第92話 勘違い女の大暴走



「 待たせたか?」

「 ……いえ…… 」

 からルーナと一緒に出て来たルシオは、目を伏せたソアラの顔を覗き込むようにして腰を折った。


 本来ならば……

 自分の部屋から別の女性おんなと一緒に出て来た所を、婚約者と鉢合わせしたのならば慌てる筈だ。



 ましてやこの女性おんなは、一緒に出て来た男性おとこの着替えを手伝っていたと言っているかのような口振りだ。


 頬まで赤く染めて。


 しかしだ。

 この男性おとこは普通に婚約者に甘い顔を向けている。


 普通ならばここで大修羅場になる案件だ。



 だけど……

 それは修羅場には出来ない事だった。


 侍女と言う職業柄、主の部屋に入り、主の着替えを手伝うのは当然で。

 いや、寧ろその為に侍女は存在するのだ。


 それが2人っきりで部屋にいる事になろうとも。


 侍女養成学校ではそこの道徳的な事を習うのだから。



 ソアラは侍女と言う存在の危うさをこの時初めて知った。


 何時か読んだ恋愛小説には、王子様が侍女と恋に落ちる話が書かれてあった。


 確か……

 タイトルは『 王子様とその辺の侍女の恋 』。



 その時……


「 あっ! ルシオ様。上着のエリが折れてますわ 」

 ルーナがルシオに手を伸ばして来た。


「 そう? だったら……ソアラ……直して 」

 何故か嬉しそうにして、ルシオはソアラの顔を覗き込んだ体制のままにそう言った。


「 わたくしが直して……キャア!? 」

 続いてルシオの部屋から出て来たバーバラに、腕を引っ張られた。



「 殿下とソアラ様がお2人でいる時は、邪魔をしてはいけませんと言いましたよね? 」

 侍女は壁際に立って見ない振りをするものですと言って、ルーナを壁際に押しやった。


 優秀な侍女は力が強い。



 腰を折ったままのルシオは……

 プルプルと尻尾を振っているみたいにじっと待っていた。


 早く襟を直してくれと言って。


 ソアラは、ルシオの首元に手を伸ばして襟をそっと直した。


 顔を近付けるとフワッとルシオの香りがして。

 ソアラは少しホッとした。


 バニラのような甘い香りは付いてない。



「 有り難う 」

 破顔したルシオはソアラに手を差し出した。

 まだ尻尾を振っている。


 ソアラはそっとルシオの手に触れると、ルシオは優しく手を握って歩き出した。

 尻尾のフリフリはもっと強くなった。



 ルシオはすっかりご機嫌だが……

 ソアラは歩きながら今見た光景を、自分なりに完結しようと努めた。


 殿下は……

 生まれた時から侍女にお世話をされて来たのだから、誰がお世話をしたとしても、それはもう何でも無い事なのよ。


 だから……

 私も気にしちゃ駄目。


 そう。

 これがバーバラ様や他の侍女ならば何とも思わない筈だ。


 ルーナだから嫌な気持ちになるの?


 侍女のいる事に慣れたアメリア様やリリアベル様ならば、侍女だからと割りきれる?



 ソアラは分からなくなった。

 どうしても自分なりの完結が出来なくて。



 ルシオに手を引かれながら……

 自分の育った侍女のいない環境との違いを思い、ソアラは胸がしくしくと痛むのだった。




 ***




 ビクトリアがサロンに現れると、ルシオは座っていた椅子から立ち上がりドアまで行った。


 ソアラも椅子から立ち上がり、通路の壁際に立った。


 ルシオがエスコートをする為に肘をスッと開けると、ビクトリアは嬉しそうにニッコリと笑って、自分の腕をルシオの腕に回した。


 カーテシーをしているソアラの前を、話をしながら2人でゆっくりと歩いて行く。


 ビクトリアの足を気遣いながら。



 そして……

 2人の直ぐ後ろをルーナが歩いていて。


 まだカーテシーをしているままのソアラの前を、ルーナも歩いて行った。


 甘いバニラのような香りを香らせながら、ピンクのドレスを翻して。



 ルシオが椅子を引くと、ルーナがビクトリアの手を取ってビクトリアを椅子に座らせた。


「 ルーナ、有り難う。そなたの気遣い感謝する 」

 ルーナを見て微笑むルシオに、ルーナはカーテシーをして最高の笑顔を見せた。


 やはりピンクのドレスがフワリとドレスが翻った。


 ソアラのカーテシーとは違う……

 動きのある美しいカーテシーだ。



「 今日は僕もソアラも閉じ籠もってしまい、お祖母様のお相手が出来なくて申し訳ありません 」

「 そうね、仕方無いわ。でも退屈はしなかったわ。ルーナが側にいてくれたから 」

「 お食事のご招待を有り難うございます 」

「 貴女はソアラ嬢の友達でしょ? 当然だわ 」


 ビクトリアとルシオとルーナの3人での会話が弾む。



 テーブルは楕円形の大きなテーブル。

 ビクトリアを中心に、ルシオとソアラがビクトリアを挟んで座り、ルシオの横にはカールが座り、ソアラの横にはルーナが座った。


 シリウスはルーナとカールの横だが、斜め横でビクトリアと向かい合った席だ。


 侍女達はズラリと壁際に並んでいる。



 そう。

 ルーナはまだ侍女では無い。

 ソアラの友達だ。

 誰もがその認識でいるのだ。


 友達の為に侍女になろうと努力している令嬢と言う認識だ。



「 ルーナ有り難う。君の気遣い感謝する 」

「 とんでもありませんわ。わたくしは王太后陛下を元気付けたかっただけですから 」

 ルーナが謙遜しながら、両掌を胸の前に広げて横に振った。


 その所為がとても可愛らしくて……

 周りの皆も幸せな風が吹いているように感じた。

 皆がルーナの可愛さに翻弄された。



 ここは……

 私もルーナにお礼を言うべき?


 でも……

 それは何か違う気がする。

 私はまだそんな立場では無い。


 考え込んでいる内に、ソアラはどうしたら良いか分からなくなった。


 分からないから会話には入れない。

 ソアラは沈黙するしか無かった。



 そうしている間に晩餐の料理が運ばれて来た。


 ルーナが今日あった事をルシオに話をしている。

 ビクトリアにも上手く話を振りながら。


 ルーナの可愛らしい声と、ビクトリアの楽しそうな声と、ルシオの笑い声がサロンに溢れていた。



 カールとシリウスは調査の話に夢中だ。

 ソアラも調査の話に加わりたいが、ソアラの隣にはルーナがいるから無理なのである。


 ソアラは蚊帳の外にいた。

 料理の味がしなかった。



「 ねぇ……ルシ…… 」

 ルーナがルシオに、最高の笑顔を振りまきながら話し掛けた時……


「 ソアラ? 食欲が無いのか? 」

「 僕が食べさせてあげようか? 昨夜みたいに…… 」

「 ……? 昨夜?……私は殿下に食べさせて貰ってませんわ 」

 ソアラは昨夜の事はあまり覚えてはいない。


 それ程に眠かったのだ。



「 ええ!? 覚えて無い? 僕達のなのに? 」

 今からお祖母様の前で再現をしようかと、ルシオがおどけた顔をする。


 オホホホ。

 ビクトリアが笑い声を上げた。



「 ルシオは本当にサイラスにそっくりだわ 」

「 父上に? 」

「 ええ、サイラスもエリザベスに甘かったわ 」

 ビクトリアは一瞬遠い目をして……

 急に真顔になった。


 恐すぎる。



「 でも……僕はソアラにはもっと甘いですよ……ソアラは母上よりも数倍可愛らしいからね 」

 だからあ~んをしたくなるんだよと、ルシオは甘い顔をしてソアラの瞳を見つめて来た。


 恐すぎる。



 殿下、止めて下さい!

 私を可愛いとか……

 最高に可愛らしいルーナが、すぐ横にいると言うのに。


 本当の事だよ。

 可愛らしいから、また、あ~んをさせて欲しいな。


 それとも僕にあ~んをしてくれる?


 テーブル上の料理を挟んで向かい合っているルシオとソアラは目で会話をしていて。


 お互いに伝わっているかどうかは知らないが。



 それを見たビクトリアはまた声を上げて笑うのだった。




 ***




 皆が食事を食べ終わる頃には、ルーナはシリウスと話をしていた。


 妖艶な甘い顔をしたシリウスに頬を染めながら。



「 君のような可愛らしい令嬢が我が国にいるのだったら、帰国して正解だったな 」

「 まあ!? シリウス様ったらお上手です事 」

 2人の不毛なやり取りがずっと楽しそうに続いている。


 ルーナに話し掛けるシリウスは、まるで口説いているかのようだった。

 クスクスと笑うルーナに甘い顔が向けられていて。



 シリウスは名うてのプレイボーイだ。

 女性の喜ばせ方を知っている。


 勿論、社交界に出た事の無いソアラは、シリウスがそんなプレイボーイだとは知らないが。



 シリウス様はルーナに夢中なんだわ。


 今、ソアラの目の前でルーナと楽しそうに会話をするシリウスのそれは、ソアラの前では1度もしなかった所為だ。



 シリウスはディラン同様に旅先の話をよくしてくれていた。

 爽やかに笑いながら。


 本好きなソアラは外国の話を聞くのが好きだった。

 外国で読んだ面白かった本の紹介もしてくれたりと。


 シリウスと話をしたいと思っていた。

 調査の間は仕事の話しか出来なかったので。



 だけど……

 こんな色気を含んだシリウスは見た事が無くて、戸惑いを隠せない。


「 ルーナがいると……皆がルーナしか見なくなるわ 」

 ソアラはパクッと一口デザートを口に入れた。


 美味しい料理の筈なのに……

 何の味もしなかった。




 ***




「 シリウス! ルーナ嬢には婚約者がいるんだぞ? 」

 口説くんじゃ無いと、ルシオがシリウスを睨み付けた。


「 婚約者がいても関係無い 」

 こんなに可愛らしい令嬢を口説かずにはいられませんよと、シリウスはルーナにウィンクをした。


「 まあ!? ルシオ様ったら……まるでやきもちを妬いてらっしゃるみたいだわ 」

 赤い顔をしたルーナは両手で頬を押さえながらルシオを見た。



 やはりルシオ様は……

 わたくしをお好きなのだわ。


 そして……

 シリウス様もわたくしに夢中。


 我が国の最高位の王太子殿下と公爵令息が、わたくしを取り合うなんて。


 なんて甘美な状況なの。



 ルーナはチラリとソアラを見た。


 独りで食事をしているソアラ。

 わたくしとの格の違いを見せ付けてしまったわね。


 こんなに高揚するのは久し振りだわ。


 やはり……

 わたくしの傍にはソアラが必要なのよ。



「 シリウス! 相変わらずね? 婚約者のいる令嬢を口説いては駄目ですよ 」

 ビクトリアが口元をナプキンで拭きながら、シリウスを嗜めた。


「 王太后陛下のおおせのままに…… 」

 席を立ってビクトリアの元に歩いて行ったシリウスは、彼女の横に跪き手の甲に唇を寄せた。


「 本当に……貴方は女性の扱いが上手いわね 」

 ビクトリアはコロコロと笑い声を上げた。


 歳がいっても女は女。


 ルーナも席を立ってビクトリアの元へ行った。

 ソアラの直ぐ後ろを通って。



「 わたくしがシリウス様から、王太后陛下をお守り致しますわ 」

 そう言って、シリウスをキッと睨んだ。


「 まあ!? ルーナも嬉しい事を言ってくれるのね 」

「 おや、ルーナ嬢? 私から大切な女性を奪わないで下さい 」

「 シリウス! お祖母様は僕の大切な女性だ 」

「 王太后陛下は国の宝ですからね 」


 そこにルシオとカールも加わって、5人で笑い合っている。



 これが社交界なのである。

 不毛な会話のやり取りをしながら、言葉の遊びをする世界だ。


 それはソアラには分からない世界。


 なので……

 どうしたら良いのか、何を言ったら良いのか分からなかった。


 ソアラはただただ皆の素敵な言葉遊びを聞くしか無かった。

 目をぱちくりとさせて。



「 お祖母様、僕のうぶな大切な女性ひととそろそろこの場を失礼します 」

 皆の食事はとっくに終わっていた。


 ビクトリアの側を離れて、ルシオはソアラの元へやって来た。



 話に入れずにキョロキョロとしているソアラが可愛くてたまらない。


 社交界を知らないソアラは、こんな不毛な会話が出来ないのは当然だ。


 いや、しなくても良い。


 ソアラは本当に無垢な令嬢なのである。



「 あら? それじゃあ、まるで陛下とわたくしがうぶではないみたいですわね?」

 ルーナは絶好調だった。

 

 凄いわ。

 王太后陛下と王太子殿下と、2人の公爵令息の中にわたくしがいるのよ。


 皆がわたくしの話術に酔いしれているわ。

 わたくしの可愛さにも。


 王太子妃に相応しいのはわたくしだと思うに違いない。


 ルーナは天にも昇る気持ちだった。



 その時……


「 そうね。ルシオがソアラ嬢の事を、可愛い令嬢だと言う意味が分かったわ 」

「 だろ? 」

 ルシオはソアラの手を取って立ち上がらせた。


「 シリウスもカールも……令嬢を探しなさいね 」

「 御意 」

 シリウスとカールが胸に手を当てて頭を垂れた。



「 じゃあ、わたくしも一緒に失礼するわ 」

 ビクトリアをシリウスがエスコートする。


 その時シリウスはソアラを見つめた。


 それは……

 ソアラの知るシリウスの顔だった。



 ビクトリアとシリウスの後をルシオとソアラが続き、4人はサロンを後にした。



 残ったのはカール。


「 おや? 帰りは王太后陛下の介助はしないんですか? 侍女の勉強のチャンスなのに? 」

 立ち尽くすルーナにカールはそう言って、皆の後を追った。



 カール様は……

 わたくしのエスコートをして下さらないの?


 カールに限ってはルーナは侍女でしかない。

 交わした契約書では、侍女見習いとしての参加なのだから。



 それに……

 まるでわたくしが可愛く無いみたいじゃないの?


 ソアラみたいな令嬢が良いですって?


 違うわ!

 わたくしには婚約者がいるから……

 だから、わたくしみたいな令嬢と言わなかっただけよ!


 それだけの事だわ。



 1人サロンに残されたルーナは唇を噛んだ。







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