第8話 そして、ふたりきり
湯浴(ゆあ)みを終え、疲労した身体を丹念にほぐされる。
皮膚の表面をすべらすよう香油を塗りたくる侍女達にげんなりしながら、ミランダは本日三回目の溜息をついた。
(今夜は居留地の一角をあてがわれ、のんびりと過ごすはずだったのに)
ただの人質のはずが何故か離宮を与えられ、側妃に召し上げられ、国王の『お渡り』を待つこの状況に、ミランダは発狂しそうだった。
「もう充分だから、下がりなさい。陛下がお渡りになるまで、少し休みたいの」
ミランダが軽く手を振ると、侍女たちは無言で一礼し、部屋を後にする。
やっと一人の時間を得て小さく
「望んだ状況でもないのに、ただおとなしく待っているのも癪よね」
寝室と続き間になっている応接は、幾何学的文様に組み付けられた
ミランダは応接テーブルに歩み寄ると、革張りのソファーに腰を掛け、氷で満たされたワインクーラーを手元に引き寄せた。
冷えたボトルのラベルを確認し、コルク栓を抜こうと周囲を見回すが、刃物の類は一切なく、卓上にフルーツがあるもののフォークすらない。
そういえば良いものがあったわと、ミランダは宝石箱を開け、クルッセルでシヴァラクから受け取った仕込み簪から、先のとがった棒状の真鍮を取り出すと、コルク栓に向かって勢いよく斜めに突き立てた。
そのままゆっくり引いていくと、ポンッと軽快な音を立て、コルク栓が抜ける。
「ベスキューエ産、二十年モノの白ワイン」
まろやかな香りと果実味の強いフルーティーな名ワインには、このグラスでしょう!
精緻な彫りが施された飾り棚を開け、ボウル内の表面積が大きめのグラスを手に取る。鼻歌交じりで注ぎクルリと回すと、空気との接触面から香りが拡がり、ミランダの鼻腔をくすぐった。
豊満な香りに気を良くし、元気いっぱいグラスを呷り、贅沢なワインで喉を潤す。
すっかりご満悦のミランダだったが、扉をノックする音でふと我に返った。
楽しかった気持ちが途端にしぼみ、しゅんとして居住まいを正すと、クラウスに続いてひとりの侍女が入室し、手に持っていた空のグラスを回収される。
(私のグラス!)
ムッとして睨むと、クラウスは面白そうに目を細め、付き従っている侍女の盆からグラスを取り、ミランダへと手渡した。
グラスには既に液体が注がれており、それとは別に新しいグラスがふたつ、クラウスの前に置かれる。
「……これは?」
ミランダが口を開いたのが合図だったのだろうか。
一礼し、侍女が部屋を後にする。
謎の液体が入ったグラスをゆっくりと回し、恐る恐る顔を近づけ――覚えのある香りに、ミランダは思わず顔を
「どうした、飲まないのか?」
平然とのたまう目の前の不遜な男をギリリと睨んで、ミランダはヤケクソ気味に喉奥へと流し込む。
(この男、なんてモノを私に飲ませるつもりよ!)
果実水のような清涼感のある香りに混じり、微かに……知っている人間でなければ気が付かないような青臭い薬草の香り。
(お姉さまがアルディリアに嫁ぐ時、保険として渡した自白剤が、なんでココにあるのよ! しかもよりによって、なぜこの男が)
もともと、酒には強くない。
勝手に飲んだ一杯目のワインも良い感じに回り、ほわほわ顔が熱くなってきたところに自白剤が効いてしまったようで、喉が詰まり、頭が回らなくなってくる。
(こんなものに頼るなんて、他人を信用しないにもほどがあるわ。……聞かれて困ることなんて一つもないもの! いいわ、何でも答えてあげるわよ!)
クラウスはミランダが飲み干したのを確認すると、新しいグラスに自らワインを注ぎ、自白剤が入っていたグラスと交換に、ミランダへと手渡した。
酩酊状態なのか視界までぼんやり霞み、訳が分からないまま乾杯をして、また喉に流し込む。
ミランダの頭が小さく揺れてきたところで、クラウスは、テーブルの上にちょんと置かれた彼女の小さい手をそっと持ち上げた。
ゴツゴツとした剣ダコだらけの手を差しこみ、すくい上げるような形で、ミランダの小さな手を下から包み込む。
上目遣いにクラウスを見ると、相変わらず眉間に皺を寄せ、瞳に冷たく無機質な鈍光をちらつかせながら、何故かミランダを睨みつけていた。
慣れない男性の熱を感じ、恥ずかしくなって手を引こうとするが、柔らかく包む大きな手は力強く、離れることを許してはくれない。
これほどの至近距離、しかも部屋に二人きりという状況で手を握られた経験など、これまで一度もなく、ミランダの掌が緊張で汗ばんでくる。
(なによこの沈黙は! ……せめて何か話しなさいよぉぉぉ!)
無言で威嚇しながら手酌でワインを呷り、さらには優しく手を握るという、よく分からないクラウスの行動に、どきまぎと目を泳がせ始めたミランダの様子に気付き、クラウスが呆れたように口を開いた。
「調査報告によれば、姉の嫁ぎ先であるアルディリア国王を手玉に取り、尚且つ、子を孕んだとあったが、これではどう頑張っても……とても男慣れしているようには見えないな」
あれは偽りだろう? と、クラウスが問いかける。
自白剤のせいだろうか。
いつもの虚勢が張れず、ミランダは目を伏せ、無言でコクリと頷いた。
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