注文Ⅶ

 サクラ達が去った後、フェイと二人きりになったユーキは、沈黙したままでいる傍ら例の男の腕を斬り落とした時を思い出していた。


「(さっき話したことは本当だったけど……)」


 どうしても全員には話すことができなかった。

 なぜならば、あの斬り落とした瞬間にユーキに降りかかってきたのは血液ではなかった。フェイたちはウンディーネが出した水魔法をユーキが出したものだと勘違いしている。

 しかし、右腕を斬り落としたのならば血液が噴き出さない方がおかしい。

 ユーキは今でも覚えている。いや、忘れたくても忘れられなかった。恐らくは気絶した原因であることも薄々気付いていた。

 あの時、ユーキに降りかかったのは血液でも、水でも、雨でもなく――――


「(――――あの赤黒い世界)」


 かつてゴルドー男爵をガンドで撃ち抜いた時に、ユーキは地球でのある都市を再現した夢の中にいた。その世界は次第に赤黒い染みに覆いつくされ、飲み込まれれば二度と帰ってこれない感覚に陥らせたのだ。

 そしてその存在に最初に出会ったのは、地球からこの世界に辿り着くまでの奇妙な空間。水晶ともガラスともいえない不思議なトンネルを落下しながら通り過ぎていた一瞬、その存在を■■みてしまった。

 今、記憶の中のソレを思い出しても吐き気がしてくる。直接、ソレに触れたのであれば、自身が気絶したことにも納得がいった。アレは人が触れていい存在ではないことだけは、本能よりもさらに奥の何かが警告していた。

 おもむろに寝返りをうつ。すると、その視線の先ではフェイがユーキを見つめていた。


「なんだ。寝れないのか」

「……あぁ」


 心ここに在らず、といった感じでフェイが答える。その視線はユーキを見ているようで、宙を彷徨っていた。

 体を起こしてファイはベッドの淵へと腰かける。豆電球ほどではあるが、小さな明かりがフェイの白い顔をはっきりと露わにした。


「僕は……君に謝らなければならない」


 真剣な顔で話を切り出したフェイに、ユーキも思わず体を起こして同じ姿勢をとる。

 フェイが一瞬、止めにかかるが、それを笑顔と手で制して話の続きを促した。


「僕は騎士だ。それもローレンス伯爵家に仕えるという栄誉を得たというね。色々と、ここまで上り詰めるのに苦労はあまりしなかったんだけど、その話は置いておこう」


 一呼吸おいて、フェイは語りだした。


「家に仕える騎士というのは、いわば契約によって成り立っている。理不尽な命令が下された場合は、僕たちには拒否権がある。僕にはマリーたちを守れという命令が下されているのは、朝に話した通りだ。そのことに関しては、何の問題もない。一も二もなく引き受けたよ」


 両手の指を組み合わせ、床に視線を落とし懺悔をするかのようにフェイは続ける。


「そして、同時に騎士には守るべき幾つかの戒律がある。その内の一つが『正義を為せ』だ」


 ユーキは自身を何度も打倒したフェイが、ここまで狼狽え悩んでいることに驚きながらも耳を傾ける。


「ユーキ、教えてくれ。あの時の正義とは、君とともに肩を並べて戦うことだ。悪を討ち、正義を為す。そうだろう? だけど僕は伯爵の命令を優先した。それだけじゃない、奴の威圧に耐え切れないばかりか、指名された君を見て。僕は……逃げ出したんだ」

「いや、違う」

「何が、違うのさ」

「俺とフェイが残って、戦ったとして生き残れる保証はなかった。そもそもあいつが本気を出していれば、一瞬でみんなやられていたはずだ。それに何より――――」


 ユーキはわずかに身を乗り出して笑った。


「――――サクラ達をしっかり守り通すことも正義だろ。女の子だけに路地裏を走らせて、心細い思いをさせる気か」

「だけど、それは――――」

「考えすぎるなチョーップ!」

「イデッ!?」


 グダグダと反論をしそうになったので、ユーキは脳天に軽くチョップを繰り出した。当たり所が悪かったらしく、フェイは頭を抱えて悶えていた。


「俺もお前も、みんな助かった。オルゴールも戻った。不満は?」

「いや……ない」

「そうだろ? 終わり良ければすべて良し。単純に過程も大切だけど、今回だったら生きてた挙句、オルゴールのおまけもついてきたんだ。文句を言ったら神様に申し訳ないって」

「まぁ、そうだな」

「それで、俺は既に言ったはずだぞ。『後は頼むぞ』って。それは俺一人で戦うことへの決意でもあるんだが、騎士というのは人の決意を踏みにじってでも己の正義を実行することかな?」

「そ、それとこれとは完全に話が別だ」

「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。俺としてはフェイが『俺を信頼して殿を任せた』ってことにしてある」

「――――」


 ポカンと口を開けたまま放心するフェイに、ユーキは手をひらひらと振ってベッドへと戻っていく。


「これで話はお終い。ま、そういうことで早く寝ようぜ。明日も素振りやるんだろ?」

「あぁ」

「じゃあ、俺も遅れていくかもしれないけど一緒に頑張ろうな」

「……あぁ!」


 フェイの顔は見てないがユーキには、きっと笑顔なんだろうと予想できるくらいには声音が変わっていた。


「じゃあ、明日の昼飯はフェイの奢りな」

「あぁ! って、ちょっと待て、なんだ今のは」

「明日の昼ご飯が楽しみだなぁ」

「どさくさに紛れて何を言い出すんだ。君の神経を疑うぞっ」

「あれー? 正義の騎士様は一度交わした約束が守れないのかな?」

「いいだろう。明日の訓練は叩き起こして引き摺ってでも連れて行くから覚悟しろよ」

「ちょ、冗談。冗談だって、本気にすんなよ」

「言っていいことと悪いことがある。じゃあ、おやすみ」

「あぁ、おやすみ。……叩き起こすのだけは勘弁だぞ」

「ぐーぐー」

「あ、狸寝入りしやがった」


 二人部屋にしては、騒がしい状況を傍目で観察しながら、ウンディーネは呆れていた。しかし、こういう光景を見るのは気分的には悪くない、とも感じる自分がいることに気付く。

 微笑ましく見守る姉の気分でベッド上で飛び交う二人の会話を楽しんでいた。

 ただ、どうしても引っかかるのは対決した男の存在。彼女だけが、戦闘後のあの男の行動を見ていた。それ故に、疑問が浮かぶ。


「(あの男……本当に人間?)」


 脳裏に浮かぶのは血が噴き出た後に、逆再生のように体が元に戻っていく姿だった。そんな魔法は見たことも聞いたこともない。再生能力を持つ存在ともなればそれは――――。

 思考が男の正体にもっていかれそうになったが、もう一つの異常に思考を巡らせる。男はユーキと同じように見えないはずの自身の体を視認していた。

 あの時、驚異の再生能力に絶体絶命を悟った彼女に男は人差し指を立てて、静かにするように伝えたのだ。

 従わなければ、何をするかわからない以上、彼女は大人しく頷いた。

 予想に反して、男はそれ以上何をするわけでもなく路地裏の壁を蹴って屋上へと消えていった。

 あの男の正体、目的、そして自分たちを見逃す理由。ありとあらゆる男の行動が不可解すぎた。

 ウンディーネの思案に耽る姿が消えるのは朝方になってからだった。

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