第38話 鴉に連れられて


 乗合馬車の駅にて、ベンチに腰掛けること半日。儂はもう何度目か分からない溜め息を吐いた。頼まれた時点で性に合わない仕事だと思ったが、ここまで面倒臭いものとは……


「お姉さん」


唐突に、知らない若い男が声を掛けて来た。顔はそれなりに良いが、表情の片隅に見え隠れする下心を感じずには居られない。


「ずっとここに座ってるの? そろそろ春とは言え、寒いでしょ。良かったら、あっちのカフェでコーヒーの一杯でも奢るけど」


ほれ見ろ、やっぱりナンパだ。

慣れたことだから追っ払い方も分かる。少し野太いめの声で


「儂が女に見えたかい?」


と言ってやれば、ナンパ男は目を丸くした後、そそくさと立ち去った。

いつも通りフードを被っていれば、こういった目に遭う数は減るのだろうが、しょうもない男共を気をして服装が決まるのは癪に障る。第一、町中で隠密装束を着るのはむしろ不審だし、このままでいい。

 と思っていたらまた別の奴が来た。宿場町は交通の要所だからか、多くのナンパ男が生息しているらしい。


「お待たせ~、待った?」


とそいつは言った。

元々ナンパ男にろくな奴は居ないが、中でも何の脈絡もなく彼氏面をして来るタイプ……一番うざったい。

それに、今日だけでもう何人目か。流石に嫌気が差して、苛立ちを隠しきれくなった儂は、


「お前なんか待っちゃいないよ!」


と吐き捨てるや否や、そいつの股間を長い脚で蹴り上げてやった。

カキーン! といった感じの致命的な効果音が脳内再生される……実に爽快だ。

男は急所を押さえたまま顔を青くし、生まれたての子鹿みたいに足をプルプルさせてその場にうずくまった。


「ハハッ、土下座までは求めちゃいないよ?」


勘違い野郎をおちょくる事なんかに意味は無いと分かっているけれど、この愉悦が堪らない。ちょいとばかし力加減を間違えた気もするが、まぁこれくらいで済んだだけありがたく思ってもらおう。

そんなとき、丁度ムニンが


「カァー!」


と鳴いて、向こうに飛んでいった。


「……来たかい」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 約束の日の夕暮れ時、俺は何とか第四宿場町に着いた。馭者に無理を聞いてもらって急いだのは無駄ではなかったようだ。

ただ、手紙には「第四宿場町まで来るように・・・・・」としか書いていなかったので、どうしたものか困っていると、一羽の黒鳥が軽い脚取りでこちらに跳ねて来た。


「カァー」


という鳴き声からして鴉だろうが、結構大きい。小さな鷲くらいはある。その大鴉は小刻みに首を傾げながら真っ黒に艶めくつぶらな瞳で俺を見つめている。

鴉は屍肉食なので、毎晩のように人か憑き物かが殺されるこの島は彼らにとって楽園なのだろう。元々人に定着しているイメージも合わさって鴉は不吉の象徴とされているが、こいつからは嫌な雰囲気一つ感じない。

俺は傍に屈み、頭や首元を指でくすぐるように撫でてやった……気持ち良さそうに目を瞑ってじっとしている。

その可愛さにぼんやりしていると、指先に微かな痛みと衝撃が来て、同時にパキッという音がした。


「カァー」

「?」


鴉がいつの間にか俺の指を緩く咥えていたのだが、その指先に何かが付いていた。確かめると、黒くて硬い何かが刺さっている。


「まさか……ちょっと見せておくれ~」


恐る恐る鴉の嘴を見てみると、不自然な断面が出来ていた。


「えぇーっ!! 割れてるぅ……こんなことあるの⁉ ごめんよ、カラスっち……」


俺は驚きつつも、鴉に詫びた。


「安心しな、人間が爪を切るようなもんさ。伸びて来るとこうやって自然に折れる」

「ホント? なら良かった……焦ったぜ」


その会話はあまりにも自然に始まったものだから、俺は後ろの誰かと喋ってからそれに気が付いた。決して鴉が口を利いたわけではない。

俺が振り向くと同時に鴉も飛んで行って、そこに居た人物の肩に止まった。


「ちょいと柔らかい物を食べさせ過ぎたか?」


と呟いているのはスマートな麗人――いや、確証は無い。色っぽい紳士という線もある。

帽子から靴に至るまで黒で統一された服装の上から、黒羽のマントを羽織っていた……飼い主まで鴉かよ。

深く被ったバケットハットで目元が隠れていても、整った顔の輪郭や高い鼻、艶やかな唇からは気品高い貴公子のような印象を受けた。


「誰?」


と我ながら安直な言葉で尋ねれば、


「トリ――ベラトリクス。……サリヴァーンの遣いさ」


彼(彼女)は少々気怠そうに答えた。ただ、声自体は美貌に違わず耳障りが良い。

途中言い直したようなところに俺は引っ掛かりを感じたが、ベラトリクスは話を続ける。


「昼頃に来るかと思っていたが……もう日が暮れる」

「マジですいません」


これは完全に送別会が盛り上がり過ぎたせいだ……俺にも責任がある。


「まぁいいさね。今日は月の出も遅い、憑き物にビビらずさっさと行こうじゃないか」


彼(彼女)は早速、少し離れた所に停まっていた馬車へ歩き出したので、俺は


「あ、ハイ!」


と間抜けな返事をし、小走りで付いて行った。




 俺が座席に座ったのを確認して、ベラトリクスは馭者に合図をする。


「出しておくれ」

「畏まりました」


馬車はゆっくりと動き出した。

……またここから数日暇である。歓楽街から第五宿場町、第五宿場町から第四宿場町までの道中もそうだった。外の景色を眺めるのも流石に飽きたので、俺はベラトリクスに話し掛けた。


「あのさ、」

「?」

「ベラトリクスって本名?」

「まさか」

「やっぱそうだよね。でも良い響きだ」

「そうかい? 褒められても何だかよく分からないね」

「じゃあ――」

「本名は教えられんさ」


俺の言うことを予想したのだろう、彼(彼女)は半笑いしながら食い気味に言う。だが、俺だって別にそこまでおこがましい事は考えていない。


「分かってるよ、偽名を使う事情があることくらい」

「これは失礼したね」

「気にしてないよ。むしろ、あなたのことに首突っ込んでるのは俺の方。気は遣わないでくれ」

「分かったよ。で、何を訊きたかったんだい?」

「あ~、髪! 髪のこと。ベラトリクスは……その、美人なのにさ、髪だけ違和感があって。どうしても気になっちゃった」


ベラトリクスは自身の長い黒髪をクルクルと指で弄りながら答える。


「あぁ、これかい? ヅラさ。安物だから、お察しの通り儂には似合わない」

「地毛は?」


俺がまた質問をすると、彼(彼女)はここで一度自身の質問を挟んだ。


「色々訊くのは構わないが、面白いかい?」

「ごめん、不快だった?」

「そうじゃない。儂は諜報員をやってるものだから、仕事柄秘密が多い。面白い答えなんか帰って来ないぞと言ってるんだ」


彼(彼女)は膝の上で愛鴉のムニンを撫でながら、どこか寂しそうに窓の外を見ていた。


「良いよ、つまんなくて。自分で面白くするから」

「?」


俺の答えに驚いたのか、彼(彼女)はまたこっちを向いた。


「限られた情報の中から一人の人物について想像してみる……ミステリー小説みたいで楽しいよ。ずっと一人で馬車に揺られるより何倍もね」


ベラトリクスは唖然とした様子で、ムニンを撫でる手も止まっていたが、


「如何わしい妄想はするんじゃないよ」


とだけ言って口元を微かに緩めた。

それから、かつらを取って、少し遅れた答え合わせ……銀髪ボブでした。


「うん、解釈一致!」

「それはそれでどんなイメージをしてたんだか……」


また窓の外に目をやる彼(彼女)は、今度は少し照れているように見えた。


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