第42話 二つの墓地
――時間を少し遡って開始――――――――――――――――――――――――――
ジュリエッタは決して大きくない肺に無理を強い、華奢な足で駆け続けていた。
ぶつかりそうな距離ですれ違った人々は、尋常ならざる様子に思わず振り返って目を丸くするのだが、
激情に任せて大通りの石畳を次々と踏み締めて行く彼女には、周囲の反応など全く以て無縁だった。
一心不乱に向かった先は東の郊外。
ゴーストタウンと化した地区の、くすんだ緑色をした煉瓦の廃家が目的地だった。
実家ではないにせよ、それと同義たるここはジュリエッタにとって心の拠り所だからだ。
精神的な幼さが残るジュリエッタとて、言動の身勝手さは自覚している。
けれど、自制するだけの余裕は全く無いが故にこのような事になってしまった。
以前モーリスの口からクロードが辿った真相を――実質的な死亡宣告を聞かされてしまい、残ったのは吹けば飛ぶ脆弱な希望のみ。
直接的には関係が無い要因だろうと、それが少し揺らぐだけで過敏になってしまうのだ。
とは言え、幼少にして両親を失い、数年後には里親も殺されている事も加味すれば、正気で居られないのも無理は無い。
ジュリエッタは家の前にしゃがみ込み、祈るのように両手をギュッと握っていた。
クロードとの温かい記憶を一所懸命に掘り起こし、現実逃避をするために。
よく自分の手を引いてくれた掌の温もり。
見上げた背中に宿っていた優しさと頼り甲斐。
当時何も分からなかったジュリエッタは、彼に付いて行けば良いのだと思っていた。
ずっと一緒に居るものだと思い込んでいた。
当時の
ところが、今日ばかりは駄目だった。
差し迫った現実に対する無力感が大き過ぎる。
ジュリエッタは付けたままで来たエプロンの裾をグシャッと握り締めた。
「ん゙ん゙ん゙ん゙ん゙ンッ! あ゙あ゙あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
言葉にならない呻き声が、冷え込んだ夜空に木霊す。
また、続けて吐き散らすは 彼女が知っている限り最大の暴言。
「神様の意地悪!!! 死ねっ! 死ねっ!! 死ねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇええ゙ェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェッ!!!!!」
普段なら絶対に吐かないような怨嗟を、喉が張り裂けんばかりに開放した。
刹那的な憂さ晴らしでしかないにせよ、衝動を抑え切れなかったのだ。
肺活量の限界を迎えたジュリエッタが肩で息をしていたところ、何の前触れも無くその叫びに対して同意する者が現れた。
「ん~……全くだ、嬢ちゃん。俺もそう思うぜ」
彼女は無警戒だったうえ、自分の荒い息遣いで近寄って来る足音にも気付かなかったものだからゾクッとする。
慌てて振り向くと、黒色のボロいロングコートを羽織った男が自身の長髪を弄りながら立っていた。
見るもの全てを
「あ、ぁ、ぁ……」
尻餅を搗いたジュリエッタに、ヴィンセントはゆっくりと詰め寄る。
「神ってやつはよりによって苦労してる側の人間へ不幸をバラ撒きやがる。虫唾が走るよなぁ~」
わざわざ視線の高さを合わせて猫撫で声で語るのだが、同時に 今にも舐め取って来そうなねっとりした不気味さもあった。
「でも、その不幸に無駄な足掻きをするバカを見ているのも同じくらい虫唾が走るんだ」
歪んだ笑顔から垣間見える汚れた歯が月光を鈍く反射する。
「……
尚も激しい動揺に囚われているジュリエッタは、声の代わりに冷汗ばかりを出して聞いていた。
そんな状態では後ろから忍び寄っていたヴィンセントの子分たちの気付く由も無く、羽交い締めを喰らってしまった。
うら若い乙女にとって男どもに体を掴まれるというのは恐怖と嫌悪でしかなく、必死に抵抗する。
「嫌ぁッ! やめて、離してッ――離せッ‼ ゔぅぅぅッ!!!」
しかし、膂力も足らない素人の暴れでは振り解くに至らず、
「ちと黙んな」
「……ん゙!」
ヴィンセントの拳に軽く鳩尾を突かれて あっけなく鎮められてしまった。
彼の子分らは 体に力が入らなくなったジュリエッタを縄で縛り、ずた袋で視界も塞ぐと、担いで運ぶのだった。
遺憾でいっぱいな心とは裏腹にやはり気分が悪く、ジュリエッタは大人しくするしかなかったものの、しばらくして足の裏が土らしきものに据えられた……地面に降ろしてもらえたのだ。
代わりに腕を後ろで縛る縄が杭のようなものに
ずた袋が顔から外されると、
正面には手頃な岩に腰掛けるヴィンセントとその子分たちが見え、
背後には木板や枝で組まれた粗末な十字架が大量に立っていた。
彼らを除き、
「墓地?」
ジュリエッタが呟くと、ヴィンセントが答える。
「正解だ……ただし、こっちと
彼が指差す方向には、少し離れて石造りの綺麗な墓が立ち並んでいた。
どちらかというとあちらの様式が一般的である。
とは言え、ジュリエッタは問いに答えられず、しばらく経ってヴィンセントが教えた。
「あっちは
「……」
ジュリエッタはスレッジが身近に居る分、弔いの過酷さというものを常人より理解していた。
それでも、視界に収まり切らない程の
しかも、これはまだスラターン歓楽街で殉職した分だけだ。
「棺なんざ用意してる暇ねぇし、そもそも骸やら骨やらが埋まってるのは半分も無い。
「だ、だからって好き放題していい訳じゃない……」
「今更そんなこと言われて納得すると思うか? 俺はもう良心とか理屈で動いてねぇんだよ。中身空っぽの正論なんざ聞かされるくらいなら、私怨の方がまだ面白いってんだ」
「私は別に、あなたに怨みは――」
続く筈だった「無い」と文言を、ジュリエッタは飲み込んだ。
混乱して忘れていたが、ヴィンセントは実質的なクロードの敵であるのを思い出したのだ。
「ヒヒヒヒヒッ、良い顔だぁ……困惑に彩られた新鮮な憎悪。俺だって知ってんだぜ? 嬢ちゃんとクロードの関係くらい」
ジュリエッタは獣のように荒くなる息を何とか制御しつつも、拳を握り締めた。
「クロードはなぁ、分け前じゃ満足できずに俺の金をくすねてた。まぁ、金なんかどうでもよくて、気に入らなかったのはあいつの考えだ。略奪は嫌だけど金が欲しいから、バチが当たらないように悪党から盗む。ホンット、バカな野郎だ。いつものようにこっそり金を持ち逃げしようとしたところをとっちめて、尋問したのを覚えてるぜ」
ヴィンセントは口を尖らせて間抜けな表情を作り、明らさまに手を抜いた声真似を披露する。
「『ごめんなさ~い。妹に、贅沢をさせてやりたくてぇ。あの子、もうすぐ誕生日なんですぅ』とか泣きながら謝ってた……ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ。
その後『一人で一匹でも憑き物を倒して来たらこれまでもこれからも許してやる』って言ったら、あいつナイフ一本で本当に行っちまいやがったんだ。冗談に決まってんのに、どこまでもバカだよなぁ……勿論、戻って来なかったぜ?」
ジュリエッタは挑発に乗ってはいけないと分かっていても、煮え滾る
血が
「フーッ……フーッ、フーッ、フー、ハァ、ハァハァハァハァッ」
息だけで凄い音を立て、今にも縄を引き千切りそうな勢いを見せるジュリエッタ。
ヴィンセントは相変わらず
「おー、怖い怖い」
などとおちょくっていた中、子分の少年たちが一足先に
彼らとしても親分の話は胸糞悪く、密かに憂鬱な表情を浮かべていたのだが、
今はそれと似て非なる険しい表情を構え、しきりに周りを気にしている。
「あ? どうした、お前ら」
「親分、何か臭いませんか?」
ヴィンセントも鼻で空気を吸ってみたところ……
「ウグッ……確かに、
悪臭の発生源を探ろうにも、周りは湿地に根付く鬱蒼とした森。
まして、夜ともなればどこに何が潜んでいるか分かったものではない。
この場に居る全員が
「ランプと香だけじゃ心許無いな……お前ら、松明点けろ。勿論、獣除けの香を付けてな」
ヴィンセントの指示に従い、子分たちは作業に取り掛った。
飛ぶような速さでヴィンセントやジュリエッタの眼前を通過し、子分の一人と衝突。
粘性を感じさせるヌチャッという音を立てたかと思うと、少年を伴って元来た方へ巻き取られて行く。
刹那の出来事で、本人含め誰も何が起きたか分かっていない。
彼は最後までされるがまま、
「え? ……えっ、えぇっ⁉」
「何だよ今の!!!」
「お前ら落ち着け!」
残された者たちの動揺が収まらないうちに、彼が消えた辺りの木が倒れて地響きが立ち始める……犯人の登場である。
植物の陰から出て月光に照らされたその肌はヌメヌメした光沢を放ち、カビ・キノコ・寄生虫・蛆などの巣窟にもなっていた。
ヴィンセントたちに広い影を落とすは、全身が不均等に肥大化したイモリの怪物――【
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