月夜に佇む影法師Ⅲ

 ――――魔境の地


 どこかの地下室にて、天井にいくつも散りばめられた魔法石から白い光が溢れていた。そんな部屋の中に音叉でも鳴らしたかのような音が反響する。

 大人の色香を漂わせる女性が一番奥にある椅子で本を読んでいたが、その異様な音に本を傍らに置いて立ち上がった。すぐ足元に控えていた、大きな蛇が驚いて部屋の隅へと逃げていく。

 ポトリ、と石床の上にどこからともなく落ちてきた水滴が染みを作った。

 しかし、その染みは留まることなく大きくなり、やがて二メートルを超えたあたりで吹き上がる水の竜巻へと姿を変える。

 数秒かけて、天井まで届くかと思われた竜巻は、次の瞬間には一瞬にして霧散する。そこには片膝をついてフェリクスを背負う月の八咫烏の姿があった。


「ただいま、戻りました」

「おかえりなさい。収穫はどうかしらね」

「こちらに」


 月の八咫烏は背中のフェリクスを目の前に横たえる。辛うじて息はあるものの、その顔は歪んでいて、今にも呼吸が止まりそうであった。吸血鬼であるといっても、その顔は同じ吸血鬼が見ていたら驚くほどに青白く、生気が感じられなかった。


「あらあら、ちょっとこれは大変そうね。あちらの部屋に運んでもらってもいいかしら」

「はっ」


 短く答えると直ぐにフェリクスを抱えて歩き出す。その後ろを豊満な胸を両手で抱えながら女性はついていく。視線をさまよわせた後、女性は目の前を歩く月の八咫烏へと問いかけた。


「それで、あなたは目的の子とは会えたのかしら」

「はい」

「どうだった?」

「――――あの様子ならいつでも殺せます」


 逡巡したが、それでもはっきりと答えた。その声音は期待外れだ、と言わんばかりに落胆と侮蔑の色が混じっていた。心なしか、足音が幾分強く響く。


「そう。じゃあ、あなたはどうするの?」

「…………」

「言わなくてもわかります。あなたのお好きになさい」

「ありがとうございます。■■■■■■様」


 二人の姿は暗い通路の中へと消えていった。







 ――――聖教国・サケルラクリマ


 空から太陽が消え、数多の星々が輝く夜。ただ一つの明かりも灯らぬ都にて、一人の少女が祈りを捧げていた。その瞳は何を見るでもなく。暗闇のどこからか聞こえてくる声に耳を傾けているようでもある。

 彼女の周りでは十二人の枢機卿が等しい間隔で円を作り、同様に祈りを捧げる。衣擦れの音一つ響かぬ部屋は、音の闇とでも表現するべきか。まったくの無音に支配されていた。


「お告げが……ありました」


 黄昏時から二時間という長い祈りを身動きすることなく終えた少女はおもむろに立ち上がる。胸に抱えていた大きな杖を両手にしっかりと持ち直し、ゆっくりと目を開けた。

 彼女は聖女アストルム。人々は彼女を「星語りの担い手」あるいは「星の代弁者」と呼ぶ。天に瞬く星々を神として崇める一大宗教国家の主要人物の一人である。

 この都の中心でもっとも高く、四方を見渡すことができる天宮神殿で彼女は星の声を聴く。


「おお、聖女アストルム。神は一体なんと……」


 彼女のちょうど真後ろに位置する線の細い老人が頭を下げながら震えた声で尋ねた。その額には汗が滲んでいる。それもそのはず、今この神殿では世界の命運を左右する神託を受けていたのだ。

 例年ならば何事もなく終わるはずだった。

 しかし、聖女から紡がれる言葉でそれは否定される。


「『勇者を……探せ』と」

「……まさか」


 その言葉は周りに控えていた他の枢機卿を動揺させた。勇者とは人々の希望の体現者。故に滅多なことでは世に降り立つことのない存在である。建国八百年を迎える聖教国であるが、建国前に遡ってもその人数は片手で数えるほどだ。

 最後に勇者が現れたのも百年以上も昔の話である。各地の国々が知れば大騒ぎになることは間違いない。ましてや今回は建国八百周年を祝う大事な年、様々な思惑が枢機卿たちの中で駆け巡る。

 多くの枢機卿が狼狽える中、少女はただ一人傅き続ける枢機卿へ振り向き、迷うことなく口にした。


「『魔王が動き出した』」

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