第5小節目、解き放つ
「右手にね、まるで羽が生えたみたいだったの!」
あたしは、この前美優と語り合った一本杉の公園の滑り台の上から、砂場に立つ背の高い「彼」を軽く見下ろしながら、大声を張り上げた。
「どういう事? 昼間とはうってかわって、随分機嫌よさそうなんだな」
声が、少しくぐもって聞こえる。
さっきは泣いていたくせに何なんだよ? とでも言いたげな口調だ。
日ごと日照時間は長くなり、辺りはまだ明るい。
巨大なポップコーンのような雲は、大半が白く輝いて、裾の部分だけ、まるでローズピンクのチークを差したみたいにほんのりと色付いている。
それをを背に立つ
それでもこの出来立ての「即席の彼氏」に、今の心境を話したところで全くもって意味不明なだけだって事はよーくわかってた。
だけどあたしはその時、言いようもないくらいに気分が高揚していた。
だから、そんな事はおかまいなしに自分の事を喋り続けた。
とにかく、この空高く引き上げられそうな胸の高鳴りを、誰でもいいから聞いて欲しかった。
終わりの見えなかった長いトンネルの向こう側に、パーっと光が差し込んでいるのを探し当てた時のような、そんな今のこの気持ちを。
正直な話、聞いてくれさえするのなら、そこに生えている杉の木が相手だって良かったくらいだ。
今日の課題は、時間が経つのも忘れちゃうくらいに集中できた。
いつもは気になってしょうがない、周りの子がたてる物音も、一切気にならない程に。
ああ、明日、また、再び続きに手を入れるのが、待ち遠しくて仕方がない!
……画材を変えただけで、こんなにも自由になれるだなんて。
先生はそれを知っていたのかな?
解放、ってこういうことだったんだ。
先生って凄いと思う、やっぱり。
「おい、パンツ見えてるぞ、パンツ」
「ち……。 わざわざ見なければいいじゃん」
(散々見ただろうにさ・・・今いち実感が湧かないけど)
あたしが能天気すぎるから?
こいつが慣れ慣れしいから?
……それとも恋人のふりをしてるから?
「いいかげんに降りろって! 危ないだろう」
「危ないって、この滑り台が? あんたの背丈ほどもないじゃん」
「あ…いや、単純に見下ろされるのが嫌なんだ。いいから早く降りろって!」
口調が、だんだんときつくなる。
苛つき度が全開って感じ。
……でもねえ、あたし、命令されるのはあんまり好きじゃないの。
「わかった!!」
……多分、この時のあたしは浮かれすぎて、どうかしていたのだ。
とにかく、ここ最近ではちょっとなかった程に気分が軽かった。
(決めた。 あたしも今、自ら封印を解き放とう)
「彼」の首筋のあたりにピントを合わせる。
少し汗ばんで、キラキラ煌いている。
「
「おい、ヤメロ」
止める声も聞かずに、両手を広げ、踵をおもいっきり蹴り上げた。
そして。
あたしのフェイントにビビる、
両手を高らかに掲げ、
「
……と、スマートにいくはずだった。
たけどあたしは、大きくバランスを崩して着地した。
着地したそこが、砂の上じゃなかったから。
★★★
西園寺を下敷きにして、まるであたしが押し倒したような格好になって、そのまま砂場にふたりして縺れながら倒れこむ。
---どうして?
---なんでよけないの?
---それどころか、向かってくるだなんて!
ドク ドク ドク ドク
「おい、パンツ。今、完全に見えたぞ」
意識の外側の遠いところで、そんなどうでもいいセリフが聞こえる。
ドク ドク ドク ドク
あまりに咄嗟の事で、頭の中はがらんどうなんだけど、心臓は別の意志を持っているみたいに大きな音で、鎖骨を内側から打ち付ける。
それに気付かれたくなくて、それを何とかしたくて、あたしは咄嗟に息を止めた。
恥ずかしいのと、息を止めているのとの複合効果で、首から上の温度が急速に上がる。
西園寺はあたしを抱きかかえたまま、上半身を起こし、まるで覆いかぶさるようにして、その腕に力をこめる。
(待って、嘘でしょ? な、なんで???)
「ヤメロって言ってんのに飛び降りやがって。いいかげんにしろよ」
ドク ドク ドク ドク
いくら息を止めたところで、それは無駄な抵抗でしかなかった。
……ああ、あたし。
名前もわからない、重い心臓の病に犯されてるのかもしれない。
ずっとこうしていたら、暴れ回る心臓が皮膚を破って飛び出しちゃって、彼の腕の中でそのまま息をひきとるかもしれない。
「お前って、なんでやる事成す事、俺の想像の範疇を軽々すっ飛ばすんだ?」
「そ、そのセリフ、あんたにそのまま返してやりたいわ………」
ドック ドック ドック ドック
……でも、変だ。
あたしとは別の心臓の、高鳴る音が聞こえる。
「もう機嫌はすっかり直ったのかよ、オテンバール人」
・・・「オ」「テ」「ン」「バ ー」「ル 」
・・・おてんばーるじん?
・・・そうだ、オテンバール人!!!!
あたしは反射的に、気がついたらとてつもなく懐かしい誰かの呼び名を口にしていた。
「お殿さま病・・・」
「やっと思い出した? おまえ、すっかり忘れてたろ? 俺の事」
(まさか・・・)
曇りガラスから眺める景色みたいにぼんやりと甦る、ずっとずっと前の記憶。
いつも、いつも、あたしたちのグループの一番後ろについてまわっていた、小さな男の子。
からだはあたしより頭ひとつ分くらい小さいくせに、態度だけは大河ドラマのお殿さまみたいに高飛車だった男の子。
日のとっぷり暮れた公園で、あたしと、最後の最後まで残って一緒に星を数えた、男の子。
あたしの頭の中は大混乱だった。
そんで、そんで、なんでわざわざしがみついてくるの?
この人……!!!
あたしに……!!!
長い事息を止めていたせいか、頭がぐらぐらしてくる。
もうその状態にも耐えられなくなって、大きく息を吸い込むと、顔を
「おい、しゃべるの止めるなよ……このまま続けて」
「えっ」
「何でもいいから続けろよ」
「何でもって……何をよ?」
「ああ……じゃあさ、なんで昼間は急に泣き出したんだ? 俺、なんだか気・・・」
"お殿さま病" の言葉を、まるで遮る様にして。
ザザ、ザザザ、という、砂の上に足を引き摺って歩く音が聞こえた。
背後になんだか良くないオーラを感じて、あたしは恐る恐る振り返る。
「おい、
「お前さあ。どこまでも野暮な奴なんだ? 邪魔すんな」
「邪魔?」
「見てわからない? お取り込み中なんだよ」
「ああ……」
そこに立っていたのは、
美優が昨日言っていた……。
美優を狙ってるという、男子生徒だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます