第4話 学園生活と領地経営

 目覚まし時計のけたたましい電子音が僕に朝の訪れを告げる。僕はベッドから起き上がって支度をする。時刻は午前6時。

 朝食を食べて家を出るのが6時半過ぎ、そこから自転車に飛び乗って最寄りの駅に向かう。吹き抜ける風に新緑の息吹を感じる。ゴールデンウィークも明け、学園生活はオリエンテーションや校内見学など学園に"慣れる"ための課目がなくなり、月曜から金曜までの1限目から7限目までに窮屈そうに設定された7教科21科目もの授業が始まるのだ。それはすなわち本格的な高校生活の始まりである。

 自転車を駐輪場に置き、僕は駆け足で改札をくぐりホームへ上がる。駅の構内は学校へ向かう学生が蠢いている。様々な学校の制服の色が、補色や反対色といった色の法則なぞを完全に無視して混ざり合いまだら模様を作っている。その色は毒々しく、気色が悪い。駅に滑り込んできた6時54分発の快速急行に乗る。

 満員電車に揺られること30分、7時24分に駅に到着。そこから歩くこと3分、僕は学園の正門をくぐる。下駄箱でスリッパに履き替え、僕は中庭に直行する。向かう先は文芸部印刷室だ。

 文芸部印刷室の前には数人の生徒たちがいた。彼らの手にはノートやらプリントやら教科書やらが握られていた。彼らは僕の姿をみとめるや僕がやって来るのを待ち侘びていたかのように僕に早く鍵を開けろと急かす。彼らは手に持っているそれをここで印刷してもらいにきたのだ。印刷してもらう理由は、当然家に忘れた課題の提出のためや居眠りなどで聞き逃してしまった授業の板書を友達のノートをコピーして補完するためだ。もちろんタダではない。一枚あたり20円ほど頂いている。これが文芸部の金子、つまり部費となるのだ。

 本来ならば文芸部印刷室の主人は文芸部伯たる襲ユリである。しかし、彼女一人だけで生徒会の活動に加えて部室の保守管理を隅々まで行うのは難しい。そこで僕に知行として文学部印刷室の監督権を預けることで僕に御恩を与えつつ、自らの業務負荷を軽減させているのだ。それに何より僕が文芸部部員として部のために何某かの貢献することは責務であるのだ。

 こういった部活・同好会が各々持つ利権を封臣たる部員に知行として任せることや下賜することはよくある話だ。

 ちなみに僕は文芸部副伯、要するに副部長の職位を与えられているがそれは部の体裁を保つためのものであって実質的には平のただの部員に過ぎない。……とすると1人しか所属していなかった文芸部がどうして存続していたのか疑問が残るはずだ。もちろん僕はそれを伺ってみた。すると「言ったでしょ?文学部は小領主だって。小さいなら役職なんかたくさん要らないわ。領主がいればそれで十分よ。というか、あなたそんな些事を気にするのね。そういう人将来生きづらくなるわよ」だそうだ。

 話を戻して、僕がそうやって一回20円でコピーをし続け、午前8時25分。僕はコピーサービスを打ち切って戸締りをして教室に向かう。そこからはいたって普通の学園生活だ。朝礼をして授業を受ける。ただそれだけだ。……4限目までの話であるが。

 4限目の終了を告げるチャイムが鳴るやいなや大半の生徒が教室を飛び出し、ある場所へ向かう。その場所はもちろん購買である。僕も漏れなくそこへ向かう。この学園の購買は品揃えが豊富だ。揚げパンやカレー、焼きそばにラーメンまであるのだ。必然としてそれらの争奪戦が起こるのだ。

 購買争奪戦は激烈を極める。殴り合いや横取りは茶飯事、時にはそれが部活同士の抗争にまで発展することもあるのだ。僕は襲ユリから諸侯と揉め事が起こるようなことはするな、と厳命されているためなるだけその争奪戦には参戦していない。大抵は売れ残ったものを買って食べている。

 購買を営業するのは学園に委託された業者ではなく、ビジネス部の部員たちだ。彼らは「伯」や「公」などとは名乗らない。彼らは「ギルド」なのである。「ギルド」とはこの学園において生徒向けの商業活動が認められた学園生徒による団体なのだ。その地位は部活・同好会と同格であり、ギルドの力は無視できなるモノではない。この学園で「ギルド」を名乗るのはビジネス部、料理研究部、工芸部、手芸部の4団体である。そして、ギルドのなかで最大の勢力を誇るのがビジネス部であり、彼らは購買の運営、学園祭や体育祭などの学校行事の会計業務、自販機の管理といった学園内で生徒が金銭を使う行動のほぼ全てに関与し、時には資金策に困った部活・同好会に金を貸すといったことまでしているのだ。

 残りの3団体もまた多彩な活動をしている。 

 料理研究部は作った料理をビジネス部に購買での委託販売を契約したり、地域行事でブースを設けてそこで焼きそばなどを販売したりを、工芸部はハサミ研ぎや学園の備品の修理、生徒の私物の修繕などを、手芸部は手編みものの製作に生徒のカッターシャツや体操服などの修繕を主な活動としている。

 生徒会の主な収入源はギルドからの営業税と通商特権の見返りとしての金子、学校行事で設営される屋台・出し物出店許可にかかる税や納められること自体が非常に稀な各諸侯からの上納金そして生徒会領からのアガリである。

 一方の文芸部の収入源はというと、文学部伯領からのアガリ、印刷室からの印刷代、そして全くあてにはできないが出版社やラノベレーベルが主催している小説賞で入賞したときの賞金である。しかし文学部伯領は学園内の中庭を領有しているため他の諸侯と異なり教室から部費を徴収することができない。であるから、伯領から徴収する部費は、部員からの貢納、中庭に拓かれた畑や花壇、果樹からの作物の売却益や伯領にある畑や花壇の賃租による。

 ちなみに他の諸侯は支配領域の教室、その教室(ホームルーム)に所属する生徒ひとりひとりから部費を徴収する。もともとこの学園では部活動・同好会や生徒会でかかる費用は生徒会の名の下に生徒会費として全生徒から集められ、それが生徒会による会議によってどれだけの生徒会費がそれぞれの部活・同好会の予算として、あるいは各委員会の予算として、あるいは生徒会そのものの予算として配分されるかが裁決されていた。しかし、ご存知の通り諸侯たる部活・同好会や委員会に大幅な権利が移譲されたことで彼らの権勢が強まるにつれ、そのような予算配分のシステムは、各々が必要な分だけ自分たちの統治権が及ぶ範囲から徴収するというシステムに変容した。いや、システムというより慣例だろう。とにかくその名残として各諸侯は自分たちの部費を「生徒会費」として徴収するのだ。

 当然、各々が自分の領地から自由に部費を集められるわけであるから、その税率は部活・同好会の自由裁量だ。しかし、あまりにも高すぎたり頻度が多くなると生徒たちは生徒会費もとい部費を納めることを拒否することがある。その拒否権は生徒会則に定められたれっきとした学園生徒のもつ権利である。それにより搾取はある程度抑制されている。

 昼食を摂り終わり昼休みも半ばを過ぎた頃、僕の教室に数人の生徒たちが入ってくる。彼らは僕と同じクラスの人ではない。彼らの胸にはD51の動輪に篆書の「鐡」があしらわれた胸章が輝いている。そう、彼らは鉄道研究部の部員たちだ。彼らの手には集金袋が握られている。

「鉄道研究部である。生徒会費の徴収だ」

 彼らはクラスメイトのひとりひとりから手渡しで生徒会費を集めていく。

 彼らの中の一人が僕の前に来る。が、僕に生徒会費の催促はしない。舌打ちして忌々しげな目を向けるだけだ。僕も本来ならば鉄道研究部から生徒会費を徴収されなければならない。しかし僕は文芸部伯の封臣、つまり文芸部部員であり、かつ生徒会役員である。それはつまり僕は程度の差こそあれ彼らと同じ身分であり、彼らが持っているのと同じように不輸不入の権利を僕も持ち、「生徒会費」を支給される側にいるからだ。そのためたとえ僕に貢納の義務が課されたとしても文芸部伯にして生徒会長である襲ユリに対してなされることとなっている。

 昼放課が終わるとまた授業である。特筆すべき点はない。

 終礼が終わると生徒たちは教室から散っていく。下校する者、部活に行く者、図書室へ行く者、先生に質問しに行く者……と生徒たちの放課後は十人十色である。

 誰もいなくなった僕のクラスの教室に数人の生徒たちが入っていく。昼休みに来たあの鉄道研究部員たちである。一体彼らは何をしにきたのか。それは教室の掃除である。

 僕ら部活・同好会の部員・同好会員は支配領域である教室の掃除やそこの掃除用具の整備・補充の義務を持つ。そしてそれにかかる費用はもちろんのこと自弁、つまり部活・同好会が拠出しなければならないのだ。

 例えば鉄道研究部の場合だと、その支配領域の1年A組からC組の3教室と特別教室棟にある鉄道研究部室の計4つの教室とその前の廊下が受け持つ掃除場所の範囲である。

 掃除なんて面倒くさいと思うかもしれない。しかしそれがこの学園での"自治"の在り方である。教師は学園生活には口を出さない、介入しない。それはすなわち生徒が自分たちの力だけで学園を運営していくことを意味するのだ。

 学園自治、その言葉は共産主義的でリベラルな美しい響きを持って、だが怪しくそしてそこはかとなく曲解された理念を帯びてこの学園を包み込んでいる。僕はひとつき学校に通ってわかったことがある。

 それは学園の運営に興味・関心を持っているのは、参画しているのは諸侯たちだけであり、一般の生徒は生徒会や部活動等に微塵も興味・関心を抱いておらず、また参加する気概もないということだ。

 生徒たちにとって誰に「生徒会費」を納めているのか、それがどう使われているのかは特に気にする必要のないことなのだ。それは仕方ないだろう。なぜならば部活動や委員会活動などの学園生活を彩り、青春に花咲かせるものは僕たちのような「特権階級」のみ謳歌することのできる遊戯だからだ。

 さて、僕は文芸部伯領南部の知行権を襲ユリから与えられたわけだが、そこの維持管理は当然僕の為すべき義務であるわけだ。その費用はやはり僕持ちだ。では僕は僕の財布からそのお金を支出すればよいのか?答えは否、である。僕たち仏曉学園生徒は、「仏曉学園では、我ら学園生徒は学生自治の精神に則り学園生活に係る金銭(昼食を購入する等の学園内で発生する私的活動にて生じる金銭支出は除く)は全て学校活動で得た金銭で行わなければならない」という生徒会則に拘束される。つまりはお小遣いやバイトで得た給金を使うということはできないのだ。コッソリやればバレないのでは?と思うかもしれないが、それは「仏曉学園生徒は学園生活に係る金銭の歳入及び歳出を学園並びに学園生徒に文書にて公表する義務を持つ」という別の生徒会則に抵触してしまうのだ。文書を改竄しても無駄だ。風紀委員会や年番で交代され各委員会と部活・同好会の長によって互選で選任される委員からなる超党派組織の学園会計委員会の監査を受ける必要があるからだ。

 ということで、僕は文芸部伯領南部に拓かれた畑にて鍬を振り、土を耕して、種を蒔き、実った作物を収穫する、と農家よろしく農業に勤しんでいる。そうして作った作物を地元のスーパーやフリマで売り捌くことで得た金銭を伯領南部の維持管理に充てている。

「史部さん、お疲れ様です」

 僕にそう声をかけてきたのは見るからにヤンキーな風体ふうていをした男である。

彼の後ろには畑を耕しているヤンキーが十数人いた。

 彼らは昨年、襲ユリをナンパし案の定にべもなく断られ、その腹いせにレイプしようとしたが逆に返り討ちにされ服従を誓わされた奴らだ。十数人も居たのにどうして返り討ちにされたのかを教えて欲しい。というかレイプしようとしたとか普通に犯罪じゃねーか。

 彼らは実質的な襲ユリの下僕として彼女の所領で耕作に従事している。完全に農奴である。彼らを部員にしなかったのは部の品の問題と彼ら全員を養えるほど所領は豊かで広くはないからだ。

「おう、おつかれ。で、そっちの出来はどうだい?」

「へい、エンドウ豆やそら豆がよく実りまして良い値段で売れそうですぜ」

 そう言ってカゴにこれでもかと入った豆を見せてくる。

 僕は頷きながらそれらの出来栄えをみていると一人のヤンキーが僕の下へ走ってきた。彼も襲ユリの下僕だ。

「史部様であられますか?」

「そうだが、どうした?」

「文芸部伯がお呼びのようです」

「わかった。報告ご苦労」

 僕はそう言ってすぐさま走り出した。定例報告なら夜、生徒会メンバー間でのLINEグループでなされている。そのときは集まる予定なんて連絡されていなかった。一体何だろう。

 僕が生徒会室に入るとすでに他の生徒会のメンバーは揃っていた。

「さて、これで全員揃ったわね。ひとつあなたたちに伝えなきゃいけないことがあるわ」

 襲ユリは僕たちを見回す。僕は唾を嚥下する。時計の針の音が耳朶によく聞こえる。

「戦争をするわ、そのための準備をなさい」

「相手はどこだ?」

 襲ユリはニヤリと笑って応える。

「大道芸部伯よ!」

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