3輪 紅薔薇の密談Ⅱ

 未来の伴侶として二人が引き合わされたのは八年前、ロザリーが十一歳のときだった。その頃にはすでに、白薔薇にも例えられるジェイデンの端麗な容姿は完成されていて、二つ歳上の美少年に幼いロザリーも目を奪われた。


 ジェイデンは、誰の目にも完璧な皇太子だった。


 完璧、というのは容姿だけを差すものではなく、失敗や間違いをしないという意味でもない。自身の見せ方を熟知している、ということだ。


 失敗をしない人間はいない。けれど見せ方を知っている人間は、失敗さえも自身の魅力を引き立てる演出に転じさせる。ジェイデンはそれができる少年だった。


 さらには己の美貌を自覚して、それをわずかの躊躇もなく最大限に利用し、周囲を手玉にとっていく――共に過ごす内に、ロザリーの目にはそう映るようになっていた。


 ロザリーとて幼い時分から、皇太子と並んで見劣りしてはいなかった。


 黄金こがね色の髪は澄ましバターのように潤む艶を宿しているし、ふちがくっきりと濃い葡萄酒色の瞳は目元を塗りたくらずとも印象的な眼差しを演出する。小さい顎に対して唇は理想よりもやや大きいが、通った鼻筋とのバランスは悪くない。肌も瑞々しさを損なわぬよう、手入れには最大限の気を配った。


 生来のものをさらに磨き上げた容姿と、叩き込まれた教養と立ち振る舞い、貪欲に吸収した美的センスによって、ロザリーは大人たちと渡り合っていた。それは、次代の皇后候補として大人たちの期待を一身に受け、それに応えるための血の滲むような努力の上に得た賞賛だった。


 だから当時のロザリーは、ジェイデンがいけ好かなかった。まだ子供だった彼女には、彼が持って生まれたものを使って努力もなしに賞賛と注目を集めているように見えたのだ。


 未来の伴侶への敬意よりも不満を募らせたロザリーは、それをジェイデンへ直にぶつけた。


 ぶつけた不満は、倍の皮肉になって返ってきた。腹が立ったので、さらに三倍にした嫌みを投げつけた。以来、二人の間に遠慮という二文字はなくなった。


 表向きには睦まじく振る舞いながらも、やはりロザリーにとってジェイデンはいけ好かなかった。


 この遠慮のなさゆえに、ジェイデンに思い人ができたとき、ロザリーはすぐに気がついた。ジェイデンは周囲に対して非常に巧みに隠していたが、彼への皮肉のネタを絶やさないロザリーの目は、些細な違和感を見逃さなかったのだ。


 そしてほぼ同時期に、ロザリーもまた運命と思える相手を見つけていた。皇太子と侯爵令嬢の正式な婚約が公表されてほどなくのできごとだ。


 知らない振りをする選択肢もあった。ジェイデンは気に入らないが、皇后という地位にはメリットがあったし、そのために重ねてきた努力をふいにするのも惜しかった。家の利益のためだけに繋がる仮面夫婦などありふれている。


 しかし、心から愛する異性が他にありながら、それを押し殺して好きでもない相手との婚姻生活を生涯続けられるか――考えた結果、絶対に無理だとロザリーは思った。


 相手がジェイデンというだけでも最大限の我慢が必要であるのに、さらにもう一つ、たいへんな気力で我慢すべき事由が増えるのだ。耐えられるはずがない。


 ジェイデンとロザリーの婚約は、皇室とフレディーコ家の問題だ。当然、ロザリーの意思だけで動かせるものではない。だから、ジェイデンに直接、話を持ちかけた。


 やはり彼も、ロザリーが他の男性に懸想けそうしていることに気づいていた。その上で、この婚約を邪魔だとも考え始めていた。


 協定を結ぶに足る条件は、十分に揃っていた。


 二人は初めて心から団結して手をとり合い、周到な準備を経て、今宵の新春の宴にて婚約破棄作戦を華々しく決行したのだった。


 ジェイデンは、ロザリーから突き返された薔薇を数度振るように弄んでから、卓上の花瓶へ無造作に挿した。その間に対面の席へ戻ったロザリーと、改めて向き合うように居住まいを正す。


「それでだ。首飾りの件が片づけば、お互い晴れて自由の身となるわけだが──その後はいつから始める?」


 問いに対し品よく首を傾けたロザリーは、少し考えて、閉じた扇で手の平を叩いた。


「すぐに行動を起こしては、口さがない方々に邪推の種を与えるだけです。わたくしなら、二ヶ月は傷心の乙女を演じてみせましてよ」

「本当に演じきるだろうと分かるから恐ろしいな、君は」


 ちょっと肩をすくめてから、ジェイデンは皮肉っぽい表情で頷いた。


「確かにそれくらいが妥当か。時期はそれぞれ多少ずらした方がいい。先に汚れ役を引き受けてくれた感謝の証しに、こちらも先を譲ろう」


 ジェイデンからの提案に、ロザリーは顎に扇を当てて淑やかに笑った。


「それでは、お言葉に甘えさせていただこうかしら」

「皇太子をこんなにもこき使うのは、父上の他は君くらいだ」


 ジェイデンは嫌みを添えることを忘れず、ロザリーは笑みに一滴だけ嘲りを混ぜた。


「わたくしの話に乗られたのは殿下です。お嫌なら、わたくしの無罪など証明せずに捨て置けばよろしいですわ。皇太子ともなれば、わたくしの力を借りずとも、お望みの女性を妃に仕立てるくらいおできになるのではなくて」

「それは君も同じだろう。彼の出自ならば、侯爵家とも十分に釣り合いはとれる」


 ジェイデンは瞳に好戦的な光を揺らめかせながら、穏やかな口調のまま主張する。彼が挑発に応えたことに満足して、ロザリーはくすりと笑い声をたてた。


「確かに、この婚約さえなくなれば、彼と縁談を組む方向に働きかけることは可能でしょうし、彼もわたくしを妻として人並みの誠実さで愛してくださるでしょう。そういう方ですもの」

「しかし君は、それで満足できる女性ではない」

「ええ。わたくしがこんなにも彼のことばかり考えているのに、彼が同じようにわたくしのことを考えないなんて──そんな対等でない関係を、わたくしが我慢できるはずもありませんわ」


 今度はジェイデンが笑い声をたてた。脚を組み替えた皇太子は、落ちてきた前髪を掻き上げながら目を細くした。


「やはり君とは、意見だけは合う。わたしも、わたしが彼女を求めるのと同じくらい、わたしを求めて貰わなければ意味がないと考えている。せっかくの鮮やかなを、色褪せさせたくはないからね」

「ペテン師のくせに、純愛志向でいらっしゃるのね」

「愛情くらい本物であっていいと。君もそう思うから、わたしに話を持ちかけたのだろう」


 ジェイデンの言葉はまったくもってその通りだったが、ロザリーはこの場で返事はしなかった。それより先に、一転して笑みを消し、苦言を呈するときの仕草として扇を開いて口元を隠す。


「愛情はけっこうですけれど――などと、皇族が口にされるものではありませんことよ」


 ロザリーは声の温度をぐっと下げたが、ジェイデンはかえって笑みを深めた。


「なにも悪い言葉ではない。枝から落ちた葉でも、美しい色をしていれば拾い上げて手元に置きたくなるのは、人としてごく自然なことだ」


 ジェイデンは本気で言っている。それが分かるからこそ、ロザリーは呆れ返った。そして彼と同意見である自分に対して嫌気を感じながら、扇を閉じた。


「あなたの目に留まってしまった彼女には、同情を禁じ得ませんわね。しっかり囲っておくべきでしたかしら。わたくしが先に見つけたのですから、たまには返してくださいね」

「わたしとて譲ってやるのだから、おあいこだ」


 互いに釘を刺し合い、ちらりと牽制の視線を交わす。

 価値観も嗜好も限りなく似ていると認識しながら、目の前の異性を気に入らないと思ってしまうのは、やはり同族嫌悪というものなのだろう。


 軽く目を伏せたロザリーは、頬に手を当てて嘆息した。


玩具おもちゃのように溺愛されて、可愛らしく狼狽える姿が目に浮かびますわ」

「君のそういう姿も、見ものではあるな」


 陶然とするロザリーを眺めて、ジェイデンは笑う瞳に好奇心を覗かせた。彼に弄ばれるなどまっぴらなロザリーは、睨むように片眉を上げた。


「残念ながら、それはお見せできそうにありませんわね。それくらいで、わたくしが狼狽えるはずもありませんでしょう?」


 ジェイデンを真正面に見据え、とん、と扇で手の平を叩く。


「わたくしが溺愛されるのは当然ですもの」


 花瓶の薔薇から花弁が一枚、長卓に落ちた。

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