道場訓 四十三   組手のあとは汗を流して一休み

「す、凄い……こんな大浴場だいよくじょうを見るのは生まれて初めてです」


 エミリア・クランリーこと私は、立ち上る湯気ゆげで部屋全体が曇っている光景を見て感嘆かんたんの声をらした。


「確かに……このような立派な湯屋ゆやはヤマトタウンでもお目にかかれません」


 キキョウさんも同意見だったらしく、私と同じ周囲を見渡しながら驚きの声を上げていた。


「うちは似たような場所を知っているさかいそんなに驚かんが、それでもやっぱり生物せいぶつ収納系しゅうのうけいのスキルの凄さは偉大やで。こうして安全に汗を流せる場所を好きなときに使えるのはたまらんわ」


 リゼッタさんも腰に手を当ててうれしそうにしている。


 無理もなかった。


 現在、私たちの目の前には畳敷たたみじきの道場とは別な光景が広がっている。


 それは巨大な浴場よくじょうだった。


 リザイアル王国の街中にも天然の温泉を利用した巨大な大衆浴場よくじょうがあるが、その大衆浴場よくじょうよりも広い浴場よくじょうが目の前に存在しているのだ。


 ヤマト国特有の内装ないそうなのだろうか。


 上等な木材を使用したいくつもの浴槽よくそうには龍の形をした装飾品がほどこされ、その龍の口から大量のお湯が浴槽よくそうの中へと注がれていた。


 他にもこの浴場よくじょうには2階部分もあるらしく、道場部分と同じく成人した大人が100人は入れるほどの浴場よくじょうの中央には2階へと続く階段がもうけられている。


 けれども、ここは【神の武道場】の外ではない。


 ケンシン師匠いわく、ここは【神の武道場】の中に存在している数多あまたあるの1つなのだという。


 そしてこの場所こそ弟子の自分たちが単独ひとりで来れる道場以外の場所の1つであり、この大浴場だいよくじょうに来れば汗も流せるし空手着からてぎを脱いでも大丈夫らしい。


 ちなみにここでは自動的(?)に空手着からてぎ洗濯せんたくされるので、必ず1日に1回は衛生面と健康面もまえた上で活用するようにケンシン師匠に言われた。


「おい、お前たち。いつまでもしゃべっていないでちゃんと湯船ゆぶねつかかって身体を温めておけよ。もっとも風邪を引きやすいのは、運動したあとに汗をぬぐわず体温を冷やしたときなんだからな」


 私たち3人が入り口で騒いでいると、あとからやってきたケンシン師匠に真後ろから声をかけられた。


「申し訳ありません、ケンシン師匠。すぐに使わせて――」


 いただきます、と私が身体ごと振り向いたときだ。


「……きゃあッ!」


 私はケンシン師匠を見るなり悲鳴を上げてしまった。


 すぐにキキョウさんとリゼッタさんも振り向くと、キキョウさんは「むむ……」とうなり、リゼッタさんは「ケンシンさま、そら眼福がんぷくやで」と狂喜きょうきする。


 私たちの目の前には、裸同然はだかどうぜんのケンシン師匠が立っていた。


 細身だが均整きんせいの取れた筋肉質な肉体。


 どれだけ修練と実戦を積み重ねてきたのだろう。


 ほとんど贅肉ぜいにくのない肉体には、上半身を中心に大小無数の傷があった。


 そして股間こかんの大事な部分はヤマト国の下着(あとでキキョウさんからふんどしという下着だと教えてもらった)で隠していたが、それ以外はすべて脱いではだかだったのだ。


「どうした? エミリア。何をそんなに驚いているんだ?」


 一方のケンシン師匠は私が悲鳴を上げた意味が分からなかったらしい。


 1人だけわなわなと身体を震わせている私を見て小首をかしげた。


「驚くに決まっています! ど、どうしてケンシン師匠は裸同然はだかどうぜんのままそこにいるんですか!」


「変な奴だな。お前は風呂に入るときも服を着て入るのか?」


「あっ、それもそうですね……って、違います! 私が言いたいのはどうしてケンシン師匠が私たちと同じ浴場よくじょうにいるのかと言うことです!」


 私の指摘にケンシン師匠は得心とくしんがいったような顔を浮かべた。


「そうか……この国では男女とも浴場よくじょうに入るときは別々だったな。すまん、いつも俺は1人でこの【神の武道場】の中で汗を流していたからすっかり忘れていた」


 ケンシン師匠が私に謝ると、隣にいたキキョウさんが「ケンシン殿どのに落ち度はござらん」と言った。


「我らヤマト人にとって湯屋ゆやは男女混浴こんよくが当たり前だ。むしろ、この国のように男女が別々で入るほうがおかしい」


 え? そうなのですか?


 私はキキョウさんからリゼッタさんに視線を移した。


「さすがにぱだかはアカンけど、アルビオン公国も基本的に大衆浴場よくじょうに入るときは大人も子供も関係なく男女混浴こんよくやで。まあ、そんなことはともかく……ここにはうちらしかおらへんのや。恥ずかしがっとってもしゃーないやろ」


 するとリゼッタさんは、おびを解いて空手着からてぎを脱ぎ出した。


「うむ、そうだな。それに師匠を前に弟子が恥ずかしがることなどない」


 続いてキキョウさんも平然へいぜんとした顔でおびを解いていく。


「え? あ、あの……」


 1人だけ取り乱している私を見て、ケンシン師匠は「落ち着け、エミリア」と優しく声をかけてくれた。


「俺は向こうのほうの湯船ゆぶねつかかっているから、お前は俺のことなど気にせず好きな場所で汗を流していればいい……じゃあな」


 そう言ってケンシン師匠は、落ち着いた足取りで別の場所へ歩いていく。


「け、ケンシン殿どの! せ、拙者せっしゃはヤマト人ゆえ男女の混浴こんよくなど気にしませぬ……ですから、その……一緒に湯につかかっていただけたら」


「それならうちも気にしまへん。ケンシンさま、うちと一緒に仲良く隣同士で湯につかかりましょう。何だったらお背中も流しますよって。ケンシンさまが望むのなら、それこそ別な場所も……」


 ケンシン師匠は立ち止まると、顔だけを振り向かせる。


冗談じょうだんはそれぐらいにして、お前たちだけでゆっくり湯につかかってみろ。せっかく同門になったんだ。弟子同士、はだかの付き合いも悪くないと思うぞ」


 またあとでな、と言い残してケンシン師匠は去って行った。


「もう、ケンシンさまは相変わらずクールやな……まあ、ええわ。ようやっとケンシンさまの正式な弟子になれたんや。これからいつでも好機チャンスはあるわ。くくくっ、楽しみやで」


 何が楽しみなのかは分からなかったが、奇妙な笑い声を上げながらリゼッタさんは恥ずかしげもなく空手着からてぎを脱いだ。


「まったく、会話の内容だけ聞いているとクレスト教の聖女殿どのとは思えないな」


 キキョウさんは大きなため息を吐くと、空手着からてぎを脱いで周囲を見回す。


「はて? この空手着からてぎはどこへ置いておけばいいのだ?」


「そこでええんちゃう」


 リゼッタさんが指し示したほうには、ちょうど良いサイズのかごが置かれていた。


「おお、まさしく湯屋ゆやにあるかごだ」


 キキョウさんは脱いだ空手着からてぎを綺麗に折りたたんでかごの中に入れた。


 リゼッタさんも同じく、脱いだ空手着からてぎを綺麗に折りたたんでかごの中に入れる。


「おい、エミリア。お前も早く脱げや。ケンシンさまが言うように、そのままやと風邪を引いてまうぞ」


「あ……は、はい」


 私はリゼッタさんに言われるまま空手着からてぎを脱いだ。


 キキョウさんやリゼッタさんにならい、空手着からてぎを綺麗に折りたたんでおびとともにかごの中に入れる。


 そうして私たちは近くの浴槽よくそうに向かうと、浴槽よくそうの横に用意されていた丸桶まるおけに湯を入れ、自分たちの身体にかけて汗を流し落とす。


 これだけでも気持ちよかったが、そのあと浴槽よくそうに身体をけたときの快感かいかんは想像以上だった。


 き、気持ちいい。


 全身どころか脳がとろけるほどの高揚感こうようかんが身体中をかけけ巡っていく。


 うっかり気を抜くと寝落ねおちしてしまいそうだ。


「これはいかん……気持ちが良すぎて馬鹿になってしまう」


「ホンマやな。何や世俗せぞくあかも根こそぎ落ちていきそうや」


 このあと私たちは、湯船ゆぶねつかかりながら他愛たわいもない話で盛り上がった。

 


 一方、その頃――。


随分ずいぶんと盛り上がっているな……うん、良いことだ」


 俺は1人で湯船ゆぶねつかかりながらつぶやいた。


 3人のいる浴槽よくそうから離れた場所にいるものの、声だけは反響のせいもありしっかりと聞こえている。


 なので会話している3人の声を聞きながら、俺の顔も自然とほころんだ。


 たとえ最初の出会いや途中でいがみ合った仲とはいえ、もうあの3人はれっきとした闘神流とうしんりゅう空手からて拳心館けんしんかんの門下に入ったのだ。


 これから腕をみがき合う中で互いの仲も深めていければと思う。


 いや、是非ぜひともそうなって欲しい。


 なぜなら、俺の正式な弟子になったということは家族になったも同然だからだ。


 決して互いをにくまず、うらまず、ひがまず、切磋琢磨せっさたくましながら空手からての技をみがいていって欲しい。


 そうすれば、あの3人はどこまでも強くなれる。


 すでに3人ともその素養そようは十分に見て取れるのだ。


 何年後になるかは分からないが、真面目に修練しゅうれんと実戦を積み重ねていけばきっと3人の名は広く世間せけんに知られていくだろう。


 もしかすると俺の空手家からてかとしての最終目標である、〝戦魔大陸せんまたいりく制覇せいは〟にも協力してくれるほど強くなるかもしれない。


 戦魔大陸せんまたいりく制覇せいは


 かつての祖父も実現できなかった偉大な冒険だが、これは俺1人でどうにかなるものじゃなかった。


 少なくともあと3人の仲間はいる。


 それこそ俺と心技体しんぎたいが通じ合った強力な仲間たちが。


 今のところその3人はエミリア、キキョウ、リゼッタなのだが……


 そのとき、俺はふと自分をパーティーから追放した別の3人の顔を思い出した。


 勇者こと、キース・マクマホン。


 サムライこと、カチョウ・フウゲツ。


 魔法使いこと、アリーゼ・クイン。

 

 追放されてまだ数日だが、もうあれから何か月も経っているような感覚がする。


 そして、もしかしたら俺の戦魔大陸せんまたいりく制覇せいはに協力してくれたのはあの3人だったかもしれない。


「……あいつら、今頃は何をしているのかな」


 俺の代わりのサポーターを雇ってダンジョン攻略をしているのだろうか。


 あいつらのだとBランクのダンジョンでも相当に戦術と戦略を立てないと攻略は難しいだろうが、国からたまわった神剣を上手く使えばその問題もやがては解決するだろう。


 ただ心配なのは、自分たちが強くて偉いと錯覚さっかくしている3人の思い込みだ。


 あの思い込みを消せなければ、おそらく今まで味わったことのないほど痛い目にうだろう。


 そうならないよういのっていたものの、俺の予想が的中てきちゅうしたことを知ったのはかなり後になってからだった。


 それもリザイアル王国全土を巻き込むほどの最悪な形で――。

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