第22話 〈カットオフ〉
以前、トールがマスターの使いでサラの店に行ったときは、約束がないからと彼女に会えないところだった。
個人工房の
助手は連絡を取るべきではと提案したが、彼の主人の返事は「近いんだからとにかく行ってみよう」というようなものばかりだった。通信のナンバーならば〈トール〉が把握しているのに、彼は通信をかけるようにとも言わなかった。
〈クレイフィザ〉の主人は決して非常識ではない――少なくとも、一般常識においては――のに、何故、他者の工房を訪れるときに約束をしたがらないのだろうかとトールは不思議に思った。
もっとも、今回は少し推測できるところもある。
連絡を取って「ギャラガーは不在です」或いは「ギャラガーはあなたとは会いたくないそうです」などと言われたら訪問は中止せざるを得ない。〈カットオフ〉を見ることができなくなるのだ。
店主の目的は、近所の病院に入院していたとある「マスター」と「消えたロイド」の噂話をギャラガーから聞くことだけではなく、〈カットオフ〉がどんな店なのか見てみたいということにもあるのではないか。助手はそう思った。
「いらっしゃいませ」
住所ナンバーから判っていることではあったが、〈カットオフ〉はダイヤモンドオークス・ビルのワンフロアに存在した。何でもありの雑多なビルで、成程、セキュリティは自前にする必要がある雰囲気だった。
と言ってもショールームは〈クレイフィザ〉の倍はあり、きれいにされていた。
〈クレイフィザ〉も清潔さという点においてはきれいだが、装飾は僅少で、照明などにも凝っていない。〈カットオフ〉も派手ではないものの、展示されているリンツェロイドはより美しく見えるよう工夫されており、3Dスライドショーも目を引く。相談窓口のようなものも存在し、工房と言うより販売店の雰囲気を醸し出していた。
「何かお探しですか」
従業員はにこやかに声をかけた。
「ミスタ・ギャラガーはいらっしゃるかな」
言うと店主は、データカードを出した。
「近くまできたので、リンツが挨拶にきたと伝えてもらえますか」
「ミスタ・リンツ……」
データを受信しながら、従業員は繰り返した。
「工房〈クレイフィザ〉の方、ですか。お約束は」
「生憎と」
店主は肩をすくめ、トールは「ほらやっぱり」と言いたげに主人を見た。
「お忙しければ、出直しますが」
「少々お待ちください」
だが従業員は「約束がなければ駄目だ」とは言わず、端末のところに行くとデータを読み込ませて通信機を使った。
「おいでかな。それとも連絡の相手はシャロンかな?」
「シャロンはミスタ・ギャラガーの秘書でしょう。外出中なら彼女も一緒じゃないでしょうか」
「は? あの」
従業員の声が裏返ったので、彼らはそちらに注目した。
「いえ、でも、本当に。……はい、判りました」
〈カットオフ〉の助手は通信を切ると、〈クレイフィザ〉店主と助手を片隅のソファに案内した。
「ミスタ・ギャラガーは何と?」
「は、それが」
助手は困った顔をした。
「ミスタ・リンツは、あまり外出をなさらないから、いらしたというのは嘘だと」
「これはこれは」
彼は笑った。
「私が重度の自工房フェチだという訳だね。あながち間違いでもないが」
「し、失礼を」
「気にしていないよ。むしろ、どこの工房でも助手は主人に困らせられるものだと同情するくらいだ」
その台詞に〈クレイフィザ〉助手は苦笑するしかなかった。
「どうやら私は、極端な自宅愛好者だとでも思われているようだね。社交の場に出ないことが、即ち、社交性皆無ということではないと思うんだけれど」
ギャラガーもサラも彼に、クリエイターが集うパーティの類にもっと出てくるようにと言った――正確には、どちらもトールに伝言を託した――ことがある。
「ミスタは、そうは思われませんか?」
姿を見せたカルヴィン・ギャラガーは、実に意外そうな顔をしていた。
今日の彼はスーツ姿ではなく、カジュアルなブルーのシャツを少し着崩した、ごく日常的な出で立ちだった。対する〈クレイフィザ〉店主は、白いシャツの上にチャコールグレーのジャケットという、それなりにきちんとした格好をしている。
「ご無沙汰しております」
客人は〈カットオフ〉の主人に丁重な挨拶をした。トールも倣う。
「意外だ」
彼はまず、それに返答するより、表情通りの感想を述べた。
「あんたは、〈クレイフィザ〉の外に出ないのかと思ってた」
「まさか」
〈クレイフィザ〉店主は肩をすくめた。
「あなたの考える形とは違うかもしれませんが、少なくともそこまで自宅愛好者じゃありませんよ」
「だが、トール君が『散歩』している間ですら、あんたは店に籠もってたと言うじゃないか」
「そのようなこともありましたね」
「あんときも言ったが、トール君に、あんまりひとり歩きをさせるなよ。なあ?」
ギャラガーはトールを見た。少年ロイドは苦笑めいたものを浮かべながら、軽く頭を下げて挨拶をした。
「彼は『子供』ではありませんよ、ミスタ・ギャラガー」
「そりゃそうだ。だが」
彼は客人に近寄ると、少し声をひそめた。
「こうした存在だからこそ、やばいってこともある」
「誰が気づきますか?」
「……そりゃそうだな」
クリエイターたるギャラガーでも、〈トール〉がリンツェロイドであると気づけなかったのである。手首に番号もないのに、すれ違った誰かが気づくはずもない。
「じゃあ、あれだ。トール君はけっこう、可愛い顔をしてるからな。普通に、可愛い少年だと思われて、危ないってこともあるだろう」
「ですから、あなたの車に乗らなかったんですね」
「……俺は少年趣味の
「その代わり、ロイド・フェティシストの気をお持ちとか」
「誰が言った」
「シャロンが」
「……くそう」
そこまで話してから、ギャラガーははたと気づいた。
「店頭で話し続けるのも何だな。おい、タキ」
彼は背後を振り返った。
「応接室は片づいてるか」
「もちろんです、ボス」
スーツを着た三十前後の人物が、当然だと答えた。〈カットオフ〉工房主の――人間の――秘書である。
「こちらへどうぞ、マスター・リンツ」
「ミスタ・タキと言えば」
案内を受けながら、店主は声を出した。
「サンディとジェフ氏は、その後?」
「ああ、彼は」
ジェフの友人でもあるタキは、少し困惑した顔を見せた。
「職場を解雇されまして、次の仕事を探すのに手間取っているようです。その、事情が事情ですから」
「うちで雇ってやる訳にもいかんしな。自分で何とかしてもらう」
ギャラガーはきっぱりと言った。
「一度、サンディに会わせてくれと言ってきたが、駄目だと言った」
「それくらいなら、かまわないのでは」
「あんたはジェフに同情的だがな、リンツ。俺の方じゃ、奴を見るなり殴りかからんだけでも寛大だと思ってる」
「もっともでもありますね」
店主は認めた。
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