第2話 恋愛小説の潮流とペンギン先生 

 僕は三回生に進級し、無事に面接をくぐり抜けて、五言絶句ゼミに入った。

 漢詩はさっぱり上達しないが、ペンギン先生に叱られることもなく、毎週水曜日の午後に研究室に通っている。


 夏休み前に先生はゼミ生たちに自由研究を命じた。

「テーマはなんでもいいです。漢詩に縛られることなく、好きな研究をしてください。夏休み明けに毎週ひとりずつ発表してもらい、質疑応答を行うこととします」


 そして九月の第一水曜日がやってきた。

「みなさんお久しぶりです。夏休みはいかがでしたか。遊びましたか。学びましたか。先生は大いに遊び、大いに学びました」

 ペンギン先生はその美声で十一人のゼミ生たちに語りかけた。三回生が五人、四回生が四人、院生がふたり。

 ゼミ生は夏休み前よりひとり減っている。

 先輩が飲み会でコウモリを褒めたたえるという大失策をやってしまったため、めったに怒らない先生を激怒させ、ゼミを追放された。七月、激しく雷が鳴った日のことだった。


「では自由研究の発表をいたしましょう」

 僕はドキドキしていた。夏休みに遊び惚けていて、研究を怠っていたからだ。もし当てられたら万事休す。追放されるかもしれない。

「最初にわたしから。みなさんには次週から発表をお願いしますね」

 ずっこけた。先生からやるんかーい。


 ペンギン先生は十一人にレジュメを配った。

 タイトルは「恋愛小説の潮流 片想いから不純愛まで」。

 その下に「片想い 近親 二番目 不純愛」と書かれていた。


「先生は夏休みに日本の恋愛小説を乱読しました。そして分類し、その潮流を明らかにする研究を行いました」

 ゼミ生はレジュメに目を落としている。

「まず初めに片想い恋愛小説ありき」

 僕は先生に視線を向けた。飛べない羽をパタパタと羽ばたかせていらっしゃる。


「片想い恋愛小説とは、主人公が片想いだと思い込んで告白せず、ヒロインも片想いだと信じて告白せず、実は両想いなのにくっつかないというじれったさを楽しむ小説です。ふたりは幼馴染であることが多いです。主人公がついに告白することで完結します。人気が出れば第二巻につづきます。続巻はもはや片想い小説ではなく、イチャラブ小説になっていますが」

 ゼミ生は男性五人、女性七人。みんなは先生の話に引き込まれていった。


「次に近親恋愛小説が生まれました」

 先生が熱っぽく語り、四回生の道野未知乃さんはうっとりしていた。

「母と息子、姉と弟などの恋愛を描いた小説ですが、もっとも多いのは、主人公が兄でヒロインが妹である物語ですね。これは生物学的に結ばれてはならないふたりが、どうしようもなく愛しあってしまう過程を楽しむものです。愛を確認しあい、隠れて愛しあうことを決意することにより完結します。人気が出ればやはり第二巻につづきます。続巻ではバレないようにイチャイチャします。公認の関係になった結末は読んだことがありませんね。誰か書かないかな……。ヒロインが実妹ではなく義妹である場合は、厳密には近親恋愛小説には含まれませんが、まあ社会的に結ばれがたいふたりなので、同分類としてもよいでしょう」


「そして割と最近の潮流として、二番目恋愛小説が出てきました」

 先生が前のめりになってしゃべり、僕と同級生の七海菜々さんの顔にくちばしが当たりそうになっていた。

「二番目に好きな人を彼氏彼女にする小説です。当然のごとく一番目の彼氏彼女が登場するので、その四角関係を楽しむ小説です。二番目だった人がいつの間にか一番目になっていたと主人公とヒロインが自覚することにより完結します。人気が出ればもちろん第二巻につづきます。続巻は泥沼の四角関係になることが多いです。もはや誰が二番目で誰が一番目なのか判然としません。全部の関係が破局してしまう小説もありました。派生作品として二番目をキーワードとし、二番目に可愛い子がヒロインとなるような小説もあります」


「二番目とともに最近の潮流になっているのが、不純恋愛小説。浮気をあつかうNTR小説です」

 漢詩ひとすじの院生、桜庭咲良さんが首を傾げた。

「先生、NTRってなんですか」

「桜庭さん、勉強不足ですよ。NTRというのは……」

 先生が解説する前に、隣に座っていた仁科志那さんがスマホの画面を見せた。桜庭さんは「寝取られ……」とつぶやいて顔を赤くしていた。

「NTR小説でも主人公、寝取られた恋人、寝取った敵役、その本当の恋人という四角関係が登場します。本当の恋人を寝取り返し、寝取った敵役と浮気した恋人に仕返しすることで完結します。人気が出たら二巻につづくのかもしれませんが、復讐は終わっているので、一巻以上の面白さは期待できそうにないと先生は思います」


「先生の研究発表は以上です。質疑応答に移ります。質問や意見のある方は挙手してください」

 四回生の移川宇津志さんが手を挙げた。先生が羽を向けた。どうぞ、という合図だ。

「先生、どのような小説をお読みになったんですか。ライトノベルのお話をされているように思えたのですが」

「きれいで可愛い表紙の小説をたくさん読みました。確かにライトノベルと呼ばれている本が多かったかもしれません」

 先生は日本のサブカルチャーにかなり毒されてしまったかもしれない、と僕は思った。


「先生は恋愛小説を書いたりしないんですか」と道野さんがたずねた。

「実はすでに書きました……」

「読ませてください!」

「嫌です。恥ずかしいもん」

 先生は身をよじって本当に恥ずかしがっていた。それを見て道野さんは鼻血を出した。

「公募の賞に応募したんです。もし入選したら、みなさんに教えます……」


 その後、恋愛小説の話だか実体験の話だかわからないような質疑応答が二時間ほどつづいて、ゼミは終了した。


 僕は十一番目に自由研究の発表をして、追放にならずに済んだ。

 SF小説の潮流について僕が発表した日、ペンギン先生は元気がなかった。

「先生、どこか具合が悪いんじゃないですか」と仁科さんが言った。

「身体に不調はありません。わたしの恋愛小説、一次選考にも通らなかったんです……」と先生は答えた。

 たいそう落ち込んでいた先生をなぐさめる飲み会が開かれた。

 先生は荒れた。

 ここには書けないような汚い言葉を連発して、公募小説の下読みの方を罵倒する先生を、道野さん、七海さん、仁科さんら先生ラブな女性陣たちがなでなでして愛でていた。 

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