第三楽章
第1小節目、絶望の始まりの日 (1)
12年前、8月2日。
忘れもしない。
その日は幸薄い(笑)、俺の人生の中でも、最強にして最悪な日だった。
そしてこれが俺の…。
なんとも暗く、絶望的な人生は、多分ここから始まった。
それまでは、まだ人並みに愛のある生活を送っていたように思うから。
俺はこの日、数少ない心許した相手を、二人同時に失ったんだ。
◆◇◆ ◆◇◆
◆◇◆ ◆◇◆
「みて、みて! お殿さま病!」
鳥の鳴き声のような甲高い声が、もうすっかり日の落ちた公園の中央にそびえ立つ滑り台の上から響きわたる。
「あぶないよ!やめなよ」
「だいじょうぶ!ぜったいいけるって!」
◆◇◆
誰よりも高いところから飛び降りる。
ガキってのは、そんなアホみたいな事に毎日情熱を燃やす。
もちろん、俺も、おれの遊び仲間も同じだった。
その中に、ひとり女が混じっていた。
しかも、その娘は女だてらにグループを束ね、いわばガキ大将的な存在でもあった。
それが『オテンバール人』…つまり、少女時代の
ふたつ結びにした馬のしっぽのような髪を弾ませながらケラケラと笑う、男勝りでやんちゃなその娘を、俺は好んでそう呼んでいた。
なんでも『オテンバール』とは『お転婆』の語源になったオランダ語だそうで、手に負えないほど元気な女のことを指すらしい。
クイズ番組で聞きかじり、ぴったりだ、と思ったから付けた。
すでに俺は彼女によって『お殿さま病』なるおかしなあだ名で呼ばれていたものだから、仕返しのつもりだった。
◆◇◆
それは、暴力的とも思える程の太陽光線が、じりじりと照りつける、そんな猛暑の日だった。
その日、俺は他の連中も含む数人の前で、川縁にある土手の階段の『8段』を鮮やかにクリアしてみせた。
それまで絶対王者に君臨していたその娘は、俺の記録が自分と並んだ事がよほど悔しかったのだろう。
家の方角に向う長い坂道を汗だくになって上る間じゅうもずっと、夕焼けで赤く染まったまん丸い顔を歪ませたままだった。
「お殿さま病。
ねえ、あんたまだ、時間あるよね?」
"あさがお公園"という、なぜか季節限定の花の名前のついた馴染みの小さな公園を横切ろうとすると、その娘は突如、思いついたように体の向きを変え、走り出した。
俺はいつもどおり、門限をとうに過ぎ慌てふためく他の奴らに別れを告げ、『オテンバール人』の背中を追った。
ついさっきまで、迫力あるオレンジ色に輝いていた空は、きたる夜の気配に占領されつつあり、遠くに一番星が瞬いている。
『オテンバール人』は、俺たちの背丈の倍の高さはあるだろう、公園の脇にそびえ立つ古びた滑り台のてっぺんから俺を見下ろし、その場所から飛び降りると言って聞かない。
無謀だ、と思った。
高さもそうなのだが、その公園は非常に狭い上、すっかり手入れを怠った木々があちこちの遊具にまでせり出していて、とにかく足場が悪かったからだ。
「ちょっとお、お殿さま病、そこどいてよ!」
「ねえ、やめなってば・・・」
「チビっ子のくせに! あたしの邪魔しないで!」
は?
チビって言った?
俺はそのひと言に、ブちぎれた。
今はこんなだけれど、当時、人一倍成長が遅かった俺は、気にしている事をずばりと指摘され、頭に血が上ってしまった。。
だから、その滑り台から背をむけ、拗ねた面で膝を抱え込んだ。
「ねえ、見てて! お殿さま病!
いくよー!」
背中から、甲高い声が聞こえる。
(無視だ、無視! 勝手にしろよ!)
太腿に顔をうずめ、目をぎゅっとつむる。
すると、次の瞬間、バキバキバキ、どすん、という聞き慣れない大きな音が聞こえた。
(・・・?)
その直後から、いきなり訪れた静寂に違和感を覚え、後ろを振り向く。
すると。
『オテンバール人』が両手を広げ、足を変なふうに折り曲げ、仰向けになっているのが見えた。
「ねえ?」
「ねえねえ、オテンバール人」
呼びかけても、返事はない。
安っぽい電灯の薄明かりに照らされ、いっそう青白く浮かぶ顔。
人形のように横たわって、まったく動かない。
恐ろしくて、近寄ることもできない。
(だれかーーーとにかく、だれかを呼ばなくちゃ)
俺は辺りを見渡した。
しかし、通りから少し奥まった位置にある、ブランコと滑り台と砂場しかないような狭くて寂れた公園なのだ。
あたりはもう、真っ暗。
こんな時刻までここで遊んでいるのは、俺とその娘の他は誰もいやしない。
けれど、このままでいるわけにはいかない。
俺は、その娘がベンチに放り投げたままの、赤いチェックのキルティングでできた巾着袋の口を開く。
それを逆さにして、中に入っているものを地面にぶちまけた。
鍵、メモ帳、いろえんぴつ、シール・・・
『あった!』
せいけひまり
【緊急連絡先】090ー890XーXXXXXX
ケミカルイエローのビニールケースに入った迷子札。
俺は直ぐさまそれを手に、通りをはさんだ向かい側に位置する、公衆電話にダッシュした。
ポケットに少しばかり忍ばせているコインを入れて、その迷子札に書かれた番号をプッシュする。
プー、プー、プー、プー、
プッシュボタンの位置が高すぎて見ずらいのと、手がわなわなと震えるのとで、何度もかけそこねてしまう。
プー、プー、プー、プー、
受話器を乱暴にもとの位置に戻す。
落ち着け…もういっかい。
プー、プー、プー、プー、
もういっかい!!
ブツ
「はあいー、もしもし」
大きな受話器からは、『オテンバール人』と良く似た調子で話す、"おばさん" の声が聞こえた。
「あ、ああ、あの、あの、あの。せ、せ・い・け・ひ・ま・りさんが」
「はい? え、
「あさがお公園の滑り台から落ちて・・・ち、血もいっぱい出てて」
「え?」
「し・・・死んじゃったかもしれません!」
「ええ?! ちょ、ちょっと・・・あなた、名前ーーーー」
急に名前を聞かれ、言い用も無い程の恐怖心が俺を襲う。
「さ、さよなら!」
「ちょ、ちょっと切らないで!どういう事!?
もしもし? ねえ、もしも・・・」
恐らく、「オテンバール人」の母親であるその人が話続けてるのにも関わらず、それを遮るようにガチャン!と受話器を切って、自分の住む団地まで全速力で走った。
……倒れたままの、「オテンバール人」を残して。
◆◇◆ ◆◇◆
◆◇◆ ◆◇◆
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