スリー・スターズ

ポエムニスト光

第1話 あの日


 その日も、空はどこまでも高く、鮮やかに澄みきっていた。


 吹く風は段々と冷気を帯び始め、木々の葉が名残惜しそうに地へと落ちてゆく季節となった。


 いつも賑やかなディースの街にも、これほど静かな場所があったのか。周囲には私の家族と、一人の少年、そして一台の質素な造りをした馬車しか見受けられない。


 忍び泣く我が子の頭を撫でながら、目の前で決意に満ちた眼差しをこちらに向けている茶色い髪をした少年の方に、私は視線を移した。


 ディースの町全体が、どこか陰鬱とした影を落としているのは、単に自然の摂理に沿っているだけではないようだ。


 やがて、少年が口を開く。


「……じゃあ、行ってきます。今まで、ありがとうございました」


 言われて私は、何かこらえ切れないものが胸の中をこみ上げてくるような感じを覚えた。


 思う。

 こんなことがあってよいのだろうか。

 君が。

 ……君が今からやろうとしていることは。


 そんな私の表情をつかみ取ったのか、少年は軽く首を振った。


「いいんです。こうなることは、もうずっと前から・・・・・・物心ついたときから、教わってきましたから」


 これから行われることは、この少年の未来と、この国のそれとを天秤にかける行為だった。

 それを今更言っても、しょうがないことなのかもしれない。

 しかし、たとえ養子といえども、この少年と一緒に暮らしてきた私にとって、その事実は耐え難いほど悲しむべきことであった。


 そして、馬車のほうから声がかかった。


 そろそろ時間なのだろう。最後くらい、もう少し融通を利かせてくれないものだろうかと思った。


 私の袖を、きつく握り締めている娘。口を結びながらも、どこか悲しげな表情を浮かべている二人の息子達。


 彼らは、本当の事実を知らない。


 本当の、事実。


 これから何が行われるのかを。


 もう、彼らはこの少年に、二度と会えないのだ。

 短い時を、しかし掛け替えのない時を共に過ごした、


 弟に。


 そして少年が背を向ける。

 私の娘がいよいよこらえきれずに、泣き出してしまった。


 その声を聞いて、少年は思いついたかのように歩みを止めると、こちらに近づいてきた。


 ……娘から見れば、この少年は弟のような存在だった。

 少年は娘の前で止まり、肩に手を置くと、語りかけるように言った。


「また、いつか会えるよ」


 涙を流していた娘は、掛けられたその言葉に、一瞬きょとんとした表情を見せた。

 それもそうだろう。この少年は、いつも娘の後をついて回っていたのだから。


 君も、成長したのだな。この家に、養子として我が家に来たあの日から、君も。


 納得したように軽く頷くと、少年は馬車のほうに歩いていった。


 だが、馬車の手前でもう一度振り返った。


 そして、口を開く。


「さようなら。お父さん、お母さん」


 その頬に、大粒の涙を輝かせて……『死』への一歩を踏み出したこの少年は、今、何を思っているのだろう。


 馬車が滞りなく出発していく様子をぼうっと眺めていた娘が、泣きながら、その後を追いかけて行った。


 私は、娘を止めることもかなわず、自分の視界が徐々にぼやけてゆくのを感じていた。

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