が出て行ったあと、ユーキはウンディーネに語り掛けた。
「返事はしなくていいから、聞いてくれないか?」
誰もいない部屋にユーキの声だけが響く。
「俺は王国に来るまでの記憶がない。誰も知らないし、どんな国かもわからない。そんな状態で運良くここまで生き延びることができた」
勇輝は記憶を失ったという部分だけは嘘を貫いて、ウンディーネに自信の境遇を話し始めた。
窓の外を見ると、城壁の修復作業はまだ続いているのか。或いは見張りが普段よりも多いのか。篝火の光が僅かに空を照らしている。
「それでも自分に親がいて、誰かと一緒に過ごしていたことは確かなんだ。俺がこの王国に来てから二ヶ月、ずっと探し続けてくれているんじゃないかって思うと、何か居た堪れなくてさ」
職場の同僚はわからない。生徒もそんなに俺のことばかりに構っていられないだろう。
だけど、確実に血のつながった母親だけは自分のことを探しているかもしれない。
いつかテレビで見た、失踪者を探す家族の映像が思い浮かぶ。駅前などでビラを配りながら、ずっと呼びかける家族。平常心を保っているように見えるが、今にも崩れ落ちそうな後ろ姿。
そう言った物が全て母親の姿へと置き換わっていく。
勉強ができて、運動もできて、でも、人として大切な何かが欠落していた自分を育て上げてくれた母親が苦しむ姿だけは、ユーキには耐えられないのだ。
ちょっとのきっかけが、この二ヶ月の間、溜め込んできていた心の器に罅を入れてしまった。どうにかなってしまう前に、中にあるモノを捨てなければならない。そんな思いからユーキはウンディーネへと独白する。
「自分にはどうすることもできなくて、不安だけが募っていく。俺は……どうすればいいんだろう」
もし、ここにいたのが姿形の見える人間だったら、声を大にして叫んでいたかもしれない。
姿を見せなくすることができるウンディーネだからこそ、ユーキも自分の心を落ち着かせて話すことができていた。
「きっと、何もできることはない。それがわかっていて、何かそれでもできることはないかって探してしまう自分がいるんだ」
ユーキはそっとポケットの中にある携帯電話を握りしめる。
取り出して久しぶりに電源を入れたそれは、自然放電で電力の残量が三割近くになっていた。メールの送信ボックスには、親へと送ろうとして失敗した文が未だに残っている。
ユーキは圏外の文字と何も受信されないメールを見て、電源を再び落とした。
「何だろうな。こんな気持ちになるんだったら、何か事件で追われていた時間の方がよほど幸せだったようにも感じる。戻らなきゃいけない故郷のことなんか、何も考えなくていいからさ」
「――――人間は弱い生き物です」
珍しくウンディーネが青い半透明の少女の姿で現れた。学園の迷宮で水の魔力をサファイアゴーレムから補充出来ていたからか、一回りほど成長しているようにも見受けられる。
「ですが、その弱さを受け止めて前に進めるのは人間の強さだと思っています。ユーキさん、少なくともあなたは――――家族の下に帰ることを諦めるほど弱い人じゃないです。それは私が保証します」
「嬉しいけど、俺はそんな強い人間じゃない」
「弱い人間は他人の為に手を差し伸べることはできませんよ?」
確かにユーキはここに至るまでに片手では数えられない程度には人を助けてきた。それは、自分にそれができる力が偶然あっただけだ。
それに元居た場所では、人を助けるなんてあまり意識したことがない。精々、席を高齢者に譲るとか、道のごみを拾うとかくらいだ。
「それに自分の故郷が分からないなら探しましょう。まだ、王国のすべてを見て回ったわけでもないし、和の国に行ったわけでもないんですよね?」
「まぁ、そうだけど……」
流石にウンディーネとはいえ、異世界から来たとは言うことができない。
だから、彼女の言っていることは正論ではあるのだが、ユーキに限ってはそれが適応されないのだ。
「王都に戻って学園が再開されても、数か月もしないうちに冬休みになりますから。そしたら、サクラさんと一緒に和の国へ行ってみてはどうですか? 案外、あっちではすぐに見つかるかもしれませんよ」
「そうだといいんだけど……。っていうか、学園の休みまで把握してるって、俺よりすごいんじゃないのか?」
「言われてみれば確かに、そうですね。まぁ、一緒にいるときは話をしない分、周りの人の話を聞いているからでしょう」
そう言われると、ウンディーネは学園でも伯爵邸でも基本的に話すことができない。最近は疲れて眠ってしまうことも多く、ほとんど会話をしていなかったことを思いだす。
「何か、ごめん」
「別に私は気にしてませんよ。最近、私とお話してくれないとか、全然思ってません」
「(あ、これ、気にしてるやつだ)」
ユーキは心の中でウンディーネに謝罪する。
「とりあえず、こうしてユーキさんが生きているのは事実なんです。ちゃんと戻ることができればオッケー、って気持ちで今はいきましょう」
「……そうだな。ありがとう、少しは気が楽になったよ」
「いえいえ、それでは今日も寝ましょう。明日も力仕事が待ってるんですから。体を動かして、変な悩みは頭の片隅へ置いておきましょうね」
「それはちょっと無理かな。……それじゃ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
その言葉を聞いて、ユーキは横になって目を閉じる。
眠気を感じていたわけではないのに、不思議とすぐに意識は闇の中へと落ちて行った。
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